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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第五章

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宝物を託すのは③

「つっ……!」


 力強く剣を叩き落された衝撃に、レヴィウスは足元のバランスを崩して後ろへと倒れてしまう。

 尻餅をつく形になってしまった彼は、低くなった視界の先を眼鏡越しに睨みつけながら荒い息を繰り返した。

 そして、土の付いた手のひらを固く握りしめ、悔しさを吐き出す。


「くそっ」

「……これで、俺とシェイラのことを認めてくれるんだ?」


 上からソウマの持つ剣の切っ先が、真っ直ぐにレヴィウスの眼前へと突きつけられる。

 見上げたソウマは汗はかいてはいたがレヴィウスほどに疲れ切った様子はなく、まだまだ戦えそうな顔をしていた。

 もう一歩も動けそうにないくらいに消耗した自分との差を見せつけられ、レヴィウスは奥歯を噛みしめる。


「やはり、勝てないのか……」


 本気で竜に勝てると思っていたわけではない。

 でも、勝とうとして剣を握っていたのは確かだ。


「…………っ」


 しばらく苦悩の表情を浮かべていたレヴィウスは、やがて諦めのため息を力なく落とす。

 握りしめていた手のひらも解かれ、土の上へと落とされた。

 彼は視線を真っ直ぐにソウマへ向けて口を開く。


「俺たちが……」


 それは激情を押さえた、絞りだすような声。

 疲れ切ったぼろぼろの身体であるのに、ソウマに突き刺さる視線には強い感情がにじみ出ていた。


「俺たちが、老いて、死んで……そして―――今のシェイラを知る人間が一人もいなくなったとしても。お前は、本当に、本当に、シェイラの傍にいるのか」

「っ」


 ソウマの瞳がゆっくりと見開かれる。

 レヴィウスは、わずかに震える声で切実に訴えた。


「信じて、いいのか」


 ……レヴィウスが、シェイラが竜に恋をしたと知らされた時。

 寿命の違いから愛した人と違う時間を生きる、置いていかれると決まっている人生を送ることを可哀想に思って、反対した。

 女なのだ。自分だけが老いていく姿を、たとえ言葉に出さなくても(なげ)かないわけがないだろうと。


 そしてシェイラが竜になったのだと知らされた時。

 頭のまわるレヴィウスは、今の彼女を取り巻く人が全員、彼女をおいて死んでいくのだというところまで瞬時に考え、絶望した。

 彼女が自分から離れていく寂しさにではなく。

 全てを失った時に彼女が感じるであろう悲しみを想像して、絶望したのだ。



 驚く顔をしている目の前の竜を見上げ、レヴィウスは言葉を続ける。


「俺の知っているあの子は、窓を揺らす強い風の音にさえ怯えて泣くような、弱い子だったんだ」


 ぐっと、レヴィウスの眉間に皺が寄る。

 脳裏に映るのは、薄青の瞳からぽろぽろと透明な涙を落とす幼いシェイラ。


 大きな風の音が怖いと泣く姿。

 立つことも話すことも出来ず、ただただ泣くことでしか意思表示が出来ない程に幼い赤子の姿。

 大人に竜が好きなことを馬鹿にされて泣いていた、気の弱い子どもだった姿。

 レヴィウスはそんな、無条件で守られるくらいに幼くて弱かったころのシェイラを見てきている。

 引っ込み思案で弱々しくて、自分の背中に引っ付いてばかりいた時を知っている。

 この世に生まれ出た頃から見守って来た、大切な大切な、守るべき子。

 泣いている子を抱き上げあやしながら、あの頃のレヴィウスはずっと守っていくことを決めた。


「……シェイラの周囲の人がみんな死んで、血のつながった家族が全員いなくなったとき、きっとシェイラは泣くだろう」

「………」


 わんわん泣く弱く幼い子を、レヴィウスは何度も繰り返し見て、守って来たから。

 だから簡単に、一人きりになって泣く彼女を思い浮かべられる。

 もちろん新しい人間関係が出来るかもしれない。

 けれど、家族や幼い頃から共に育った友達以上に特別な存在は、なかなか現れない。


 レヴィウスは無言のままに話を聞いているソウマから視線を落とし、わずかに瞼を伏せた。

 小さな声で、訴える。


「――俺にとって竜は、遠い遠い別世界の存在だった。本当に縁遠過ぎて、何を考えているのかまったくわからなかった。理解の範疇をあっさりと超える未知の存在が、何百年と先の未来でまであの子に寄り添い続けてくれる姿なんて、まったく想像が出来なかった」


 父のグレイスが意識して本物の竜から遠ざけさせていたのもあるのだろう。

 竜は本当にレヴィウスにとって遠すぎる存在で、だからこそレヴィウスが頭の中で想像できたのは、独りぼっちになって泣く、幼いころのままのあの子だけ。

 その隣に竜がいる姿を、どうしても思い浮かべることが出来なかった。


(でも……)


 レヴィウスはちらりとスピカに視線を向ける。

 目が合うと、スピカは黒い瞳を瞬かせて首をかたむけた。


(温かかった)


 レヴィウスは、スピカに触れて初めて、竜が血の通った生き物であることを知った。

 竜は孤高の存在で、神のごとく敬う人さえいるほどで。

 人になど興味を示さない。

 人間と一緒に地上を歩くことはなく、青い空の上にいるもの。


 そんな手の届かない、遠い世界の生き物だと思っていたものに、妹を奪われることが許せなかった。


「っ。は……」


 なのに―――知ってしまった。

 竜が人となんら変わらない生き物であることを。

 温かくて、感情をもった、生身の身体を持つ者であることを。

 人と同じような『感情』があることを、レヴィウスは初めて知った。


 スピカはシェイラが竜の子と一緒にどうやって過ごしているのかを話してくれて。

 だから、レヴィウスにも竜の隣にいる彼女の姿を、僅かながらも想像できるようになった。


「………」


 レヴィウスは大きく長く息を吐き出す。

 すぐそばに落ちていた剣を引き寄せ握り直し、腰を上げて立ち上がる。


(だったら、俺がするのは、本当に信用にたる奴かどうかを見極めるだけだ)


 ほんとうに、百年後、二百年後、三百年後の、目も眩むほどの遠い未来にも、目の前の赤い髪の男が、シェイラの隣に立ち、家族や友人の抜けた穴を埋められるほどのものを、彼女に与え続けていてくれるのかを。

 ほんとうにそれほどにシェイラの生涯に、寄り添い続けてくれるのかを、レヴィウスは知りたかった。

 だってそのとき、自分は跡形も無くなっている。

 相手を怒ることも、シェイラに手を貸してやることも出来なくなっている。

 手の届かない場所で、妹が一人きりで泣くかも知れないことを、了承したりなんかしたくなかった。


「絶対、あの子を見放さないか」


 剣は、相手の心を表す。


 いい加減な性質の者の剣は、まさしくいい加減で。

 真っ直ぐで生真面目な者の剣は、ひたすらに真っ直ぐだ。

 だから剣での勝負を挑んだ。


 レヴィウスの剣は、若い頃に護身として習ったままの、型どおりのものを自分なりに鍛えたもので、乱れなく真っ直ぐにソウマヘと突き出される。


「っ!」


 剣と剣がぶつかり合い、高い音が空気を震わせる。

 今度は天高く、レヴィウスの剣は遠くまで放物線を描きながら飛んで行ってしまった。

 広場の端の方に音を立てて落ちた剣を見送ったレヴィウスは、自嘲気味の息を吐き出す。


(これが、俺との違いか……)


 流れる汗を振り払い、顔を上げて叫んだ。


「絶対! あの子を、幸せにしろ! 誓えないのなら渡さない。俺の目の黒いうちに、一度でもシェイラが泣きついてきたら、直ぐにでもストヴェールに連れ戻す!」


 たとえ寿命がちがっても、ストヴェールの地でなら可能な限り守る手立てを考えてやれる。

 なかなか年を取らない彼女を、田舎でひっそりと穏やかに生活させてやる道を示すこともできる。


「っ、あんたは、竜が恋をすることがどれほどに覚悟のいることか知らなかったんだな」


 ぼそりと呟かれた言葉の意味は、レヴィウスには分からない。

 でも、真っ直ぐに向けられる真剣な表情は、瞳は、声は、信じていいかもしれないと思えた。


「俺からシェイラを見放すようなことは、絶対に有り得ない。それだけは絶対だと断言できる。――-大丈夫だ」

「っ………」


 一度、ゆっくりと、ソウマの言葉を噛みしめるふうに目を瞑ったレヴィウスは、次に目を開いたのち。


 穏やかに、頬を緩めるのだった。




* * * *



 しばらく休憩し、息も落ち着き、汗も引き始めたころに、とりあえず一緒にストヴェール家へと帰ろうと、レヴィウスがスピカを馬の背へと抱き上げて乗せる。

 その姿を見守りながら、ソウマはふと頬を掻きながら呟いた。


「絶対に離れるなって言ってるけどさ。今現在、率先して俺から離れて旅を満喫しているのはあっちなんだよなー」


 レヴィウスはその台詞に振り返り、片眉を上げて微妙な顔をしながら笑った。


「気持ち的な意味での「離れるな」だ」

「分かってるよ」

「ねーねー、はやくかえろー? ママおきちゃうよ?」

「うっ……」


 レヴィウスが固まった様子に、ソウマは大体の事態を察して彼の肩をぽんと叩く。


「黙って出て来たのか」

「つい、勢いで……」


 もしも、何も言わずに出て来たことが既に屋敷の者に知られていたならば。

 相当に怒られることは、想像に(かた)くなかった。





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