再びの旅立ち②
さえぎるものの何一つない、自由な空を彼らは飛ぶ。
竜に乗っての飛行に慣れているアウラットは、空を飛んでいる状態でも平然としていた。
落ちる心配をする様子なんて一切みせない。
堂々と二本の足で立ち、髪をさらい流れる風を彼は楽しむ。
さらに景色がよく見えるようにと、乗っているソウマの背から頭の方へと軽々とした身のこなしで移動し、己の背丈より長く太く延び生えている角へと手を掛けながら、口を開いた。
「ソウマ! ストヴェールへはあとどれくらいだ!?」
『大声ださなくても聴こえるように術ほどこしてるってば。……えーっと、たぶんもうすぐカターヤ湖が見えるはず』
「ならば予定通りの時間だな」
上空からの目印として目指しているカターヤ湖は、この国で一番に大きな湖だ。
ストヴェール子爵家はそのカターヤ湖の南半分程度が領内に含まれており、湖から分かれた幾つもの支流の川が何本も通っている。
水資源が豊富で平野であるため、酪農や農業が栄えている土地だ。
領地内には二つの町と六つの村があり、かの家は子爵という同じ位の領主たちと比べれば、少しばかり広い土地と高い地位を得ていた。
しかし農産物以外の特色は無く。
国全体としては、やはり田舎として位置づけられている。
隠居した貴族の夫婦が老後にのどかな生活を欲して移り住むような、そんな土地だ。
『あ、見えた。あれだな』
「美しい色だな」
わずかにソウマの視界に映るようになった湖の水面は、透き通った青。
湖の周囲には、青々と茂る平原が広がっていた。
「良さそうなところじゃないか」
『そういえば、ストヴェールに来るのは初めてだったか』
「あぁ確かに。二人で旅をしていたころはもっと秘境が多かったからな。今行かなければ一生行けない場所に行きたかった」
『そうそう。アウラットは面倒な場所ばっか指定するんだよなー』
こうして長い時間、空を飛んでいると昔二人で世界中を旅したことを思い出し、思い出話が弾みだす。
ソウマとアウラットは懐かしい頃を思い出しながら、じょじょにストヴェール領の上空へと近づき、目的の……子爵家が近くにある町を目指すのだった。
* * *
到着するとまず、非常に大きな歓迎で出迎えられた。
「いらっしゃいませ! アウラット王子殿下! 火竜ソウマ様!」
「ようこそストヴェールへ! ようこそエクルの町へ!」
「領民一同で歓迎いたします!」
「アウラット王子ばんざーい!」
「ソウマ様ばんざーい!」
田舎と呼ばれるストヴェールに王族が立ち寄るのは、記録にあるだけでも十六年前。
王が他国への訪問の折に領地の端を通過したというだけ。
今回のように滞在するのは、もう数十年ぶりのことらしい。
だからこそ、領民の歓迎は激しすぎるほどに激しい。
町の少し手前のひらけた場所へ着地してから、町中の宿へと移動するまでの距離は、まるでパレードのごとく領民が道なりに集い、口々に歓迎の声を上げ、花びらが投げられた。
(何か…ものすごく呑気な領民性だなぁ)
かけられる花を浴びながらソウマが見渡した人々の表情は、穏やかで明るい。心からこの一種の祭を楽しんでるようだった。
良い統治をされているのだと、雰囲気で感じられる。
しかしそんな楽しげな観衆に注目されるのは、少し居心地が悪いもので。
「アウラット……」
「いや……悪い。そういえば内密の訪問にしたいと伝えていなかったかもしれない」
「いろんなとこに顔みせるんだから内密とかも難しいだろ」
「そういえばそうか」
今回の訪問の名目は、領内視察だ。
アウラットは領内の隅から隅を見て回る予定であり、様々な場所に顔を出すのだが……。
「もしかして、行くところ全部でこれなのか……?」
ソウマは遠い目をして、こっそりと溜息を吐いた。
あくまで好意的な歓迎であるため、無碍にも出来ない。
ソウマは一応の愛想笑いを浮かべ道を歩き、時々領民に手も振っていた。
これがクリスティーネや、他の竜であったのなら完全無視か鬱陶しそうに舌打ちでもするものだが、ソウマは王城で王子アウラットの仕事の手伝いをしているために人と接することも多く、人間社会での処世術も多少は身に付けているのだ。あくまで多少は、だが。
しばらく人に揉まれながら歩き、ソウマとアウラットの主な宿泊先である、エルクの町一番に大きな宿に到着した。
外装も立派で広々とした造りをしている。
そこで彼らを出迎えたのはシェイラの父であり、このストヴェール領を管轄する男ストヴェール・グレイスだ。
宿の入り口から受付を抜け、螺旋階段が鎮座するエントランスホールの脇の応接セットで待っていたグレイスは、アウラットとソウマの到着に立ち上がり、頭を垂れた。
「お久しぶりです。アウラット王子殿下、ソウマ殿」
「あぁ、しばらく宜しく頼む」
(ん?)
ソウマはアウラットと会話を交わしているグレイスの一歩後ろに控えている、彼と良く似た容姿の若い男に気が付いた。
こげ茶の髪をしっかりと後ろへ撫でつけ、眼鏡をかけた痩せ型の青年。
背筋よく真っ直ぐに立つ姿勢と、頭からつま先まで乱れ一つない服装。
見るからに真面目で几帳面そうな男だ。
(まじめで、お堅い人物ねぇ)
事前に報告されていたままなので、直ぐにわかった。
彼がソウマに果たし状なるものを送りつけた人物だ。
「レ、レヴィウス!!」
ソウマがグレイスの後ろにいるレヴィウスに視線を送っていたのを察したらしいグレイスが、やや慌てた様子でレヴィウスを呼びつけ前へとうながした。
次いでグレイスは勢いよく、長兄の頭を思い切り押さえつける。
「ソウマ殿、誠に申し訳ない……!」
「ち、父上、痛いです」
「ええっと……?」
グレイスは自らも頭を下げながら、息子であるレヴィウスの頭も抑えて下げさせている。
いきなりの予想外の行動にソウマは面食らい、アウラットも目を瞬かせた。
「ストヴェール子爵。突然どうされた」
アウラットが王子らしく、いつもより少し畏まった口調で問うと、グレイスは息子の頭を押さえつけたままで答える。
彼の額にはいくつもの汗の粒が浮かんでいた。
「この度は愚息が愚かにも果たし状などという失礼このうえないものを送りつけてしまったそうで。教育不足で本当に申し訳ございません、殿下、ソウマ殿!」
「いや、別にそれは……」
「私は笑わせて貰ったから構わないがな」
「……有り難うございます。しかし竜と決闘などとんでもない。……これでも子爵家の跡目を任せる役割がございます。火竜の炎にさらされて灰にさせるのは――どうか、どうか……この度のこと、胸の内にしまってはいただけませんでしょうか」
つまりグレイスは、息子であるレヴィウスがだした果たし状を『なかったこと』にしてもらいたいと、そう言っているのだ。
「しかし父上! この男はシェイラをたぶらかしたのですよ」
「失礼だぞ!」
レヴィウスは顔を上げて眉を吊り上げ抗議するが、父であるグレイスに制され、ぐっと息を詰まらせた。しかし怯んだのも一瞬で、直ぐにやる気を取り戻した顔をみせる。
「レヴィウス。シェイラのことについては、私が許可をしたのだ。ソウマ殿に当たるのはよしなさい」
「嫌です。私は納得していません」
「レヴィウスが納得しようとしまいと、あの子は竜のそばで生きることを決めた。説明をしただろう」
「シェイラが。大切な故郷であるストヴェールに帰らないなんてありえない! 絶対にこの火竜に騙されたんだ! あの子はおっとりとしたところがあるから、簡単に丸め込めるとでも思われたんだ! 何が何でも、私は兄として妹を守らねばならないのです父上!」
「お前は……っ、本当に意固地だな。とにかく、決闘など、絶対に、許さん。絶対に、だっ!」
「そんな、父上……!」
彼ら親子のやりとりを見たソウマは、溜め息をつきながら赤い髪をかき上げた。
「俺は、本気で人間とやり合うつもりで来たわけじゃない。あの果たし状は見なかったことにしておこうか」
「ソウマ殿……面目ない……」
決闘はしない。そもそもソウマも乗り気ではなかった。
ソウマとグレイスの間で決まったものの、レヴィウスはやはり納得できていないらしい。
(うーん……)
――このまま、レヴィウスがソウマとシェイラの関係に反対のままだと、シェイラが悩むことは予想出来てしまう。
この機会に可能な限り自分のことを認めてもらうべきなのだ。
(まったく。人間の兄弟って、つながりが強いよなー)
ソウマはちらりと傍らのアウラットに視線を流した。
アウラットの兄、第一王子も実は結構なブラコンだ。
目を離せば竜の背に乗って飛んで行ってしまう弟を、がっちり捕まえ離さない。王族として厳しく見張っているように見えて、ただ自分の目から離れた場所に置きたくないようであった。
(面倒くさい)
面倒くさい、が。
人にとって人との繋がりは大切なもので。
中でも血のつながった相手というのは特別なものだと、ソウマも徐々に理解はしてきている。
なによりも、ソウマ自身がシェイラという特定の相手に懸想し、固執しつつあることから、執着心や離れがたい、という人ならではの感情を自らで味わってしまっているのだ。
好きな人に離れられることは、悲しいこと。
相手がシェイラや、契約者のアウラットだったらと想像すれば、妹の手を離したくないと思う兄の気持ちも察せてしまう。
アウラットから流れ込んでくる感情はあくまでアウラットのものであり、ソウマが感じているわけではない。
時折ソウマが感じるようになった、胸を締め付けられるような息苦しさは、彼女に出会わなければ生涯味わうことは無かった。
「仕方ないか」
「ソウマ?」
ソウマは小さく息を吐き、前へと手を差し出す。
「レヴィウス。俺はこのストヴェール滞在中に、お前に俺のことを認めて貰えるように努力しよう。シェイラのためにも」
色々考えてみたが、一番は彼女の悲しむ顔をみたくない。これにつきる。
ソウマの台詞に、レヴィウスは思い切り嫌そうな顔をし、額に青筋が浮かばせた。
「シェイラのためだと?」
彼は苛立たしそうに、しかし真っ直ぐに茶色い瞳でソウマを睨んでくる。
(お、珍しいな。真っ向から向かってくるなんて)
竜に敵意を向ける人間は、この国では珍しい。
面白い、とソウマは僅かに口端を上げたが、その微笑はレヴィウスの癪に障るものだったらしい。
レヴィウスは生真面目と聞く容姿と性格には不似合いな仕草で小さく舌打ちをし、冷たく言い捨てるのだった。
「――妹のために、私があなたを認めることはありません。竜として、又は王子の傍にいる者として、幾ら優秀で名高くても。妹を異種族の竜に渡すなどあり得るはずがない……!」




