竜の子の成長③
「しぇーら!」
舌足らずにシェイラの名を呼びながら、光の中から出てきた子供がシェイラの胸へと飛び込んできた。
シェイラは混乱して事態が理解できないままに、その小さく柔らかな子供の身体を受け止める。
子供は赤い髪をしていた。
ソウマと同じ、人間の赤毛とは一線を引く真紅とも呼べるほどの鮮やかな色。
そして頭の両端から生えた乳白色の小さな角と、背中に生えたコウモリのような形の鱗に覆われた翼に、この子は人間ではないのだと認知せざるを得なかった。
「ココ、なの…?」
「しぇーら!しぇーら!」
人で言えば2,3歳だろう年のころのその子は、きゃっきゃと楽しそうな声を上げながら、シェイラの腕の中でシェイラの名前を呼ぶ。
「ココもついに人化の術を会得したかー。子供の成長は早いな」
「けれど角と翼が出たままですわ?人社会に溶け込むにはもう少し精度を上げなければ」
「でも誰かさんと違ってまともに服着てるぞ?角や翼よりそっちに気を使ったあたり偉いよなー」
「ソウマ、もしかすると貴方は私を怒らせたいのかしら」
「はっはっはー。まさかとんでも無い」
「…………」
呆けて言葉も出ないシェイラをよそに、ソウマとクリスティーネは当然のようにこの事態を受け入れている。
(さっきまで片手サイズだったのに。どうしていきなりこんなに大きく?)
細かな作業に向いている人の姿は使い勝手が良いらしい。
だから竜達は結構日常的に術で人型になっていると、ジンジャーの授業で学んで知っていた。
けれど生まれて半月程度しかたっていないのに、突然3歳ほどに見える子供になるなんて事はまだ聞いていないし、予想もしていなかった。
考えていたのとくらべて、早すぎる。
「あの…」
「うん?」
「突然、一瞬で何倍にも成長しましたよね?生後半月と言えば、人間だとまだ首も座らない赤ん坊なはずなのに…驚かないのですか…?」
困惑したシェイラの疑問に、ソウマは首をかしげて考えるようなそぶりをみせた。
「うーん…人の形に見せかけるだけの術だからな。300歳超えたよぼよぼの竜が人間で言う10歳くらいの子供の姿していることも普通にあるし」
「けれどこの術が出来るようになったと言う事は成長していたと言う事ですわ。竜の姿に戻ったときにも一抱えくらいの大きさになっているのではないかしら」
「だろうな。でも竜ってそういうもんだし。成長速度とか?そう言うの気にしていたらもたないぞ」
「えぇ。そういうものですわ。疑問なんて持ったこともございません」
「…そう、ですか」
シェイラはがっくりと肩を落とす。
竜達自身が2匹揃って『そういうもの』だと言うのだから、そういうものなのだろう。
シェイラがソウマやクリスティーネの見た目からこれくらいだろうなと、推測していた年齢には、まったく信憑性が無くなった。
いったい彼らはどれだけの年月を生きているのだろう。
ちらりと視線を送ったシェイラに気付いたソウマが、不思議そうにしている。
黙っているのも変だし、考えても分からないなので、この際聞いてみることにした。
「ソウマ様とクリスティーネ様も、見た目とは違う年齢をしてらっしゃるのでしょうか」
「俺たち?俺は今年67…いや8?んー…9、だったかな。まぁ多分そのあたり」
思っていたより若かった。
クリスティーネの方はどうなのだろうと彼女の様子をうかがってみると、何故かとても美しい、完璧な作り笑顔を返された。
「シェイラ」
「はい?」
「女性に年齢を聞くものではありませんわ」
「……はい」
(この話はしてはいけないのね)
悟ったシェイラは、しっかりと頷いた。
とにかく、やはり人の子や普通の動物とはまったく違うのだ。
ココのあっと言う間の成長に、彼らとの違いを改めて実感させられた。
事態を受け入れようと、落ち着く為に息を深く吐いていると、胸に抱いた3歳ほどの子供の姿をしたココが手を伸ばしてシェイラの頬へと触れてくる。
(柔らかい…)
小さくて柔らかな子供の手。
シェイラの頬を撫でるそれには、竜の姿の時にあった尖った爪ではなく、丸く形の整った可愛らしい桜色の爪が付いていた。
ふんわりと鼻をくすぐったのは、幼い子供独特のミルクのような甘い優しい香りだ。
「ココ、男の子だったのね」
「「今更?」」
大人の竜2匹の声が重なった。
「確認しそびれていたと言うか、確認するすべがなくてうやむやになっていまして。男の子、であっています?」
3歳ほどの子供の姿になったココは、襟付きの白いシャツに濃赤のショートパンツ姿だった。
胸元にはルビーのような宝石をあしらったブローチがついている。
足元は黒のニーソックスに濃赤色のブーツ。貴族の幼い少年を思わせる恰好だ。
顔立ちも女の子と言うには少し凛々しく、ところどころ無造作にはねた短い髪から見ても、間違いなく男の子だろうとシェイラは思ったのだが。
「ああ、間違いなく男。竜の姿だと雄雌の見分け方ってつかないもんなんだな」
「…どうやって見分けてらっしゃるのですか?」
訪ねてみると、ソウマとクリスティーネは考えるように視線をさまよわせたて、また声を重ねて答える。
「「感覚?」」
「…そうですか」
もう半笑いで頷くしかない。
竜のままの姿で雄雌の判別は、シェイラにはどうやっても取得できなさそうだ。
そうしていると、腕に抱いたココがさらに身を乗り出してきた。
首をかしげて見つめ返してみたけれど、ココはもじもじと何だか恥ずかしそうにしている。
「どうしたの?」
「んー、っとねぇ。ココねぇ」
「うん?」
ココは恥ずかしそうに頬を赤らめて下を向く。
小さな手をさまよわせて何か躊躇ったあと、意を決したようにぱっと顔を上げて、はにかんだ笑顔を見せた。
「ココねぇ、しぇーら、だいすきー」
「っ…」
可愛い声で、可愛い幼い子に、にっこりとほほ笑まれた上に、たどたどしい舌たらずな言葉づかいでそんなことを言われてしまった。
こんなことされれば、無意識に頬と目元が緩んでしまう。
シェイラはココのふっくらとした頬に、自分の頬を擦り付けた。
「ココ、可愛い…」
思わずつぶやいてしまって、またさらにシェイラの頬も幸せな心地につられて緩んだ。
可愛いくて小さくて暖かな生き物に一心に情を向けられるのは、この上なく幸せな気分だった。
「可愛い可愛い。大好き、ココ」
そう言って、抱きしめる腕に力を込めた。
ココの額に自分の額を合わせ赤い目と視線を合わせれば、ココは楽しそうに声を上げて笑った。
「ココもすき!しぇーら、だいすきー!」
「ココはいいこね」
「ここ、しぇーらといっしょにいたい。ずっとずっと、いっしょしてくえる?」
「えぇ。もちろんよ。ずっと一緒ね」
ココが大きくなり、この場所から飛び立つときまで。と言う期限付きではあるけれど。
それでも一緒にいたいと言う想いは本当だから、シェイラはためらいなく頷いた。
その言葉が、何を引き起こすかなんて想像もしないで。
――――ずっと一緒にいる。
そう問われて頷いた直後に、それまでのほのぼのとした空気は一転した。
最初に異変を感じたのはソウマのようで、彼は厳しい一声を叫んだ。
「っ!!待て!!やめろココ!!」
ソウマの必死な声に、シェイラ何事かと彼の方を振り向こうとした。
でもそれは敵わなかった。
「っ……!?」
「シェイラ!」
「あら、まぁ…」
クリスティーネも何か気づいたようだが、やはりこれも聞くことさえままならない。
なぜなら突然シェイラとココを取り囲む光の渦が出現し、阻まれてしまったから。
風が巻き上がり、シェイラの白銀の髪をまとめていたリボンがほどけて翻る。
光と風と、そして火が渦を巻く。
不思議と熱くはなかったけれど、渦巻く力の流れは荒々しく足元がふらついてしまう。
シェイラは驚いて思わず目をつむった。
「ココっ!」
状況がさっぱり分からないけれど、とにかくココを守ろうと引き寄せてきつく腕に力を込めた。
* * * *
シェイラの腕を、ココが優しく叩いた。
「しぇーら」
その声につられて目を開けると、先ほどまで吹いていた風はもうやんでいた。
淡く光る白い空間に、シェイラとココの2人だけがいる。
「…なに?」
上も下も右も左も分からない。
今、自分が地に立っているのかさえも不明瞭だった。
全身が軽くてふわふわとした浮遊感があるから、もしかすると宙に浮いているのかもしれない。
周囲を見渡してみると白く広い空間に、赤く輝く星のような瞬きが無数に広がっていた。
「しぇーら、いっしょ、ね」
ココが柔らかな頬を綻ばせてまたそういうから、シェイラは今の異常な状況であるのも関わらず頷いた。
「ココと一緒にいるのは当たり前よ。大好きだもの」
爛々と輝くココの赤い目を見て笑うと、幸せそうな笑みを返してくれる。
赤い星空が瞬くのみの、何もない白い空間。
不思議と怖いと言う感覚はしない。
何か大きな力に守られているような、不思議な暖かさが全身を包んでいる。
危険な場所でないのだと、どうしてか分からないけれどなんとなく悟った。
「ココ、大好き」
子供の身体を、心を込めてもう一度抱きしめる。
そうするとココも小さな手を伸ばして、シェイラの首に手を回し力を込めてくる。
――――その時。
耳朶を張り裂くような大きな破裂音が響いた。
「っ……!!!」
ぱんっ!と突然なったその音に、驚いて、シェイラはまた目をつむった。
赤い星が消えた。
白い世界は黒に。
暗転する。
* * * *
「……契約不成立?」
クリスティーネの澄んだ声が聞こえて、そろそろと目を開けるとそこは元居たシェイラとココの私室だった。
カーペットにしっかりと地に足も着いている。
今までいた場所で感じていたような浮遊感もない。
なんとなく怖くて慎重に足元を確認したあとに、ゆっくりと周囲を見回すと、ソウマとクリスティーネが虚を食らったような、何とも言えない表情でシェイラとココを見ていた。
彼らの顔を見て、やっと元に戻ったのだと実感できた。
あの白い空間のなごりはどこにもない。
間違いなく、現実の世界だ。
「何ですか、いまの……」
「うぅー!」
「ココ?」
「なんで、なんでー!!」
シェイラの腕に抱かれたままのココが、突然駄々をこねて手足をばたつかせる。
「ど、どうしたの?」
「しぇーら、いいって言ったのに!いっしょって言ったのに!!」
目じりに涙をためながら、ココは握りこんだ小さな手でシェイラの胸元を叩いてくる。
幼い子供程度の力と言っても、精一杯の力で叩かれればさすがに痛い。
理由さえわからず何度も何度もたたかれて、シェイラは戸惑うばかりだ。
それに腕の中で暴れられるとココを落としてしまいそうで、その事にも焦ってしまう。
「ココだめよ、おとなしくっ…。ねぇ、聞いて…、ココっ」
「いーやー!」
慌てるシェイラを助けてくれたのはソウマだった。
大きな手がココのシャツの後ろ襟をつかみ、シェイラの腕からココを引き抜いてしまう。
「こーら!我儘言うんじゃない!」
「………?」
「いーやー!いっしょがいーの!!」
ソウマの手に首根っこをつかまれ、ぶらぶらとその大きな手にぶら下がっているココ。
赤く染めた頬を膨らませて、目に涙を溜めて、ソウマの手から抜け出そうと必死に四肢をよじっている。
吊り上げた目で不満げにソウマをにらんだと思えば、ココは大きく息を吸う動作を始めた。
「ココ!だめ…!!」
「やー!!」
止めようと手を出したときには遅かった。
ココの口から盛大に炎が吹き出す。
小さな口から吹き出した大きな炎は、ココを捕らえているソウマの顔面めがけて放たれた。
赤い炎がソウマの顔を覆いつくし、シェイラは真っ青になった。
周囲の温度が一気に上がり、熱に弱い水竜であるクリスティーネは無言のまま顔をしかていめる。
「だめでしょうココ!どうしてそんな事をするの!」
約束を破ったココへ、シェイラは今度こそ厳しい声を飛ばした。
クリスティーネに向けたときはクリスティーネ本人が叱らないでと言ってくれたから何も言わなかったけれど。
人に向けて炎をだすことは絶対にやってはいけないと、何度も言い聞かせていたのに。どうして分かってくれないのだろう。
「っ!!」
叱られたココの身体がびくりとすくむ。
同時に口から吐き出していた炎もとまり、炎に覆われていたソウマが首をふってその名残さえも消してしまう。
彼の皮膚にはほんの一つのやけどさえも見当たらない。
「俺に炎が効くわけないだろ。…って言うかお前、シェイラが分かってないのに無理やり同意を得て契約しようとしただろう!この馬鹿…!!」
ソウマの怒鳴り声が空気を震わせる。
これだけ怒っているソウマを見るのは初めてだ。
「契約…?」
「ココは契約の術を使おうとしたのですわ」
「っ…、確か感情をある程度共有するようになるのですよね」
「悲しい、や嬉しいなどの非常におぼろげな感情がなんとなく伝わってくる程度ですけれど。あまり強く感情を繋げてしまうと、色々困りますし」
振り向くとクリスティーネが微笑を浮かべていた。
「竜と人とでは価値観が違いすぎるのです。だから信頼を置く人間が現れて、心から相手のことを知りたいと望んだときに契約と言う手段を取るのですわ」
クリスティーネが知りたいと、分かりあいたいと願った人間はジンジャーだった。
どこか幸せそうな微笑をたたえて話すクリスティーネに、彼女が今誰を想っているかなんて聞かずとも分かる。
クリスティーネは契約についてシェイラに説明してくれたあと、言葉を止めて不思議そうにしている。
「先ほどのように、ココからの一緒に居たいと言う申し出にシェイラが同意した時点で、契約を結ぶための条件はそろったようなものです」
「でも、なんだか弾かれました」
「えぇ。私が見た限り術に不備はなかったはず……けれど、契約は不成立に終わりました。きっとココが幼すぎるからね。さすがにここまでの幼さで契約をした竜なんて前例がありませんもの」
どこか緊張感にかけるおっとりとした様子のクリスティーネ。
彼女とは反対に、ソウマは真剣な面持ちでココをにらみつけていた。
竜の荒々しい獣の部分が、ほんの少しだけ顔を出しているようにも見える。
「竜と人間を一生縛ることになる契約だ。破棄するには相応の代償が必要になる。簡単に、しかも相手が理解していないのにしていい事じゃない」
低く唸るような迫力のある声に、さすがのココも脅えたふうに身をすくめる。
驚きと恐怖からか、さっきまで目にたまっていた涙も引っ込んだらしい。
「いいか。二度とやるなよ。もし契約するにしても、それは成竜になって分別がつくようになってからだ」
「わ、わかった…」
迫力のある言い聞かせに、ココは眉を眉間に寄せて不満そうにしながらも、こくんとひとつ頷いた。
「あと迷惑かけたんだから皆に謝れ」
「ごめいにゃさい…」
「よし」
ココが反省したのを確認してから、ソウマはやっと笑顔を取り戻した。
襟元をつかんで宙にぶら下げていたココを地におろし、シェイラにしたのと同じように、その大きな手でココの頭を撫でまわすのだった。




