冒険者と竜の剣②
集落にある広場の中央に立つのは、水竜の長マルティで、彼の周囲には里の主だった立場であるのだろう水竜達が立っていた。
ほぼ全員が純粋な水色の髪と瞳を持っていて、容姿に現れる色の純度が強さに比例する竜の性質からして、とても強大な力をもつ竜達なのだろう。
皆パーシヴァルと対峙しやすいようにするためか、人の姿をとっている。
シェイラとソウマ、ココとスピカが彼らの動向を見守っていた。
そして少し離れた場所には竜の姿のままの水竜や、パーシヴァルの仲間であるローリーとレオが心配そうな表情をしていて、こちらの様子を伺っているようだった。
「……なるほどなるほど。竜の作った剣が原因で精霊が、ですか」
森で何があったかを聞いたマルティは、二度ほど頷いて息を吐いた。
流れる真っ直ぐな水色の髪をした彼は、人間の女性がどれだけ努力しても手に入れられない程の色香を放ち、一見すれば性別を間違うくらいの美貌とスレンダーな体型だ。
なのに、どうしてか威厳があり圧倒される。
彼と向かい合っているパーシヴァルの、すぐ斜め後ろに立つシェイラは無自覚のままに背筋を伸ばしていた。
「すまなかった‼」
場所を移動してもなお、パーシヴァルは地に頭をこすり付けて頭を下げている。
シェイラはもう数えきれない数の「すまなかった」と「申し訳ない」を聞いた。
彼の謝罪の心はシェイラには十分に伝わっていたが、彼の行いを判断するのはシェイラではなく里の長であるマルティだ。
シェイラは只、はらはらとした気分で見守るしか出来ない。
ひたすらに謝るパーシヴァルを相手に、しばらくしてマルティはおっとりとした仕草で眉を下げ口を開いた。
その口調は、ずいぶんと軽いものだった。
「別に私達が害を受けたわけではないし。君が謝る必要はないのですよ」
「え?」
台詞の内容に、シェイラやパーシヴァル、ローリーといった人間サイドの者たちはそろって目を瞬く。
「いやしかし、俺が持っていた遺跡から発掘したこの大剣は、精霊にあれだけの害をなしたんだ!」
困惑に満ちた表情のパーシヴァルは己の目の前、土の上に横置きにされた剣を指して声を荒げた。
この里の精霊たちを苦しめて、痛めつけて、消してしまった。
とてもひどいことをしてしまったと、当人でなくても思うのに、精霊に近しい存在である竜にとっては まったく大した出来事ではなさそうで、面食らった。
しかも長以外のほかの竜達さえも、そろって彼に同意して頷いていくのだ。
「精霊って本当にただその辺に有るものであって、別に増えても減っても特になにもないし」
「城に届けたのも、変化があれば互いに直ぐに知らせるっていう盟約があるから一応、知らせただけで」
「実際に戦ったのはシェイラとソウマと……あと君だけでしょう? 彼らが怒っていないのでしたら別に何も……」
「っつーか、そんな必死に謝られる方が心地悪いんだけど」
集まった水竜たちは口々に言う。
誰も怒っているどころか、対して興味もなさそうだ。
(ほ、本当に物事に固執しないのね。……これで大丈夫なのかしら)
水竜達はあまりに色々なことに無関心で、シェイラは心配になる。
「―――まぁ、とにかく」
「っ……」
ふいに発せられた水竜の長マルティの静かながらも威厳のある声で、口々に発言していた水竜達はみな口をつぐみ、次の彼の言葉を待つ。
注目の中、マルティにこりと笑い、ゆっくりとした動作で片膝を付きパーシヴァルに視線を合わせた。
そして土の上に置かれていた大剣に長い指を触れさせる。
「パーシヴァル殿。すまないけれど、この剣はお預かりさせていただいてもよろしいかな。我々が水の術で浄化させた後、木竜に渡して土に還してもらおうと思う」
「あ、あぁ、もともとは竜達のものだ。好きにしてくれ」
潔いパーシヴァルの言葉に、マルティから小さな笑いがもれた。
(あ……)
シェイラはマルティの微細な変化に気づき、薄青の瞳を瞬かせた。
ほんの少し前まで、マルティはパーシヴァルに何の興味も示していなかったはずなのだ。
しかし真摯に謝罪し許しを乞う姿に、何か思う処があったらしい。
今はしっかりと、その水色の瞳にパーシヴァルを映し、個としての存在を認めているように見えた。
「……あなたは、珍しいほどに正直で正義感溢れる若者ですね。人にとって己の剣と言えば片腕も同然、大切なものだろうに」
「確かに俺の人生でこれほどに手になじむ剣に出会うことは二度とないと思って、大切に手入れをしてきた。でも俺は、何が正しく何が誤っているのか正しく判断しようと思う。そして俺がこの剣を持つことは、絶対に……間違いだ」
「そうですか。―――こちらへ」
パーシヴァルの言葉に、マルティは静かに頷き、そして後ろに控えていた者から、一本の剣を受け取った。
普通なら両手で持ち上げるのも困難であろう大剣の鞘には、水の波紋のような、不思議な模様が浮き彫りされている。
どうするのだろうかとシェイラを含めたみんなが見守る中、その剣をマルティはためらいなくパーシヴァルへと差し出した。
「あの?」
膝を土につけたまま、パーシヴァルは困惑した表情で長を見上げている。
剣を示された意図が分からないのだろう。
「一体、これは……」
「水の力を宿した剣ですよ。大きさと形状は今までのものに似せてあるから、すぐに扱えるようになるでしょう」
みるみると、パーシヴァルの目が驚きに見開かれていく。
「………もしかして俺、に?」
「えぇ。竜が作ったとはいえ、これは竜を傷つけるために作ったものではないから、周囲の気を狂わせることはありません。むしろ乱れた水の気を清浄することさえできる。ただ本当に切れ味はお墨付きだから、竜を相手にされると多少は困るのですがね」
「…………」
パーシヴァルの驚きに満ちた目は、長から水竜の力を纏わされた剣に移される。
しばらくの間、その視線は鞘に収まった剣を先から先まで何度も往復した。
彼はゆっくりと立ち上がり、恭しくマルティの手から剣を受け取った。
そして一度、大きく息を吐いた後。
真っ直ぐに、目の前のマルティを見据えるのだった。
「俺はこれで、竜達を狙う馬鹿者たちから竜を守りたい。ネイファの中にも外にも、竜を狙うものは少なからずいるから。今回の罪滅ぼしの意味でも」
「是非に」
満足気に頷いたマルティの一言をきっかけに、緊張していた場の空気はとたんに緩み、全員がほっと胸をなでおろすのだった。
* * * *
……―――海風が、吹く。
流したままの白銀の髪が、風に浚われ翻る。
白く人気無い静かな砂浜を、シェイラはソウマと手を繋いで歩いていた。
シェイラが王城に寄せた、助けを求める内容の手紙は必要なかった。
水竜の里が王城へ寄せた、精霊の異変を知らせる報についても解決した。
ソウマがこの里に居る理由はもうない。
彼はもう明日の朝早くにこの島を去る予定だった。
「っ……」
リズムよく耳に届く波音を背に、シェイラは握った大きな手に、きゅうっと強く力を込める。
こんなに突然に別れの日が決まってしまうだなんて。と思うと寂しさが押し寄せ、手だけでも縋らずにはいられなかった。
そうやってシェイラがめいっぱい力を込めたって、ソウマは痛くもかゆくもないらしく、むしろ嬉しそうに笑いを漏らしている。
少しだけ先を歩く彼に手を引かれ、大きな背中を眺めていたシェイラに、ソウマは振り返らないままに声をかけて来た。
「シェイラは、次はセブランか」
「はい。お祖母様に白竜のことを色々聞いて、その後はやはり竜の里は全て見てみたいので、別の竜の里へ行こうかなと」
「へぇ? どこの里? 火竜とか?」
「いいえ……」
シェイラは僅かに瞼を伏せて首を振った。
「ヴィートさんの最期について、ご家族やご友人がいるのなら伝えたくて。だから風竜の里へ」
「そっか」
孤高であることを美徳とする竜は、特別に家族の最期について気にはしていないのかもしれない。
でもシェイラが、伝えたかった。
「ソウマ様は城へ真っ直ぐにお帰りに?」
「あぁ、城に今回のことを報告しないといけないし。アウラットが泣きわめいてるだろうしなぁ」
「ふふ。仲良しですね」
「その表現は嫌だな」
二人で小さくくすくすと笑いを漏らした後、しばらく無言が続いた。
「……」
「……」
波の音だけが、聞こえる。
手のひらから伝わる熱だけを、強く感じる。
寂しい、という感情が胸を揺さぶるけれど。でも自分で決めた道があるから。
シェイラは手を引かれ歩きながらも小さく、長く息を吸い、そして顔を上げると唇から言葉を紡ぎだす。
「―――ソウマ様」
「ん?」
掠れてしまった本当に小さな声での呼びかけにも、ソウマは気づいてくれ、足を止めて振り返ってくれる。
そんな些細なことが嬉しくて、自然に口端を上げたシェイラは一息に言った。
「大好きです」
「なっ、シェイラ!?」
ソウマの赤い瞳が、知っている以上に大きく見開かれていく。
あまりに驚き、顔を赤らめながらも動揺のあまりに視線を右往左往させるソウマに、シェイラは悪戯が成功した子供のような得意げな顔を見せた。
「口に出したことがなかったなぁ、と。実は少し気にしていました」
「………」
ソウマは言ってくれたことがあるのに、シェイラは口にだしてその言葉を言ったことはなかった。
(恥ずかしい。だけが理由だったの)
でも、今必要だと思ったから素直に口に出してみた。
少し前の旅に出るまでの自分では想像も出来ない程の大胆な行いで、当然ソウマはシェイラがそんなことを言うと思っていなかったのだろう。
ソウマを驚かせついでに、もう一つ。旅で思ったことを口にしてみる。
「ソウマ様。私、竜がもっと自由に動ける世界を作りたいんです」
「は?」
ルブールで、アンナやヴィートに出会ったからこそ出来た夢。
旅に出て自分はこんなに成長したのだと、ソウマにだからこそ知って欲しかった。
流されやすくて、人の陰に隠れてばかりいた自分がどう変わったかを、見てもらいたいから。
「いつでもどこでも、当たり前に竜が空を飛ぶ世界! 人のふりをしたり隠れたりしなくて良くて、人里でも堂々と竜として竜が生きていける世界。とっても、素敵だと思いませんか?」
「素敵……いや。でも……」
「分かってますよ。途方もないことだなんて」
眉を下げて笑いながら、シェイラは繋いでいただけだったソウマの指に指を絡ませる。
触れた太い指が、びくりと跳ね、引きつったような呼吸音が耳朶に触れた。
―――と、突然。大きな手に目をふさがれる。
「ソウマ様?」
目元を覆う手も、熱を持っていた。
真っ暗な視界の中で感じるのは、手の熱さ。
「まだ城を出てから三か月経ってないんだぞ? そんなに急いで成長しなくても大丈夫だから」
「でも……!」
でも、もっと頑張りたい。
精霊に関しても、早くに力が使えていたらと後悔した。
ヴィートの探し物についても、自分がもっと敏ければずっと早くアンナとヴィートを引きあわせられたはずだった。
だから早く力を身に着けたい、見つけた夢を実現するための力が欲しいと、言葉で伝えようとするシェイラの唇を、ソウマはその大きな手のひら以上に熱い唇でふさぐのだった。
「……!?」
「ゆっくりでいい」
唇に触れる直前に紡がれた掠れた声には、真摯な思いが詰まっていて、幼い子を諭す風な穏やかなやさしさも感じられた。
「………」
もっと出来るように、もっとうまく立ち回れるように、もっと力を使いこなせるように。
出来ないことを発見するたびに生まれる焦りを、ゆっくりとソウマはソウマの熱で溶かしていってくれる。
「……ソウマ様」
自分の肩から力が抜けていくのが分かった。
そっと、唇が離され、目を覆っていた厚い手が離れた後。
見開いた視界いっぱいに映るのは、赤い瞳と赤い髪。
僅かに屈み、手に触れられる高さになってくれている彼の髪に、シェイラは口元を綻ばしつつ手を伸ばし、そのまま頭ごと引き寄せた。
明日には離れてしまうぬくもりを、近くで感じて覚えておきたくて。
これにて四章は終了になります。有り難うございました!




