#12.5
~ナディア帝国・セルフォナ 領主室
セルフォナ領主、ヨゼフ・マコーネルはここ最近、ずいぶんと不機嫌であった。
その理由はただ一つ。
親友と呼んでも差し支えない存在、ユリウスが反乱を起こした。
フィツール公ディアスの統治が安定してきた矢先だというのに、道理の合わぬ反乱が起きた。しかも、それを引き起こしたのは親友。嫌な思いをしないのは無理な相談になろう。
ヨゼフは道理の合わぬことを嫌う。感情だけで動く反乱など、以ての外だ。野望。保身。そして身勝手な理想。それでどれだけの血が流され、どれだけの富が失われるというのか。
大義名分など、挙兵や戦の口実でしかないというのに。
「ヨゼフ様、書類と資料、お持ちしました」
領主室のドアが開けられ、少年兵が大量の書類と資料を抱えて入ってくる。彼の名はリオン。ヨゼフが着任して少しした頃に、城で働きたいと城門の前に座り込んでいた。それを面白く思ったヨゼフは、リオンを従者として雇うことにしたのである。
「ああ、悪いな。そこに置いといてくれ」
ヨゼフは几帳面な性格であり、机の周りは片付いている。基本的にやりっぱなしであるユリウスとは対照的だ。
「はい。……よいしょ。ヨゼフ様、これ全部読むんですか?」
「当然。それも領主の仕事だよ」
あからさまに顔をしかめるリオンに苦笑しつつ、読みかけの本に栞を挟む。リオンの手前、少し格好付けてみたものの、どうでもよさそうな書類は拾い読みだ。一番上の書類をめくってみると、そこには『極秘』と書かれていた。
極秘とはまた大きく出たな。その書類に目を通す。
「……何だと!?」
書類の内容は、ヨゼフに大声を出させるのに十分なものだった。ヨゼフの大声で、本棚を整理していたリオンの手が止まる。
「リオン、そこは後でいい。シュビット殿を呼んできてくれ」
「シュビット様、ですね。わかりました!」
リオンが勢いよく部屋から飛び出した。まったく、元気だけは本物だ。
一人になったところで、もう一度書類に目を通す。
「……ユリウスの奴、敵には回したくないと思ってたが……案の定……」
ヨゼフは思わず頭を抱えるのだった。
反乱軍の前に、ファキオ率いるヴェミオからの討伐軍が壊滅。その情報は、瞬く間にフィツール地方を駆け巡った。それはフィツール地方の人心を揺るがすのに十分なものだった。
そして、その情報は隣国であるブレストン帝国にも届いていた。
~ブレストン帝国・冬季首都 クリリア
ここブレストン帝国は、海を隔てた東の大陸から渡って来た者たちが建国したという一風変わった国である。かつてのフィツール王国の友好国であり、フィツール戦争後は亡命者を数多く受け入れていた。
この男、エルンスト・ギュンターもその一人である。
彼はフィツール王国最後の国王、カイオスの弟。フィツール戦争では北方のアルヴァレスをよく守っていたが、カイオスの猜疑心につけ込んだ離間の計によって、ブレストン帝国へ亡命せざるを得なくなった過去を持つ。彼の亡命と共にアルヴァレスは陥落、フィツール戦争は一気に終結へと向かったのだった。現在はブレストン帝国の皇帝であるクライド・クローシスの客将として働いている。
玉座の間。そこにはクライドが座っていた。派手好きな国民性を持つブレストン帝国らしく、部屋の中は極彩色の装飾で彩られている。
「エルンストか。どないした」
クライドがブレストン訛りで喋る。老いてこそいるものの、その眼光は未だに鋭い。
「お暇を頂きたく思いまして」
「ほう。ヴェステアのこっちゃな?」
フィツール地方南方のヴェステアで反乱が起こった。そのことはクライドの耳にも届いていた。
「何でも『カイオスの息子』って名乗っとるみたいやな。ほんまかいや?」
「ユリウスという名前が正しければ、それは確かなことです。兄の落胤であることは間違いないでしょう」
愛妻家として知られていたカイオスのただ一つの浮気が、ユリウスの母との情事だった。そうして産まれたのが、ユリウスとカチュア。そのことを知っているのはエルンストをはじめとするわずかな者のみ。国庫の状態が逼迫していたため、彼らに贅沢をさせてあげられなかった、と嘆く兄の姿をよく覚えている。
「あのクソ真面目なカイオスがなぁ」
「彼は私の甥になります。彼の力にならねばなりません」
「当てはあるんか?」
「リーゼの反乱勢力とは連絡を取っております」
リーゼはフィツール地方西部に位置する都市だ。その規模は大きく、フィツール地方の重要拠点の一つに数えられる。
「ならええわ。あんたはワシの部下やない、客や。止めることはでけん」
「では……」
「その甥っ子の力になったりぃや。餞別代わりに軍資金も分けたる」
「お心遣い、誠にありがとうございます」
「何、ワシらがフィツールから受けた恩を思えば、これぐらい屁でもないわ。ブレストン人は恩を忘れへん」
フィツール戦争の十年前。凶作による飢饉に見舞われたブレストン帝国だったが、そこに援助の手を差し伸べたのがフィツール国王カイオスであった。すでにフィツール王国の国勢は傾いていたが、それでもカイオスは資金と穀物を無償で提供したのだ。そのことを恩義に感じているブレストン人は多く、それがブレストン帝国に漂う親フィツールの雰囲気へと繋がっている。
「そうと決めたら善は急げや。早ぅ動いたほうがええで。もうすぐ遷都も始まるしな」
ブレストン帝国の本来の首都は北方のケルキウスである。だが、ケルキウスは豪雪地帯であり、冬は雪で閉ざされてしまう。そのため、秋から春にかけて南方のクリリアに遷都するという変わった風習がある。
「……ご厚意に感謝いたします」
エルンストは深く頭を下げた。
~フィツール独立軍本拠地・ヴェステア
「はい、こっちが締め切りの近いぶんね」
ユリウスの机の上には大量の書類が並んでいたが、カチュアの手によってどうにか仕分けられた。彼女は少し前からユリウスの秘書を務めていた。悪筆であり、なおかつ面倒臭がりな部分のあるユリウスの希望によるものだ。もっとも、昔からユリウスの代筆はやっていたのだが。
「それと、これは手紙。たくさん来てるよ」
「手紙?」
「そう。今日もいろんな人から届いてるよ」
先日、ファキオ率いる討伐軍を撃退してからというもの、賛同の手紙がどっと増えた。目を通すのも一苦労だ。
「ったく、現金な奴らだ。馬車に乗り遅れたくねぇのはわかるがな」
ユリウスは苦笑を浮かべながら、手紙の差出人を確認していく。
「……ファーディルからも来てるな……」
ファーディルはヴェステアの北にあり、交通の要衝でもある。次に狙うのはファーディル以外にない。
「こいつはちょいと考えて返事送らねぇとな」
「なるほど、次はファーディルに出ていくって訳?」
透き通った美声。ユリウスが顔を上げた先には、扇子を広げたレンファの姿があった。
「レンファか。いつの間に」
「ついさっき、ね。ちょっと報告しときたいことがあって。それとこれ。ついでに持ってきてあげたわ」
レンファが手紙を差し出す。その手紙には、見慣れた紋章が描かれていた。
「……双頭の竜、だと」
双頭の竜。フィツール王国の紋章である。その紋章が刻まれた印章は、フィツール王国滅亡時にほとんどが廃却され、博物館ぐらいにしか残っていないのだが、それが押されている。
なお、ユリウス達が使っている印章は、現存する文書を元に制作したレプリカである。
「差出人見てみなさい。エルンストっていったら、大物もいいところよ。リーンもびっくりしてたわ」
「エルンストっていうと、叔父貴になるか」
ユリウスは封を破り、中身に目を通す。ユリウス達の奮戦を称え、自らもブレストン帝国の力を借りて兵を起こすということが書かれていた。いつの日か共に旗を並べることを願いながら。
「さすがは叔父貴だな。準備がいい」
ユリウスは手紙をカチュアに渡す。彼女はそれを熱心に読む。秘書を頼んだときはぐずぐず言っていたのに、なんだかんだでカチュアはやる気に満ちている。
「叔父貴頼りにならねぇようにしねぇとな」
「あら、いつもと違って自信なさげじゃない」
「実績が違ぇよ。で、報告ってのは?」
「お待ちかね。密偵が持ってきた情報なんだけど、打って出るなら今よ」
「……詳しく聞こうか」
ユリウスは机に地図を広げた。
~ヴェステア・捕虜収容所
アルフレッドは今日もあぐらを組んで、目を瞑っていた。東国由来の精神集中法である。アルフレッドのルーツはブレストン帝国にあり、剣の師も東国の者であった。
「……あの、アル?」
女の声で、アルフレッドは片目を開ける。そこには少女と見紛うほどの女が居た。ヴェステアの物資管理を担当しているユリアナだ。
「……お嬢」
そして、アルフレッドとユリアナは旧知の仲であった。少年時代に師を亡くしたアルフレッドを拾ったのが、大商人であったユリアナの父なのだ。それからというもの、ユリアナの遊び相手として過ごしていたのである。ユリアナの父はアルフレッドの才を買ったのか、士官学校にも通わせてくれた。そして、今に至っている。
「これ、差し入れ。よかったら食べて。私の手作りだよ」
ユリアナが焼き菓子を格子の隙間から差し入れる。ユリアナの趣味は菓子作りであり、その腕は確かである。
「……今日、ここに来たのは他でもなくて」
「ユリウスの旦那から何か言われたんですか?」
図星だったようだ。ユリアナが何度も頷く。わかりやすい性格である。
「いつまでも強情を張ってないで、力を貸してほしい、って……」
「……別に強情を張っていた訳ではありませんが」
マルクから生かされたこの命。どう使おうか迷っていただけのことだ。
「……あの、私も、アルと一緒にお仕事したいな。昔みたいに……」
「あれはお店やさんごっこでしょう?」
昔のことを思い出し、少し笑う。ユリアナも照れ笑いを浮かべた。
「アル、ユリウスさんは、フィツールを変えようとしてる。十五年前の戦争が、もう起きないように。フィツールが滅びないように。それには、アルの力も要るの」
ユリアナの表情が真剣なものになる。この表情だと、ユリウスからの受け売りではなさそうだ。ユリアナ自身の言葉だろう。
自分はフィツールの人間ではない。だが、自分の力を必要としてくれる人が居る。
生かされたこの身だ。ならば、自分を求める人の為に働いてみるのも一興かもしれない。
「……わかりました。この牢にも飽きていたところです」
「ほんと!? よかった、ありがとう!! またアルと一緒に過ごせるんだね!」
ユリアナが小さく飛び跳ねる。その仕草は小柄な身体と合わさって、とても年相応には見えない。
「じゃあ、ユリウスさん呼んでくるね! ちょっと待ってて!」
ユリアナが小走りで去っていった。転ばないだろうか。そう思っていると、なんでもないところで少しつまずいている姿が見えた。まったく、鈍くさい。
「……マルク殿、ファキオ殿。申し訳ありませんが、私は生きます。自分を必要としてくれる人のために」
アルフレッドは目を瞑って、そう呟いた。