とんぼ返り
6月21日。江角千穂はあるマンションの前にいた。今回彼女が受けた依頼はある男の素行調査。その男小川太一と娘が本当に結婚するに値する人物なのかどうかを調査してほしいというものだった。
しかも依頼人は大分県議会議員の斉藤次郎。大物からの依頼のため依頼料は目が飛びでるほどの大金だった。
現在江角は小川の住居であるマンションの前で張り込みをしている。
彼がマンションに帰宅してから一時間。小川が出かける様子はない。もしかしたら別の女性の所に出かけるのではないかと思い張り込んでいたが無意味のようだった。
江角が腕時計を見ると、近くにある駐車場にタクシーが停まった。運転手はタクシーから降りる。彼の右手はレジ袋を握っている。
タクシー運転手はマンション前で立ち止まり挙動不審の態度を見せてすぐにタクシー乗り場へと戻った。
おかしいと江角は思った。このタクシー運転手は一時間前に一度このマンション前で女性を降ろした。そして一時間後再びマンションに戻って来た。その運転手が持っているレジ袋も気になる。
この前もコーヒーを過剰に飲む男のことが気になり、浮気調査を放置して捜査をしたことを江角は思い出した。他に気になることができたら、本来の目的を放置して真相を追及するというのは江角の悪い癖である。
すると小川次郎が電話をしながらマンションの玄関に現れた。彼は駐車場に向かい歩いている。
「良子。今から別府温泉に行こうぜ。現地集合現地解散でどうだ。それならお互い浮気しているってばれないだろう。忘れるなよ」
小川の口から出た名前は斉藤次郎の娘の名前ではない。江角は頬を緩ませた。
(どうやら二つ同時に事件を解決できそうです)
駐車場に辿り着いた小川は車に乗り込む。一方江角は小川が車に乗り込んだことを確認して、挙動不審にマンションから立ち去ろうとしているタクシー運転手に声を掛けた。
「すみません。別府温泉に向かってもらえますか」
タクシーの車内ではラジオが流れている。
『西暦1582年6月21日。本能寺の変が起きました。今日の戦国史カレンダーは本能寺の変の黒幕説がある明智光秀を特集します』
江角はタイムリーな話題であると思い笑った。
「そういえばあなた一時間前にマンションで女性を降ろしましたよね。そして一時間後あなたは再びマンションに戻って来た。運転手さん。これって何かに似ていると思いませんか」
運転手は首を傾げる。
「さあ。分からないな」
「秀吉の大返し。これに似ていると思っています。豊臣秀吉はわずか三日で岡山から京都までとんぼ返りをしました。そしてあなたは一時間でマンションまでとんぼ返りをした。豊臣秀吉がとんぼ返りをした理由は明智光秀を殺害するため。ではなぜあなたはマンションにとんぼ返りをしなければならなかったのか」
運転手は息を飲んだ。さらに江角の推理は続く。
「その理由はおそらくあなたが持っていた紙袋の中身にありますね。その中身は一時間前あなたが降ろした女性の忘れ物でしょうか」
「そうだ。あの紙袋の中にはあの女の忘れ物が入っている。中身はネクタイだよ。あのお客さん。暑いって言ってネクタイを取った。そのままネクタイを忘れて行ったよ。ネクタイなんて女性が一本しか持っているはずがないから困るだろうと思ってとんぼ返りしてみたが、ストーカーかと思われるかもしれないと思って女性の元へと行くことはできなかった」
「もしかしてその女性の名前は良子ではありませんでしたか」
「そんな名前だったよ」
江角は神の悪戯を笑った。
「それではその忘れ物を預からせてもらえますか。女性同士ならストーカーだとは思わないでしょう。一刻も早く届けないと良子さんは困ると思いますから」
それから一時間後小川次郎と良子と名乗る女性は別府温泉に現れた。江角はすかさず2人の写真を撮影する。後は物的証拠となりそうな良子と名乗る女性が忘れたネクタイの指紋を照合するだけだ。江角の推理が正しければそのネクタイから小川次郎の指紋も検出されるはずだ。案の定この江角の推理通りネクタイから小川次郎の指紋も検出された。
こうして大分県議会議員の娘と小川次郎は破局した。
緊急告知 山本正純作品史上最も軽い謎解きが始まる。その主人公は高校2年生の江角千穂。彼女を含めた4人のヒロインが集結したとき、奇妙な事件は起きた。
8月上旬連載開始