帰還⑥
父のグレイスに許可をもらったあと。
シェイラとソウマは、兄レヴィウスの部屋へと向かった。
眉をひそめながらも部屋へ入れてくれたレヴィウスと向い合う形で立つシェイラは、先ほど「大嫌い」と言い捨ててしまった手前、少しの気まずさを感じながらも事実を述べる。
……自分たち兄妹の祖母であるレイヴェルが純血の白竜であること。
シェイラも、そしてレヴィウスにも白竜の血が四分の一だけだけれど入っていること。
そしてシェイラは彼らと――竜と共に生きることを決め、竜として生きることにしたと。
「―――は?」
一通りの話を聞いたレヴィウスは、ぽかんと口を開けた状態で固まってしまった。
意味が変わらないと、理解できないと、表情が語っている。
シェイラは正面に立つレヴィウスに言う。
もう、自分は竜になれるのだと。
もう、ただの人である身には戻れないと。
引き留めること自体がすでに不可能で、そしてそのことに後悔もしていないのだと。
「シェイラ、君は………」
レヴィウスは眉間に手を当てて首を振ってから、大きく長いためいきを吐いた。
「それは何かの小説の話か? 子供のころも似たようなことを言っていたが、竜と出会ってぶり返したかな」
「いいえ、お兄様。全て事実の、私の身に起きていることです」
「………信じられるわけないだろう」
顔をあげ、メガネの奥の瞳を細めて彼は言った。
「シェイラ、白竜はこの世界にはもう存在しないんだ。それに俺はどこからどう考えても人間で、竜の血が混ざっているなんて信じようがない。何よりも人間と竜の恋愛がなりたち、子が生まれたということからしておかしい。動物と人間の間に子どもが出来るわけないだろう」
竜と人との交わりは、絶対にありえないこと。
そう信じてうたがわないレヴィウスにシェイラは首を横へとふる。
「人と竜は愛し合えます。――子供も、出来てしまうようなのです」
生物学的にいえば、違う生き物との子をなすことは不可能なのだとシェイラも知っている。
でも竜と人の間ではなりたってしまっているのだから仕方がない。
その証拠が自分自身であるのだ。
「………」
シェイラがすぐ後ろで見守ってくれているソウマへと視線を向けると、彼は頷いてうながしてくれた。
背中を押してくれる視線に答え、シェイラは自分の背中に力を込める。
「これが証拠です、お兄様」
もう息をするように自然に出し入れが出来るようになった体の一部。
純白の白竜の翼を表へと晒し出す―――……。
「っ……!」
ふわりと、雪の様に白い髪が揺れ。
縦に瞳孔のひかれた鋭い竜の瞳が現れ。
背中に鱗の生えた大きな翼がさらされると、正面に立つレヴィウスはゆっくりと目を見開いていき、息をするのさえ忘れたように、シェイラを凝視する。
「…………」
「お兄様?」
翼を取り出したシェイラが、わずかにそれを動かしながら兄の顔をうかがい見上げるものの、レヴィウスは一向に動かず固まったまま。
ただこげ茶色の瞳を、シェイラの翼からそらさずにいた。
「おにい、さま?」
もう一度シェイラがそっと呼びかけると、レヴィウスはやっと呼吸を取り戻した。
はっ……と小さく震えた息を吐き。
青白くなった顔色を隠すかのように、片手を口元へあてている。
彼の手はがくがくと目に見えて震えていて、目の前の状況を否定するかのように
無言のままで首を振った。
そして、口元をふさいだ手の隙間から掠れたつぶやきが落とされる。
「なぜ……」
動揺のにじむ声に、シェイラも一瞬息を詰めたが、しかしぐっと気を入れ直して兄を見上げた。
「お兄様、事実です。これで白竜の血のことを信じていただけるでしょう?」
「――いや…でも、まさか……こんな………」
信じられない、信じたくないと、血の気の失せた顔色をしたレヴィウスは頭を振る。
しかし彼の目の前にさらされた妹の姿は、あきらかに人間とはことなるものだ。
目の前で背中から生えた、鱗に覆われた翼の艶やかさは、どう見ても造り物などではない生々しさをもっている。
幼い頃から纏っていたおっとりとした雰囲気さえ、凛々しく威圧感さえ放つものへと変わっていた。
「ありえ、ない……」
こんなこと、絶対にありえない。
しかし現実にことが起こっている。
驚愕と混乱の中、レヴィウスは先ほど流してしまったシェイラの説明を一つ一つ思い起こしていた。そして一つの結論にたどり着く。
「あぁ、そうだ……竜と出会いさえしなければ、シェイラは人間でいられた……」
竜と親しくなり、ずっと近くにいた為に血が竜の側へかたむいたのだと、シェイラは先ほど説明していた。
つまり―――。
竜さえいなければ今まで通りの、自分が愛した、大切に大切に守ってきたままの妹であったのだ。
「っ……!」
レヴィウスの思い描いていた夢は、やがて穏やかで頼りがいのある男の元へ彼女を送り出すことだった。
大切な妹が幸せな家庭を築いていけると思えるところへ。
そしてたまに、家族を連れて幸せに生きていると分かる顔を見せに来てくれれば良いと、思っていた。
決して贅沢な望みではなかったはずだ。
ごく平凡な、家族を想う者なら思い描いて当たり前の未来だ。
しかしもうレヴィウスの思い描くような『家庭』を、シェイラがつくることは出来ないと知った。
シェイラの身体は竜へと変わり。
取り返しのつかないところまで竜の側へ引きずり込まれてしまったのだと理解すれば、レヴィウスは絶望さえ感じた。
喉をひきつらせながら顔を上げたレヴィウスは、シェイラの一歩後ろに控えていたソウマを思い切り睨みつける。
ギリッと奥歯を強く噛みしめても収まらない、激しい激情を止められない。
憎しみと恨みの込められた言葉が、激情をそのまま吐き出したような唸りと共にレヴィウスの口から吐き出される。
「お前と出会わなければ、シェイラは普通の幸せを手に入れられたのに……! この子の人生をつぶしておいて、良くものうのうとしていられるものだなっ!!!」
「お兄様っ! 駄目……!」
同時に、レヴィウスはソウマへと怒りをぶつけ掴みかかった。
「っ、は。人間に竜が傷つけられると思うか」
しかしソウマは軽々といなしてしまう。
掴みかかろうと伸ばされた手はさらりとかわされ。
振り落されたレヴィウスの拳も、軽くその腕を掴んで払われる。
「くそっ!!」
あっさりと躱されたレヴィウスはさらに怒りを増徴させ、真っ赤に顔を赤らめてさらにソウマへと詰め寄った。
「やめてっ、お兄様っ!!」
シェイラは背後から兄に抱き付き、縋り、止めようとするが、少女一人の力で大の大人が止まるわけもない。
「離せ、シェイラ! こいつだけは許しておけない!!」
「シェイラ。怪我するだけだから離れとけって」
「そんなわけにはいきません!」
必死に殴りかかろうと拳を振り上げるレヴィウスに対して、ソウマは余裕そう。
そもそもレヴィウスは喧嘩慣れしていない。
今だって暴れながらももう息を切らせている。
竜でもあり、そして剣だって軽々と扱っていたソウマに、勉強一筋だった兄が敵うわけがないのだ。
それでもレヴィウスはソウマへと怒りをぶつける。
妹を、シェイラを竜の側へ引きずり込んだ悪者として、ソウマを憎む。
「くそっ! お前さえ! お前さえシェイラの前に現れなければ……!!」
「お兄様っ、落ち着いて……!」
シェイラは兄がこんな風に荒々しい言葉を使う姿も、誰かに激しい怒りをぶつける姿も見たことが無かった。
いつだって穏やかで、 読書家で、勉強好きで、シェイラ達下の兄妹の面倒をよく見てくれた、そんな兄が。
ただがむしゃらに怒りをソウマへとぶつけている。
(それほどに、お兄様にとって私が竜になるということが……)
兄がシェイラの前で怒りをあらわにするほどに、シェイラは兄を怒らせることをしてしまっているのだと突きつけられた。
しかしどうして。
どうしてその怒りが、自分ではなくソウマに向かっているのか。
「っ……おにい、さ、ま……」
シェイラは泣きそうな気分で兄に縋る。
こっちを、向いてと。
あなたが怒るべき人は、自分だと。
そう、知って貰うためにシェイラは顔を上げ、もう一度強く兄の腕を引いた。
「お兄様、竜を選んだのは私自身。ソウマ様も、ココも、スピカも関係ありません!」
「違うだろう、シェイラ、お前はこいつらに、竜にそそのかされたんだ! こいつと、あとはあの子竜たちに!!」
「いいえ! 絶対にそんなこと、有り得ません……‼」
シェイラはソウマが僅かに顔色を曇らせているのに気づいていた。
軽々とレヴィウスの拳を交わし、微笑さえ浮かべながらも『ソウマがシェイラをそそのかし、竜の側へ引き込んだ』というレヴィウスの言葉が放たれるたびに、彼は傷ついている。
シェイラは慌てて首をふり否定する。
「違うわ、ソウマ様も、ココも、スピカも関係ない! 私はいずれ押し込めていた竜への気持ちを抑えきれずに飛び出していた」
確かに竜を愛する気持ちを止められなくなったのは、今周りに居る竜達と出会ったからだ。
しかしそれはただのきっかけ。きっかけが、遅いか早いかの差でしかない。
シェイラはどうあったって、竜と離れることなんて出来ない。
ココと出会わなくても。
スピカと、ソウマと出会わなくても。
いずれ何か別のきっかけで我慢できずに飛び出して、竜に会うために里へと足を踏み出していただろう。
「お願い、お兄様。落ち着いて話を聞いて……!」
「話なんてもうたくさんだ! これ以上に俺を絶望させる話なんてするな!!!」
レヴィウスの絶叫が響くと同時に、部屋の扉が叩かれた。
慌てて背中の翼を隠した間一髪あとに、ノブが回され勢いよく開かれる。
「シェイラお嬢様、レヴィウス様、何ごとですか……!!」
開いた扉の向こうには、執事と侍従、そして侍女が数人、心配そうに佇んでいた。
みんなこの騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのだろう。
興奮し続けているレヴィウスは侍従たちにより抑えられ、シェイラとソウマがいては落ち着かないからと、二人は部屋を出されることになった。
……――とぼとぼとした足取りで廊下を歩き、自分の部屋へと戻りながら、シェイラは涙交じりの声を落とす。
「どうして……」
事実を知れば、もうレヴィウスは納得するしかないと思っていた。
仕方がないなと言ってくれると思っていた。
それがシェイラの知っている優しい兄の姿だったのだ。




