帰還③
祖母の住むセブランでの用事を済ませ、その後に立ち寄った小さな町の、小さな宝飾店の前。
ガラスの向こうに陳列された煌びやかな品々を、シェイラは凝視していた。
左手に繋ぐのは、目の覚めるような鮮やかな赤い髪をした男の子。
右手に繋ぐのは、めったに見ないほどに美しい顔立ちの神秘的な雰囲気の女の子。
間に立つシェイラも珍しい白銀の髪をしていて、そんな三人は通りかかった人々の注目を浴びるに十分なほどに目立っていたが、しかし前かがみになりつつ熱心に商品を選ぶ本人は気が付かなかった。
「もー、しぇーらまだぁ?」
長いこと買い物に付き合わされているココは、もううんざりといった様子で、眉を寄せて唇を突き出す。
「ごめんね。ココ、もう少し待ってね」
「え――……」
「しぇーらママ、これはぁ?」
不満な顔をするココとは正反対に、スピカはとても乗り気に選ぶのを手伝ってくれていた。
「あら可愛い」
スピカが差したものは、赤いルビーを組み合わせ花の形を模した飾りを、細いシルバーチェーンに通したブレスレット。
「うん。色もユーラに似合いそう。子どもっぽ過ぎることもないし……これにしましょうか」
「うん!」
ようやく品を決めたシェイラは、店の戸を押して入り、店主にあのブレスレットが欲しいと願いでる。
いくらか値段交渉をし、了承を得たのちに包んでもらう。
包装されるのを待っている途中、今にも座り込んでしまいそうで、ほとんどシェイラの手にぶらさがっている状態のココが大げさなため息を吐き首を横へ振った。
「はーあーあー。これだからおんなってやつはぁ……。ながいんだよー」
「……どこでそんな言葉覚えたの」
「まいくのまねー」
「………」
楽しそうに笑うココの様子に、シェイラは眉を寄せた。
以前、ルブールという港町でココと友達になったマイクという少年。
彼はどうしてか、ココの悪戯と遊びの師のような存在になってしまった。
あれ以来ココはことさらに悪戯っぷりに磨きがかかり、なんとなく口調も生意気な感じが出て来ている。
いつまでも素直なままでいてくれるとは思わないし、反抗されるばかりの時期もそのうち来るのだろうが。
しかしこれは黙って見守ってはおけない。
「ココ、そういう言葉を使うのは駄目よ。傷つく女の子がいるかもしれないでしょう?」
「えー? わかんなぁい。むずかしーい」
「ココ?」
眦をつりあげ怖い顔を作ってみせると、ふざけていたココは少し慌てた風に視線をそらす。
「え、っとぉ……」
繋いでいないほうの手で服のボタンを弄り、俯いてしまった。
まずい事をしたと分かってはいるらしい。
しかしシェイラは厳しい声を緩めない。
「お返事はどうしたのかしら?」
「はい……」
「次に同じことを何処かの女の子に言ったら、おしおきしますからね
ココが細い声でももう一度うなずいたことで、「よし」と説教は一端切り上げる。
すると隣で説教が終わるのを大人しく待っていたらしいスピカが、シェイラのスカートの裾を引き、首をかしげて訊ねてきた。
「ねー、しぇーらママのおうちって、どんなとこ?」
スピカの声には、初めての場所に対する怯えがわずかに含まれていた。
シェイラは彼女の緊張をほぐす為に、にっこりと笑いながら頭を撫でた。
「心配ないわ。みんな優しい家族よ。会ったことあるでしょう?」
「うん」
王都の城に住んでいたころ、何度か王都にある別邸の家族のもとへスピカも連れて訪ねていた。
だから初めて会うのは長兄のレヴィウスくらいだ。
あとは本邸の使用人たちもいるが、みんなシェイラが幼いころから仕えてくれている気の良い人たちばかりなので心配していない。
最初は人見知りでまたシェイラの後ろに隠れてしまうけれど、でもすぐに慣れるだろう。
スピカとの会話の通り、これからシェイラは旅を中断し、なつかしい故郷のストヴェールへと帰るのだ。
なぜならば……。
「お嬢さん、はい。プレゼント用の包装が終わりましたよ」
「わ、可愛い……! 有り難うございます」
店主の差し出してくれた手のひら大の包みは、桃色の包装紙に白色のリボンがかけられ、黄色のドライフラワーが飾られていた。
華やかで明るい雰囲気のものを、と頼んだ通りにしてもらい、嬉しくてシェイラの口元はほころんでいく。
「喜んでもらえて良かった。どなたへの贈り物でしょう?」
シェイラはにっこりと笑った。
「妹へ。もうすぐ誕生日なんです」
妹ユーラの十三歳の誕生日がもう間近に迫っている。
だから彼女が一つ大人になる日を祝うために、ストヴェールへ帰ることにした。
* * * *
そうして家に帰ると、思った以上にユーラは文字通り飛び跳ねて喜んだ。
空を飛んでの移動をしているとどうしても手紙では連絡が間に合わなくて、突然の帰宅になったけれど、父も母も次兄のジェイクも歓迎してくれた。
残り一人の家族、レヴィウスの姿を探し、シェイラは居間のソファに座ったままでぐるりと視線を巡らせる。
「レヴィお兄様は? 外でお仕事中かしら」
シェイラの思って当たり前の質問に、同じくソファへ腰かけている家族たちが、顔を見合わせた。
その反応は、何だかとても複雑そうな……微妙なものだった。
「どう、したの……?」
困惑したシェイラに、答えをくれたのは隣に腰かけ、膝の上にスピカを抱いているユーラだ。
ちなみにココはジェイクの膝の上に居る。
「お姉さま。実は今、王都から視察の方がいらっしゃっていて、その……その人がね?」
なぜか言いずらそうに教えてくれたユーラがその後にしてくれた説明に、シェイラは薄青の瞳を瞬かせ、驚き、そして次第に表情を喜びへと変えていく。
「まぁ、まぁ……! 何てことかしら……!」
こんな所で会えるだなんて、まったく想像していなかった人たちがこのストヴェールに居ると言う。
シェイラは嬉しくて嬉しくて、家族の気まずそうにする顔の意味に気づくことが出来なかった。
父グレイスが今日の夕食に声をかけていると言うので、シェイラはお茶もそこそこに玄関に出た。
まだまだ仕事が終わらない時間だと言われても、落ち着かなくてそわそわと、玄関前に置かれた植物の手入れなどを手伝って、事あるごとに馬車が来ないかと門の方へと目を凝らす。
そして。
帰ってきたレヴィウスと、ソウマとアウラットとの再会に喜んで直ぐに。
兄の考えを知った。
ここでやっと、家族ばかりか使用人たちまでがずっと心配そうな視線をシェイラに向けていたことに気がついた。
兄のレヴィウスはそれほどまでに、誰から見ても分かるほどに、ずっと、シェイラとソウマの関係を声高に反対していたのだ。
「お兄様なんて大嫌いっ……!」
家族のことを嫌いだなんて、初めて口にした。
大好きなものを否定された。
大好きな彼をないがしろにされた。
大好きな子供たちと引き離そうとした。
シェイラが悩んで、迷って、考えて考えて、必死の思い出決めて選び取って来た今までのもの全てを、兄のレヴィウスは認めてくれなかった。
シェイラには甘すぎるほどに甘かった兄の信じられない言葉を突然に突きつけられ。
シェイラは悔しくて悲しくて仕方がなくて。
目の奥からじわりと湧くものをごまかしながら、ソウマの手をとって部屋に駆け込んだ。
* * * *
―――バタンっ。
乱暴に扉を閉じると、とたんに周囲の音は遮断され静かになる。
しばらく留守にしていたのに関わらず、室内のどこにも埃は溜まっていない。
突然帰って来たのに変わらずに窓辺の棚に生き生きとした花が飾ってあり、使用人や侍女たちは自分がいない間もこうして花を飾り、整え続けてくれていたのだろう。
「っ……!」
既に手を離している、背中に感じるソウマとココとスピカの視線を受けながら、シェイラは目元を擦り、静かに深呼吸をして気を落ちつかせてから、彼らを振り返った。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって……」
「いいや? それより、何でこの時期にストヴェールに? 結構びっくりした」
「私も驚きましたよ。ユーラの誕生日が近いのでお祝いに帰って来たんです」
「あー……もうすぐ十三になるとは聞いたけど、そんなに間近だったのか」
「はい。でも、なんだか誕生日を祝うような雰囲気ではなくしてしまいました。ユーラに悪いわ……」
「そんなの気にしないだろ。シェイラ帰って来たって大喜びだったんじゃないか?」
ソウマはそう言いながらシェイラの大好きなあっけらかんとした笑いを浮かべた。
たしかにユーラは彼の言う通りとても喜びんでくれていた。
「そーま、おろしてぇ!」
「うではなしてよー!」
「あぁ……はいはい。よっ、と」
ソウマは腕に乗せていたココとスピカを順番にカーペットの上に降ろした。
その後に彼の大きな手はシェイラへと伸ばされ、少し乱暴な仕草で頭を撫でられる。
撫でられる手つきに合わせグラリグラリ揺れる視界の先で笑う彼と視線が合うと、とたんに肩の力が抜けた。
「しぇーら、だいじょうぶ? 意地悪された?」
「ママのおにーちゃん、いっしょにいるのダメっていってた……」
地に降ろされたココとスピカはすぐにシェイラのもとに駆け寄って来て、不安に揺れた顔ですがってくる。
ソウマの手で乱された髪を手で押さえつつ、シェイラは身をかがめて目線を合わせた。
……兄レヴィウスが何を言おうが、どれだけ反対されようが。
絶対にココとスピカを手放すなんて有り得ない。
「ココ、大丈夫よ。有り難う。スピカも心配しないで良いのよ。ずっと一緒に居るわ」
(お父様にはお付き合いの許可をいただいているから、何も問題はないわ)
家長である父グレイスの意見が絶対であり、レヴィウスが反対しても家庭内より外に大きな問題は起きないはずだ。
だからもう、このままの状態で、ユーラの誕生日の祝いだけを済ませてまた旅だってしまうことも出来るのだ。
しかしそれは寂しかった。
何年も会っていなかった長兄レヴィウスに話したいことはたくさんあるのだ。
王都で何か面白い話を聞くたびに、珍しい何かを見つけるたびに、ストヴェールにいる兄を思い浮かべ、次に会った時の土産話にしようと思ったものだ。
「うん。このままではいけないわ。でも……そもそもレヴィお兄様の中の常識では、人と竜の恋愛そのものが成り立たないんですよね」
「俺と、ってことじゃなく。竜と、ってことが駄目みたいな感じだったしなー」
生真面目で思考の固くなりがちな性格のレヴィウスは、違う生き物と人間が相思相愛になることが理解出来ないらしい。
世の中には竜と人間の恋愛を書いた小説や演劇の題目ももちろんあるのだが、それはあくまで物語の中のこと。
絶対に現実には起こらない話だと認識していたのだろう。
眉を寄せ、難しい顔で思案するシェイラの前で、ソウマは苦笑を浮かべて赤い髪をかき上げた。
「まぁ、俺ら竜の常識でも、人と恋をするやつってちょっと白い目でみられるくらい変なことだからなぁ……」
「で、でも! 絶対ないことではないじゃないですか!」
現にシェイラはソウマと想いを伝えあっている。
「……竜と人の恋愛関係が成り立つことがあるのだと、兄に知って貰わなければなりません」
そのためには、空想の物語の中ではなく。
現実として竜と人が繋がることがあるのだと証明するべきだ。
(これは、もう……)
シェイラはぎゅっと唇を引き締め、そして決意を新たに顔を上げた。
「シェイラ?」
「お父様に、お兄様へこの血のことを話す許可をいただこうと思います」
「……ほう?」
ソウマは一瞬だけ赤い目を見開いたが、すぐに面白そうにニヤリと笑ってみせるのだった。




