冬の報せ①
ネイファ王都の大地を、雪が白く染めゆく冬になった。
今日も薄雲のかかる空からふわりふわり、白い雪は舞い落ちる。
極度に寒がりの火竜が居るので、ネイファの第二王子であるアウラット・ジール・リエッタの執務室の隅には、冬になると常に薪が積み上げられるようになる。
今も暖炉の中では盛大に赤い炎が、明らかに火竜の力で威力を増された勢いで激しく燃えていた。
パチリパチリと薪火が弾ける。
どこか懐かしいその音は、耳に心地いい。
そんな部屋に置かれた、大きく重厚な年期を感じさせる艶を放つ執務机の前。
椅子に腰かけている部屋の主アウラットは、たった今手元に届いた報告の書面を前のめりになって読んでいた。
何度か繰り返し目を通し、一文一句理解して。
そばにいるソウマに、もう一度確認して貰ってから。
彼は勢いよく―――書類を乱暴に握りつぶした。
「まったく何てことだ!! 最悪だ!!!」
くしゃくしゃになった紙を、八つ当たりとばかりに勢いよく机の上に投げつける。
続いてアウラットは、自分の黒い髪を苛立たしげにかき乱した。
それは普段はきちんとした身だしなみを心がけている彼にしては珍しい仕草で、加えて高貴な生まれ育ちからあまり使わない乱暴な言葉さえも、思わず滑り出てしまう。
「ふざけやがって! くそ馬鹿やろう共が!」
昔、旅をしていたころに場末の居酒屋などで覚えた言葉だ……。
「おいおい。アウラット」
壁際の本棚の前に立つ火竜のソウマは、空いた隙間に本を差し入れ仕舞った後に振り返り、呆れたふうにため息を吐いた。
「ったく。いい年をして子供みたいな癇癪をするなよ。落ち着けって」
呆れた声を出すソウマだったが、しかし表情はどこか固い。
普段は明るくきらめいている赤い瞳も、今は間違いなく暗く冷ややかな色を見せていた。
ソウマだって届いたばかりの報告に憤ってはいるのだが、しかしアウラットの怒りの勢いが激しすぎて、逆に冷静になってしまっていた。
「落ち着けるものかっ。 このネイファで! 竜を愛し竜と共に生きる国で! 竜狩りが横行しているなど許せるはずがないだろう……!」
―――竜狩り。
その報告に、アウラットはここまで怒り狂っている。
「……まあなぁ。いつもなら二、三年に一件、あるかないかの程度なのにな」
「そうだ。それだけでも苛立たしいのに!」
アウラットがダンっと両こぶしを机の上に叩きつけながら、勢いのまま立ち上がり声を張った。
「それが! この半年ばかりで増えて増えて! 今日のこの報告を入れれば五匹目だ! 報告に上がっただけで五匹ということは……」
「まぁ、どう考えたって目撃者もいなくて、報告されようがない状況でやられた数はその倍はいるはずだな」
「っ……! なんという事だっ……!!!」
頭を抱え悲痛な叫びをあげるアウラットに、ソウマは眉をぐっと寄せた。
「そうだな」と同調して頷いてから、さっきアウラットが投げ放ってしまう前に自分も読んだ報告書の内容を頭に思い出す。
無意識に口から漏れるのは、今日何度目かも分からなくなった重いため息。
今回、報告をよこしたのは、今回竜狩りの行われた土地を自領とする領主だ。
もっとも実際にその場を見たのは領内にある小さな村の少年少女だったらしく、領主も報告として受けたものを国まであげた過ぎないのだが。
小さな村の少年少女たちに事件を聞いた村長から領主へと報告があがり、その後に事実確認の調査が行われ、城にまで届けられた。
何人もの人間を経由したうえに距離が空いていることもあり、事件から今日までには既に数ヶ月が経ってしまっている。
もう犯人は跡形もなくその場から立ち去っているだろうから、追うのも難しい。
ただ、その領主が先導した現地での調査で、ある程度の犯人についての情報は集まっていた。
「―――竜狩りを専門とする、大規模な冒険者パーティ……か」
たった数人の人間がどれだけ頑張って竜へと向かって行ったって、鱗ひとつ傷つけることなんて出来ない。
しかし何十人もの人間が徒党を組み、綿密な計画を立てたうえで、一匹のみでいるところの竜に不意打ちをかまし、寄ってたかって襲い攻撃するようなことがあれば。
倒せる可能性も、出てきてしまうのだ。
戦うことに秀で、経験も実力もある冒険者なら尚更のこと。
ソウマは顎に手を当てて思案しながら、僅かにまぶたを伏せて口を開いた。
「一匹だけで油断しているところの隙をつき、何十本もの鎖と縄を巻きつけ、杭を打ち、動きを封じてからの集団攻撃。この半年で行われた竜狩りのどれもが同じような方法みたいだし、同じパーティーがやった可能性が大きいな。だとしたら、余程に大規模な人数かつ、竜狩りに関して慣れた統率者もいるってことか」
「あぁ。最低でも五十人は硬いか」
「これは……ネイファの人間じゃあないよな」
「当たり前だ!」
ネイファの人間は程度の差さえあれ、基本的にみんな竜に友好的だ。
中には嫌いだという人間もいるのだろうが、それでも数はごく少数。
これほど竜に反発した思想を持つ大所帯の団体があれば、ここまで大きくなるまでの過程のうちに知れ渡らないわけがなく、ネイファで生まれ育った人間たちが組んだ冒険者パーティの規模としては無理がある。
だから、と続けたアウラットが吐き捨てるように言う。
「おおかた、他国で結成されたパーティが竜を狙って流れて来たんだろう。他に類をみないほど、この国には多くの竜が生きているから。鱗か角が目的か、それとも竜を討ったという称号でも手に入れたいのかは分からないがな!」
怒りに心頭したアウラットは、目を鋭利に細めて低い声で唸った。
「絶対に許さん」
竜を聖なる存在だと信じ、守り共存する考えをもつネイファの民にとって『竜狩り』はもっとも忌むべき行為。
それを聞いたほとんどの者が怒るはずだ。
「ネイファでは人を傷つける者と同じくらい、竜を傷つける者も罪人だ。遠慮なんてする必要のない相手だ、調査の手を広げるぞ」
「あぁ」
「絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやる」
彼のその強く竜を愛し、竜を守ろうとする姿勢に、自身が竜であるソウマは口の端をあげ、力強くうなずいた。
「おう」
竜狩りを行うような人間もいるが、反対にこうして守ろうと動く人間もいる。
だからソウマは人間が嫌いになれなかった。
人と接する機会の増えた最近は、今まで関わることの億劫だった年頃の女性への苦手意識もだいぶ薄まったようにも思う。
「まずは調査だな。誰か! 誰か居るか!」
「はっ!」
アウラットは鈴を鳴らして呼びつけた侍従に指示を始めた。
ネイファで人間と竜の繋がりの要となる役割を持つアウラットは、自らその冒険者パーティーの元へ赴くつもりでいるのだろう。
しかしまずは居場所の特定が出来なければどうにも動けない。
この半年間で行われた五件の竜狩りのどれもが時期も場所もばらばらで、絞ることも今のところ難しい。
だからこそ、まずは居場所の情報を集めなければならなかった。
調査のための人員派遣に動き出すため侍従と話しているアウラットから視線をそらし、ソウマはまた白い雪の舞い始めた窓の外へと視線を向けた。
「うーん……」
意識をすると感じる、自らの鱗を渡した少女の気配。
口元に手を当て、集中して深く気配を探しながら片眉を寄せる。
「ネイファって言っても広い。シェイラが会う可能性なんて、ほとんど無いとは思うが。……思うん、だが……」
ソウマはなんだか、嫌な胸騒ぎを感じて顔をしかめた―――。
偶然出会う確率なんて、本当にとてもとても低いはずなのに。
だが、どうしてか彼女は竜達がややこしいことになる場にばかり居合わせる。
万が一、ただでさえ竜を価値あるものとして目の色を変え、襲い、手に入れようと動いている連中が、白竜というこの世に存在さえしていないと言われているほどに希少なあの白い翼を目にしたならばと想像すれば。
暖炉に燃え盛る炎に暖められた部屋であるはずが……ぞっと、ソウマの背筋は冷えた。
「出来れば駆けつけてやりたいが、アウラットを放っておいたら暴走しそうだしなぁ。何よりまだ求められても無い……っつーかシェイラに何にも起こってないのに手を出そうとするのは、過保護すぎるか……」
自分の力で困難を乗り越え成長する為に、助けの手の多い王城から出て行った娘だ。
まだ彼女の元で何一つ事は起こってない。
風竜ヴィートの時の様に頼まれたわけでもない。
「…………はぁ」
手を出せないもどかしさに、ソウマはまた一つ大きくため息を吐いた。
「しらみつぶしに奴らを探せ! 百人……いや、千人…いやもっとだ! 一万は必要だ! いっそのこと兵と騎士をありったけ派遣しろ!!!!」
「で、殿下、無茶言わないでください」
とりあえず、明らかにやりすぎな、大規模な戦争でも起こすのかというほどの人数を動員させようとしているアウラットを止めることにしようと、意識を切り替えるのだった。
彼女からの要請さえあれば直ぐにでも駆けつけられる準備をしておこうと心にとどめながら。




