#11
~ヴェステア・領主室
夕方。本日最後の書類にサインを終えたユリウスは大きく背伸びをした。
「あー、やっと終わったか。今日だけでも何枚サインしたことか」
ユリウスの字は癖の強い悪筆である。それ故に、彼にとってサインは嫌な仕事であった。
「まだまだ、ジグムンド殿に比べれば少ないほうですよ」
書類を受け取った中年の男が微笑む。人相はあまり良くないが、笑うと意外と人懐っこい。彼はヴェステアの文官のトップである、キルド・フォーゲル。先のクーデターの際も、彼の働きによってヴェステアの混乱は最小限に抑えられた。言うならば陰の功労者である。
もっとも、彼は「国に仕える」のではなく、「土地に仕える」といった信条を持つ男であり、フィツール再興の志に共感してユリウスに協力した訳ではない。彼はあくまで、ヴェステアを混乱させない、という己の信条に従ったまでなのだ。
「いや、やってみてわかった。ジグムンド殿は凄い」
これは謙遜でもなんでもなく、心からの言葉である。ユリウスは元々実務が嫌いであり、何かと理由をつけては軍事関係の仕事をしていた。それが領主ともなれば、否応なしに実務の決済を済まさなければならず、嫌いだった書類仕事をやっているのだ。それ故に前任者の偉大さがわかるというものだ。若い頃は軽く見ていたのが恥ずかしい。
「それにしても、こんだけサインするのもなぁ」
「ユリウス殿はサインが一番の偽造防止ですからなぁ」
「耳の痛いことを言うなって。それよりもな、判子にしたほうが良くねぇか? ペン代もインク代もバカにならねぇし、時間の節約にもなるだろ」
「なるほど。確かに一理ありますな」
「だろ?」
そのときだった。部屋の扉がノックされる。
「ユリウス様、面会希望者が……」
「こんな時間にか? 非常識だな、おい。まぁいい、通してくれ」
広く人材を求めている都合上、面会は断らないようにしている。それで有益なことを得た試しはないが、数打てば当たるかもしれない。
「それが……」
「それが?」
「……セルフォナの、ヨゼフと申しておりますが」
ヨゼフ。かつての友人。一緒に馬鹿をやり、助け合い、出世を競い合った仲。そして、今では敵同士。
「……ああ。通してくれ」
「……ご友人ですな。私は下がりましょう。積もる話もおありでしょうし」
「悪いな、気を遣わせて」
キルドは一礼してから退室する。その際に衛兵へ目配せしたのをユリウスは見落とさなかった。おそらく、万が一を警戒して、部屋の外に衛兵を集めておくのだろう。ヨゼフに限って闇討ちはないと思うが、心配して損はない。
少しして、ヨゼフが入ってきた。腰に剣は帯びていない。
「ユリウス、久しぶりだな」
「ああ。その様子だと、お前も元気そうだ」
ヨゼフの様子は奇抜な髪型に派手な衣装と、昔と変わらず。領主になったことで少しは落ち着くと思っていたが、そうでもないようだ。
「カチュアから聞いたよ。俺が出陣してる間に来たんだって?」
「ああ。自慢してやろうと思ったけどよ、すぐに立場を抜かれちまったな」
ヨゼフが皮肉っぽく笑い、ユリウスの目の前に座った。
「……今日来たのは、セルフォナ領主ではなく、ヨゼフ個人としてだ」
「ああ。ということは、耳の痛い話になりそうだな」
「ユリウス。お前は、いや、お前らは、何故、反乱を起こした?」
ヨゼフの言葉は淡々としているようで、端々に感情が込められていた。
「ディアス様が悪政をしたか? お前達を弾圧したか? お前がやっていることは、このフィツールという土地の富と民を食いつぶしているだけじゃないのか!?」
ヨゼフの口調が少しずつ激しくなる。
「この状況で、フィツール王国を再興したところで何になる!? お前達に道理はないだろうがッ!! 食いつぶした富と民、踏み荒らした土地の上に築く玉座に、何の価値があるってんだよ!!」
ヨゼフの問い。それは、かつて自分が抱いた疑問と同じだ。この野望を抱いてから、幾度となく自問自答してきたこと。
そして、答えはもう出ている。
「……ヨゼフ、お前の言っていることに間違いはない」
「それがわかってんなら、なんでだよッ!!」
ヨゼフが机を叩いた。純粋な憤りのようだ。友人が、道理の合わぬ反乱を起こそうとしているのだから。
「……ディアス様は確かにフィツールを復興させた。そして、俺達を取り立ててくれた。だが、もしもディアス様が失脚されたら、俺達はどうなる?」
「……それは」
ディアスが目指している国家の形は、ナディア帝国上層部が思い描いている形と大きく食い違っていた。それ故に、多くの敵を抱えている。フィツール戦争最大の功労者という功績があるうちは、彼の足下も安泰だろう。だが、その記憶が薄れれば。
そして、重臣ヤコブの息子であるヨゼフはともかく、ユリウスやライーザ、レオンといった士官学校の出身者は、本国からは良く思われていない。実際、ナディア帝国本土に派遣された者は、どれだけ有能であろうと冷遇されていた。
もしもディアスが失脚し、フィツール公が変われば、ユリウス達はどうなるか。それは誰にもわからないが、少なくとも良くなることはないだろう。
そして、ディアスが変えたこの国の形も、大きく変わるだろう。
「俺は、ディアス様が本国に反旗を翻していたら、迷うことなく参加していたさ。だけどそれは、叶いそうにない。なら、俺達が、この国の形を作り上げるだけだ」
「……それだけ聞いてると、我が身可愛さとしか思えないがな?」
「そうだよ。フィツールは、今のままじゃ強くなれない」
「そんなことで、お前はッ……!」
「俺は、フィツールを強くしたいんだ。もう誰からも攻められることもなく、誰の下につくこともない、そんな強い国にな」
フィツール戦争の頃、ユリウスは子供であった。だが、それでも蹂躙される国土の姿は脳裏に焼き付いているし、許すこともできなかった。
それはユリウスだけでなく、彼と同年代の者のほとんどが抱いていることだった。
フィツール王国への愛国心。それは、ナディア帝国本土の出身であり、父の赴任に従ってフィツールに移住してきたヨゼフには理解できないことであった。
「そして、俺は、勉強すればするほど、なんで父が亡国の君主にならなきゃならなかったのか、わからなくなってきた」
個人的にカイオスを尊敬するディアスは、彼の統治方針をそのまま引き継いでいた。フィツール戦争後の混乱が少なかったのは、ディアスの手腕もあるが、カイオスの方針をそのまま引き継いだことも大きい。
それゆえに、士官学校でカイオスの功績を教育していた。それも、高く評価して。
それは、曖昧であったフィツール戦争の大義を、さらに曖昧にした。そして、密かな反骨心を植え付けた。過去の理不尽な侵略への反骨心を。
「……父は間違えていたのか。俺は、それを知りたい。そして、フィツールの旗を、再び地図に載せたい」
「……それが、お前の戦う理由か」
「ああ。……何と言われても構わん」
しばらくの間、領主室を沈黙が包む。
「……わからねぇよ。反乱を起こす理由が、俺にはどうしてもわからねぇ」
フィツールは今のままでも十分である。だがその繁栄は、侵略者によってもたらされた。
それが我慢ならない者の気持ち。それは、移住者であり、リアリストであるヨゼフには、到底理解できないことであった。
「理屈じゃない。感情だよ。そして、それを抱いてるのは、少なくない」
「知ってる。現に、ヴェステアが落ちてんだからな」
ヨゼフは立ち上がると、どこか寂しそうな表情でユリウスを睨み付けた。
「話してくれてありがとよ。……色々、吹っ切れたよ」
「こっちこそな。理解してくれては、なさそうだけどな」
「当然だ。反乱は、秩序を乱す、許されないものだからな」
ヨゼフは領主室の出口に向かい、ユリウスに背を向けたまま、一言だけ呟いた。
「……次に会う時は、戦場だな」
「……ああ。元気でな」
「お前もな。……カチュアちゃんに、よろしく言っといてくれ」
ようやく決心がついた。我ながら情けないことだ。
ヨゼフは廊下に控えていた衛兵の前を通りつつ、ため息をついた。
ユリウスはしっかりした理由を持っている。それは理屈ではなく、感情的なものであった。
ナディア帝国にはフィツールを侵略したという事実がある。それは、ユリウスをはじめとした、多くのフィツール人に屈辱を与えていたのだろう。
それがどれほどのものか、ヨゼフは知る術を持たない。だが、決して小さくはないのだろう。
どれだけ戦後統治が上手くとも、この問題は避けられないものだろうか。
そもそも、この地を得たことに、何か意味があったのだろうか。
先の戦争で流された血に似合う代償は、ナディア帝国にもたらされたのだろうか。
そして、この反乱が鎮圧された時に、何が変わるのだろうか。
ヨゼフはいくつもの疑問を抱くものの、頭を振った。
自分は軍人である。今の自分にできることは、祖国に仇なす者を打ち砕くことだ。疑問は戦の後に置くのが軍人というものだろう。
ヨゼフは一度だけ領主室に振り返ると、従者を連れて、ヴェステア城を後にした。
~五日後
討伐軍、ヴェステアへの入り口であるカルル峡谷に到達。
そのニュースがもたらされた直後、ヴェステアの士官は大広間に集められていた。そこにユリウスが現れる。彼の姿を見たことで、周囲のざわめきは収まった。
「諸君、ご苦労。聞いているとは思うが、ヴェミオの敵軍がカルル峡谷にさしかかった。その数はおよそ四千。それに対し、我が軍は……」
籠城。その言葉は城下町中の噂となっていた。ここぞとばかりに食料を買い占める者もおり、小さなパニックも起こっている。
だが、ユリウスが発したのは、別の言葉だった。
「カルル峡谷出口で迎撃を行う!」
その瞬間、武官の間で歓声が起こる。それはリーンの咳払いで静まった。
「先鋒はアルスとシェイズ。ブラックフェンリル及びヴェステア騎兵を率いて奇襲をかけよ! その後は合図まで遊軍化、状況に応じてからかってやれ!」
「了解した!」
「腕が鳴るねぇ。せいぜい歓迎してやろうかい」
「本軍は俺自ら率いる! 兵力は三千! ただちに出陣準備にかかれ!」
大広間は一気にざわつきだし、士官達は己の仕事を全うすべく退室していく。その中にはマシェスの姿もあった。
「……マシェスは少し待て」
「……」
「聞こえなかったのか?」
マシェスが足を止め、ユリウスの方に振り返った。大広間に残るのはユリウスとマシェスのみ。
「偽りの報告、ご苦労だったな」
「……はて、何のことやら」
「しらばっくれるな。レンファ」
レンファが一人の男を連れて入室する。その男を見た瞬間、マシェスの顔色が変わった。
「その様子だと、この男に見覚えがあるようだな」
「……何時からだ?」
マシェスは諦めに似た表情を浮かべ、俯きながら口を開いた。
「復帰した直後だ。あの日、カチュアに会ったな? その話を聞いてから怪しいと思ってたが、レンファが調べてくれたことを聞いて確信した。おかげで随分と偽情報を送り込めた」
「もうちょっと上手い人を使うべきだったわね」
「……なるほど。僕のやったことは、無駄だったどころか、利敵行為にすぎなかったか」
しばしの沈黙の後、マシェスは笑い声をあげた。
「なんと情けない。父の仇を討つべく、恥を忍んで獅子身中の虫になったつもりが、結局はただの利敵行為に終わったと」
「……覚悟はできているな」
ユリウスが剣に手をかける。
「……当然。心残りが無いと言えば、嘘になるがな」
「ジグムンド殿との約束もある。お前の家族の命は保証しよう。だが、こんなことを繰り返されても困る。レグザミールに送り返すぞ」
「寛大な処置、痛み入る」
「……駆け出しの頃には世話になった。こんな別れになるのは遺憾だが……」
「ユリウス。お前の行く先、あの世から見させてもらおうか」
「……さよならだ」
ユリウスの剣が閃き、マシェスは崩れ落ちた。
「何事ですか!」
衛兵が駆け込んでくる。そして、マシェスの遺体を見て、言葉を失った。
「内通者だ。……ジグムンドと同じ墓に葬るよう」
「……はい」
マシェスの遺体の処理を衛兵に任せ、広間から出る。レンファがそれに続いた。
「さて、アルス達は上手くやってくれると思う?」
「あいつらなら大丈夫さ。何せ、俺達をあれだけ苦しめたんだからな」
「あたしも苦しめた中に入ってる?」
「当然」
「光栄な話ね」
レンファはくすくすと笑い、窓の外を見た。
~カルル峡谷入り口
ファキオ達ヴェミオ軍はカルル峡谷入り口にさしかかっていた。カルル峡谷は左右を山に挟まれた細い道で、通り抜けるのにかかる時間はおよそ三時間。時刻は夕方であり、今からだと夜になるだろう。
「さて、ファキオ、どうするかね?」
「連中は籠城すると言っている。あまり無理をする必要もあるまい。ここで夜を明かし、明日に抜けるぞ」
「了解。アル、すぐに野営準備にかかれ」
「了解しました」
ヴェミオ軍は野営の準備にとりかかる。彼らの間には楽勝ムードが漂っていた。ファキオ達指揮官はまだ緊張感を解いていないものの、次々と入ってくる「ヴェステア軍弱し」の情報は、兵士達を弛緩させるのに十分であった。
だが、それは偽情報であった。
少なくともマシェスは正しい情報を送っていたのだが、早々と間者が捕まったせいで、ヴェミオ軍には偽情報が届き続けていたのだった。そして、人は都合の良い情報を信じてしまう。
そんなヴェミオ軍を、アルス達は丘の上から睨んでいた。野営を行う様子が手に取れる。
「おーおー、敵さんも余裕だねぇ」
周囲は暗い。夜襲になるが、それはアルス達ブラックフェンリルの得意とするところだった。
「ま、仕方ねぇな。敵さんも運が悪かったってこった。何せ、俺達ブラックフェンリルを敵に回したんだからな」
「大した自信だねぇ。こないだ負けたばっかりだってのに」
「それとこれとは話が別だ。悪い過去は忘れるのが、楽しい人生を送るコツだぜ?」
「てめぇが貯めてきた博打のツケも忘れろってかい? そいつは勘弁して欲しいねぇ」
シェイズの言葉で、部隊から笑い声が漏れる。
「うっせぇ。……そろそろ頃合いだな」
アルスの顔つきが変わった。獲物を狙う、狼のものに。
「攻撃は一過性。一度敵陣を突っ切り、再度合流。そこからの指示はおいおい出す」
アルスが得物を構える。ブラックフェンリルの名を冠する、無骨な曲刀。
「さあ、狼ども! 獲物は山ほど転がってっからな! 取り合って喧嘩するんじゃねぇぞ!」
アルスの一声で、ブラックフェンリルとヴェステア騎兵が動き出した。
ユリウスにとって、落とせない戦が始まった。