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彼の剣と彼女のペン  作者: あびす
第三部・謀略の網
14/22

#11

~ヴェステア・領主室




 夕方。本日最後の書類にサインを終えたユリウスは大きく背伸びをした。

「あー、やっと終わったか。今日だけでも何枚サインしたことか」

 ユリウスの字は癖の強い悪筆である。それ故に、彼にとってサインは嫌な仕事であった。

「まだまだ、ジグムンド殿に比べれば少ないほうですよ」

 書類を受け取った中年の男が微笑む。人相はあまり良くないが、笑うと意外と人懐っこい。彼はヴェステアの文官のトップである、キルド・フォーゲル。先のクーデターの際も、彼の働きによってヴェステアの混乱は最小限に抑えられた。言うならば陰の功労者である。

 もっとも、彼は「国に仕える」のではなく、「土地に仕える」といった信条を持つ男であり、フィツール再興の志に共感してユリウスに協力した訳ではない。彼はあくまで、ヴェステアを混乱させない、という己の信条に従ったまでなのだ。

「いや、やってみてわかった。ジグムンド殿は凄い」

 これは謙遜でもなんでもなく、心からの言葉である。ユリウスは元々実務が嫌いであり、何かと理由をつけては軍事関係の仕事をしていた。それが領主ともなれば、否応なしに実務の決済を済まさなければならず、嫌いだった書類仕事をやっているのだ。それ故に前任者の偉大さがわかるというものだ。若い頃は軽く見ていたのが恥ずかしい。

「それにしても、こんだけサインするのもなぁ」

「ユリウス殿はサインが一番の偽造防止ですからなぁ」

「耳の痛いことを言うなって。それよりもな、判子にしたほうが良くねぇか? ペン代もインク代もバカにならねぇし、時間の節約にもなるだろ」

「なるほど。確かに一理ありますな」

「だろ?」

 そのときだった。部屋の扉がノックされる。

「ユリウス様、面会希望者が……」

「こんな時間にか? 非常識だな、おい。まぁいい、通してくれ」

 広く人材を求めている都合上、面会は断らないようにしている。それで有益なことを得た試しはないが、数打てば当たるかもしれない。

「それが……」

「それが?」

「……セルフォナの、ヨゼフと申しておりますが」

 ヨゼフ。かつての友人。一緒に馬鹿をやり、助け合い、出世を競い合った仲。そして、今では敵同士。

「……ああ。通してくれ」

「……ご友人ですな。私は下がりましょう。積もる話もおありでしょうし」

「悪いな、気を遣わせて」

 キルドは一礼してから退室する。その際に衛兵へ目配せしたのをユリウスは見落とさなかった。おそらく、万が一を警戒して、部屋の外に衛兵を集めておくのだろう。ヨゼフに限って闇討ちはないと思うが、心配して損はない。

 少しして、ヨゼフが入ってきた。腰に剣は帯びていない。

「ユリウス、久しぶりだな」

「ああ。その様子だと、お前も元気そうだ」

 ヨゼフの様子は奇抜な髪型に派手な衣装と、昔と変わらず。領主になったことで少しは落ち着くと思っていたが、そうでもないようだ。

「カチュアから聞いたよ。俺が出陣してる間に来たんだって?」

「ああ。自慢してやろうと思ったけどよ、すぐに立場を抜かれちまったな」

 ヨゼフが皮肉っぽく笑い、ユリウスの目の前に座った。

「……今日来たのは、セルフォナ領主ではなく、ヨゼフ個人としてだ」

「ああ。ということは、耳の痛い話になりそうだな」

「ユリウス。お前は、いや、お前らは、何故、反乱を起こした?」

 ヨゼフの言葉は淡々としているようで、端々に感情が込められていた。

「ディアス様が悪政をしたか? お前達を弾圧したか? お前がやっていることは、このフィツールという土地の富と民を食いつぶしているだけじゃないのか!?」

 ヨゼフの口調が少しずつ激しくなる。

「この状況で、フィツール王国を再興したところで何になる!? お前達に道理はないだろうがッ!! 食いつぶした富と民、踏み荒らした土地の上に築く玉座に、何の価値があるってんだよ!!」

 ヨゼフの問い。それは、かつて自分が抱いた疑問と同じだ。この野望を抱いてから、幾度となく自問自答してきたこと。

 そして、答えはもう出ている。

「……ヨゼフ、お前の言っていることに間違いはない」

「それがわかってんなら、なんでだよッ!!」

 ヨゼフが机を叩いた。純粋な憤りのようだ。友人が、道理の合わぬ反乱を起こそうとしているのだから。

「……ディアス様は確かにフィツールを復興させた。そして、俺達を取り立ててくれた。だが、もしもディアス様が失脚されたら、俺達はどうなる?」

「……それは」

 ディアスが目指している国家の形は、ナディア帝国上層部が思い描いている形と大きく食い違っていた。それ故に、多くの敵を抱えている。フィツール戦争最大の功労者という功績があるうちは、彼の足下も安泰だろう。だが、その記憶が薄れれば。

 そして、重臣ヤコブの息子であるヨゼフはともかく、ユリウスやライーザ、レオンといった士官学校の出身者は、本国からは良く思われていない。実際、ナディア帝国本土に派遣された者は、どれだけ有能であろうと冷遇されていた。

 もしもディアスが失脚し、フィツール公が変われば、ユリウス達はどうなるか。それは誰にもわからないが、少なくとも良くなることはないだろう。

 そして、ディアスが変えたこの国の形も、大きく変わるだろう。

「俺は、ディアス様が本国に反旗を翻していたら、迷うことなく参加していたさ。だけどそれは、叶いそうにない。なら、俺達が、この国の形を作り上げるだけだ」

「……それだけ聞いてると、我が身可愛さとしか思えないがな?」

「そうだよ。フィツールは、今のままじゃ強くなれない」

「そんなことで、お前はッ……!」

「俺は、フィツールを強くしたいんだ。もう誰からも攻められることもなく、誰の下につくこともない、そんな強い国にな」

 フィツール戦争の頃、ユリウスは子供であった。だが、それでも蹂躙される国土の姿は脳裏に焼き付いているし、許すこともできなかった。

 それはユリウスだけでなく、彼と同年代の者のほとんどが抱いていることだった。

 フィツール王国への愛国心。それは、ナディア帝国本土の出身であり、父の赴任に従ってフィツールに移住してきたヨゼフには理解できないことであった。

「そして、俺は、勉強すればするほど、なんで父が亡国の君主にならなきゃならなかったのか、わからなくなってきた」

 個人的にカイオスを尊敬するディアスは、彼の統治方針をそのまま引き継いでいた。フィツール戦争後の混乱が少なかったのは、ディアスの手腕もあるが、カイオスの方針をそのまま引き継いだことも大きい。

 それゆえに、士官学校でカイオスの功績を教育していた。それも、高く評価して。

 それは、曖昧であったフィツール戦争の大義を、さらに曖昧にした。そして、密かな反骨心を植え付けた。過去の理不尽な侵略への反骨心を。

「……父は間違えていたのか。俺は、それを知りたい。そして、フィツールの旗を、再び地図に載せたい」

「……それが、お前の戦う理由か」

「ああ。……何と言われても構わん」

 しばらくの間、領主室を沈黙が包む。

「……わからねぇよ。反乱を起こす理由が、俺にはどうしてもわからねぇ」

 フィツールは今のままでも十分である。だがその繁栄は、侵略者によってもたらされた。

 それが我慢ならない者の気持ち。それは、移住者であり、リアリストであるヨゼフには、到底理解できないことであった。

「理屈じゃない。感情だよ。そして、それを抱いてるのは、少なくない」

「知ってる。現に、ヴェステアが落ちてんだからな」

 ヨゼフは立ち上がると、どこか寂しそうな表情でユリウスを睨み付けた。

「話してくれてありがとよ。……色々、吹っ切れたよ」

「こっちこそな。理解してくれては、なさそうだけどな」

「当然だ。反乱は、秩序を乱す、許されないものだからな」

 ヨゼフは領主室の出口に向かい、ユリウスに背を向けたまま、一言だけ呟いた。

「……次に会う時は、戦場だな」

「……ああ。元気でな」

「お前もな。……カチュアちゃんに、よろしく言っといてくれ」



 ようやく決心がついた。我ながら情けないことだ。

 ヨゼフは廊下に控えていた衛兵の前を通りつつ、ため息をついた。

 ユリウスはしっかりした理由を持っている。それは理屈ではなく、感情的なものであった。

 ナディア帝国にはフィツールを侵略したという事実がある。それは、ユリウスをはじめとした、多くのフィツール人に屈辱を与えていたのだろう。

 それがどれほどのものか、ヨゼフは知る術を持たない。だが、決して小さくはないのだろう。

 どれだけ戦後統治が上手くとも、この問題は避けられないものだろうか。

 そもそも、この地を得たことに、何か意味があったのだろうか。

 先の戦争で流された血に似合う代償は、ナディア帝国にもたらされたのだろうか。

 そして、この反乱が鎮圧された時に、何が変わるのだろうか。

 ヨゼフはいくつもの疑問を抱くものの、頭を振った。

 自分は軍人である。今の自分にできることは、祖国に仇なす者を打ち砕くことだ。疑問は戦の後に置くのが軍人というものだろう。

 ヨゼフは一度だけ領主室に振り返ると、従者を連れて、ヴェステア城を後にした。




~五日後




 討伐軍、ヴェステアへの入り口であるカルル峡谷に到達。

 そのニュースがもたらされた直後、ヴェステアの士官は大広間に集められていた。そこにユリウスが現れる。彼の姿を見たことで、周囲のざわめきは収まった。

「諸君、ご苦労。聞いているとは思うが、ヴェミオの敵軍がカルル峡谷にさしかかった。その数はおよそ四千。それに対し、我が軍は……」

 籠城。その言葉は城下町中の噂となっていた。ここぞとばかりに食料を買い占める者もおり、小さなパニックも起こっている。

 だが、ユリウスが発したのは、別の言葉だった。

「カルル峡谷出口で迎撃を行う!」

 その瞬間、武官の間で歓声が起こる。それはリーンの咳払いで静まった。

「先鋒はアルスとシェイズ。ブラックフェンリル及びヴェステア騎兵を率いて奇襲をかけよ! その後は合図まで遊軍化、状況に応じてからかってやれ!」

「了解した!」

「腕が鳴るねぇ。せいぜい歓迎してやろうかい」

「本軍は俺自ら率いる! 兵力は三千! ただちに出陣準備にかかれ!」

 大広間は一気にざわつきだし、士官達は己の仕事を全うすべく退室していく。その中にはマシェスの姿もあった。

「……マシェスは少し待て」

「……」

「聞こえなかったのか?」

 マシェスが足を止め、ユリウスの方に振り返った。大広間に残るのはユリウスとマシェスのみ。

「偽りの報告、ご苦労だったな」

「……はて、何のことやら」

「しらばっくれるな。レンファ」

 レンファが一人の男を連れて入室する。その男を見た瞬間、マシェスの顔色が変わった。

「その様子だと、この男に見覚えがあるようだな」

「……何時からだ?」

 マシェスは諦めに似た表情を浮かべ、俯きながら口を開いた。

「復帰した直後だ。あの日、カチュアに会ったな? その話を聞いてから怪しいと思ってたが、レンファが調べてくれたことを聞いて確信した。おかげで随分と偽情報を送り込めた」

「もうちょっと上手い人を使うべきだったわね」

「……なるほど。僕のやったことは、無駄だったどころか、利敵行為にすぎなかったか」

 しばしの沈黙の後、マシェスは笑い声をあげた。

「なんと情けない。父の仇を討つべく、恥を忍んで獅子身中の虫になったつもりが、結局はただの利敵行為に終わったと」

「……覚悟はできているな」

 ユリウスが剣に手をかける。

「……当然。心残りが無いと言えば、嘘になるがな」

「ジグムンド殿との約束もある。お前の家族の命は保証しよう。だが、こんなことを繰り返されても困る。レグザミールに送り返すぞ」

「寛大な処置、痛み入る」

「……駆け出しの頃には世話になった。こんな別れになるのは遺憾だが……」

「ユリウス。お前の行く先、あの世から見させてもらおうか」

「……さよならだ」

 ユリウスの剣が閃き、マシェスは崩れ落ちた。

「何事ですか!」

 衛兵が駆け込んでくる。そして、マシェスの遺体を見て、言葉を失った。

「内通者だ。……ジグムンドと同じ墓に葬るよう」

「……はい」

 マシェスの遺体の処理を衛兵に任せ、広間から出る。レンファがそれに続いた。

「さて、アルス達は上手くやってくれると思う?」

「あいつらなら大丈夫さ。何せ、俺達をあれだけ苦しめたんだからな」

「あたしも苦しめた中に入ってる?」

「当然」

「光栄な話ね」

 レンファはくすくすと笑い、窓の外を見た。




~カルル峡谷入り口




 ファキオ達ヴェミオ軍はカルル峡谷入り口にさしかかっていた。カルル峡谷は左右を山に挟まれた細い道で、通り抜けるのにかかる時間はおよそ三時間。時刻は夕方であり、今からだと夜になるだろう。

「さて、ファキオ、どうするかね?」

「連中は籠城すると言っている。あまり無理をする必要もあるまい。ここで夜を明かし、明日に抜けるぞ」

「了解。アル、すぐに野営準備にかかれ」

「了解しました」

 ヴェミオ軍は野営の準備にとりかかる。彼らの間には楽勝ムードが漂っていた。ファキオ達指揮官はまだ緊張感を解いていないものの、次々と入ってくる「ヴェステア軍弱し」の情報は、兵士達を弛緩させるのに十分であった。

 だが、それは偽情報であった。

 少なくともマシェスは正しい情報を送っていたのだが、早々と間者が捕まったせいで、ヴェミオ軍には偽情報が届き続けていたのだった。そして、人は都合の良い情報を信じてしまう。


 そんなヴェミオ軍を、アルス達は丘の上から睨んでいた。野営を行う様子が手に取れる。

「おーおー、敵さんも余裕だねぇ」

 周囲は暗い。夜襲になるが、それはアルス達ブラックフェンリルの得意とするところだった。

「ま、仕方ねぇな。敵さんも運が悪かったってこった。何せ、俺達ブラックフェンリルを敵に回したんだからな」

「大した自信だねぇ。こないだ負けたばっかりだってのに」

「それとこれとは話が別だ。悪い過去は忘れるのが、楽しい人生を送るコツだぜ?」

「てめぇが貯めてきた博打のツケも忘れろってかい? そいつは勘弁して欲しいねぇ」

 シェイズの言葉で、部隊から笑い声が漏れる。

「うっせぇ。……そろそろ頃合いだな」

 アルスの顔つきが変わった。獲物を狙う、狼のものに。

「攻撃は一過性。一度敵陣を突っ切り、再度合流。そこからの指示はおいおい出す」

 アルスが得物を構える。ブラックフェンリルの名を冠する、無骨な曲刀。

「さあ、狼ども! 獲物は山ほど転がってっからな! 取り合って喧嘩するんじゃねぇぞ!」

 アルスの一声で、ブラックフェンリルとヴェステア騎兵が動き出した。

 ユリウスにとって、落とせない戦が始まった。

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