人と竜の恋の果て③
窓から橙色の光が差し込む夕暮れ時。
夕食の準備を終えたシェイラは、火窯の火を灰をかぶせて消した。
丁度エプロンを外して置いたところで、玄関から賑やかに声がするのに気が付いた。
「帰ってきたのかしら」
シェイラ達が一晩止まることになった小屋は、小さな町屋程度のものだった。
部屋数もキッチンと居間の他は寝室が2室だけ。
おそらく見回りの衛兵などが使うのだろうこの質素な建物は、貴族の家で生まれ育ったシェイラにとっては珍しいものだった。
シェイラはココとソウマを出迎えるため、出入り口と直結した居間へと向かう。
「おかえりなさい。たくさん遊んでいただいたのかしら」
「あぁ、ただいま」
「きゅ!」
人型のソウマと、何故か竜の姿に戻っているココがシェイラの方を振り返る。
「……そちらは?」
彼らの隣に見知らぬ人がいたことに驚いてシェイラは目を見開いた。
後ろの高い位置で藍色の髪をひとくくりにした細身の男だった。
15のシェイラと同じか、少し上くらいの年齢に見えた。
彼は何処か不機嫌そうに鼻をならして、目を細めてシェイラをうかがってくる。
シェイラが訪ねても、男は不機嫌そうに顔をそむけて何も言わない。
とまどうばかりのシェイラだったが、ソウマが男の肩を軽く叩いて紹介してくれた。
「こいつはカザト。風竜で、たまたまこの辺りをふらついていたらしい」
「風竜なのですか?!」
シェイラの薄青の目がとたんに輝きだす。
「…あ、でもこの辺りは立ち入り禁止なのでは?」
「人間は、な。動植物に禁止なんて言えないし、竜に関してはアウラットはもっと何も言わない」
「なるほど。……カザト様。シェイラ・ストヴェールと申します。どうぞお見知りおきを」
相手はあまり友好的な雰囲気ではない。
けれど何よりも彼は竜だ。
(人間的な礼儀を要求する方が失礼なのかも)
そしてシェイラは自分は人だからと、スカートを指先で摘まんで僅かに腰を落とす丁寧な挨拶をした。
カザトは思った通り通り、そんなことには興味も示さない。
ただ苛立たしげに舌打ちをし、一歩シェイラへと近づいてきた。
「…返してよ」
そう言って、彼は手の平を上にしてシェイラの前に突き出す。
「え?」
突然の意味の分からない要求に、シェイラは口を僅かに開けたまま呆けてしまった。
そんな鈍い反応が苛立たしいのか、カザトは小さく舌打ちをしてから、口調を強めて更に手のひらをシェイラに突き出す。
「羽飾り!赤いの!あんたが拾ったやつ!あれ、僕のなんだけど!」
「羽飾り………あ!」
「何?何の話?」
「ソウマは黙ってて。ねぇ、分かった?さっさとしてくんない」
「はい。少々お待ちくださいね」
カザトの要求の意味を理解したシェイラは、慌ててキッチンに走っていき、置いてあったエプロンのポケットに入れていた羽を取り出す。
鮮やかな赤い羽を手に居間にとって帰り、カザトへの手の上へと差し出した。
「これですよね。どうぞ」
「…………」
カザトは無言のままに羽を受け取る。
(あ…)
それまで苛立たしそうに吊り上っていたカザトの目元が、とたんにやさしく下がったのに気づいてしまった。
カザトは髪を結っている結い紐の部分に羽を差し戻す。
今度は抜け落ちないように、しっかりと。
きちんと髪に刺さったのを、手探りで確認したあと、また彼はシェイラに視線を戻した。
僅かに頬を染めて、恥ずかしそうに小さな声でつぶやく。
「ありがとう。ちょっときつく言い過ぎた、かも」
「っ……いいえ!」
カザトにとって羽はとても大切なもので、無くしたことで平常で居られない状態だったのだと、彼の反応を見てしまえば簡単に推測できた。
シェイラはにっこりと笑って首を横へ振る。
「よろしければカザト様も、ご一緒に夕食はいかがですか?たくさん作ったので一人くらい増えても問題ありませんし」
「食事?」
カザトが居間のテーブルに並んだ料理とシェイラを見比べる。
「ふーん…。人間の食事なんて久しぶりだな。いただくよ」
「はい、ぜひ!」
シェイラとカザトのやり取りを見守っていたソウマが、苦笑する。
「んじゃ、食事にするか。一日中ココを追いかけていたから腹減ったし」
「ココもー!」
見るといつのまにかココが人型に翼と角が生えた、いつもの姿に戻っていた。
「食事を本来必要としない竜でも、空腹を感じるのですか?」
「気分だ気分。たくさん運動した後に旨そうな匂いかがされたら、なんとなくそんな気分になるだろう」
「なるなるー」
「そんなものなのですね」
「……普通はならないと思うんだけど。僕は空腹なんて感じたことないよ」
呆れたようにため息を吐くカザトと共に、ココとソウマ、そしてシェイラはそろってテーブルに腰かける。
並ぶ料理は野菜と豆を煮込んだスープ。オーブンで妬いた豚肉と色々な茸。
トマトベースで煮込んだミートボールと、菜野菜とチーズを持ったサラダ。
パンと、林檎のタルトは城であらかじめ焼いてきた。そしてソウマが好きらしく大きな箱ごと持参してきた何十本ものワインと、そのつまみにとハムやソーセージ、チーズを数種類切って盛り付けた。
「しぇーら、しぇーら!」
ココを隣の椅子に座らせようと抱き上げたとき、持っていたらしいハンカチの包みを差し出された。
「これは何?」
「とってきたの!あけて?」
「……?」
とりあえずココをきちんと座らせてから、テーブルの上に包みをおく。
包みとココの顔を見比べると、きらきらと期待に満ちた表情でこちらを見ていた。
「……あら、野苺ね」
結ばれたハンカチを解くと、中からたくさんの野苺が出てきた。
赤くて艶のある瑞々しいそれはどれも食べごろで美味しそうだ。
シェイラは口元をほころばせて、ココの頭を撫でる。
「ありがとう、嬉しいわ」
「えへー」
嬉しくも恥ずかしそうにココの頬が緩む。
その様子を、グラスにワインを注ぎながら見ていたソウマが笑いを漏らしつつ口を開いた。
「シェイラ、ベリー系の果物好きなんだろう?必死になって積んでたぞ」
「なんでか僕も手伝わされたし…」
口を突き出して不満げにするカザト。
皆で摘んできてくれたのだと知れば余計に嬉しかった。
「有難うございます。とっても美味しそう。デザートにこれもいただきましょう」
「ん。じゃあいただきまーす」
「……戴きます」
「いたらきまーす」
竜たちは律儀にも人間のマナーをきちんと守って手を合わせてから、それぞれに食事を始めるのだった。
* * * *
日は遠に沈み、夜空に浮かぶ三日月が窓の向こうに覗いている。
気温が低くなってきたからと暖炉にくべた薪が、時折ぱちりと音を鳴らして火花をはじいた。
食事を終えてココとシェイラはデザートを、ソウマとカザトは軽口を叩きあいながらワインと摘まみを楽しむ。
「ココ、おねむ?もうベッドに入りましょうか」
シェイラはうとうととして体を揺らしているココに気が付いた。
気を抜けば椅子から落ちてしまいそうな状態に慌てて脇に手を差し込み、柔らかな子供の身体を抱き上げる。
「あー。俺が連れて行くわ。って言うか、今日はココは俺と一緒に寝る感じで」
「え?でも…」
「いいからいいから。毎晩これと一緒だと疲れるだろ?一晩くらい一人でのびのび寝てみろって」
「…本当に、よろしいのですか?」
ソウマはシェイラからココを受け取り、ひょいっとまるで荷物のように肩に担いだ。
乱暴な扱いにも見えるけれど、ココが本格的に眠り始めたところをみると竜的に特に問題はないらしい。
「もちろん。じゃ、おやすみー」
「有難うございます。おやすみなさい」
ココを担いだソウマが寝室の中へと消えるのを見送って、シェイラはまた席につく。
カザトはソウマが持参してきたワインが気に入ったらしく、まだまだ呑み続ける様子だったので付き合うことにした。
自分の杯に残されたワインを口に運びながら、なんとなく見ると、カザトの髪についている羽飾りが揺れている。
「それ、とても大切なものなのですね」
「……?」
カザトは一度首をかしげた。
しかしすぐに意味を理解したらしく「あぁ」と頷いて髪に刺さる羽をひと撫でした。
「大切、と言うか。捨てたら呪われそうだから持ってるだけだよ」
「の、呪われそう?」
「それくらい強烈な奴だったからね。これの本当の持ち主は」
「カザト様のものではなかったのですか?」
(顔が赤い…さすがの竜もこれだけの量のアルコールを飲むと酔うのかしら)
彼の頬は少し色づいていて目元もどこか潤んでいるように見える。
よくよく見れば持ってきた何十本ものワインの瓶のほとんどが殻になっていた。
たぶん酔っているから。
だから、彼の持っているシェイラと言う人間に対する壁が、少し崩れているように思えた。
きっと平常ならば話してくれないだろうことを、彼はぼんやりとした表情で宙を見ながら語ってくれる。
「……僕の契約者だった人間のものだよ。この羽は、彼女のお気に入りの帽子についていた飾りだったんだ」
「っ……」
「そんな変な顔するなよ。別に、寿命だったし。死んだのも80くらいでだから…人にしてはそれなりに生きた方だし。引きずっているわけでもないよ」
カザトはそう言いながら、そっと優しく指先で羽を撫でた。
まるで愛しい人に触れるかのような触れ方。
少し伏せた瞼からのぞく、狂おしい感情を秘めた瞳。
何よりもその寂しそうな表情が、彼にとって契約者だった人が大切な存在なのだと言わずとも物語っていた。
(カザト様にとっての大切な女性。形見をずっと大切に持っておくくらいの…)
ある可能性に気付いたシェイラは、今なら何でも話してくれそうな様子のカザトへ素直に疑問を口にした。
「……恋人だったのですか?」
「恋人?」
その単語に、カザトが鼻で軽く笑う。
「まさか。まぁ……僕は好きで、そういう関係を求めたけれど。彼女は答えてはくれなかった。それなのにずーっと独身でさ。死ぬ時も僕一人に看取らさせて、期待させんなってんだよね…」
「では片思い?」
「片思い…いや、たぶん違う。アイーシャも僕のことを好いていてくれたと思う」
「………?」
「人の寿命は短く、竜より先に死ぬから。人と竜がつがいになった場合、残された竜は何百年と言う時を、愛しい者の死と言う悲しみの中生きていかなければならない。そんな酷な思いは絶対にさせないって。同種の竜の雌と幸せになりなさいって、何度も何度も説得された。泣きながら。…泣くくらいならそんなこと言うなって思うんだけど」
シェイラは相槌を打つことも忘れて、呆然とカザトの話に聞き入った。
「アイーシャの言うことは間違ってなかったと思うよ。だって夫婦でも恋人でも無かったのに、彼女は僕の心を今なお占めている。これが生涯を誓い合った関係になっていたとすれば…ぞっとするね」
「…………」
カザトの契約者だったアイーシャと言う女性は、カザトに長い時を共に生きてくれる同種の竜のつがいを願った。
人の身ではずっとそばにいることは不可能だから、彼女はカザトの思いに答えなかったのだ。
けれどシェイラから見たカザトはもう、一生に一度の恋に落ちているように見えた。
赤い羽根に触れるときの愛おしそうな表情や、彼女のことを話すときの寂しく苦しそうな表情がそれを物語っている。
契約者が願ったふうに、カザトがほかの人を見つけるのは、本当に可能なのだろうか。
(すごく残酷…。人は竜よりも弱い生き物だもの)
竜は病気や怪我からの回復力も、人よりずっと強い。
よほど大けがでない限りは3日もたたずに傷はふさがる。
そして人は竜とは比べ物にならないくらい弱く、たとえ健康に生きたとしたってそもそも元々の寿命の差がありすぎる。
だから人と竜が愛し合ったとき、竜は必ずと言っていいほど置いて行かれるのだ。
そしてその後、何百年という年月を竜は愛するものを想い続けながら独りで生きなければならない。
「…どうして、ですか?」
静かな室内にぽつりと、シェイラの呟きが落ちた。
「どうして人との恋は駄目なのですか?確かに人と竜だと人が先に無くなる可能性が高いのはわかります。でもそれは竜と竜の間柄でも同じこと。夫婦が同時に死ぬことなんて出来ません。それなのにどうして、竜は人との恋愛をそんなに否定するのですか?」
「それは…」
カザトはシェイラの台詞を聞き、口をつぐむようなそぶりをする。
何度か視線を右往左往させたあと、小さくため息を吐いてグラスに残っていたワインを全てあおった。
「竜が獣だからだよ」
低くて冷静な声だった。
「…え?」
「聖獣だ、国の宝だと崇められてはいるけれど、結局のところ犬や猫なんかと変わらない、ただの獣だから。雌は力の強い雄に集まるし。雄は繁殖能力の高い雌を選ぶ。能力の高い子孫を得られる相手かどうかで僕たちはつがいを決める。……でも、人は違うだろ」
「……?」
カザトは羽飾りから手を放すと、手を丁度心臓のあたりへとんと当てた。
「人は、ここで決める。心で。だから…しんどい。」
力の強さや条件の良さで決めた相手ではないから、喪失感や悲しみが比にならないほどに大きくなる。
ぐっと、カザトの眉間にしわが寄る。
契約者だった女性を思い出しているのだろう。
何処か泣きそうな表情にも見えて、そんな顔をさせてしまう質問をした自分にシェイラは後悔した。
きっと辛いことをむし返してしまった。
「もちろん、人と恋することを決めた竜たちは、全部承知の上で選んだのだから、後悔なんてしていないのかもしれない。でもたった一匹残されて、喪失感に暮れている竜を見る側からすれば、どうして落ち込むと分かる結果になることをするのかが理解できなくて、むしろ嘲笑されてしまう。そんな馬鹿げた感情に振り回されている姿が滑稽に映るみたいだよ」
「っ……」
シェイラは思わず席を立って、カザトの隣に回り込むと藍色の髪をなでた。
俯いて項垂れる姿はどこか幼い子供のようにも見えて、どうしようもなく甘やかしたくなってしまった。
「…………」
意外にもカザトは大人しくシェイラの手に頭をゆだねている。
何度も撫でたせいで結んだ髪が少し乱れてしまったけれど、それにも何も言わない。
「―――カザト様はこれからもお一人で旅を?里に帰るつもりもないのですか?」
風竜の里なら、なによりも仲間がいるはず。
カザトが一人で世界をさすらっていることが、シェイラはとても寂しいことのように思えて、だからそう尋ねた。
カザトはふん、と軽く鼻をならして、テーブルに頬杖をつく。
置いた杯を前へ突き出されて、シェイラは慌ててワインをそこへ注ぎいれる。
そうしながら彼の視線の先を伝ってみると、窓から見える三日月の浮かぶ夜空を眺めていた。
まるで遠い遠い場所を見ているかのような表情で。
「ありえないよ。すでに百年近くも世界中を飛び回って里の外を知ってしまった以上、また里に閉じこもる気分にはならない。風が吹くまま適当にふらふらしているのが性に合ってるんだ」
「……そう、ですか」
「シェイラは王城で竜を育てているのなら竜たちと関わることも多いんだろう?」
「はい。ソウマ様とも、水竜のクリスティーネ様とも仲良くさせて頂いています」
最近、クリスティーネとはジンジャーも交えて時々お茶の時間を共にする中になっている。
水を知り尽くす彼女は、お茶の入れ方がとても上手なのだ。
入れ方を教えて欲しいと申し出てみたこともあるけれど、感覚でやっているからよく分からないと言われてしまった。
そんな王城での出来事をカザトに話すと、「ふーん」と相槌とも取れないような返事をしてから、彼は口を開く。
「まぁクリスティーネはともかく。これからも竜と過ごすなら、特に雄竜には絶対に心を許さないように気を引き締めるべきだね。堕ちてしまったら、色々と面倒だ。幸せで平穏な人生を望むなら人の男と恋に落ちることをお勧めするよ」
「まさか。私が竜と恋をするなんて、ありえません」
シェイラは心からそう思って、当たり前のように首を振った。
竜に対する憧れはあるけれど、恋をするなんて考えもおよばない。
カザトが言うような熱く苦しい思いを自分がするときが来るなんてありえない。
「婚姻相手はそのうち父が見つけてくるでしょうし、政略結婚と言うものに特に反対するほどの理由も今のところありません。ココがもう少し大きくなるまでは城に居ることを許してくれる人で…と言うお願いはするつもりですけれど。私はきっと平凡に結婚をして平凡な家庭を築くのだと思います」
「…だと良いけどね」
そう呟いたカザトがソウマとココの消えた部屋の扉をちらりと見た。
けれどシェイラはただ不思議に思って視線を追うだけで、彼のその呟きの意味には気が付かなかった。




