#8.5
~フィツール地方総督府・レグザミール
ここレグザミールは、かつてはフィツール王国の首都。今ではナディア帝国のフィツール地方総督府となっている。かつてのフィツール戦争で焼け落ちた後、積極的な植樹がなされたせいか、城塞都市の割には緑が多い。
そのレグザミールの大通りを、早馬が駆けていた。使者は城の前で馬から飛び降りるかのように下馬、そのまま城の中に駆け込んだ。その決死な表情はただならぬものを感じさせ、城の中を行き来する女官や文官は彼に道を譲るのみだ。
「急報、急報ですッ!!」
使者はその言葉と共に、城主室のドアを開けた。
「何事か」
部屋の主が使者に問いかける。白髪に加え、顔にはいくつもの皺が刻まれている。だが、その容姿は整っており、瞳は力に満ちている。白髪や皺は、彼に老いではなく威厳を与えているようだ。
彼はかつてフィツール王国を滅ぼした男。フィツール公、ディアス・ウィンストン。
「ヴェステアで反乱……ッ! ヴェステア領主ジグムンド様も、処刑された模様……ッ!!」
ディアスの眉根が歪んだ。そして、その両拳が堅く握られる。
「……反乱の首魁は」
激情を覆い隠すかのような、厳かな声。
「ユリウスと名乗る者です。ヴェステアの若手士官はことごとく彼に従った模様……」
「……ユリウスか。聞いたことのある名だ。……まぁよい。ご苦労だった。下がれ」
「……はっ。失礼致します……」
使者が部屋を出ると同時に、ディアスの表情が変わった。その表情に浮かぶものは、怒りのみ。
ユリウスと名乗っていたか。記憶が確かであれば、かつて士官学校を卒業した者のはず。そして、ジグムンドからも聞いていた。将来有望な男であると。
だとすれば、面倒なこととなる。今までの反乱とは違うことになるだろう。
「畜生が……」
ディアスは机を殴る。質素ながらも上質な机は、彼の拳に確かな痛みを返してきた。
ジグムンドは気の置けない友人である。若い頃は共に馬鹿をやっていたし、フィツール戦争では彼の実務能力にずいぶんと救われた。重要拠点であるヴェステアを任せたのも、彼の能力と人間性を買ってのことである。
悪い奴ではなかった。殺される道理などないというのに。二度、三度と机を殴る。
「ディアス、入るぞ」
ノックと共に扉が開く。現れたのは、ディアスと同年代の男。だが、下腹部はぽっこりと飛び出しており、頭髪もずいぶんと寂しくなっている。人の良さそうなその顔つきはどこぞの好好爺に見えなくもないが、彼はディアスの副官である。ヤコブ・マコーネル。現在セルフォナ領主を勤めているヨゼフの父でもあった。
「……ヤコブか」
「……ヴェステアの件、聞いた。厄介なことになったな」
ヤコブの顔を見て、ディアスの顔から険が少し消えた。椅子に深く腰掛ける。
「首魁はユリウスと言っていたな。ジグムンドからは有能な男だと聞いていたが」
「奴は息子の友人だ。儂もよく知っておる。確かに、無能ではない。……それよりも、連中が掲げている大義だ」
「……フィツール王国の再興とでも?」
ヤコブが頷いた。案の定、か。
「……フィツールの旗など、もう必要ないと思えるような政をしていたつもりなのだがな」
ディアスはかねてより善政を心がけていた。それは民から慕われようという下心でも、民の笑顔を見たいという情熱からでもない。
圧政は反発を生む。そのことは歴史が証明している。だからこそ、再びフィツールの旗を掲げさせないためには、民を現状に満足させることだ。
ディアスはその一心で、従順なフィツール王族には寛大に接し―反抗心を残している者には亡命を余儀なくさせたのだが―、民には優しく接してきたつもりであった。それは着実に効果を生み、フィツール王国再興を掲げた反乱は減少の一途を辿っていった。当初は弱腰となじられたのだが、今となっては彼に文句を言う者は存在しない。
「ユリウスはフィツール王国の血を引く者と嘯いている。小耳に挟んだときは法螺話と思っておったが、隠し子という可能性も捨て切れぬ」
「家系図にはユリウスという名前はない。事実であれば、隠し子だな。どちらにせよ、理ではなく激情で動いているのだろう。厄介なことになるな」
「フィツール王国の再興。確かに耳障りの良い響きだ」
かつて滅んだ祖国の再興。それは理性よりももっと深く、人の感情に訴えかけるものだ。そして、単純だからこそ、多くの人を動かすだろう。
「だからこそ、叩き潰さねばならん。これから、もう二度とそのような稚気じみた夢を持たせぬために、徹底的にな」
ディアスは椅子から立ち上がり、机に手をついた。
「本国には儂のほうから報告しよう。援軍も必要だな?」
「駒は多いに越したことはない。期待はできぬが、よろしく頼む。反乱の討伐にはファキオをやらす」
「ファキオか。奴ならば適任であろうな」
ファキオ。フィツール地方南西に位置するヴェミオの領主であり、優れた武官である。その指揮能力は、フィツール地方随一といっても差し支えないだろう。
「……ヤコブ」
「何だ?」
「ジグムンドの奴、向こうでも上手くやっていけると思うか?」
「ああ。……あいつは人懐っこい。どこででも……やっていけるさ」
「……そうだな」
ディアスはそこまで口にすると、窓の方に振り向いた。
「……畜生が」
~セルフォナ・領主室
ヨゼフはフィツール地方にばらまかれた檄文を読んでいた。この汚いサインには見覚えがある。確かにユリウスのものだ。
「あの野郎……馬鹿げたことをしやがって」
檄文をくしゃくしゃに丸めたところで、これから必要になるかもしれないことに気付き、元に戻す。
友人が反乱を起こした。それも、起こす必要のない反乱を。
フィツールはディアスの政によって豊かになった。それは疑いようのない事実である。それを知らないユリウスではあるまい。ならば、何故。
「……果たして、馬鹿げたこと、でしょうかな」
ヨゼフの副官である、痩せた中年の男が呟いた。かつてフィツール王国に仕えていたが、ディアスの熱意にほだされて、ナディア帝国の臣となった経緯を持つ男である。名をシュビット。
「シュビット殿も感銘を?」
「意地の悪いことを聞かれなさるな」
シュビットが苦笑した。確かにいささかきつい冗談に過ぎたか。シュビットは二心を抱くような男ではない。
「冗談ですよ」
「私は二心など抱きませぬよ。……フィツール王国への忠誠心を捨てておらぬ者は少なくありますまい。今はヴェステアだけのうねりかもしれませぬが、全土に波及する可能性は十二分にありましょう」
「……確かに。重要拠点のヴェステアが反乱軍の手に落ちた。それは今までの反乱と違うということを知らせるには十分でしょうし」
「そして、ユリウスという男は勝ち目のない博打を打つような男ですかな?」
「いや、それは違う。負けがわかりきってる勝負をする男じゃないです、あいつは」
そう、ユリウスは勇気と無謀を履き違えるタイプではない。だからこそ、こんな反乱を起こしたことが気にかかるのだ。
「……シュビット殿、しばらくの間、留守をお任せしてよろしいですか?」
「構いませぬが」
「……ヴェステアに行きます。ユリウスが、何を考えているかを知るために」
「……わかりました。それがヨゼフ殿の迷いを吹っ切るためになるのなら」
迷い。そうだ、確かに迷っている。友人と剣を交えることへの迷い。そして、友人の考えがわからないことへの不安も。
「ヨゼフ殿の言葉で反乱を思いとどまらせることができたならば、戦功第一ですな」
「確かに。期待していてください、シュビット殿」
冗談めかして言ってみるものの、奴は自分の言葉だけで翻意するような男ではないだろう。
そして、ユリウスが悪しき野望を抱いているのなら、友人だろうと躊躇いはしない。斬る。それが、ナディア帝国の臣である自分の務めなのだから。
~フィツール地方中部・ファーディル
その青年は庭の掃除を終え、今まで曲げていた腰をいたわるかのように二度叩いた。特徴的な青い髪に眼鏡。背丈は並であるが、腕まくりしたシャツの袖から覗く腕はがっちりとしている。
「あ、ライアス君、お疲れさま」
ライアスと呼ばれた青年は声のした方向に振り返る。そこには依頼主の女性がいた。
ライアスはここファーディルで便利屋を営んでいる。今日は庭の掃除と植木の手入れを依頼されていた。彼に舞い込んでくるのはこの手の雑務ばかりである。
「うん、綺麗になってる。じゃあこれ、お代金」
「はいはい、どーもっす」
ライアスは依頼主から代金の入った封筒を受け取る。まぁ、庭掃除の代金だ。大した金額ではない。
「あとこれ、いつもご苦労様。キャベツのお漬け物だけど、よかったらどうぞ」
「わ、いつもすみませんね。ありがとうございます」
ライアスは割と好青年であるせいか、代金以外に食料を貰うケースも少なくない。それで糊口をしのいでいたりもする。一人で暮らすぶんにはなんとかやっていけるのだが、今の彼には厄介な同居人がいた。
貰った漬け物をかじりながら帰宅。そしてすれ違う顔なじみの客に挨拶。なんてことはない、いつもの昼下がりである。
「ただいまーっす」
自宅兼事務所に戻る。玄関横に書いてあるスケジュールに目を通すと、明日は仕事の予定なし。同じく明後日も。暇な二日間となりそうだ。
こんな零細便利屋であるが、ライアスには目標があった。有名になり、父を見返す。そんな目標が。
「ふム? ふーむふむふむ、ふム?」
居間兼応接間を覗いてみると、相方が何かの文書に目を通していた。黒い絹めいた美しい長髪に、物憂げな瞳。金属のような冷たい声。端からは知的で美しい女と思われていて、ライアスは嫉妬を受けていたりする。つくづく、他人は気楽でいいと思う。
「何読んでんすか、ファルミアさん」
ファルミアと呼ばれた女は、文書を机に伏せた。
「あーら、お帰りなさい。どうだった?」
ファルミアの声の調子は、その容姿に似合わない、陽気なものである。
「どうもこうも、いつもどおりっすよ」
ライアスが報酬の入った封筒を机に置くと、ファルミアが中身を改める。
「相っ変わらず少ないわねェ。もうちょっとふんだくってもいいんじゃなァい?」
「掃除でこれ以上取れませんって。うちは良心明朗会計がモットーですよ」
「じゃあ、もっとこう、色々とサービスとかしてさ」
「俺には人妻趣味はないっすよ」
ファルミアを適当にあしらいつつ、ライアスは文書に手を伸ばす。
「何読んでたんすか?」
「読めるの? 朗読したげよっか?」
「字ぐらい読めますし、絶対嘘言うでしょ」
文書に目を通す。ライアスはあまり学があるほうではないとはいえ、文字の読み書きと四則計算程度はできる。
文書には、ヴェステアで反乱が起こった旨のことが書いてあった。そして、広く人材を求む、とも。反乱軍が撒いたビラか。
「へー、反乱っすか」
「そー。あたし達もそれに参加するわよ」
「へー、参加っすか」
参加?
「……って、参加ってどういうことっすか!?」
「気付くの遅いわねェ」
ファルミアはくすくすと笑うと、ライアスの隣に座った。小柄な女だ。ライアスを見上げるような形となっている。
「……有名になりたいんでしょ?」
ファルミアの声が変わった。滅多に聞くことのない、本気の声に。
「あたしには勝算があるわ。あなたを有名にしてあげられる、ね」
ファルミアは日頃ふざけてばかりいるが、学はある。昔は傭兵団の軍師をしていたという噂も聞いた。
「大丈夫、あたしを信じなさいな。こんなところで地道に活動するよりも、一気に有名になれるから。そうなれば、あなたの父親も黙っていないでしょう?」
かつて、自分を捨てた父親。そして一族。彼らを見返してやる。それが、ライアスの目標であり、生き甲斐でもあった。
「あたしがあなたを有名にしてあげることができれば、あたしも鼻が高くなるからね。ウィン・ウィン関係ってやつよ」
「……ファルミアさんがそれでいいって言うんなら、俺は何も言えないっすけど」
ファルミアはライアスのマネージャーのようなものである。彼女が取ってくる大きな仕事に外れはなかった。彼女がそれがいいと言うのなら、それに従うまでである。それが、学のないライアスにできることだった。
「それじゃー、店じまいよっ! 幸い仕事の予定もないんだし、明日は常連さんに挨拶してきなさいな!」
「いや、ファルミアさんも一緒にやってくださいって」
これは、ファルミアの気まぐれじゃなさそうだ。ならば、彼女と一緒に付き合ってみるとしよう。
ユリウスという男に。
幕間のため単発投稿です。