#15
~ヴェステア・兵糧庫
ヴェステアの兵糧庫では、ユリアナが顔を青くして駆け回っていた。その理由は、先程飛び込んできたカルル峡谷崩落のニュースにある。彼女は帳簿をひっくり返し、内容を確認する。そして、彼女の顔はさらに青くなる。
「ユリアナ、ここにいたか」
狼狽してそわそわと動き回っているユリアナだったが、その動きはキルドの声によって止められた。
「……キルドさん」
「ユリウス殿がお呼びだ」
「……キルドさん、兵糧……」
「……行くぞ」
キルドはユリアナの言葉を無視するかのようにきびすを返した。ユリアナは帳簿を抱え、彼に従う。
ユリアナは有能な補給官であった。前線への物資の補給が滞り、現場が現地徴発に走らざるを得ない状況が発生すれば、それは自分の責任だと考えている。かつてのヴェステア領主ジグムンドの手腕と責任感を完全に受け継いだのは彼女ぐらいのものだ。
この少女に見紛われるほどに小柄な女は、その小さな背中に、大きな責任を背負っているのだった。
領主室にはユリウスとリーン、それにレンファが居た。
「ユリウス様、申し訳ありませんッ!!」
ユリウスの姿を確認するやいなや、ユリアナは頭を下げる。
「……気にするな。災害だけはどうしようもないよ」
ユリウスはユリアナを慰めるかのように、頭をぽんと叩く。
「カルルの復旧は何日ぐらいかかるんだ?」
「治水局の見立てによれば十五日」
「ヴェステアの地術士を総動員させるわ。そうすれば十日ぐらいには短縮できそうね。無論、あたしも手伝うわ。地術は得意じゃないけどね」
「よし、それで行く。キルドさん、すぐに報酬の手配を」
「了解しました」
「それじゃ駄目ですッ!!」
ユリアナの声は悲鳴に近かった。
「アルスさん達に届いている兵糧は八日分だけです! それじゃ、それじゃ、間に合いませんッ!!」
もしカルル峡谷の復旧がうまくいき、すぐに輸送が再開されたとしても、アルスのところに届くのは十日以降になる。ユリアナの試算では、十四日後。
出陣の早さを優先し、必要な物資のみを持たせて出陣し、残りは後追いでの輸送という形を取ったのが裏目に出た。ユリウスの提案だったが、それに頷いたのはユリアナなのだ。責任は自分にある。彼女はそう思っていた。
「私は、前線の人達にお腹を空かせて戦えだなんて言えませんッ! 私は後ろにしかいれないから……」
「……貴女の気持ちはわかるから、落ち着きなさい」
レンファがユリアナの背中を撫でた。ユリアナは一礼し、皆に背を向け、背中を震わせた。
「私が危惧しているのは、ファーディルの連中がこの機を逃さないことだ。各個撃破に持ち込まれる可能性が高い」
「アルスは気が短いからね、決戦を挑むかもしれないわ」
兵力分散のリスクを考慮し、アルスにはヴェステアの精鋭を連れて行かせている。ヴェステア屈指の将であるライーザとシェイズも副将につけた。
だが、とても楽観はできない状況だ。
「……一つはっきりさせておく。今回の責は焦った俺にある。もしもアルス達が壊滅すれば、俺が責任を取る。今の言葉、文書にしておけ。とにかく、今は全力でカルルの復旧にあたるだけだ」
「了解しました。すぐに地術士の募集をかけましょう」
「全力で、全力で当たらさせていただきますッ!!」
~ファーディル近郊・アルス軍陣地
カルル峡谷崩落のニュースから一夜明け、ライーザ達はアルスのもとに集まっていた。
「昨日は眠れた?」
「そこそこな」
笑ってみせるアルスだったが、その目の下に小さいながらも隈ができているのをライーザは見逃さなかった。昨日はああ言ったが、やはり緊張していたのだろう。
「昨日も言ったとおり、この地点で決戦を挑む」
アルスが地図の一点を指差す。そこは開けた場所であり、会戦を挑むにはちょうどいい場所だ。敵も同じことを考えているだろう。
「中央はライーザ。重装歩兵二千五百。中央の縦深を厚くした弓なりの陣を敷け」
「弓なり? 本気かい?」
重装歩兵は密集させ、四角形の方陣を組むのが普通だ。中央の一点に兵力を集中させるのは、定法ではない。
「一晩中考えた案だよ。……信じてくれるか?」
「ええ。大将を信じないで戦はできないからね」
ライーザが笑った。こうなればアルスに命を預けるしかない。彼の奇策を信じるのみだ。
それに、中央は一番危険な場所。そこに抜擢してくれた以上、期待に応えねば。
「物分かりが良くて助かる。その左右には歩兵を五百ずつ。それぞれアルヴィンとファルミア、ライアスが率いろ」
「了解。随分と横長の陣になるわね」
「最後に、両翼に俺とシェイズが騎兵を率いてつく。俺はヴェステア騎兵、シェイズはブラックフェンリルを頼む」
「あいよ」
「それで、作戦だが……」
昼前。アルスが想定していた場所に、ヴェステア軍とファーディル軍が陣を張っていた。
ヴェステア軍の兵力は四千。ファーディル軍は五千。ファーディル軍は重装歩兵中心の方陣を敷いていた。ヴェステア軍はアルスの構想通りの横長の陣形。
兵力は相手のほうが多い。それに、それを率いるのは猛将グスタフ。恐怖を感じないといえば嘘になる。ここまで来て頼れるのは、自分の作戦と、それを実行してくれる配下達。
アルスは陣の中央に立ち、大声を上げた。
「諸君。知っての通り、カルル峡谷が塞がれ、俺達への補給は途絶えた。このままだと、待つのは飢え死にだ。飯が食えるから兵隊になった奴も少なくないと思う。それなのに飢え死になんて、馬鹿らしい話だ。それに、俺も飢え死にだけは嫌だ。
俺達が生き残る道。それは目の前の敵を倒し、そいつらの食い物を奪う。それしかない。
何、難しい話じゃない。俺は諸君と剣を合わせたことがあるからわかる。諸君らの勇猛さと、諸君らを率いる者の優秀さを。
そうだ、俺達は勝つべくして勝つのだッ!! 約束しよう。諸君らの子供が『父さんはファーディルで戦ったんだよ』と言えば、ああ、勇猛な戦士の息子なのだな、と思われるような戦にすることをッ!!
……さて、今は俺達にとっては逆境だ。だが、竜が空高く飛べるのはどうしてだと思う?」
アルスは剣を抜き、高く掲げる。
「それは、すさまじいまでの空気の抵抗に打ち勝っているからだッ!!!」
直後、アルスを歓声が包んだ。士気は高い。やれる。
演説を終えたアルスを指揮官達が囲む。
「良かったよ、アルス」
「あたしの台詞を真似しないで欲しいわねっ」
ファルミアが頬を膨らませた。
「いや、悪い。……お前ら、これに勝ったら、昨日俺から巻き上げた金を返してもらうからな」
「やれやれ、小さい男だねぇ」
「そっすよ。そんな約束、受け入れられるわけないじゃないすか」
「何?」
「俺達は勝つんでしょ? そんな、アルスさんが得することがわかりきってる約束、受けられませんって」
ライアスの言葉に、アルスは笑い声をあげる。
「生意気言うじゃねーか! 確かにそうだな!」
アルスはライアスの背中を叩き、ファーディル軍を睨む。腹は決まった。あとはベストを尽くすだけだ。
「いいか、こうなればユリウスの旦那が来る前に終わらせてやろうぜ!」
「新生ブラックフェンリルの出番が早速来たねぇ。やろうかい」
「あたしの台詞を使われたんだもん、勝ってもらわなきゃね」
「行くぜ、お前ら。配置につけッ!!」
「ファーディル軍、前進開始ッ! ヴェステアの小僧どもを黙らせるぞッ!」
先に動き出したのはグスタフであった。重装歩兵の一糸乱れぬ行進。壁が迫ってくるような、見事な密集方陣。
それを迎え撃つのはライーザ。兵力に差があるものの、その湾曲した陣形により、グスタフの攻撃を巧みに受け流していた。ファランクスは綺麗な四角形を組んでこそ、その実力を発揮する。故に、攻撃対象が湾曲していると、突出した一点にしか攻撃をかけられない。アルスの奇策であった湾曲した陣形は、相手の攻撃力を減じていた。
「小細工を弄しおって!! 所詮は小勢、押し潰せッ!!」
だが、さすがは猛将グスタフが率いる軍である。たちまちライーザの部隊を押し込んでいく。ライーザもまた、踏みとどまることをしなかった。土地を相手に譲りながら、徐々に後退していく。湾曲した陣形が直線に近付いていった。
一方、その両翼では、アルスとシェイズが率いる騎兵がファーディル騎兵を追い回していた。一般的にナディア帝国の騎兵は弱体であり、ブラックフェンリルの敵ではない。そして、ブラックフェンリルに鍛えられたヴェステア騎兵の敵でもなかった。左翼のファーディル騎兵はアルスによって壊走。アルスは追撃を行わず、右翼のシェイズの増援に向かった。
中央。ライーザ隊が直線となったことにより、その攻撃力をフルに発揮できるようになったグスタフ隊の猛攻が始まる。ライーザ隊は徐々に押し込まれ、最初とは逆方向に湾曲を始めた。突破の予兆である、嫌な形に。
「しぶとい……。実に良く耐える! 敵ながら天晴れよ!」
グスタフが感嘆の声を漏らすほど、ライーザはよく耐えていた。ここを突破すれば、中央突破となり、敵の戦列は崩壊するだろう。左翼の騎兵が崩壊した今、急がねば騎兵による包囲を受ける。
「こらえろ!! この戦は私達にかかっている!! 私達が崩れれば、負けだッ!!」
ライーザ隊はあと一歩を踏みとどまっている。ライーザへの信頼。そして、自分達がヴェステア軍の根幹を担っているという誇りによって。
グスタフの焦りを体現するかのように、ファランクスが乱れ始めた。
「今よッ!! アルヴィンに合図、前進開始ッ!!」
ファルミアはその機を逃さなかった。合図の火矢を上げると同時に前進を始める。狙うはファーディル軍の脇腹。少し遅れ、アルヴィンも前進を始めた。包囲機動の開始である。
そして、その動きに気づかないほど、グスタフは猪武者ではなかった。このままでは両翼から攻撃を受ける。ファランクスは側面からの攻撃に弱く、包囲を成功させれば大きな被害を受けるだろう。
だが、グスタフはライーザ隊への攻撃を止めなかった。ライーザ隊は崩壊寸前なのだ。今更攻撃目標を変えれば、ライーザ隊が息を吹き返す。
ライーザが崩れるのが先か、ファルミア達が包囲するのが先か。
グスタフとライーザ、互いの指揮官の意地の張り合いは、ライーザに軍配が上がった。彼女は崩れなかった。そして、ファルミア達が両翼に攻撃をかける。少しずつだが、ファーディル軍の陣形が崩されていく。
ヴェステア軍の包囲は成功した。
「……ファルミアとアルヴィンは間に合ったか! よし、連中は囲まれた! ここからは反撃の時間だ!!」
ライーザ隊も前進を開始。グスタフは三方向から攻撃を受けることになった。
こうなれば、いくら数で勝る上に優秀な指揮官を得ているとはいえ、ファーディル軍の劣勢は決定付けられる。
間が悪いことに、ここでファーディル軍右翼の騎兵が壊走した。アルスとシェイズは合流、そのままファーディル軍の背後に突撃をかける。
完全な二重包囲の成立であった。
ここからは、戦闘というよりは殺戮であった。
四方を敵に囲まれたファーディル軍は、野菜の皮を剥くかのように外側の者から殺されていった。
たちまち築かれる屍の山。グスタフは混乱に紛れて脱出に成功したものの、ファーディル軍は全滅といっていいほどの損害を受けた。
最後のファーディル兵が抵抗を止めたとき、アルスは完璧な勝利を手にしたのであった。
その日の夕方。
「……まさか、本当に勝っちまうとはねぇ」
シェイズが感嘆のため息を漏らした。アルスの作戦を聞いた時点では、ここまで上手くいくとは思っていなかった。
歩兵による誘引と騎兵による迂回攻撃。窮地に追い込まれたアルスが考え付いた奇策であった。なお、有力な騎兵を有する北方のハイランド帝国では度々行われてきた戦術であるが、アルスはそれを知らない。
「グスタフは逃したが、この一勝で十分だ。これで連中は当分動けないだろうし、連中が置いていった物資も手に入った。これでカルルの復旧まで持つだろ」
「あそこまで攻められたときは本当に死ぬかと思ったけどね」
「殊勲賞は間違いなくライーザさんですよ。僕だったら、間違いなく崩れてました」
「だねぇ。さすがは黒後家」
「よせ。照れるだろ」
ライーザがはにかみながら、髪の下にある左眼をかく。
「まぁ、俺達を抑えた経験があるんだ。これぐらいはやってもらわねぇとな。……だが」
アルスがライーザの手を握った。
「よくやってくれた。この勝利はライーザのおかげだ」
「……ありがと。でもね、この作戦を立てたアルスも立派だよ。それに、私を助けてくれたファルミアやアルヴィン。最後に決めてくれたシェイズも立派。そして、最後まで頑張ってくれた兵士達も立派」
ライーザの顔は誇らしくも照れ臭そうだった。
「旦那にはきっちり報告しとくから、褒美を期待してくれていいぞ」
「そいつは楽しみだ」
「アルス、あんたは博打に運を使わない方がよさそうだね。こういうときのために取っておいてもらわないと」
「おい。ってことは俺は小銭を失い続けるのかよ?」
「やらない、って選択肢はないんですね」
アルヴィンが苦笑した。
「ところで、ファルミアとライアスは?」
「ライアスは今回が初陣なんですよ。色々と思うところがあるんでしょう」
「なるほど。まぁ、祝勝会には呼んでくれ。あの二人もよくやってくれたからな」
「祝勝会やるのかい?」
「羽目を外さない程度にな」
「話の分かる大将だこと」
ライアスは一人、戦場の方向を眺めていた。
今頃は近所の住民が死体から鎧なんかを剥ぎ取っているのだろう。そして、夜になれば魔物や獣が死体を食い荒らす。あの凄惨な戦場も、しばらくすれば綺麗になるだろう。戦闘というのはそういうものだと聞いている。
必死だった。必死に剣を振るい、勝利のために戦った。
その結果があの屍の山か。
「どうしたのよ。元気ないじゃない」
「……ファルミアさんすか」
「まさか、罪悪感に襲われてる?」
「……まさか」
そうだ。自分がここにいるのは、有名になるため。自分を捨てたあの男を見返してやるため。ここで歩みを止めるわけにはいかないのだ。
「うん。その意気よ。あなたはまだ、あたしのおまけかもしれない。だけど、あたしがあなたのおまけになるぐらいには成長してもらわないとね」
ファルミアがくすくすと笑う。
「それを手伝うのが、あたしにできる、あなたへの恩返し」
ファルミアは笑って、ライアスの隣に座った。
「祝勝会まで、しばらくこうしてるわ」
「俺は立ちっぱなしですか?」
「そうね。そっちのほうが絵になるでしょ?」
「そんな理由で俺は立ちっぱなしとか、勘弁してくださいよ」
ライアスがファルミアの頭をはたくと、彼女は目を細めた。
「ふゥーん、面白いことになったわねェ」
死体を荷車に積む無表情な男達を眺めながら、黒髪の女はくすりと笑った。
「フィツールはしばらく荒れそうね。好都合だわ。稼げるときに稼がないと、ね」
荷車に積み重なった死体。ほとんどが装備を剥がれており、全裸だったり肌着だけだったり。だが、この女にとっては、そちらのほうが好都合だった。
「男ばっか、ってのがちょっとアレだけどね。まぁ、部品にはなるか」
女はいくつもの荷車を眺めると、満足そうに笑うのだった。