宝物を託すのは①
いつも有り難うございます。
おかげ様で10月10日に3巻発売いたしました。
アリアンローズのサイトにて書下ろしssが公開中ですので、よろしければ覗いてみてくださいませ。
暗闇の中、レヴィウスの気配を探してスピカは小さな翼をはためかせていた。
しんと静まり返った空間で聞こえるのはほんのわずかな羽音だけ。
周囲を見まわし探しつつ、スピカはほうと息を吐く。
(くらくて、しずかで、あんしんするの)
暗くて静かな場所が一番落ち着くのは、黒竜がもって生まれた特性だ。
そのために、スピカは明るくにぎやかな場所と人が少しだけ苦手だった。
卵の中にいた時、ずっとずっと一人きりで闇に包まれていたから、明るい場所に戸惑ってしまうという面もあるのかもしれない。
そう。今のスピカを取り巻く闇の世界は、とてもほっと出来る空間。……のはずなのに。
「……」
わずかに瞼を伏せたスピカが、沈んだ表情でもう一度息を吐く。
(こわくないけど。でもでも、さみしい……)
早くこの暗闇から出たいと、思ってしまう。
賑やかすぎて時々うんざりするココの隣。
過ぎるくらいに自分に目をかけてくれるシェイラの腕の中。
あの場所に、早く戻りたい。
たぶんこれは孤高であろうとする竜としても、闇を愛する黒竜としてもおかしな感覚なのだと自覚をしながら、スピカはレヴィウスの姿を探し続けた。
自分がしたことの責任をきちんととるために、自分で彼を連れ戻すと、もう決めていた。
だから帰りたいけれど、彼を見つけてからでないと帰らない。
「あ」
闇の中でもスピカにははっきりと分かった。
この先に、直ぐ近くに人がいる。
その気配をはっきりと捉えるやいなや、飛ぶ速度が無意識にあがった。
「んんんー」
声をかけようと思って飛び近づきながら、スピカは口元をもごもごと迷わせる。
(な、なんてよぶのぉ?)
ほとんど会話さえしたことの無い人に話しかけるのは、スピカにとってとても勇気がいること。
それにレヴィウス、という名前は幼いスピカが発音するには舌が回り切らなくて少し難しい。
シェイラが呼んでいるような『お兄様』も、スピカの兄では無いので違和感があった。
(ママのおにいさん、だから、おじさん?)
それも少し違うかと、首をひねる。
「んー! んんー!!」
どんどん速度を上げ、全速力で飛びながら、スピカは唸り、悩む。
そして彼の背に手が届く瞬間。
ふいに思い付いて大きな声を上げた。
「レヴィ!」
それは彼の婚約者がたまに漏らすレヴィウスの呼び名。
二人きりの時専用なのか、昔の呼び名が偶に出て来るのかは定かではないけれど、ベッドに眠るレヴィウスの手を握りながら、リリアナは小さく『レヴィ、レヴィ』と呼んでいた。
「あれ!?」
「っ!?」
レヴィウスの背中にスピカの小さな手は確実に届いた。
呼ばれた大きな声に気付いた彼は、突然で驚いたのか肩を跳ね上げたあと、こちらを振り向く。
振り向いた彼の顔は間違いなくレヴィウスで、スピカはちゃんと見つけられたことに安堵し肩の力を抜いた。
でも。
「と、まらないぃ!」
スピカは思いのほかスピードを出し過ぎていた。
振り向いたレヴィウスの胸の中に、彼女は勢いよく突進していく。
「はっ!?」
レヴィウスは悲鳴もあげられない程に驚いているらしく、胸に勢いよく飛び込んできたスピカを受け止め―――切れずに、二人一緒に勢いのままに転がった。
なんだかつい最近も、この子を抱いて転がったばかりなよう気がした。
上も下もよく分らないくらいに真っ暗闇の世界なので、転んだのかのどうかもいまいちよく分からなかったけれど。
確かにレヴィウスは仰向けの体勢になっている。
そして彼の胸に鼻をぶつけたスピカは、盛大に鼻を打ち付け、両手でそこ押さえながら足をばたばたと忙しなくばたつかせた。
「いっ、ったーぁい!」
自分の胸の上で騒ぐ小さな子供に、レヴィウスはしばらく呆然として動けなかった。
* * * *
少ししたのち、立ち上がり地に足をつけたスピカに、レヴィウスはしゃがみこんで視線を合わせる。
レヴィウスはかなり視力が悪い。
残念なことに今手元には眼鏡がなく、そのために思いきり目を細め、近づかなければ彼女の様子が分からなかった。
でも視力の悪さゆえに視界がぼやけることさえ除けば、なぜかレヴィウスにもスピカの姿をきちんと見ることが出来ていて、それはスピカからしても同じらしい。
暗闇なのに、見えているという不思議な感覚。
明らかに現実でないこの空間に、戸惑っていた時期はもう過ぎた。
だってレヴィウスはもう何日もここにいるのだ。
ずっとずっと、ただ暗いだけだった場所に、突然スピカが現れた。
何が起こっているのだろうと、レヴィウスは目の前の子どもを凝視する。
「……どうして君がここにいる」
こんな場所に幼い子供一人でいることに、自然と少し責めるような口調になってしまう。
「わ、わかんない」
厳しい声色に怯えたのか、スピカは上目使いでもじもじと手足をすり合わせながら言う。
「――-まぁ、その話はあとにして」
レヴィウスはとりあえず今は叱っている場面ではないかと思い出し、まず一番優先すべきことを訊ねることにした。
「ここは何処だ」
「えっと、くらやみ?」
「……それは、分かっている」
ずいぶんと長い時間、レヴィウスはこの暗闇のなかに閉ざされていたのだ。知らないわけがない。
何の音も聞こえない。
誰も存在しない。
土も空も太陽もない、意味不明な空間。
そこにたった一人きり、正確な時間は分からないながらも、何日も置き去りにされていた。
この状況で彼が一応の平静を保っていられたのは、この闇に閉ざされる前の状況から、竜の力のせいでこうなっているのだと導きだすことが出来たからだ。
(それに)
レヴィウスは自分の片手を見下ろす。
平静を保ち続けられた一番の原因は、時おり感じる手を包む温もり。
それと同時に頭の中に響く、名前を呼ぶ愛しい婚約者の声。
彼女の不安に揺れる声を聞くのは堪らなくて、早く帰らなければとレヴィウスを奮い立たせていた。
「……。どうにか帰らなければと、とにかくひたすら歩いていたがどうにもならない」
「ぱーんって、すればいいだけなのに?」
「ぱーん?」
子供ならではの擬音での説明にレヴィウスは首をひねる。
弟や妹たちの面倒をよくみていたから、幼児語にも多少の免疫はある。けれど、さすがにこれは理解が難しい。
「あっちに、すごくうすいとこがあるの」
「ほう?」
レヴィウスが続きを促してみせると、スピカは指を指して「あっち」と繰りかえす。
「その、うすいとこを、ぱーんって! するの!」
握りしめた拳を前へ付きだしてみせたスピカ。
その小さな拳を手のひらに受け止めながら、レヴィウスはやっとなんとなく意味を理解した。
「この闇を、壊せるのか」
「できるよ! ぱーんって! あっちで!」
受け止めた拳を握りしめれば、スピカは頷き、もう片方の手で行く先を指さして進もうとする。
レヴィウスは握った手をそのままに立ち上がり、半歩だけ前をゆく彼女の案内に大人しく着いていくのだった。
そうして。
てくてくてくてく、小さな女の子に手を引かれて歩く。
幼い子供の足に合わせてだから、レヴィウスからすればずいぶんとゆっくりな歩調だ。
自分が手を引く立場ならともかく、引かれているということが若干情けない気分だったものの、レヴィウスでは道がわからないので、案内役の彼女に大人しく従うしかない。
「……」
てくてくてくてく。
ひたすらに歩きながら、レヴィウスは艶やかな黒髪のつむじを見下ろす。
しばらく戸惑い、口元を開いたり閉じたりした後。
彼はポツリとスピカに呟いた。
「……シェイラとは、どうだ」
「へ?」
歩きながら首だけで振り向いたスピカは、呆けた顔でこてんと首をかたむけてくる。
「だから、シェイラとは、どうなんだ」
……レヴィウスは数年間、シェイラに会っていなかった。
久々に会った妹はずいぶんと成長して大人びていて、それだけでもどこか緊張してしまうのに。
まだ何一つとして互いの近況報告どころか、くだらない世間話さえしていない。
何となく少し遠い存在に思えてしまう。
だから最近のシェイラを良く知るスピカの話を、聞いてみたいと思った。
まだ、本人に直接聞ける状況ではないから。せめて。
スピカは切れ長の黒い瞳を何度か瞬かせたあと。
「んふふふー」
頬を赤く染め、とても柔らかな、幸せそうな笑顔を浮かべた。
「っ」
その幼子の表情が「シェイラが大好きだ」と、語っている。
レヴィウスは守るべき存在だった妹が、いつの間にか子供たちを守り育てる親になっていたことを、やっと初めて理解した。
戸惑うレヴィウスをよそに、スピカははどこか自慢げに胸をはりながら、話してくれる。
「……ママはね、すっごくがんばりやさんよ」
「それは、知ってる」
小さな手を握って歩きながら、頷いた。
その反応に、スピカはさらに笑いをもらし、そしてはっきりと言う。
「それで、おにいさまのことがだいすきだって、いってた!」
「…………」
レヴィウスの表情がこわばったことに、スピカは気づかずに話を続ける。
大好きな人の話を出来ることが、とても嬉しいらしい。
「ママね、おやすみのまえにね、おはなし、してくれるの」
「ど、んな」
「えほんをよんでもらったはなし。だっこしてもらったはなし。おかしを、いっしょにつくったはなし。おいかけっこして、たのしかったって。ないたら、よしよしってしてくれるって」
スピカはまた、レヴィウスを見上げて笑う。
「やさしい、じまんの、だいすきなおにいさまよって、ママ、いっつもいってる」
「……。そうか」
「んー? ないちゃだめよ?」
「泣いてない」
レヴィウスは顔を背けてしまったために、スピカからは顔は見えなかったけれど。
でもスピカには、彼が泣いているように感じた。
* * * *
「ん……」
目が、覚める。
視界の先に暗闇では無い見知った天井があることに、レヴィウスはほっと安堵の息を吐いた。
(まさか、ほんとうに拳で壊すとは……)
スピカが薄い場所と言ったそこを文字通り「ぱーん」とグーでたたけば、あっさりと暗闇が割れて脱出出来てしまった。
何日もひたすらに迷って困り果てていたのに。
あんなに簡単に抜け出せたなんて。
もちろん竜の子がいなければ何処を叩けば良いのかなんて判別がつかなかっただろうけれど、何日もの苦労は何だったのか。
「リリ、アナか」
レヴィウスはぼやける視界の中、自分の手を握るぬくもりの主に口端をあげる。
椅子に座った状態で眠っているリリアナの姿がそこにはあった。
「……っ」
そっと、彼女を起こさないように手を解き、ベッドのサイド―テーブルの上、いつもの定位置にきちんと置いていてくれたらしい眼鏡を手に取る。
かけて鮮明になった視界で、改めてどこか懐かしささえ感じる室内を見まわした。
「んんー」
ふいに胸の上に乗る重みが、唸りながら身じろぎをする。
そちらに視線をやると、レヴィウスの胸元に突っ伏して眠っていたらしいスピカは、目元をこすりながら顔を上げた。
スピカはレヴィウスと目が合うなり「えへへ」と少し恥ずかしそうに笑った。
レヴィウスも口元を緩め、スピカの頭を撫でつつ、乱れている長い黒髪を簡単に整えてやる。
次いで、彼女の身を少し持ち上げてずらしシーツの上に転がし、上半身を起こした。
(っ、やはり満足に動かないか)
どこかの関節がぽきぽきとなり、全身が酷くだるい。
手のひらを握ったり開いたりして、伸びをする。
しばらくそうして凝りかたまった体を何とか解してから。
レヴィウスは黒い瞳を瞬かせて首をかしげているスピカの前で、何かを決意した表情で顔をあげ、大きくうなずいた。
「―――よし」
「レヴィ?」
「しー」
「しぃー?」
レヴィウスは自分の名を呼んだスピカの口元に手を当てて、声を出さない様にと合図する。
それから静かに、そっと、リリアナを起こさないようにベッドを抜け出した。
眠る彼女の身体を抱き上げ、今まで自分が寝ていたベッドに横にしてシーツをかけたあと。
クローゼットから一式の着替えを取り出し、着替えを始める。
シャツとパンツのみの簡素な服装になったレヴィウスは、普段は部屋の壁に立てかけているだけの、あまり使わない長剣を腰にさげた。
そうして彼は、なぜか飛んで付いて来るスピカを連れだったまま、部屋をそっと抜け出すのだった。
「――――っ、俺はどれくらい眠っていた?」
「きょおで、いつかめー」
「そうか……」
廊下を歩きながら、レヴィウスは窓の外にのぼる星の位置を確認する。
明け方もまだまだ遠い夜中だった。
さすがに使用人たちも寝静まっていて、廊下を歩くレヴィウスに気づく者はいない。
レヴィウスは音をたてないようにそっと屋敷の中を通り抜け、勝手口から外へとでた。
そうして馬屋から一頭の馬を引き出すと、鞍と手綱を取り付けて裏門へと向かう。
馬の手綱を引き歩きながら、レヴィウスはいまだ後ろを飛んで付いてくるスピカに声を掛けた。
「……スピカは、そろそろ戻れ。勝手に出かけたらシェイラが心配するだろう」
「やー。いっしょにいくぅ」
「なぜ」
「なんとなく」
「……。…………落ちるから。こっちにこい。あと、外にでるのだから翼はしまえ」
レヴィウスは裏門を開き、馬にまたがると。
眉を寄せたまま、スピカを引き寄せ自分の前へと座らせる。
彼女が翼をしまいどこからどう見ても普通の人間の姿へと戻ったのを確認したあと。
落ちないようにしっかりと手綱を握らせ、さらに片手を幼い体に回して支えながら、自分も手綱をひいた。
「行け」
美しい星の瞬く夜空の下。
馬のいななきと足音が、遠く遠くにまで響くのだった。
* * * *
たどり着いたのは、ソウマとアウラットが泊まる宿屋。
宿屋の主人に夜分の訪問を詫びつつも、部屋の主に連絡を取って貰った。
許可を得て訪ねた部屋で、レヴィウスと、彼にくっ付いているスピカを迎えたのはソウマのみ。
夜間着にカーディガンを羽織った格好で出て来たソウマは、扉を開くなり目にしたレヴィウスを、驚きを隠せない様子で凝視した。
「起きたのか」
「あぁ」
「それは何よりだ。……で? こんな夜中に俺のところまで、一体何の用事だ? スピカまでくっ付いてるし」
心底不思議そうな顔をする火竜ソウマへと、レヴィウスは真っ直ぐに顔を上げる。
そしてとても静かで、とても真剣な声で、はっきりと言い切った。
「俺が果たし状を送ったのを、覚えているか」
「っ!!」
その台詞にソウマは赤い目を瞬かせて、呆けた。
しばらくの間を空け、意味を理解した後、彼は口角を上げる。
「もちろん」
「父が無効にしてほしいと頼んでいたが、それを撤回してほしい。俺と、決闘を」
「はははっ! ―――いいね」
ソウマの赤い瞳が、きらりと輝いた。
「まどろっこしいことは苦手だ。こういう分かりやすい方法の方が性に合ってる」




