闇夜に灯るは黒竜の心②
「―――うん」
柔らかな色合いの花柄のクッション。
繊細な作りのレースカーテンの隙間からオレンジ色の夕陽が射し込む。
家具類は白木で統一していて、窓際やテーブルの上には庭から摘み取った花が活けてあった。
そんな十代の女性のものとして似合いな部屋で、鏡の前に立つ自分を眺めるシェイラは、わずかに頬を染めながら頷いた。
彼女が身にまとっているのは薄黄色のドレス。
ユーラの誕生パーティー用にと急ぎで作ってもらったものだ。
昨晩届いたばかりのドレスに、どうしても口元がゆるんでいく。
(旅の中だと衣装をあまり多く持てないこともあって、お洒落とは無縁になってしまうから)
難しい髪型も侍女の手がないと出来ない。
背中側のリボンを結ぶのだって、人にして貰わなければ難しかった。
だからこそ、久しぶりのパーティードレスに心が浮き立つ。
主役はユーラなので控えめに、エンパイアラインと呼ばれるスカート部にふくらみの無い直線的な形のドレスにしたけれど、大ぶりのコサージュが飾りに付いていてとても可愛い。
ネックレスは瞳の色に合わせて薄青のアクアマリンがついている。
離したくないソウマに貰った竜の加護のネックレスはポケットへと忍ばせていた。
「しぇーら、みてみて」
「かわいいでしょ?」
見下ろすと、同じく着飾った子供たちがシェイラの隣で姿鏡に姿を映していた。
しかも二人ともシェイラ以上に上機嫌で、腰に手を当てたり、キリッと顔を作ってみたりとせわしなく鏡に向かってポーズを付けている。
「とっても素敵。ドレス、間に合って本当によかったわ」
シェイラのものと一緒に、ココとスピカの衣装も注文していたのだ。
二人のものも、日が無かったのにとっても可愛く仕上がっている。
ストヴェール子爵家の兄妹のお古の服もたくさんあるのだが、せっかくだからと父が作らせてくれた。
スピカはふわふわとした柔らかなシフォン素材が愛らしいドレスに、髪にリボンカチューシャを飾っている。
ココは黒のタキシードに、少しの遊び心で竜のブローチをサイドに付けたシルクハットをかぶっていた。
「料理も満足いくものに出来たし。準備は完璧ね」
あとは料理人にタイミング良く温めて出してもらうだけの状態になっている。
シェイラは客人をもてなさなければならないので、給仕等は全て任せることになっていた。
ユーラの好物をたくさんつくった。喜んでくれるだろうかと考えて、ふと今日の客人たちの事に思考を巡らせる。
ユーラの友人が数名と、あとは親族ばかりの気楽なものだ。
しかし唯一の例外の客に、使用人たちはみんな、朝から緊張して固くなっている。
「でもソウマ様とアウラット王子は、少し遅れるって言ってたし。それまでに忙しさで緊張もほぐれるかしら?」
「んー? そーま、ちこく?」
シェイラの独り言に、ココがシルクハットを手の中で遊びながら、首を傾げて聞いてきた。
「そう。お仕事だから、仕方がないわね。町長さんの所でなにかお話があるそうよ」
「えー!」
ふっくらとした頬が、不満な気持ちそのままに膨らんでいく。
そんな様子にシェイラはくすくすと笑いを漏らした。
「ココはソウマ様が好きね」
「すきー。いっぱい、あそんでくれるから!」
「あら、私だってたくさんココと遊んでいるわよ?」
「しぇーらじゃ、かたぐるまできない」
「う……そうね…」
ソウマとココの遊びは、肩車をしたまま走り回ったり、高い高いを何度も何度も繰り返したり、木の上に 上って宙づりになってぶら下がったりと、大変に激しいもので、シェイラが付いて行くことは難しかった。
「竜の子って、遊びも激しいのよね。木登りくらいなら、私でもなんとか着いていけそうな気もしないでもないけれど」
「えっ! しぇーらも、いっしょにきのぼりする!?」
「いえ……やっぱり無理かしら」
「ええー」
口を尖らせたココに、苦笑しながら「ごめんなさい」と謝る。
本当に幼いころに兄の後をついて登ったことがあるから、出来ないことはないと思う。
しかしココの身軽さについて行ける気はしない。
竜なのだから飛んでしまった方が楽で早くて簡単で安全だ。
なのにココは、どうしてかよじ登ることが楽しいらしい。
「あら……スピカ?」
シェイラは、しばらく黙り込んだままでいるスピカに視線を移した。
そして、少しの違和感に眉を寄せる。
「スピカ?」
「…………」
反応の無さに、不思議に思って腰を下ろして視線を合わせる。
顔を覗き込んで、そっと再び声をかけると、やっと我に返ったらしいスピカが瞬きを繰り返しながらシェイラを見上げてきた。
寄って来たココも一緒に、横からシェイラの腕に抱き付きながらもスピカの顔を覗き込む。
「スピカ、どうかした? 気分悪い?」
「どうしたの?」
「んー……、ちょっと、ねむい、かも?」
目元をする仕草は、言葉の通り眠そうだった。
シェイラは頬に手を添えて眉をハの字にさげる。
「そう、なの? パーティーは夜になるからって、お昼寝の時間多めにとったつもりだけれど足りなかったかしら」
「ココはげんきだよっ」
「そうね」
肩口に身を寄せてきて、上機嫌で頬を摺り寄せてくるココの赤い髪を撫でてから、シェイラはまたスピカに視線を映した。
「少しお休みする? スピカの苦手な知らない人もたくさん来るし、無理にでることもないし……」
「やっ、いっしょにいくー! だいじょおぶっ」
スピカは激しく首を振りながら、正面からシェイラに抱き付いてきた。
横からはココが、正面からはスピカが。
可愛い子供たちにぎゅうぎゅうに擦り寄られ、ほんわかと胸の奥が温かくなるのを感じた。
「眠くなったら先にお休みしなさいね。私は最後まで抜けられないけれど……侍女には言っておくから」
「はあい」
何処かに招待されているならばともかく、自分の家の中だからうっかり途中で寝てしまってもすぐに寝床に運んであげられる。
眠ってしまうまでは一緒で良いか。と、シェイラは決めて、顔をあげた。
視線の先には壁にかけられた時計がある。
パーティーの開始まで丁度一時間ほどで、もうしばらくはゆっくりしていられそうだ。
「あ、そうそう」
思い立ったシェイラは文机に歩きより、引き出しの取っ手を引く。
「なあに?」
「しぇーらママ?」
後ろからココとスピカもついてきた。
二人の視線を感じながら、そこから取り出したのは長方形の小さな包み。
スピカが眠そうだった顔を一転させ、声を跳ね上げる。
「プレゼント! わたすの?」
「そう。パーティーが始まればユーラはお客様の相手で忙しくなるでしょうから、今のうちにね」
「スピカもいっしょにいく!」
「お、おれも!」
「えぇ。皆でおめでとうって、言いに行きましょう」
* * * *
―――ユーラの部屋の扉をノックし、返事を待って開く。
パーティーを前に、髪に飾るリボンを選びかねてリボンまみれになっているかと心配していた。
お洒落をして出かける前には毎回たくさんのリボンを抱えて唸っているのが、いつもの慣例だったから。
でも意外にも、ユーラはもう髪に大きなリボンをしっかりと付けていて、先客とお喋りをしていた。
テーブルにユーラと向かい合う形で座っていた先客の彼女は、シェイラの姿を見て立ち上がり、柔らかく微笑みを浮かべる。
「ごきげんよう、シェイラ」
「まぁ、リリアナ!」
シェイラは彼女の元に駆け寄り、手を握って、嬉しさのあまりに小さく飛びはねる。
綺麗よりも可愛いが似合う、素朴でのんびりとした雰囲気をもつリリアナ。
薄紫の柔らかな髪がとても美しい女性。
馬車で一時間ほどと少しだけ遠い距離に住んでいるから、ニコルやシャーロットほどに頻繁には会えないけれど、幼い頃から知っている友人だ。
今は一応、友人……とは言っているものの、じきに義理の姉に、兄妹になる。
上の兄妹は男ばかりという家庭環境で育ったシェイラにとって『姉』という存在に憧れがあった。
だからシェイラはリリアナにとてもよく懐いていて、久しぶりに彼女に会えたことが嬉しくてたまらなかった。
握った手に力を込めながら、口を開く。
「時間までまだあるのに、早く来たのね?」
「ふふ。楽しみでつい。――会えて嬉しいわ。レヴィウスに帰ってきているとは聞いていたけれど、なかなか顔を見せられなくてごめんなさい」
「そんな! こっちから連絡するべきなのに……!」
「いいえ、そんなこと……あら」
リリアナはシェイラの後ろに、両手を後ろに回したまま引っ付いているスピカに目を向けた。
「その子たちは?」
「ええっと」
少しだけ躊躇してから、シェイラは答える。
「……一緒に旅をしているの」
「そうなの」
シェイラが言いよどんだことを察してくれたらしいリリアナは、それ以上にシェイラと子供たちについて聞いてくることはなかった。
「よろしくね」
「はーい」
「っ、よろしく、おねがいしま、す……」
スピカとココへと挨拶をした後。
ユーラがリリアナの横にまで寄ってきて、身を乗り出す。
「そういえば、お姉さまは何かご用があったの?」
「あ、そうだったわ。渡すものがあって来たのよ。ほら、二人とも」
シェイラが促すと、後ろ手にプレゼントを持っているココとスピカが、おずおずとユーラの前へ出る。
「うーんと、……ねぇ」
「あのね。スピカたち、ね? …………」
二人とも小さな身体だ。
後ろ手に隠してはいても、おそらくユーラからはチラチラとそれらが見えいる。
しかも二人はとてもそわそわと落ち着かない様子で、視線をさまよわせ、必死に背中を見られないように頑張っていて、もういかにも何かを内緒にしているのだ。
たが分かっていてもユーラは、腰をかがめて「何かしら?」と大げさに首を傾げてみせてくれる。
「…………」
「っ、せーのっ!」
ココとスピカは顔を見合わせてうなずき合い、タイミングを合わせて持っていたものを前へと差し出す。
「おめでとー」
「ユーラ、おめでとうっ」
「十三歳のお誕生おめでとう、ユーラ。私たち三人からのプレゼントよ」
スピカが出したのは黄色い包み紙に包まれた小さな小箱。
ココが出したのは、今さっき庭で摘み取って来て作った花束だ。
「まぁ! プレゼントですって!?」
ユーラはまた、少しだけわざとらしく驚いたように目を瞬かせたあと、破顔して二人を抱き締めた。
「有り難う!」
「ふふふふー」
「ゆーら、うれしい? これ、おれがつんだんだよ!」
「えぇ、ココ、スピカ。とっても嬉しいわ! 開けてもいいかしら?」
「「うん!」」
ユーラがリボンと包装紙をほどき、箱の蓋を開く。
藍色のベルベッドの布張りのそこに収まっていたのは、赤いルビーを組み合わせ花の形を模した飾りのついたブレスレット。
「可愛い! みんなで選んでくれたの?」
「しぇーらママと、スピカでよ。ココはめんどーくさがってたの」
「っ! はなは、おれがいちばんつんだもん!」
「あらあら。二人とも、有り難う。お姉さまも、とっても素敵な誕生日プレゼントだわ」
嬉しそうにその場でブレスレットを付けてくれるユーラに、ココとスピカも、もちろんシェイラも笑顔になった。
「あら、シェイラ達が渡すのなら私もここで……」
と、次にリリアナが渡したユーラへのプレゼントは綺麗な若草色のストールだった。
これもユーラはとても気に入って、本来まとう予定だったストールを外して、今日のパーティーに使うことにした。
そして、しばらくお茶をして楽しんでいたころ。
控えめなノックとともに顔を出したのは侍女の一人だった。
「ユーラお嬢様、シェイラお嬢様、リリアナ様。お客様が到着し始めておられます。お出迎えをなさるようにと、旦那様からのお言いつけが」
「分かったわ。有り難う。お兄様たちは?」
「ジェイク様とレヴィウス様はすでに玄関におられますわ」
「そ、そう……」
レヴィウスの名が出たとたん、身を固くしたシェイラにリリアナは気がついたらしい。
肩をとんと叩いて、励ましてくれた。
「大丈夫よ。拗ねているだけだもの」
「リリアナ……」
そこで、兄のレヴィウスはこの喧嘩のことまでリリアナに話していたのだとシェイラは知った。
徹底的に避けられてしまっている、今までにない大きな兄妹げんかなのに。
リリアナはおっとりと笑って大丈夫と言ってしまえる。
一足先に扉から出ようとしていたユーラが、振り返って笑う。
「レヴィお兄さまの相手は、リリアナにしか勤まらないわ」
「本当に」
「ふふ、光栄だわ」




