帰還②
ストヴェール子爵家に着いた一行を迎えたのは、ソウマが予想していた通りの人物だった。
この家の長女であり、ソウマの恋人でもあるシェイラ・ストヴェールだ。
「おかえりなさい、レヴィお兄様! ソウマ様とアウラット殿下も!」
彼女は玄関の前で、人の姿をしたココとスピカと一緒にそわそわと待っていて、ソウマ達の乗った馬車の扉が開くと同時にかけ寄り笑顔でそう言った。
「シェイラ……!」
レヴィウスはメガネの奥の茶色い瞳を驚きから大きく開き、直ぐに感極まった様子で妹を抱きしめる。
「シェイラ、シェイラ! あぁ、シェイラ! 心配していたんだ!」
「れ、レヴィお兄様……苦しいわ…」
頬をすり寄せ、そこに親愛のキスをし、さらにまた頬をすり寄せきつく抱きしめる。
眼鏡がずれ落ちそうになっても尚、構わずに彼は頬擦りを続ける。
「……」
レヴィウスの実に激しい愛情表現に、ソウマは完全に乗り遅れた。
恋人を抱きしめようと伸ばしかけた手は、次に飛びついて来たココとスピカを抱き上げることになった。
「そーま、そーま!」
「たかいたかいしてぇ!」
「……はいはい」
仕方がないので順番に高い高いをし、肩車をして遊んでやる。
背後でアウラットが背中を震わせ、声には出さずに笑っているがどうでもいい。
「シェイラ、怪我はないかい? 子竜を連れて旅に出たと、父上に聞いた時には心臓が止まりそうだった……!」
「大丈夫よ。私、水竜の里にだって行ったのよ?」
「あぁぁぁ、何てことだろう。怖い思いをたくさんしただろう!!」
「していないと言えば嘘になるけれど、でも全然平気よ」
「いいや、強がらないで良い。もう大丈夫だ、私が守ってやるからな」
「お、お、お兄様、……お願い。もう離し、て」
始めは笑って受け入れていたものの、次第に息苦しくなってきたのかシェイラは身をよじってレヴィウスから一歩離れた。
「ソウマ様!」
そして直ぐに、ココとスピカを両腕に乗せているソウマの方を向く。
薄青の瞳はソウマと視線が合うと同時に柔らかく細められ、頬がわずかに色づいた。
「ココ、スピカ。ソウマ様はお仕事の後で疲れてらっしゃるのに、駄目でしょう」
「やーっ」
「ママ、もうちょっとだけー」
「もうっ、すみません。肩車とか、私では出来ないからここぞとばかりに強請ってしまって」
こちらへ寄ってくるシェイラの表情は、明らかに兄に対するものとは違った。
無意識だろうが、どこか甘い色の含まれた声色。
喜びだけでなく、気恥ずかしそうに少しうつむき、もじもじしながら話す仕草が、恋人の欲目もあるのだろうが……なんとも可愛らしかった。
ソウマの目の前まで来たシェイラは、はにかみながらそっとソウマを見上げた。
「お、お久しぶりですソウマ様。お会いしたかったです」
「あぁ、俺も」
ソウマはココとスピカを腕にのせたまま。
素早く身をかがめ、白銀色の前髪からのぞく額にキスを落とす。
「なっ!」
羞恥に真っ赤になったシェイラが両手で額を覆い。
「なぁぁ!!」
怒りに真っ赤になったレヴィウスが悲鳴をあげる。
「うんうん」
ソウマは満足げに頷き、もう一度口を開いた。
「元気そうだな、良かった」
「だ、だからソウマ様っ、ひっ、人前ではこういうのは……」
額を押さえながら、真っ赤な顔で抗議されるが痛くも痒くもないどころか、むしろその反応はソウマを喜ばせる。
(面白いし、もう一回……)
額は残念ながら手で塞がれているので、今度は瞼の上に唇を寄せようとした。
ソウマの行動を察したシェイラの肩がとたん強ばる。
しかし逃げることはせず、まるで待ち構えているかのように、ぎゅっと目をつむってみせた。
無意識の仕草だろうが、ソウマは頬が緩むのが止められない。そのまま、背を屈めて唇を落とそうとした――――が。
当然、これ以上の触れあいを望まない者がここにいる。
「シェイラ」
シェイラの腕が後ろに引かれたかと思えば、次の瞬間には彼女は兄レヴィウスの腕の中に囲まれていた。
「れ、レヴィお兄様……」
ほっとしたような、残念なような、どちらとも取れない表情で、シェイラは自分を捕らえている兄を見上げる。
ソウマはせっかくの良い気分を害されたことで、赤い目をやや剣呑に細めた。
「なんだよ……レヴィウス、じゃまをしないで欲しいんだがな?」
「邪魔はそちらではないか? 兄妹の感動の再会に水を差すなんて」
ソウマと同じくらいの剣呑さで、レヴィウスも睨み返してくる。
「あ、あの。二人とも、どうかされたのですか……?」
そこでシェイラはやっと、ソウマとレヴィウスの間にある見えない壁に気づいたらしい。
眉を下げ、困惑に満ちた様子で交互に二人を見ている。
ちなみに現在の微妙な状況を、アウラットはニヤニヤと楽しそうに。ソウマの腕に乗ったままのココとスピカは驚き呆けた顔で見守っている。
そんな中、レヴィウスがソウマから視線を外さないままにシェイラに言った。
「シェイラ、兄さんは許さない」
「許さないって、あの……お兄様、一体何の話?」
「そこの竜と恋仲になること。これ以上旅を続けること。私は絶対に認めないと言っているんだ」
「えっ……」
シェイラは大きく薄青の瞳を見開いた。
家族は応援してくれていると思っていたシェイラは、驚き困惑する。
捕らわれていたレヴィウスの腕から再び抜け出し、振り返って対面した。
「どうして? 何が問題なの?」
「何が? 何がだって……!? 分からないのか?」
「分かるはずないでしょう、お父様にはきちんと許可をいただいたし、ソウマ様は王子殿下の傍にいる竜なのよ? 評判はレヴィお兄さまも聞いてらっしゃるでしょう。何の問題もない方よ」
「そんな事を気にしているんじゃない!」
レヴィウスは興奮気味に、声を跳ね上げる。
玄関先で突然始まった兄妹の喧嘩に、出迎えに出てきたり使用人や、通り掛かった侍女たちが困惑し、足を止めていた。
「ありえないだろう!!」
そんな、人の注目の中心で、完全な否定の言葉を、彼は叫んだ。
「……何が、ですか」
シェイラの表情が、徐々に怒りのこもったものへと変化していっているように、ソウマの目には見えた。
「ありえないって、何がおかしいの?」
彼女にはめずらしい尖った声で、兄に詰め寄る。
「いいか、シェイラ。あぁ……そうだな。順番に説明しようか。まず、鶏と人間の恋が成り立つと、お前は思うか?」
「……? 普通は成り立たないわ」
特殊な例外こそあるが、一般的な考えでは鶏と人間の恋愛は成り立たないと、シェイラは答えた。
ソウマも同意する。
その答えにレヴィウスは満足気に頷くと胸をはり、同じような質問を続けた。
「だったら牛と人間は」
「はい?」
「馬と人間は、どうだ」
「……兄様」
レヴィウスの言わんとしていることを理解したシェイラは、ぐっと眉をひそめた。
明らかに怒っていると彼女の表情が語っているけれど、同じ位にレヴィウスも怒りを覚えているから止まらない。
彼は大きく手を振り、身振りでも、声でも主張した。叫んだ。
「蛙と人間も、猫と人間も、鼠と人間も、恋愛はなりたたない! 竜と人間も! 絶対に有り得ないんだ!」
「竜は違うわ!」
「いいや同じだ! 言葉が通じるからって惑わされるな! 絶対に、世界がひっくり返っても、違う生き物同志の恋愛は有り得ないんだ!!!」
「それはっ……!!」
シェイラは大きく抗議の声を上げかけ、しかし口ごもる。悔しそうに奥歯を噛みしめ、じわりと目の端に涙が浮かんだ。
(あぁ、そっか……)
ソウマは彼女が何を呑み込んだのかを気付いてしまった。
そうやって否定するレヴィウス自身の中にも竜の血が混ざっているのだと。言えば、竜と人間の恋愛が成立したことの証明が自分達の身をもって証明出来るのに。
しかしシェイラは、父グレイスと黙っていると約束をした。
確かいつかシェイラに聞いた話だと、グレイスはまだ妻であるメルダが竜の側へ行ってしまうことを、わずかながらも心配している。
だから出来るのならば同じ家に住む兄弟にも関わらせたくないと思っているらしい。
「………」
そもそもストヴェールは竜とのかかわりが薄い場所。
絵本や観劇の題目でくらいしか竜をみることはない。
シェイラも、最近まで王都に出かけての祭以外で見たことなんてなかったと言っていた。
だからレヴィウスにとって竜は遠い存在のもの。
人間と交わることなんて、考えたことさえなかったのだろう。
しかもそれが実の妹だなどと。
絶対に、受け入れられない。
(まぁ、何となく理解は出来るが。でも……)
ソウマが見下ろしたのは、涙目でぎゅっと手を握りこんでいるシェイラの姿。
そんな彼女の様子に、レヴィウスも慌て少し声色を和らげた。
まるで子供に諭す風に、彼は告げる。
「シェ、シェイラ……わかっただろう? もう旅に出るなんて言わずに、ここでまた家族一緒に暮らそう。子竜達も王子やソウマ様に任せてしまって、元通りの家族に戻ろう」
「っ……!」
兄のレヴィウスが、優しく軽く肩に置いた手を。
「嫌っ!」
シェイラは容赦なく、はたき落した。
「シェイラ?」
「しぇーら?」
「ママ?」
パンッっ――と乾いた音が響いたことに、周囲の誰もが驚き目を丸める中。
その中心にいるシェイラは、顔をあげ、瞳を細めて兄を見据える。
「ぜっっったいに、嫌っ! ココやスピカと離れろだなんて言うお兄様、大っ嫌い……!!」
「シェイラ! どこへ行く!」
「知りません! 着いてこないで! ソウマ様っ……!」
「え……、あ、あぁ」
ココとスピカを腕に乗せたままのソウマの服の裾を、シェイラは引く。
一応、アウラットを振り返ってみると「行け」と短く顎を動かし促されたので。
ソウマはシェイラの手に引かれるままに、共に廊下を走り、二階の彼女の部屋であるらしい一室に駆け込んだのだった。




