#13
~フィツール独立軍本拠地 ヴェステア・訓練場
兵士たちはいい具合に仕上がっていた。訓練でいい動きを見せる兵士たちの姿に、アルスは思わず目を細める。
ブラックフェンリルは今もフィツール独立軍に協力している。ウォードの意志もあるが、アルス自身がが独立軍の居心地を気に入っていることも大きい。こうして正規軍の訓練を請け負い、多くの機密に触れさせてもらえるなど、これまでになかったことだ。古参の下士官と衝突することは多々あるが、それは実力で黙らせている。面倒であるが、傭兵という立場を考えると、正規の士官から下に見られることは仕方ないことだ。
実力があれば誰でも用いる。それはユリウスの信条であり、傭兵の身である自分がこの場に居ることで、それは証明されているようだ。
「アルス、ここにいたのね」
「なんだ、レンファか。珍しいな」
書類を手にしたレンファが居た。彼女は訓練ではなく諜報関係の仕事を請け負っている。同じく傭兵である彼女がそんな仕事をしているのも、ユリウスの信条の現れか。
「ユリウスさんのお使いよ。書類持ってくついでだから、ってね」
「道理でな」
「何納得してんのよ」
「いや、お前が肉体労働の場に進んで来るとは思えねぇからな」
「そう言われるとぐうの音も出ないわね。好きでこんな汗臭い場所に来るわけないじゃない」
レンファがくすくすと笑った。彼女との付き合いは長い。彼女が肉体労働を好まないことはよく知っているし、思い知らされている。
「知ってる。で、旦那のお使いってのは?」
「伝えたいことがあるんだって。訓練やってるんなら切り上げてこっちに来てほしいって言ってたわ」
「伝えたいことねぇ。了解。じゃ、俺が旦那に呼ばれるってこと、ライーザに伝えといてくれ。多分その辺でカミナリ落としてると思う」
勿論、ブラックフェンリルだけでなく、ライーザやレオンといった正規の士官も訓練をやっている。特にライーザは鬼教官めいて厳しい。
「また使い走り? 全く、誰も彼も人使いが荒いんだから」
「悪いな。ライーザなら近所だから、すぐに終わるだろ」
「はいはい」
「はいは一度でいいだろ」
「うるさいわね。あんたがユリウスさんに呼ばれてるってことをライーザに伝えればいいんでしょ。面倒だけどやってあげるわ。感謝しなさいよ」
「はいはい」
「はいは一度でいいでしょ」
レンファはくすりと笑い、ライーザを探しにきびすを返した。自分もユリウスの所まで行かなければ。訓練用の鎧を脱いで、城に入るアルスであった。
城の中は相変わらず慌ただしい。先の戦が終わり、調達関係はひと段落したと思っていたのだが、違っていたようだ。領主室である三階の部屋に向かう。
「お、アルスさんかな。ユリウスさんが呼んではったで」
領主室の周りはメリーベルが警備しているようだ。彼女は腕は立つものの学はないらしく、自分からこの役目を買って出たらしい。なお、すらりとした長身の女性はアルスの好みであるが、そのことは隠しておこう。
「やっぱりな。見回りご苦労さん」
「ん、ありがとうな」
メリーベルが笑顔で手を振り、見回りを再会した。猫っぽい笑顔だ。猫っぽい女性はアルスの好みであるが、やっぱりそのことは隠しておこう。兵士達の中に入って訓練をしているからよく知っているが、メリーベルとカチュアは兵士達の間で人気があるのだ。下手に動けば人望を失い、今後の指揮に支障をきたすかもしれない。そこまでしようとは思わない。
領主室のドアをノックする。
「アルスだ。入るぞ」
「はい、どうぞ」
カチュアの声で扉を開ける。中にはユリウスとカチュアが居た。
「おう、わざわざ悪いな」
「何、ちょうどひと段落ついたとこですしね」
「何だ、急に敬語なんか使って。気味の悪い」
「おいおい、フィツール王国の世継ぎ様には敬語で接しなきゃならねぇだろ。……と、キルドさんから注意された」
「やっぱりな。あの人はそういうところ細かいからな。まぁみんなの前じゃ敬語で接してくれたほうがいいが、こういう場じゃ普段通りでやってくれ」
ユリウスは未だに自分の立場に慣れていないらしい。まぁ普段通りでいいと言っているのなら、気を使う必要はないか。
「あいよ。で、旦那。用ってのは何だ?」
「ああ。そのほうがいい。とりあえず座ってくれ」
ユリウスの近くの椅子に座ると、カチュアが茶を出してきた。彼女はユリウスの秘書だとか。自分もでかい口は叩けないが、あの汚い字を毎日清書していると思えば、その苦労のほどは伺い知れる。
「ご苦労さんです」
「何、急に?」
思わず頭を下げたが、カチュアは何のことかよくわかっていないようで、きょとんとした表情。代筆にも慣れきっているのだろう。
「で、アルスに伝えたいことだが」
「おう」
「近々、ファーディルに打って出る」
「城の中が忙しそうだと思ったら、そういうことか。まぁいつまでもヴェステアに居る訳にはいかねぇしな」
「レンファが調べてくれたんだが、フィツール各地の予備兵が引き抜かれているらしい。この機会を逃すわけにはいかん」
「予備兵が? それまた妙な」
ヴェミオからの討伐軍が壊滅したというのに予備兵を引き抜くほど余裕があるとは思えない。自分の首を絞めるようなものではないか。
「向こうも一枚岩じゃないってことだな。その辺はよくわからん。ただ、チャンスはチャンスだ。この機を逃さずに打って出る。ただ、全軍の用意はできんから、二手に分かれ、先に四千を牽制目的で出す」
「なるほど。それを教えてくれたってか」
「で、だ。お前には頼みたいことがある」
「頼みたいこと? この様子だと面倒事みたいだな」
「何、簡単なことだよ。次の戦、総大将を頼む」
「なるほど、大将ねぇ。……大将ッ!?」
突然のことに、アルスは飲んでいた茶を噴き出しかける。カチュアの前、なんとかこらえたが、それでも驚きは大きい。傭兵の身である自分が全軍を率いるなど。
「副将にはライーザ、それにシェイズをつける。あと、ファルミアコンビとアルヴィンもだな。俺とレオン、それにアルフレッドは後から向かう」
「あ、ああ。ライーザをつけてくれるのはありがたい。でも、なんで俺が?」
「知れたことだよ。お前が一番戦が巧い。それだけの理由だ」
「また高く買ってくれるじゃねぇか」
実力を買ってくれるのはありがたい。だが、ライーザやレオンといった正規の士官を差し置いて大将をやるというのはいささか気が引ける。
「なんだ、遠慮してるのか。ずいぶんと奥ゆかしいことだな」
「遠慮してるっていうか、びっくりしてるんだよ。生まれてこの方、正規軍の大将なんかやったことがねぇしな」
「何、じきに慣れるさ」
「まだ世継ぎの立場に慣れてない奴に言われても説得力ねぇって」
「そりゃすまん。敵さんの指揮官はグスタフ。名前は聞いたことがあるだろ?」
「ああ。っていうか、ファーディルの領主はアレンじゃなかったのか?」
「つい最近交代したそうだ。引継ぎやってるっていうのもチャンスに成り得る」
「なるほど。グスタフっていうと、噂どおりなら厄介だな」
グスタフ・シュタイナー。かつてのフィツール戦争で活躍し、それ以降もハイランドとの小競り合いで武名を上げた、たたき上げの軍人である。ナディア帝国中部の砂漠地帯の領主をやっていたが、この反乱に併せてフィツール地方に呼び戻されたそうだ。
一方のアレンはリーンの父。かつてフィツール王国に仕えていたが、フィツール王国滅亡後は隠遁していた。だが、フィツール公ディアスの執拗な招きに折れ、結局のところ重用されている。息子であるリーンが反乱軍に参加したため、いわれのない讒言の対象となっており、ディアスはそれを嫌ったのだろう。その讒言もリーンの手回しによるものである。理想のためなら己の親をも謀略にかけるリーンの信念はたいしたものだ。
「おいおい、余裕とぐらい言ってくれよ」
「自分の実力は自分が一番わかってるって」
「そうだな。俺が同じ立場でも同じこと言ってるよ」
二人は互いに笑い、茶を口に含んだ。
「大将任されたからにゃ、結果を出さなきゃな。やれと言われたらやるのがブラックフェンリル魂だ」
「心強いお言葉だ」
「で、大将やるからにゃ、一つお願いをしてもいいか?」
いつかは頼もうと思っていたことだが、今回で確定した。いい機会だ。この状況なら聞いてくれるだろう。
「何だ? 可能な限り聞くが」
「俺達ブラックフェンリルを、旦那直属の正規軍にして欲しい」
仕事をするうえで、傭兵という立場にやり辛さを感じていた。そして、ユリウスのためなら、傭兵という気楽な立場を捨ててもいいと思った。正規軍の士官を差し置いてまで、自分を大将に任命してくれたのだから。
「何だ、そんなことか」
「そんなこととは何だ」
「いや、カチュアを嫁にくれとか、そんな感じの即答しにくいことかと思ってた」
「急に巻き込まないでよ!?」
文書の整理をしていたカチュアの手が止まる。仕事の邪魔だな、これ。
「大丈夫、カチュアちゃんはタイプじゃないから」
「それを面と向かって言うかな!?」
カチュアはとても可愛いと思うが、生憎のところ、アルスは背が高い女性が好みである。カチュアよりはメリーベルのほうが好みなのだ。
「それなら願ったり叶ったりだ。文書にもしてやる」
ユリウスがカチュアに目配せし、カチュアはぼやきながらもペンを走らせた。
「しかし、どういう風の吹き回しだ?」
「何、仕事がやり辛くてな」
実力を買ってくれたから、ということを面と向かって言うのはちょっと恥ずかしい。
「なるほど。熱心なのはいいことだ。じゃあ、これからもよろしく頼む」
「ああ。こちらこそ」
ユリウスは立ち上がり、アルスと堅い握手を交わした。
~夕方・ヴェステア城 兵舎
兵舎にはブラックフェンリルが集結していた。その数、およそ三百人。
「全員、集まったな」
「なんだい急に。もったいぶって」
「今日付けで儂等ブラックフェンリルは、正式にユリウス殿の配下となった」
ウォードが辞令を広げた。カチュアの書いた綺麗な文章と、ユリウスの書いた汚いサイン。
「急な話ですまない。従えない者は去ってもらって構わん」
「……別に、ここに残ることに異論はないよ。だけど、少しは相談して欲しかったねぇ」
「儂も相談は受けておらん。全てアルスの独断だ」
「急に決めてすまないとは思ってるよ。だけどな、今のままじゃ仕事もやりにくいだろ? 特にシェイズ、お前はな」
「まぁ、確かにねぇ」
ブラックフェンリルは傭兵という立場上、侮られることも少なくない。シェイズはあまり気の長いほうではないので、いつ乱闘沙汰に発展してもおかしくなかった。それはアルスも同じである。
「ユリウスの旦那は俺達を買ってくれている。次の戦でも、俺は総大将を頼まれたし、俺達ブラックフェンリルは主力とまで言われた」
「……まぁ、実力を買ってくれたのなら、それ相応のサービスはしなきゃねぇ。そんなユリウスさんのために戦おうかね」
「……俺はカチュアちゃんのために戦うし……」
誰かが呟いた一言。
「おい、それは聞き捨てならねぇ。カチュアちゃんは俺の嫁だぞ」
「落ち着けよ。カチュアちゃんなら俺の隣で寝てたよ」
それをきっかけに、寂しい男達の妄想が噴き出る。カチュア、メリーベル、ライーザ、ファルミア、ユリアナ……。
確かにヴェステアには美人が多く、放っておけば延々と続きそうな議論だったが、それはレンファの扇子が立てた音によって中断された。
「あんた達、馬鹿すぎ。アルス、何か言ってやりなさいよ」
「そうだな。俺はメリーベルが好み……」
「こンの、馬鹿の親玉がァッ!」
「痛ァッ!?」
レンファの扇子がアルスの頬に直撃した。乾いたいい音が響く。
「……沈黙は金、だねぇ……」
「シェイズは何もないわよね?」
「……うん。何もない。大丈夫だよ」
レンファの凄みの利いた視線を受け、シェイズは手を挙げた。何か言いたそうにしていたが、アルスの惨状を見て、それは引っ込んだようだ。
「それにしても、正規軍、ねぇ」
「レンファは不満なのか?」
「いや。私も正規軍扱いしてもらったほうがやりやすくていいわ。ただ、これで足抜けできなくなった、ってこと」
傭兵の身でありながら、その才能を買われ、諜報関係に携わっていたレンファとしても、正規軍扱いされたほうがやりやすいのであろう。彼女も熱心に仕事をしているのだ。
傭兵の身であれば、不利になれば逃げ出すことも難しくない。不利になれば見限る。それが傭兵であり、正規軍から見下されている要因である。いくらブラックフェンリルが依頼主を裏切らぬといっても、結局の所は十把一絡げにされるのだ。
「元から足抜けするつもりはねぇよ。なぁ、親父」
「ああ。この機を逃せば、フィツールの再興は叶わぬかもしれん」
「はいはい。まぁ、昔の人も言ってたものね。士は己を知る者のために死ぬ、って」
レンファがくすくすと笑った。そして、席を立った者は居ない。それはユリウスへの感謝なのか、それともアルスやウォードへの信頼からなのか。
どちらにせよ、ブラックフェンリルが残らず正規軍に編入される。それは事実だ。
「死にはしねぇよ。じゃあ、新生ブラックフェンリル、次の戦じゃ大暴れしてやろうぜ!」
アルスの声で、ブラックフェンリルは拳を突き上げた。
~カチュアの部屋
カチュアは頬杖をついていた。憂鬱そうにため息をつく。
ユリウスが反乱を起こしてからしばらくして、ヴェステア城に住まいを移していた。広い部屋は未だに慣れない。貧乏人の悲しいところだ。
「どないしたん、ため息とかついて。幸せが逃げてまうで」
メリーベルがカチュアの背中をぽんと叩く。彼女はカチュアと同じ部屋に暮らしている。広い部屋は慣れない、そんな理由で。まぁ、断る理由もないし、メリーベルと一緒にいるのは楽しいし。
「ん、あたし、魅力ないのかな、って」
昼間のアルスの一言を引きずっているカチュアであった。どうやら自分の人気については知らないらしい。世の中には知らないほうがいいこともあるので、それはそれで。
「急に何言いよるん。カチュアちゃんは魅力の塊やんかー」
「そ、そうかな……」
「せやで。かわええし、頭もええし、料理も上手いしな。魅力ないとか言うた奴は女を見る目ないわー」
メリーベルがカチュアを慰めるかのように頭を撫でる。
「ウチが男なら、放っとかへんで?」
「え、いや、その……」
メリーベルの妖艶な目つきを受け、あからさまに慌てだすカチュア。
「もう、照れとるん? ちょっとからかっただけやのに、かわええなー!」
こらえきれなくなったのか、メリーベルは普段の表情に戻り、カチュアに抱きついた。
「わ、ちょ、ちょっと!!」
「おーい、カチュア。これ清書……」
ユリウスがノックもせずに扉を開けた。普段はノックをするのだが、メリーベルとのじゃれ合いの声が廊下に漏れていたので、いつも通りと判断してノックをしなかったのだろう。彼は部屋の中の様子を見て、気まずそうな表情を浮かべる。
「……失礼しました。ごゆっくり」
「え、いや、誤解やー!!」
「書くから書くから、むしろ書かせて!」
カチュアとメリーベルは慌ててユリウスを追いかけた。その声は静かな城内によく響く。
「本当に、賑やかなこと」
その様子を横目で眺めていたレンファが苦笑する。
己の判断は間違っていないはず。そうひとりごちて。