夜闇に灯るは黒竜の心⑥
ゆらり、ゆらり。
小さな丸みのある体から生える黒い尻尾が、力なくゆっくりと左右に揺れている。
憂いた表情で見上げた先は、月の出た空だ。
艶やかな黒い瞳にはくっきりと空に昇る月が映しだされていて、竜の姿のスピカは年に見合わない重たいため息を落とした。
彼女は非常に、困っていた。
「きゅう……」
誰の耳にも入らない、小さくか細い鳴き声が、夜闇へと溶けていく。
スピカの落ち込みの原因は、言うまでもない。
あの日からもう五日たつのに、レヴィウスが目覚めない。
「きゅ――――――」
原因は間違いなく自分だ。
自分が、やらかした。
スピカの身体は今までの重苦しさが嘘のように体が軽くて、空を飛んで宙返りしたいくらいだった。
でもそうやって無邪気に遊べる空気ではなく、屋敷の誰もがずっと暗い顔をしている。
それだけ、レヴィウスは屋敷の人たちと懇意にしていたのだ。
さらに皆がスピカのせいではないと口々に言ううえ、シェイラは自分がスピカの異変に気付いてあげられなかったせいだと落ち込んでいる。
スピカはそれら全部が自分のせいだと己を責めていた。
(ぜったい、わるいのは、スピカなのにっ)
スピカは責任を感じ、重苦しさに背を丸める。
みんなが優しくしてくれればくれるほどに、心地が悪くて苦しくなる。
(……やさしく、してくれたのに)
パーティーの時に周りに居た、知らない大人に体調不良を訴え出る勇気はスピカにはなくて。
ココはあっという間に他の子と仲よくなって離れてしまって。
その中で彼はスピカを見つけてくれて、大事に大事に抱き上げてくれて、背中を撫でてくれ、優しい言葉をくれた。
(しぇーらままと、おなじだった)
しかめっ面しか見ていなくて怖い人だと思っていた。
しかし実際に触れた彼はシェイラと同じ温かさを優しさをもった人だった。
背を撫でる手付きは、スピカが寝付けないときなどにあやしてくれるシェイラのものとまったく同じだった。
だからスピカはもう完全に安心しきってしまった。
頑張って堪えていたのに緊張が解け力を抜いてしまい、その瞬間に体の中にあったものが飛び出したのだ。
(ちょっとだけ、あっちむいて、くしゃみしたらよかっただけなのに!)
自分への怒りを現してか、スピカの尾っぽが上下に激しく揺れて屋根を叩く。
……レヴィウスの方ではなく、顔を反らして出していれば、彼は黒竜の力を免れたはず。
なのにスピカは盛大にレヴィウスに向かってくしゃみをくらわせてしまった。
その結果に彼は眠りに落ちた。
「きゅう」
誰もスピカを責めないことが、一番しんどい。
子どものしたことだからと。
暴発は起きて当たり前だったのだからと。
体調が悪かったなら言って欲しかったと、シェイラに少しの説教はされたけれど。
それでもスピカがレヴィウスを眠らせたことを叱りはしなかった。
でもそのシェイラは隠しているものの、こっそり泣いてもいるようで。だから余計にやるせなかった。
大人たちはスピカをあまりレヴィウスの部屋に近づけさせない。
黒竜の力の影響をこれ以上受けさせるのはという判断だろう。
眠りの力をスピカは全然使えないから、スピカがどうにかするという期待さえされていない。
それにこの家に関わる優しい人間たちは、みんな子どもを『守るべき存在』として扱っている。スピカが竜だと知れ渡った今、それはとても強くなった。だから余計に気を使われて、優しくされることに罪悪感をもってしまい、居心地が悪い。
「……………きゅう!」
スピカは顔を大きくあげ、決意すると月に向かって大きく鳴いた。
(うん、うん! がんばる! がんばるっ!)
大人は誰もそう思わないみたいだけれど、黒竜の力がしたことなのだから、黒竜の力でどうにか出来るはず。
自分のしたことの責任は、自分でとってみせる。
本当に何の根拠もなく、方法も分からず、そして少しの意固地さも顔を出してスピカは思い込んでいた。
だからこうしてシェイラとココが眠ったあとに、真夜中に部屋を抜け出してきたのだ。
決意したスピカは身を乗り出して屋根から身をのりだし、外壁に視線を向けた。
換気のために少しだけ開いた、すぐ下の窓――-レヴィウスの寝室の窓だ。
「きゆっ」
翼を開き、宙へと丸い身を踊らせる。
ふわりふわりと浮きながら、レヴィウスの部屋の窓まで降りていき、そっと中をのぞいた。
「…………」
部屋の中にいるのは、今日も彼に付き添っているリリアナ。
毎日一時的に家に帰って着替えなどをして来ているものの、ほぼレヴィウスの傍につきっきりだ。
(ねてる?)
ベッドサイドの椅子に腰かける彼女は、俯きぎみで表情はよくわからない。
でも左右に揺れる不安定な頭が、うたた寝しているのだと知らせてくれた。
それくらいに疲れさせていることを突き付けられてスピカはまだ胸の奥に重い疼きを感じながら、物音を立てないように、慎重に、窓を自分が入れるほどにまで開く。
そうして身を部屋の中にまで滑り込ませてから、レヴィウスの真上に浮いたまま、彼の顔をみつめた。
こげ茶色の髪の青年は、安らかな寝息をたてている。
(んー……)
スピカは顔をしかめて瞳を細めた。
どうにかしたい! と勢いで潜り込んできたけれど、どうすればいいのかは分からない。
眠りの力の使い方も、どうすれば出てくれるのかさっぱり不明だ。
(癒し、ならわかるのに)
人の子の怪我を直した時に使った癒しの力なら、まだ拙いながらも何となく操れる。
「きゅー」
とりあえず、出来ることをと自分の中の癒しの力を、レヴィウスに向けてみる。
集中して前足の間に力を集めて、そっと彼の中へと送り込む。
「……」
なんとなく結果はみえていたけれど。
やっぱり何にも変わらなくて、スピカは落ち込んだ。
(うぅぅぅぅ)
もう泣きそうな気分になりながら、忍び込むために小さく見付かりにくい竜の姿にしていた身を、人の姿へと帰る。
飛ぶために翼はだしたまま。ツノも出ている。
そんなふうに半分だけ人の姿をとったスピカは、手を伸ばしてレヴィウスの頬に触れる。
眼鏡を外した彼の顔は、どことなくシェイラと似通った部分もあり、兄弟なのだと実感させられた。
「んー……。おきてー。おきてー」
無駄だと思いながらも軽く頬を叩きながら声をかけてみる。
リリアナに配慮して、小さな小さな声で。
こっそりと何度も呼んでみたけれど、やっぱり返事はない。
大人たちが揺すっても叫んでも薬を飲ませても起きなかったのだから、小声でささやいただけでは当然起きない。
「……おきてー。おきてー。ママがしんぱいしてるのよー」
ぺちぺちぺち、ぺちぺちぺち。
小さな手で頬を叩きながら何度も何度も呼んだけれども、変わらない。
「もうっ、何で……」
次第にスピカは焦れて、何にも出来ない自分が悔しくて、小さく鼻をすすりあげてしまう。
伏せたスピカの瞼が震えた。
彼女は吐息のように儚いつぶやきを落とす。
「はやく、おきて。おねがい」
自分のせいで、こんなことになった。
「スピカの、せい。スピカが、わるい。スピカが……」
見知らぬ大人たちに変になっているところをみられたくなくて、苦しいと、話しかける勇気さえなくて。
すみに隠れて小さく震えるしか出来なかったスピカに、手をさしのべてくれたひと。
あの瞬間まで、スピカにとってレヴィウスはとても怖そうな人でしかなかったのに。
一度の会話もしたことさえなかったのに。
彼は当然のように胸に吐くことさえ受け入れようとしてくれていた。
普通の人ならば汚ないと嫌がる部分であるのに。
皆、皆が、目が覚めるのを願っている。
「っおきて、よぅ。おきてぇっ」
―――お願いだから起きて。
手の甲で目元を擦り、スピカは嗚咽のもれそうな唇を引き結ぶ。
「っ!」
目に溜まった涙に揺らぐ視界の先、もういちどレヴィウスの顔を覗きこんだスピカは、堪らずに、レビウスの胸へと飛び込んだ。
……飛び込んだ―――――はずなのに
「っ―――――え?」
すぐ目の前にあったはずの胸に着地した感覚がない。
スピカは、驚いて顔を上げる。
「え? え? ええ!?」
どうしてかスピカは真っ暗闇の中に立っていた。
「なんで、なんでなんでえ?」
なぜ、レヴィウスの寝室に自分は居ないのか。
レヴィウスとリリアナはどこに行ってしまったのか。
突然の事態に混乱して、慌てて辺りを見まわすけれど、左右も上下も暗闇しかない。
何が起こっているのか意味が分からない。
「ううーん?」
一人ぼっちで、どこに居るのかも分からないのに、不思議と怖くはない。
穏やかで、優しい闇だと分かった。
卵の中にいたころに、自分を守ってくれていた闇に良く似ているとも思って、気が付いた。
「あ、そっか」
ここは、自分が作り出した闇の中なのだと、スピカは理解したのだ。
この闇は自分自身でもある。
(っていうか、ママのおにいちゃんをとじこめてる、やみのなか、かな?)
落ち着いて感じてみると、手に取るようにこの場のことが分かった。
だってここは、自分自身であり、自分の力そのものなのだから。
どうしてここに居るのかはさっぱり分からない。
でもなにも怖くもないのだと、大丈夫だと確信できた。
スピカは顔を上げ、頬を緩ませる。
その瞳にはもう涙は滲んでいなくて、きらきらと輝く自信が垣間見えていた。
「なんでも、できるかんじ!」
ここならば自分は何でもできる。
この世界に、レヴィウスがいると、スピカには分かった。
闇の中に捕らわれ、出られずにいる彼を探暗闇の中、辺りを見まわす。
目にはまったく映らないけれど、大丈夫。
「ん―――…こっち!」
彼女は確信をもって頷くと緩やかに翼をはためかせ浮き上がり、目指す人の場所へと向かうのだった。




