#10
~ヴェステア・領主室
仕官の翌日。ライアスとファルミアはユリウスから朝一で呼び出されていた。昨日と同じようにドアをノックする。
「ファルミアとライアスよ。入るわ」
「ああ、入れ」
ドアを開けると、中にはユリウス一人だった。
「あら、今日は『どうぞ』じゃないのね」
「昨日指摘されたからな。ファルミアの最初の進言だな」
「随分と素直なのね」
ファルミアはくすくすと笑った。ユリウスはずいぶんと頭が柔らかいらしい。
「それが取り柄だ。で、仕事だが」
ユリウスが机の中から書類を取り出した。
「ヴェミオから討伐軍が動いている。それでだ、俺達は籠城する」
「籠城?」
ファルミアの眉根が歪んだ。ヴェステアへの進入路は一カ所しかなく、しかも狭い峡谷だ。迎撃には適している。それを活かさずに籠城とは、完全に下策であろう。
いや、よく考えてみれば、これは手紙に書いていたことだ。それをユリウスが自分なりにアレンジしたと。
「籠城するには少し兵糧が不足している。そこでだ、これは『密命』になるが、『極秘に』保存食を買い付けてほしい」
ユリウスは密命という単語を妙に強調した。なるほど、そう来るか。自分の策を使ってくれるようで何よりである。
「二人ではきつい任務になるだろう。治水局にアルヴィンという男がいる。彼に応援を頼んでくれ。指示書はこれだ」
ユリウスから書類を受け取る。本文の字は綺麗だったが、ユリウス本人のサインは汚いものだった。これはそうそう真似できないだろう。
「ええ、経費はどうしたらいいかしら?」
「キルド殿には話をつけている。必要経費を出してもらっているから、後で受け取りに行ってくれ。おそらくは総務室にいると思う」
「了解」
ファルミアはゆるく敬礼し、ライアスもそれに従った。
「あー、アルヴィンさん、いるかしらー?」
治水局の中には人が少なかった。繁忙期は過ぎているようだ。
「僕がアルヴィンだが」
アルヴィンと名乗ったのは、ユリウスと同年代の男。ということは、士官学校出であろう。穏やかそうな顔つきの男だ。
「どーも。あたしはファルミア。新入りよ。こっちが相棒のライアス」
「はじめまして、ライアスです」
「それで、ご用のほうは?」
「ユリウスさんから、あたし達に協力するように指示が出てるわ。これが指示書」
アルヴィンは指示書を受け取り、目を通す。
「……なるほど、確かに。君達に協力すればいいんだろう?」
ユリウスの汚いサインは偽造防止に役立っているようだ。
「そ。貴方のお仕事は?」
「ちょうど暇な時期でね。みんなも他の部署に応援に行ってるよ」
「便利屋みたいな感じですか?」
「そうだねぇ。不本意だけど、ね」
アルヴィンは苦笑した。
「それで、内容だけど、人前じゃちょっと」
「じゃあ、個室がこっちにある」
アルヴィンに個室に案内され、扉を閉める。部屋は狭く、三人では少々窮屈だ。
「じゃあ、内容を説明するわね。今度、ヴェミオから討伐軍が派遣されたんだけど、それに対して籠城するらしいのよ」
「籠城? また妙な」
「あら、兵法もご存知で?」
「これでも士官学校の出身だからな」
予想通り。フィツール公ディアスが設置した士官学校は、軍事から実務まで教え込まれ、ハイブリッドな人材を育成することを目的としている。そのため、士官学校を卒業した人材は、人材不足にあえぐ僻地の拠点では重宝されているのだ。一方で、ナディア帝国中央に近付けば近付くほど冷遇されていく。家柄を重視するナディア帝国にあって、士官学校というものは傍流に過ぎないのだ。
「じゃあユリウスさんとも同級生だったりする?」
「ユリウス殿は一期下だ。話が脱線しているぞ」
「あはは、ごめんなさい」
「……あの、籠城が妙って、どういうことすかね?」
ライアスがおずおずと質問。
「まったくもう。いい、敵を追い払うには大雑把に二つの方法があるのよ。ぶちのめすか、守りきって諦めさせるか」
「ふむふむ」
「で、籠城して守るには、援軍の当てがない限り、時間稼ぎにしかならないわけ。あたし達の味方はほとんどいない。その状況じゃ、援軍はそうそう期待できないわ。逆に、敵さんはたくさんいる。こんな状況で守りきれると思う?」
「……なるほど、わかりました」
「ファルミアさんの言う通りだ。それに、ヴェステアは迎撃に適している。地の利はこちらにあるというのに、籠城とは解せないね」
「そうですよね。……あ、すみません。話の腰を折っちゃって」
ライアスは兵法に関しては素人だ。そんな彼を育てるのも、ファルミアの仕事だと思っている。
「構わないよ。……それで、任務の詳細は?」
「……そう。どうもね、兵糧が不足してるそうなのよ。だから、周辺住民から買い付けるのがお仕事。まぁ、いきなり『売ってくれ』じゃダメね。『城じゃ食料が不足してるから、少々譲ってほしい』みたいな感じかしら」
「……あの、ファルミアさん?」
「ファルミアさん?」
ライアスとアルヴィンの言葉が重なる。二人は少し顔を見合わせて、アルヴィンが譲るような仕草を取った。
「ユリウスさん、極秘って言ってましたよね。それなのに、食料が不足してるとか言っちゃ、籠城ってことがバレるんじゃ……?」
「ライアス君の言う通りだ。ヴェミオからということは、指揮官はファキオ殿だろう。彼は手堅い人だって聞いている。情報収集を怠るとは思えないが」
そう。それがファルミアが手紙で進言した策。多少のアレンジは加わったが、大筋は合っている。
「……ひょっとして、これ」
ライアスが気付いたようだった。
「敵さんに、『こっちは籠城する』って思わせるためなんじゃ……」
「……なるほど。一理あるな。最初から籠城すると決めつけていれば、油断の一つも生まれるだろう」
「ふふ、そういうこと」
解いてくれたか。ライアスは知識こそないが頭の回転は悪くない。ライアスとアルヴィンは顔を見合わせる。
ファルミアはくすりと笑い、呟いた。
「……それに、虫を飼っているでしょうしね」
「……なるほどな」
ユリウスは机に積まれた書類に目を通していた。机の向こうにはレンファがいる。そしてこれらの書類は、レンファが調べた成果である。レンファは東国の生まれらしく、どうも字に癖がある。
「こんな特技があったとはなぁ。人は見かけによらないもんだ」
「あら、褒め言葉かしら」
ここ数日、資料の持ち出しが増えている。それは同一人物によるものであった。そして、複数の人物が閲覧している。
「これじゃ隠し事なんかできねぇな」
「そうね。それに、あたしは一途なタイプなの。隠し事されるのは嫌だもの」
レンファは口元を扇で隠し、くすくすと笑った。
「浮気でもしたら酷い目に遭いそうだな」
「そんなことないわよ。あたしは優しい性格だもの」
「よく言うよ」
「旦那、入るぜ」
アルスがノックと共に扉を開けた。
「っと、二人っきりの時間を邪魔したか?」
「何言ってんのよ、バカ」
「あらかた話は済んでる。で、アルスの用件は?」
「ああ。一つ聞いときたいことがある」
アルスがユリウスの机に手をつく。
「城下町中の噂になってる。籠城ってのは本当なのか?」
「それはあたしも気になってたわね。籠城の是非は置いといて、これだけ機密漏れてていい訳?」
「なるほど」
ファルミア達はきっちりと仕事をこなしたようだ。ならば、次の手を打つ。それはレンファに任せるとしよう。
「兵士達の士気にも影響する。どうなんだ?」
「……アルス」
「うん?」
「騎兵の調子はどうだ?」
「ブラックフェンリルは申し分なし。ヴェステア騎兵もまぁ使い物になるだろうな」
「なら、いつでも動かせるようにしておけ」
騎兵が真価を発揮するのは野戦である。籠城するとなると、騎兵は不要とまではいかないにしろ、冷や飯を食らうのは間違いない。
「……ほほう。了解した。ユリウスの旦那を信じようかね」
~ヴェミオ軍・野営地
ファキオは届けられた文書とにらめっこをしていた。
「なんて書いてんだ?」
「やはり籠城を選択するようだ。周辺から食料を買い付けている。それに、噂も広がっているな」
ファキオは文書をアルフレッドに渡す。
「この状況で籠城なぁ。連中、びびったか?」
「籠城は下策に思えますが……。何せ、反乱が起こってからまだ間もないです。一枚岩になっているようには思えませんが……」
「まぁ、破天荒といえば破天荒だな」
「監視は引き続き行わせる。もう少し見定めるとしよう」
獅子身中の虫。
それがうまく働いてくれているのだろうか。
ファキオは一抹の不安を抱かずにはいられなかった