#9
~ヴェステア・兵糧庫
「ユリアナちゃん、こっち終わったよ」
カチュアは帳簿片手に背伸びした。兄が挙兵してからヴェステア城に引っ越し、荷解きも終わって手が空いた。何もしないという訳にもいかないので、こうして知り合いの文官の手伝いをしているのだった。
「わ、もう終わったんですか。早いですね~」
カチュアよりもさらに身長の低い、少女のような女。くすんだ癖毛気味の金髪をポニーテールにしていて、ややおっとりした雰囲気を漂わせている。だが、その手に抱えている帳簿の量はカチュアよりも多い。
ユリアナ・ライクリング。ヴェステアの物資管理を担当している。少女のような外見であるが、凄腕の実務官僚であったジグムンドの弟子であり、その実力は確かである。ジグムンドが行っていた物資管理を完全に受け継いでいるのは彼女ぐらいのものだ。
「早いって、ユリアナちゃんのほうが多く済ませてるじゃん……」
「慣れですよ、慣れ」
ユリアナが照れ笑い。身長が似ているせいかどうかはわからないが、この二人は仲が良い。
「ささ、もう一頑張りして、終わらせちゃいましょ」
「二人とも、精が出るね」
二人の前に現れたのは、ジグムンドの息子、マシェス。父がユリウスに殺されてから、喪に服すとのことでしばらく休んでいた。ユリウスはジグムンドの妻子まで殺す必要はないとのことで、彼らがどうするか、それは本人に任せていた。世話になったジグムンドへの、ユリウスなりの礼かもしれない。
「あ、マシェスさん……」
「僕がいない間、苦労をかけたね。今日から復帰するから」
「……あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫とは?」
「い、いえ、なんでもないです……」
ユリアナは気まずそうな表情を浮かべている。父を殺した相手に仕えるのだ。その心中は計り知れない。そして、彼の表情から内面を伺い知れることはできない。
ただ、マシェスは父に似て有能な実務官僚である。彼が戻ってくるのは、ユリアナをはじめとする文官達にとっては朗報であろう。
「じゃあ、ユリウスに挨拶してくるから。また後で」
「はい、また」
マシェスは手を振り、去っていった。父の死後というのに、ずいぶんと明るい。親子仲が悪いという話は聞いていないが。
「さ、私たちも続きやりましょ。マシェスさんが帰ってくるまでに、あらかた終わらせちゃいましょう」
ユリアナは話題を切り替えるように帳簿を振ると、持ち場へと向かっていった。マシェスのことは気になるが、今は仕事をするのが先だ。カチュアも軽く背伸びすると、担当している場所に向かうのだった。
領主室の前に、ライアスとファルミアは居た。ヴェステアに着くと同時に仕官の申し入れを行ったのだが、それはすぐに受理された。旗揚げ直後ということで、猫の手も借りたいのだろう。もっとも、ファルミアは「あたしにかかればこんなもの」と威張っていたが。
深呼吸して、ドアをノックする。
「ライアスとファルミアです。入ります」
「ああ、どうぞ」
中にはユリウスらしき若い男と、片腕のない男が居た。そして、背の高い女。彼女の腰には剣が見える。護衛だろうか。
「よく来たな。俺がユリウスだ」
「は、初めまして。ライアスです」
「ファルミアよ。……それにしても、どうぞ、ってね」
ファルミアがくすくすと笑う。仕官する立場だってのに、この人は。
「ん? 何かおかしかったか?」
「ええ。仮にも反乱軍の首領って人が、どうぞ、って。もうちょっとこう、威厳のある言い方がいいと思うわよ」
ああもう、どんな口の聞き方してるんだ。それに、失礼と取られてもおかしくないようなことを指摘して。
「す、すみません! この人、いつもこうなんで……」
「いや、構わん。俺もまだ青二才だ。こんな立場にも慣れないし、色々と至らないところばかりでな。指摘ならいくらでもしてくれて構わんよ」
ユリウスが笑った。話が分かる人でよかった。ライアスはほっと胸を撫で下ろす。
「ファルミア、だったな。手紙は読ませてもらった。面白いことを考えるな」
「ふふ、どういたしまして」
手紙とは。仕官願いと一緒に何か書いていたのは見たが、内容までは見せてくれなかった。
「こういうのは言い出しっぺがやるもんだ。明日からでも頼む」
「あら、ずいぶんと決断が早いのね」
「それぐらいしか取り柄ないからな。そして、手紙のもう一件。そこのライアスと一緒に雇ってほしい……だったか」
そんなことまで書いていたのか。
「ええ。その条件が蹴られるのなら、あたしは仕官なんてしないわ」
ファルミアの口調は先ほどまでと打って変わり、真剣そのものである。
「あたしに足りないものを、この子は補ってくれる。この子に足りないものを、あたしは補う。あたし達は二人で一つ」
「ふーむ、随分と仲のよろしいことで」
ユリウスが顎に手を当てる。何かを考えているのか。
それよりも、ファルミアの一言。彼女との付き合いは長いが、そんなことを考えていたとは思わなかった。
「給料は一人分で構わないわ。お願い」
「……まぁ、いいだろう。しばらくは様子見で、一人半の給料を払おう。ライアス、明日からよろしく頼む」
「は、はいっ!」
「ありがとう。感謝するわ」
ファルミアと二人で頭を下げる。仕官はどうにかうまく行ったようだ。
「今日は帰ってもらっていい。指示は明日、追って出そう。下がっていいぞ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
ライアスはもう一度頭を下げた。
中庭に設けられたベンチに、二人は座っていた。
「いやぁ、うまくいったわね」
「ファルミアさん、何を書いてたんですか?」
「それは秘密。まぁ、明日、嫌でもわかるわよ」
ファルミアがくすくすと笑う。
「それにしても、ずいぶんとズバズバと決断する人ね。あたしはまだしも、貴方の仕官も認めるなんて」
「そういえば、ファルミアさん。さっき言ってた……」
「そりゃ本心よ。あたし、雑用したくないもの」
「全部俺にやらせる気かよっ!?」
ファルミアの頭を軽くはたく。やっぱりいつもの彼女だ。
「あたっ。だってそうでしょ、貴方、まだ何もできないじゃないの」
「それを言われるとぐうの音も出ませんが……」
「それに、約束があるでしょ。貴方を有名にする、っていうね」
ファルミアはくすくすと笑うと、空を見上げた。
「ほら、綺麗な青空。まるであたし達の門出を祝福してるみたい」
「……結構、雲多いですけど」
適当なことを言ってごまかした。先程の真剣な表情はまぐれのようなものか。
だが、そんな彼女と一緒に居られるのは、少し嬉しくもある。ファルミアはライアスの相棒なのだから。
~ヴェミオ
ヴェミオはフィツール地方南西部に位置する港町である。同じく港町であるルザンと並んで、フィツール地方の交易を支える重要な都市だ。
そこに、ヴェステアで起こった反乱の討伐軍が集結していた。兵力はおよそ四千。うち千人は周囲からかき集めた急造軍であり、兵力としては計算しにくい。実質、計算できる兵力は三千と少々だ。
その中央を歩く男が三人。一人は壮年の痩せぎすの男。もう一人は同じく壮年のがっちりした男。最後の一人はまだ若い中肉中背の男。痩せぎすの男の眼光は鷹のように鋭く、ただならぬ雰囲気を感じさせる。
名はファキオ。ここヴェミオの領主であり、海賊の討伐で名を上げた武将である。彼がこの討伐軍の指揮官だ。
「いよいよ出陣だな、マルク。アルフレッド」
「おうよ。連中、随分と鮮やかにヴェステアを奪いくさったそうじゃねぇか。なんでも反乱だってのに死者はほとんど出てないみてぇだ。ただ者じゃなさそうだな、うん?」
マルクと呼ばれたがっちりした男が豪快に笑う。彼はファキオの幼なじみであり、ファキオの副官を長年務めてきた男だ。
「アルフレッド、お前は士官学校でユリウスと同期だったか」
「いえ、ユリウスは一期上です。ただ、セルフォナ領主のヨゼフ殿と並んで、破天荒な人として有名でしたね」
アルフレッドと呼ばれた若い男が苦笑した。彼は士官学校出身であり、ユリウスとはいくらか面識があった。
ユリウスの成績そのものは優秀であったが、私生活面では浮いた噂の絶えなかった男であり、決して優等生とは言えなかった。
「破天荒、か」
「いいじゃねぇか。そういうの、おっさんは好きだけどな?」
「好き嫌いで済む話か。破天荒なのはやりにくい。何を考えるかわからないからな」
「相変わらずお堅いことで。姪っ子も、こんな奴のどこがいいんだか」
マルクはそこまで口にすると、しくじった、とばかりに口をつぐんだ。
「……何の話だ?」
「いやな、まぁ、せっかくだ」
「私は退席しましょうか?」
「いや、いい。そんなに深い話じゃねぇんだ。あー、ファキオ、てめぇに姪っ子が惚れててな」
「は?」
ファキオは四十にさしかかろうとしているが、未だに独身である。周りは嫁を取れとうるさいし、縁談も少なくない。だが、背負うものは少ないほうがいい。それがファキオの持論であった。そのせいか、彼は変わり者として有名である。
「紹介してくれってうるさくてな。そんなわけで、今度会ってみてくれよ。何、それなりに器量良しだ」
「……はいはい。考えとくよ」
適当に受け流す。まぁ、マルクの頼みだ。会ってやってもいいだろう。
「アルフレッドも早めに身を固めとけよ。若い士官様を狙ってる奴は多いんだからな」
「はは、まぁ気をつけます」
アルフレッドは苦笑し、脳裏に一人の女性を思い浮かべた。
かつて命を救われた、少女のような女性のことを。
~ヴェステア城内・資料室
夕方。カチュアは資料室を追い出されていた。いや、もう定時なので、資料室の担当者を責めるわけにはいかない。兵糧庫でユリアナを手伝った後はこうして資料室で勉強するのがカチュアの日課となっていた。やるからにはいい仕事をしたい。カチュアはそう思っていた。
とはいえ、資料室の担当者を残業させるわけにもいくまい。今から厨房に寄って、夕飯を作らねば。城に移り住んでも、ユリウスの食事はカチュアが作っている。用心という部分もあるが、ユリウスがカチュアの料理を気に入っているのが大きい。
ふと、兵糧庫に向かう人影が見えた。そのシルエットには見覚えがある。
「あの……マシェスさん?」
カチュアの問いで、男は足を止めた。こちらに振り返る。マシェスだ。
「カチュアさんか。どうした、こんな時間に」
「いえ、お手伝いを初めてまだ間もないので……ちょっとお勉強を」
「それはいい心がけだ」
「マシェスさんこそ、どうしました? 今日の割り当てはもう終わっていますが……」
「いや、しばらく休んでいたからね。その間の仕事がどうなっていたかもわからないし、少し勉強をね。カチュアさんと同じだよ」
「はぁ……。あの、ご自愛くださいね?」
「そちらもね。じゃあ」
マシェスは手を振って、兵糧庫へと歩いていった。マシェスの言うことは正しいのだろうか。どこか心に引っかかる。
一応、兄に知らせておいたほうがいいかもしれない。
「お、カチュアちゃん。ここにおったんかいな」
メリーベルだ。彼女は現在ユリウスの護衛役を務めている。
「腹減ったがな、早ぅご飯、ご飯」
「はいはい。ちゃちゃっと作るから、じゃれないの。暑苦しい」
後ろにまとわりついてくるメリーベルをあしらいながら、カチュアは厨房に向かうのだった。
「お兄ちゃん、入るよ?」
「ん、どうぞ」
その日の夜。カチュアはユリウスの部屋をノックした。返事があったので中に入る。
「……って、昼間につっこまれたばかりだったな」
「へ?」
「いやな、昼間仕官してきた奴に、どうぞ、じゃ威厳が足りないって言われてな」
「まぁ、確かにそんな感じはするけど」
ユリウスの机を覗き込んでみると、ヴェステア一帯の地図が広がっていた。これからのことを考えているのだろう。
「で、用は?」
「うん。……マシェスさんのことなんだけど」
「マシェスの?」
ユリウスの顔つきが変わった。