再びの旅立ち③
『妹の相手が異種族の竜などあり得ない』
その、人と竜をくらべ竜の方が下だと言っているような。
見かたを買えれば竜を冒涜しているともとれる台詞が放たれたと同時に、アウラットの空気が変わった。敏感に察知したソウマは密かに眉をひそめる。
(あーあ)
この時点で、レヴィウスはアウラットを敵にまわした。
竜に並々ならぬ情を持つ王子を前に、言ってはならないことだった。
「っ……」
鈍い男ではないようで、本人もアウラットの変化に気づいたようだ。が、しかしもう引くつもりはないらしい。
眉を寄せ、真っ向からソウマを睨み続ける。
「レヴィウス」
「父上……」
しかし実の父親にはさすがに弱いらしい。
グレイスの憤りのこもった低い声に、レヴィウスは不満そうにだが、頭を下げた。
「王子殿下と殿下の契約竜に、失礼なことを申し上げました。お許しください」
本心ではないと、ありありと分かる謝罪で、棒読みだ。
王族に近しい者に、田舎の一貴族であるストヴェール子爵家の人間が強く出るのは大変にまずいことだと、本人も分かっている。
分かっているのだが抑えきれず、どうしても態度に出てしまうのだと。
強く、憎しみの籠った瞳が訴えていた。
ソウマとしては人間の恨みなどそよ風程度のもので、特にどうでも良い。
(でもアウラットは結構本気で怒ってんなー)
機嫌悪そうに細められたアウラットの目に、グレイスが額に玉の汗をにじませている。
こんなに―――――、怒りや不満を隠せない男が子爵家の跡取りで大丈夫だろうか。
生真面目だとは聞いていたが、ここまで真っ直ぐに、己の心を偽ることが出来ないほどだとは。
聞いていた通り真面目で、硬い。
一度もった自分の考えを、なかなか曲げることのできない、扱いにくい部類の男だとソウマは思った。
(人間の貴族社会ですっごく苦労しそう。でもシェイラも嘘は下手だったし。似た者兄弟かも)
容姿は似ているところはほとんどないが、少なからず血の繋がりが垣間見えた。
「あ」
そしてソウマは、そんな風に何にでもシェイラと繋げて考えてしまう自分に気が付いてしまった。
自覚したとたんに湧いてくる、このじわじわと沁み入るような恥ずかしさはなんだろう。
とにかく誰にも気づかれたくないと、こっそりと息を吐きだす。
平然をよそおうとしているソウマの前で、グレイスが息子レヴィウスを力づくで、少し乱暴に見える仕草で押しのけた。
「父上!?」
「黙ってなさい」
「つ……」
もう任せてられないと、レヴィウスに向けられた表情が語っている。
「客人の対応の勉強になるかと思ったが、こんな態度で……連れて来なければよかった」
「………」
落胆した父親の台詞に、やっと一歩身を引いたレヴィウスを確認した後。
グレイスはことさらに業とらしい笑顔を作って、アウラットへ話しかけた。
空気を換えようとしているのだと、痛い程に察せられる不自然に明るい笑顔だ。
「アウラット王子、ソウマ殿。もしよろしければ明日、我が家の夕食に招待させていただきたいのですが、いかがでしょう」
「あぁ……」
仕事とはいえ一国の王子が滞在するのだ。
領主として、もてなしの宴を開くのは一種の慣例でもあった。
アウラットは王子然とした笑みをたずさえ、鷹揚に頷く。
「喜んで相伴にあずかろう。……いいな? ソウマ」
「構わないが、俺はあまり人間の食事はしないぞ?」
「存じております。酒をたしなまれるようですので、この地方の地酒をご用意しておきましょう」
王都の屋敷ではココやスピカを何度か泊めていたうえ、シェイラの話からでも食事をしない竜の習性は聞いていたらしい。
「それは楽しみだな。明日は宜しくたのむ」
「こちらこそ。光栄なことです。では、お待ちしております」
大変かしこまったグレイスの物言いからして、今回のかれはソウマのことを『娘の恋人』ではなく『王子の契約竜』として扱うつもりらしい。
――その後に少しの世間話を交わしたが、旅の疲れもあるだろうからと、グレイスはレヴィウスを連れ、早々と帰っていった。
去り際にレヴィウスがまた強くソウマを睨んできた。
しかし今度は父グレイスの拳骨を受け、不承不承ながらも挨拶をし、共にストヴェール子爵邸へ戻っていくのだった。
「……なかなか面白い滞在になりそうじゃないか」
「目が笑ってないぞ、アウラット」
「ふん」
グレイス達の姿が完全に見えなくなったと同時に、ずっと控えていた宿の人間が進み出て来る。
黒の細見のタキシードをまとう、初老の穏やかな雰囲気を持つ男。
彼は丁寧な物腰でアウラットとソウマに歓迎の言葉を述べ、部屋へと案内すると言う。
促されるままの案内に付いて宿の中を歩きながら、ソウマは傍らのアウラットと会話をすすめた。
「アウラット。明日、ストヴェール家の夕食まではどうするんだ? 明日一日の予定は特になかったはずだが」
視察の仕事は明後日からだ。
ちなみにソウマも一応は、視察に共に行く予定だった。
そもそも一国の王子が、忍びの旅でなく公式の訪問なのに護衛を引きつれなくても良いのは、ソウマがいるからだ。
竜の守りほど強いものはない。
だからアウラットは、護衛を付けずに身軽に動くことが出来る。
ただ毎日毎日、視察に付き合うのは骨が折れる。
なので合間にストヴェール子爵側が用意した護衛や侍女に任せて気ままに出かけさせてもらう日を作るつもりではあった。
恨めしそうな顔をアウラットがしているが、竜の性質上、あまりに縛られるのは苦痛でしかないのだ。
「そうだな。この町を見て回るか。来たことのない町だし、珍しいものもあるだろう」
「人間にもみくちゃにされそうだ……」
今日の到着時の激しい歓迎からして、宿を出ればまたあの民衆に囲まれるはずだ。
苦虫をかみつぶしたような表情をするソウマに、アウラットは「では」と気を取り直したように楽しげに口端を上げ、変わった提案をした。
「変装でもするか」
「へ?」
「お前は、他の姿にもなれるのだろう?」
「あ、あぁ。これが一番楽ってだけで、容姿はなんとでも」
ソウマの本来の姿は『火竜』だ。
この人の姿は術で変化しているにすぎず、幾らだって人型の容姿を変えることは可能だった。
「だったら私が少し髪色を変える程度で分からなくなるだろう」
アウラットの提案にソウマはゆっくりと大きく、瞬きした後。くしゃりと破顔した。
「―――っ、はは!!! それは楽しそうだ」
王都では兄王子の監視があるので、変装しようがお忍びだろうがなかなか城下の町へは出かけられないアウラット。
久しぶりに自由に外を歩けるようにと上った彼の提案は、ソウマの好奇心も刺激するものだった。
「髪色だけでいいのか? 俺はどんな容姿になればいい」
「髪と、あとは服装だな。あまり目立たず、人に紛れられるようにしなければ。ソウマはソウマと分からなければいいんじゃないか? いっそのこと女体もありかもな」
「それは嫌だ。性別は変えたくない」
「ははっ―――よし、そこの」
顔をあげたアウラットは、前を行く宿の人間に声を掛けた。
部屋へ案内してくれるために一緒に歩いていた男だ。
「はい。何でしょうか、アウラット王子殿下」
王と契約竜というとても気を使う客人にも平然と、しかしとても丁寧な対応をする初老の男は、歩きながらもこちらを振り返って微笑を携え受け答えた。
ソウマとアウラットの使う部屋はおそらくこの宿で一番に広い部屋。
さらに一番高い階の奥にあるため、たどり着くまでにまだ少しかかりそうだ。
その男にアウラットは機嫌よく笑顔を向ける。余程、決定した明日の予定が楽しみらしい。
「聞いていただろう? そういう事だから、とりあえずこの辺りで一般的な男の服一式と、髪の染め粉を手配してもらえるか。ウィッグでも構わない」
「かしこまりました。直ぐに準備を始めさせていただきます」
男は、次いで落ち着いた声音で詳細をうかがって来た。
「殿下―――貴族様の服ではなく。普通に平民が来ているようなものということで宜しいのでしょうか」
「あぁ。頼む」
「かしこまりました。ソウマ様は、変装用の衣装はどのようなものにいたしましょうか」
「俺のはいい。自分で用意できるから」
「……? かしこまりました。出過ぎた真似を。 ではお部屋にご案内したのち、至急に手配いたします。明日のお忍びも、正面からではなく裏口から密かに出かけられるよう整えさせていただきます」




