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彼の剣と彼女のペン  作者: あびす
第四部・狼の本領
18/22

#14

~ファーディル・領主室




 ファーディルの領主室には、二人の男が居た。一人は浅黒い肌をした壮年の男。その体格はがっちりとしており、顎を覆う髭と併せ、どこか無骨な印象を与えてくれる。彼は新たにファーディル領主となったグスタフ・シュタイナーである。血筋が重視されるナディア帝国では珍しい、たたき上げの将軍だ。

「アレン殿、お役目、ご苦労だった」

「いえ。グスタフ殿も、この大変な時期に」

 もう一人の男は、線の細い初老の紳士。その銀色の髪は艶を失っており、目元・口元には皺が刻まれている。それでもその顔立ちは整っており、かつての美貌を思い起こさせる。リーンの父であり、ファーディル領主を務めていたアレン・アマセネル。

「反乱軍はファキオ殿を破ったと聞きます。そのような相手では、私では力不足でしょう」

 アレンが苦笑した。彼は軍人というよりは官僚である。企画力と実行力には長けているが、軍を率いての戦績は平凡なものだ。それは息子であるリーンもよく似ている。

「しかし、アレン殿。ご子息は……」

「……あれが導いた結論です。私があれこれ指図できるほど、あれは子供ではありませんよ」

 反乱軍に荷担するということは、本人から相談があった。そして、自分も協力しないか、という誘いも。本人の自由にさせ、アレン自身の参加は断ったのだが、誘いがあったという事実だけで十分だろう。火のないところに煙は立たない。己が受けている讒言の火元がリーンだということは知っている。まったく、親不孝な息子だ。

「孫に会えぬのは些か寂しくもありますがな」

「違いないですな」

 アレンが笑い、グスタフもつられて笑った。

「ところで、兵力のほうは」

「一線級の兵力は六千弱。残り千人は新兵です。計算には入れられませんな」

「やはり、ずいぶんと少ない」

「三千ほど、『竜の背』に持って行かれましてな」

 フィツール反乱軍が蜂起する少し前に、大陸中央部の山脈「竜の背」にある都市国家群が、宗主国であるナディア帝国に反旗を翻していたのだった。そして、フィツール反乱軍の蜂起を受け、竜の背の抵抗も激しさを増したらしい。竜の背の反乱を鎮圧するため、ナディア帝国各地から予備兵力が引き抜かれている。それはフィツール地方とて例外ではなかった。

 竜の背には豊富な鉱物資源がある。ナディア帝国本土には良質な鉱山が少ない。そのため、竜の背の戦略的価値は非常に高い。逆に、土地が豊かな訳でもなく、資源を産出するのもヴェステアだけというフィツール地方の重要性は低いものだ。

「あちらは一進一退が続いているそうだ。無理もない。あそこは大軍を用いる地形ではない」

 グスタフがため息をついた。竜の背は山岳地帯であり、兵力差を活かしにくい地形だ。

「アレン殿、辞令も届いていると思うが、今日からは私の補佐を務めていただく。これは私の方からディアス様に進言したことだ」

「わかりました。微力ながら、力を使わせていただきます」

「早速だが、反乱軍の動きは?」

「……カルル峡谷出口の見張所からの連絡が途絶えております。おそらくは、予備兵力が引き抜かれていることを知ってのことでしょう」

「ふむ、目ざとい。これはファキオが破れたのも無理のないことかもしれぬな」

 ヴェステアを奪われ、討伐軍が破れた今となっても、ナディア帝国本国の上層部は危機感を抱いていないようだ。元々フィツール戦争のときでも反対者が多かったのだから、フィツール地方への無関心は当然のことと言えるかもしれない。そうでもなければ、左遷のような形でディアスを派遣し、放置したりはしないだろう。

「城下も騒がしい。ヴェステアからの間者が蠢動しておりましてな」

 ファーディル城下にはどれだけの反乱分子が眠っているのやら。危険分子は何人も拘束しているものの、民心というのは流動的なものだ。ましてや、フィツール王国の再興というわかりやすすぎる大義。ヴェステアの間者も扇動を怠らないだろう。いつ爆発するのか、それが一番の不安点だった。

「外には反乱軍、内には不安定な民ときたか。全く、本当に面倒な時に領主になってしまったものだな」

 グスタフは苦笑した。




~ファーディル郊外・フィツール軍野営地




 ファーディル城から南。ヴェステアとの境目に、アルス率いる四千のフィツール軍が野営していた。

 数日前から雨が降っており、行軍速度は低下している。だが、こちらの進軍を隠してくれてもいる。

 カルル峡谷出口にある見張り所は問題なく落とすことができ、この調子なら牽制という目的は果たせるだろう。

 ライアスは野営地の中を歩き回っていた。雨が降っているので、傘を差して外套を羽織っている。兵卒が会釈をしてくるが、指揮官という立場には未だに慣れない。

「ライアス君自ら見回りかい?」

 声の先にはアルヴィンが居た。彼も傘を差している。彼は素人であるライアスを気にかけてくれており、何かと世話を焼いてくれる。穏やかそうな外見とは裏腹に、面倒見が良いようだ。

「あ、はい。何かしてないと落ち着かなくて……」

「働き者だね。そろそろ軍議の時間だけど、参加しなくていいのかい?」

 そういえば、指揮官が集まっての会議があるんだった。アルヴィンは呼びに来てくれたのだろうか。遅れそうなので、早足で歩く。

 会議に出ても、何か言う訳でもないのだが、話を聞くだけでも勉強になる。こんな立場になってしまった以上、少しでも知識を身につけなければ。

「あ、すみません。今から行きます」

「それにしても、毎日毎日雨だねぇ」

「そうですね。俺も何でも屋やってた頃はこんな日に荷物運びとかしてましたけど、今のほうが嫌ですね」

 アルヴィンと二人でアルスのテントに入る。他の指揮官は揃っているようで、中から声がしている。待たせてしまったか。

「アルヴィンとライアスです。入りますよ」

 中に入ると、そこにはテーブルを囲んでいるアルス達の姿があった。皆、熱心な顔でテーブルを覗きこんでいる。大柄なシェイズの影になって、テーブルの上は見えない。

「また来てねぇ!!」

 アルスが天を仰ぐ。来てないとは何のことやら。

「これでわかったよ。アルスと同じところに賭けてたら、絶対勝てない」

「やっとわかったかい。コイツが鋭いのは戦のカンだけだよ」

 どうやら賭けをやっていたようだ。急いで来て損した。

「何やってるかと思ったら、賭けですか」

「時間潰しにね。アルスったら五連敗だ」

「ファルミア、お前何か細工しただろ!?」

「ないない。根拠のない陰謀論はカッコ悪いわよ」

「それよりも、全員揃ったから始めようかい」

「勝ち逃げかよ……」

 アルスはぼやきながらも、テーブル上のサイコロをしまう。変わって地図を広げた。

「まぁまぁ、アルスさん。今度僕達がお相手しますから」

 僕達って、ひょっとして自分も含まれているのか。賭け事は嫌いではないのだが。

「その言葉忘れねぇぞ、アルヴィン。ぎゃふんと言わせてやるからな。……さて。目的のラング狭道まではあと少しだ。旦那達もそろそろ出陣する手はずだから、旦那達との合流まで陣を張って連中を牽制する。まぁ順調だな」

「これで雨さえ降ってなけりゃ最高なんだけどねぇ」

「しょうがないよ。それに、雨が降ってるからこそ、私達の進軍を隠してくれてるんだから」

「それにしても敵さんの動きも鈍いわねぇ。引き継ぎってそんなに時間がかかるものかしら?」

 雨と領主交代による引き継ぎ。それで敵の動きが鈍いのか。ひょっとしたらそれを見越しての出陣なのかもしれない。うーむ、そこまで考えるものなのか。

「きゅ、急報ですッ!!」

 伝令がテントに駆け込んできた。その表情には何か嫌な雰囲気がある。

「どうした。何があった?」

「は、はい。……か、カルル峡谷が、ここ数日の雨により……」

「氾濫でもしたのか?」

 カルル峡谷には川が流れている。ただ、そう広い川でもなく、氾濫したとしてもそこまで大事にはならないはずだ。

「……地滑りを起こしました。ヴェステアまでの道が、完全に塞がれています……」

 その情報は、テントの中を静まり返らせるのには十分だった。

「……地滑り、だと」

 ようやくアルスが声を出す。伝令は頷くことしかできなかった。

「……わかった。報告ありがとう。下がっていいぞ」

 伝令が退室し、テントの中を再び沈黙が覆う。

「……おかしいわね。いくら雨続きといっても、地滑りを起こすような雨かしら?」

「術士でもいたのかねぇ」

「バカ言わないでよ。そんな大それたことができる術士、いるわけないじゃない」

「そうだな。それだけの腕を持つ術士、ナディアにいるとは聞いていない」

「わかってるよ。例え話だ」

 術を専門に扱う術士は数が少ない。ましてや地術を専攻している者は余計にだ。戦場や工事で重宝される反面、華のない地術を専攻する者は極めて少ない。

「まずいな。カルルが使えないとなると、補給が続かねぇぞ」

 ヴェステアからファーディルに続いている道はカルル峡谷のみである。だからこそ、ヴェステアは守りやすく、攻めにも出にくい都市なのだ。

 これまでの補給はユリアナの手腕のおかげでうまくいっていた。だが、道が塞がれたとなれば話は別だ。

「復旧までどれぐらいかかるだろうか……」

「……道が塞がれるぐらいの地滑りなら、十五日はかかると思います」

 アルヴィンは治水局に勤めていたためか、こういった土木工事に詳しい。その意見を聞いて、アルスは頭を抱えた。

 手持ちの兵糧は八日分なのだ。カルル峡谷が復旧し、再び補給を受けられるようになるまでには足りない。

「兵糧が足りなくなるな……」

「一日あたりの量を減らしますか?」

「いいや。敵さんもバカじゃないわ。この情報を掴んだら、すぐにこっちを攻めに来るわよ」

「敵さんからすれば各個撃破のチャンスだからね……」

 重苦しい沈黙がテントの中を覆う。

「……仕方ない。決戦を挑む」

「は!?」

 沈黙を払ったのは、アルスの一言だった。それはこの場の雰囲気を一気に変える。

「正気か!? 敵さんの兵力は明らかにこっちよりも上だぞ!?」

「ここでじっとしてても、いずれは兵糧が尽きる。現地徴発しても雀の涙だ。なら、兵士達が元気な今に、決戦を挑み、敵さんから兵糧を奪うしかない」

「……一理あるねぇ。いずれにせよ、いつかは戦わないといけない相手だよ」

「……勝算はあるのか?」

「無いとそんなことは言わねぇよ」

 アルスが不適な笑みを浮かべた。ブラックフェンリル団長ということで、こういう逆境には慣れているのかもしれない。頼りになる。

「……確かに、今はあたし達にとっては逆境よ。だけど、竜が空高く飛べるのはどうしてだと思う?」

 ファルミアが机に足をかけ、ふんぞり返る。

「それは、すさまじい空気の抵抗を受けているからなのよ!」

「わかりにくい例えっすねそれ!」

「あいたっ」

 ファルミアをはたき、机から下ろす。まったく、こんな時に妙なことを口走るんだから。

「……そうだな。逆境だからこそやる気も出るってもんだ。……すまんが一人にしてくれ。考え事がある」

「……了解。期待してるよ」

 アルスとシェイズだけがテントに残った。外ではまだ雨が降り続いている。

「……クソッタレ。本当に忌々しい雨だね」

 ライーザが悪態をつく。

「それにしても……地滑りを起こすほどの雨じゃないんですけどね、これ……」

 確かにこれぐらいの雨ならよくあることだ。それで地滑りを起こすのなら、カルル峡谷は年から年中地滑りを起こしていないとおかしい。

「眉唾ものだけど、術士要因っていうのも捨てきれないわね……」

「……わからんことを心配してもしょうがない。今はアルスを信じるとしようか。私を追い詰めた、アルス・シュヴァイツァーをさ」

 そうだ。今はアルスを信じる他にない。ライアスはちらりとテントを振り返った。



「……さっきはああ言ったが、正直勝算なんかねぇよ」

 アルスは頬杖をつき、地図とにらめっこ。

「本当に難しいことになっちまったねぇ」

「ああ。本当についてねぇよ」

 アルスはぶつぶつと文句を言いつつも、唇の端には笑みが浮かんでいた。

「……笑ってるねぇ」

「そりゃ、武人の本懐だからな。……そうカッコつけたいとこだけどよ、これだけ面倒な要素ばかりなら、笑いしか出ねぇってもんだよ」

 アルスが連れてきている兵力は四千。戦えなくはない。傭兵から正規軍になっての初仕事がこれとは、まったくもってついていない。

「シェイズ。これで勝てたら、伝説になるか、これ」

「伝説とは言わないけど、武勇伝にはなるね」

 こちらの兵力は四千。敵の兵力はおよそ六千。

 アルスは頭を抱えながらも、紙にペンを走らせた。




~カルル峡谷




「さて。これでよし」

 雨の中、小振りの傘を差した女が居た。その目の前には、地滑りで塞がれたカルル峡谷。

「どう戦ってくれるのかしら?」

 女が懐から扇子を取り出し、口元を隠して笑う。そのどこまでも黒い、光を宿さぬ瞳で。

「まぁ、これぐらいドラマティックな展開も面白いわよね」

 女はそう呟くと、その場から姿を消した。




~ファーディル城




「お呼びでしょうか、グスタフ殿」

「おお、アレン殿。まずはこれを見て欲しい」

 アレンがグスタフに一通の文書を手渡す。

「……カルルが塞がれましたか。反乱軍の連中には気の毒な話ですな」

「ああ。だが、この機会を逃す訳にはいかん。敵の規模は四千程度。十分潰せる」

「となると、出陣、ですな」

「その通り。俺自ら、五千を率いて出陣する。アレン殿は留守をお願いする」

「わかりました。ご武運を」

 ファーディル軍が動き出す。アルス一世一代の大勝負が始まろうとしていた。

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