帰還④
兄レヴィウスに竜と人間の恋愛が実際にあるのだと、一番簡単に理解してもらう方法。
それは自分たち兄妹に、白竜の血が混ざっているのだと知らせること。
必要ならばシェイラが自身の白い翼をさらせば良い。
竜のままの姿を見せるのも構わない。
自分はもちろん、レヴィウス自身の存在が竜と人間の交わった証拠にもなるのだから、認めないわけにはいかなくなるだろう。――と、シェイラは考えた。
「……という事で、さっそく父に話をしに行ってきます」
「今からか?」
「はい。早い方がいいでしょうし。父は今、一人で執務室で仕事をしているようなので、向き合って話をするには良い場所だと思います」
シェイラは足元にいるココとスピカを見下ろしてから、再びソウマに顔を向けた。
「すみませんソウマ様、お時間があるようでしたらしばらくココとスピカを見ていただいても大丈夫ですか?」
グレイスとの真面目な話し合いにココとスピカを連れて行っても、子ども達自身がつまらないだろう。
アウラットとソウマを招待したという夕食の時間までにもまだ少し余裕がある。
ココはともかく、この屋敷の使用人や侍女にスピカがまだ慣れていないから、出来るのならば二人ともが懐いているソウマに見ていてもらうのが、一番良いと思った。
「え?」
しかしソウマは赤い目を瞬かせ、心底驚いたような表情をする。
「……? あ、もしかしてお仕事がまだありますか? 明日の予定確認とか」
「いやそうじゃなくて。シェイラは一人で行くのか?」
「え、はい。もちろん……あの。なに、か……?」
当たり前のことだと頷いたが、ソウマはどうしてか不満らしい。
睨まれてしまった。
「ソウマ様?」
「……着いてきてほしいとか、言われるのかと思ったんだけど」
「え?」
「そんな一人で頑張らないで、頼って欲しいんだけど。今はこんなに傍にいるんだからさ」
「え…ええっと。でも、これは私の家の問題で」
「俺は関係ないのか?」
「そ、そのはず……?」
必要なのは父とシェイラ自身での話し合いだ。
ソウマは家族の問題に巻き込まれてしまっただけ。
レヴィウスが失礼なことをして本当に申し訳ないと思う。
父に竜の血のことをレヴィウスに話すことを許してもらえば、竜と人との恋などありえないと言っている彼に、そういう事が有るのだと知って貰うことが出来る。
――そう、シェイラは思ったのだが。
一人で父の説得に行くのは当然だと言った台詞に、目の前のソウマはどんどん不機嫌になっていく。どうして彼が苛立つのか分からなくて、シェイラの不安がつのっていく。
「俺と! シェイラの仲を、認めて貰うためにすることだろーが。なんで関係ないなんて言うんだよ」
「え、……あっ…えぇ!? あ、そっか……」
「なんで驚く……」
赤い髪をかき上げて呆れたため息さえ吐くソウマに、シェイラはじわじわと顔を赤らめていった。
(……家族の問題だと思っていたわ)
シェイラはソウマに対して、巻き込んでしまったと後ろめたささえ感じていた。
でもソウマにとっては違った。
ソウマの頭の中では、シェイラと彼との関係こそが軸であるのだ。
家族の問題が先にあり、解決すればソウマとの仲も認めて貰えるだろうと考えていたシェイラとは真逆で。
自分たちの仲を認めて貰うために、家族の問題を解決する。
することは同じだけれど、頭の中にある図が真逆だった。
彼の考えの中心がどこにあるかを知ってしまった。
「あ、あの、では一緒に――……」
恥ずかしくてお腹の前でもじもじと指を絡ませつつ、うつむいた先。
足元からじっと自分たちのやり取りを眺めている子ども達と目があってしまう。
「……しぇーら、まっかっか」
「しぃ! ココ、きづかないふり! ふりするのっ!」
「なんで?」
「っ……!」
シェイラは勢いよく、さらに顔を赤く染め上げた。
子どもの居る場所でこれ以上に恥ずかしい空気にするわけにはいかない。
首を振り意識を切り替え、大きめの声を張った。
「え、えっと! ではココとスピカは侍女に頼みますね!」
「えー? おるすばん?」
「ココ、難しい大人の話をするから。ごめんなさいね」
「むー」
「スピカもお願いね。侍女のお姉さんたち、優しいからきっと大丈夫よ」
「はーい」
不満そうなココと、何やらしたり顔で生温かな微笑みを浮かべるスピカを侍女に任せ、シェイラはソウマと父グレイスがいるだろう執務室へと足を運んだ。
飴色をした木製の扉を前に、シェイラはソウマへ話しかける。
「ソウマ様。ついてきて下さって有り難うございます。でも、話は私にさせてください」
「――……」
ソウマはまじまじと、しばらくシェイラの顔を見ていたが、やがて諦めた風にため息を吐く。
「分かった。大人しく見守っておくだけにする」
「有り難うございます。心強いです」
二人で頷き合った後、シェイラは顔を上げて扉の前でゆっくりと深呼吸をし、そして扉をノックした。
「失礼します。お父様、お忙しいですか?」
「いや。一息ついたところだ」
扉を挟んだ向こう側から聞こえるくぐもった声は、いつも通りの厳格さを感じさる低い声。
「お話があるのですが」
「……大体予想がつくが。まぁ良いだろう。入りなさい」
「はい」
返事をした後、シェイラは隣のソウマをちらりと見上げ視線を交わした。
彼がしっかりと頷いてくれたことに僅かに気を緩める。
そして再び正面を向き、ノブを回して室内へ入ると部屋の一番奥、父の座る執務机の前の方へと足を踏み出した。
父グレイスの執務室は、窓のある執務机の後ろの壁以外はほぼ全てが天井まで届く本棚に占められている。
客人は客間へと通すため、広さもあまりとっていない本ばかりの部屋は少し重苦しい空気さえあった。
床に敷かれてるのはストヴェール子爵領で飼育された羊毛を使い、織られた柔らかく色鮮やかなカーペット。
細かな花模様を付けられ織られたそれは、この執務室での唯一の装飾品でもあるだろう。
執務机のすぐ前に立ったシェイラは、グレイスのこげ茶色の瞳を見据えて背筋を正す。
ソウマは二歩ほど後ろに控えていてくれるらしい。
背中に彼の存在を感じながら静かに深く息を吐いて気合いを入れ、ゆっくりとグレイスへと口を開いた。
「さっそくですがお父様。レヴィお兄様に、白竜の話をしたいの」
グレイスの眉がぐっと寄せられた。
彼は大きく長い溜息を吐き、迷うことなくシェイラに言う。
「シェイラ、私は家族が竜に関わることを良いことだとは思ってはいない。ただお前が真剣に考え決めた道だから許可はした。親の意見でも止められない程の熱意だと分かったからだ。だが――それに家族を巻き込むことは許せない」
「それは……」
予想していた通りの答えだった。
「もちろん、分かってるわ。竜と関われば、兄妹やお母様の身に変化が出てしまうかもしれない。だからお父様は、人として生きると決めているお母様のためにも、この家に竜を近づかせなかった」
だからシェイラも本来ならばこの屋敷ではなく、近くの宿などに泊まるべきなのだろう。
でも父はこの屋敷での滞在以外を認めなかった。
家族だからと。絶対に血が反応するのを不安に思っているはずなのに、ここに居ろと言ってくれる。
しかし『家族』を受け入れるのと、『竜』を受け入れるのは違う。
『竜』をこの家に受け入れれば、グレイス以外の家族の中の血が望まぬ反応をしめしてしまうかもしれない。
「お父様がどうして竜の血のことを、私達兄妹に黙っているのか、分かってるけれど、でも。このままではレヴィお兄様と仲違いしたまま終わってしまうわ」
「それでも、だめだ。自分の決めた道、兄一人に反対されようが突き進めばいい」
「でもお父様は……私をずっと家族と思ってくれていて、ここにいつでも帰ることを許してくれている。これからもずっとそうしてくれるのならば。時が経てばレヴィお兄様にも、ジェイクお兄様にも知られることになるわ」
グレイスが顔を上げる。シェイラははっきりと、事実をのべた。
「だって老い方が違うのですもの。兄様たちがよぼよぼのお爺さんになっても、まだ私はたぶん今とほとんど変わらない姿のはずです」
「それは……」
「おかしいと。疑問を抱かれるよりも前に、自分から知らせておくべきなのだと思うのです」
「…………」
「もう、何をどうやっても一緒には生きられませんって、ごめんなさいって、お兄様たちに謝る機会をいただけないでしょうか」
シェイラの必死な想いのこもった言葉に、隠し続けることは出来ないのだという避けようのない未来に、グレイスは奥歯を噛みしめ、瞼をわずかに伏せた。
そんな彼の苦汁を知りながらも、シェイラは更にたたきつける。事実を。
「お父さま。私、竜になったんです。竜の姿、見ますか?」
にっこりと柔らかく笑ってほほ笑むシェイラとは真逆に、グレイスは更にぐっと眉を寄せ、悲しみをこらえるような表情になってしまった。
グレイスのあまりに苦しそうな様子に、気合を入れていたシェイラの口調も弱くなっていく。
シェイラは小さく、幼い子供のような口調でつぶやいた。
「………ごめんなさい」
もう戻れないのだ。
シェイラの身はもう竜で、竜と一緒に生きる道しかないのだ。
そう知らせることが、一番に手っ取り早くレヴィウスを諦めさせる方法だ。
さらに本当にもう後戻り出来る状態ではないのだと、シェイラはグレイスに『竜の姿を見せる』と言ったことで知らせることになった。
今まで人として育ててくれた父にはやはり申し訳ないと思う。
おそらく父は人の子として、ごく普通の貴族令嬢として、シェイラが嫁ぐまで守りたかったはずだ。
でももう出来ない。
(私の今を、お父様にきちんと知ってもらわないと)
父と、そして兄を含めた家族にも、知ってもらって、理解してもらいたかった。
人間の枠を外れてしまっても、『家族』だから。分かり合いたかった。
だからシェイラは、父がいままで避けてきた『白竜』について。『白竜になった自分自身』についてを隠さずに話す。
「私、セブランのお祖母様のところへ行ってきました。白竜として生きるために必要なことを学びたくて。でも……一番聞きたかったことは、教えてはくれませんでした。力の使い方なんて、自分で考えて試行錯誤して使っていくものでしょう?って、笑うばかりで教えてくれなかった」
セブランで力の使い方についてはあまり収穫は無かった。
ただ、白竜について少しの説明はしてくれた。
(白竜の、力の源……)
世界に漂う目に見えない力が集まり凝縮し、個体となったものが竜の始まり、始祖竜だ。
火竜は陽の力が、水竜は水の力が集まり、命を持つほどの強大な力となり、竜が生まれた。
ただ白竜の始祖竜がどんな力が凝縮して生まれたものなのか、今までは分からなかったのだ。
けれど、シェイラはセブランで祖母に教えて貰った。
「お父さま、私、もしかしたらお婆様より凄い白竜になるかもです」
「は?」
「シェイラ?」
自分の名を呼んだソウマに、少しだけ振り返って頷いてみせる。
彼にも知っていてもらわなければならないことだ。
まだ何も、実感はないけれど。
どうやら自分には、純血の白竜よりも大きな可能性があるらしい。




