ありがとう
校舎大の異物を片手で受け止めた母親にぶたれ、数センチほどグラウンドにかかとをめり込ませた深夜は、頭を押さえて蹲ってしまった。それを放置して、なぜだか大和が一虎を睨む。
「君も君だ、一虎くん!そもそも君は、何のために裏野に来たのだ!?」
突然の怒声と質問を向けられ、一虎はテンパり気味に答えた。
「あ、へ、えっと!その、この学校は、〔裏力〕を基にして〔ジン核〕が作り出す現象や超常現象、〔裏論〕を専門的に教える場所です!そしてその使い手である、〔裏論使い(ディベーター)〕を育てるところです!そ、そして僕は、〔裏論使い(ディベーター)〕になりたくてここに来ました!」
「そうだろうな!〔裏論〕とは、現代社会の基本となっている新エネルギー、〔裏力〕を使った超技術!食糧、医療、交通、通信!旧時代では電力を基盤として機能していたそれらに代わりこの世界を支える重要なファクターだ!」
一虎の返事に、どうやら説教モードに入ったらしい大和が声を張る。それにつられて、一虎は軍人よろしく背筋を伸ばし、律儀で堅苦しい言葉を返す。
「は、はい!つまり裏野では、大多数の人々が享受するそれら〔裏論〕を、7つの専門分野に大別して、能動的な研究・行使・育成を目的として設立されています!」
「そうだ!先の敵性対象、〔論害〕への唯一の対抗手段である〔裏論武装〕を装備した戦闘者や研究者、製作者などを皆はそう呼ぶのだ!」
そして、と前置いて、大和は続けた。
「裏野に入学するためには、〔裏論武装〕の取得が不可欠だ!だから君は、入学前に裏野の必須教材兼自衛兵器である〔裏論武装〕取得のため、〔裏力〕の質である〔論派〕の検査を受けた!そこで〔君の裏力は珍しいため、適合するジン核を探さねばならない〕、〔見つかるまで待って欲しい〕などと言われていたはずだな!?」
「そ、そうです、けど・・・」
「そして君は、国内で唯一君に適合する〔ジン核〕を持つ人物と手紙のやりとりをしたな!?」
「は、はい。確か〔ジン核〕を貸与するにあたって、1つ条件を出されました。〔化身化〕っていう〔裏論〕を常に使うことって。1度使うと〔裏論使い〕をやめるまで解除出来ない〔裏論〕だから、よく考えるようにって。僕それにサインしました」
「そうだ!そしてその人物は、元々自分の〔裏論武装〕に使われていた〔ジン核〕を、〔裏論使い〕にとっては戦友でもある大切なそれを、君に貸すことにした!」
「あ、あの、でも・・・」
一虎は、おずおずと疑問を口にする。
「それがなんで、僕の〔裏論武装〕を絶薙さんの娘さんが持ってきてくれたことにつながるんですか?ていうか、なんでそんなに僕のこと知って・・・?」
腰が引けたまま聞いた一虎に、大和が苛立ちに頬を引きつらせて言った。
「・・・君は、その〔ジン核〕の貸与者の名前を憶えているか?」
「え?えっと、確か・・・」
一虎は、そこでやっと気づき、同時に恐怖の震えに顎をガクガクさせ、冷や汗にまみれる。自分に唯一適合する〔ジン核〕を持っていた人物が誰なのか。1つ条件を呑むことで、それを貸与してくれたのが誰なのか。
つまり、
「すみませんそうでした忘れてましたああそれで絶薙に聞き覚えが!」
一虎に〔ジン核〕を貸与した人物、黒の女・絶薙大和は、一虎の察しの悪さに青筋を浮かべ、ついには怒りを通りこして笑みすら浮かべていた。さらには、一虎が失念していた情報を大和が追い打ちのごとく開示する。
「私は、手紙に書いたはずだな?出来ることなら直接君に〔裏論武装〕を手渡したいと。しかし私はこの都市の住人ではなく、その上仕事が忙しい。入学式にすら来れるかわからなかった。おそらく代理の者が届けることになると、そう書いたな?つまり、私の娘である深夜は?」
一虎は瞬時に察して、叫ぶように言った。
「ああそういうことですね天出雲さんがその代理の人!つまり僕に僕の〔裏論武装〕を届けに来たんですねすみません!」
少年は、平身低頭で大和に謝る。手紙の内容をスッカリ忘れていた引け目、一虎の裏野入学に一役買っている恩人に対してはたらいた無礼から、一虎はただただ恐縮するしかなかった。
しかし、
『こんな〔論害〕が襲ってきた直後に、手紙のこと思い出したり、それで状況を裏解したりするの、無裏じゃないですか・・・?』
ただでさえ混迷する状況をさらに混乱させた、あまりにもあんまりなコミュニケーション能力を備えた親子を、一虎は引きつった笑みで見つめる。そんな彼を、まだ痛みに蹲っていた深夜が見上げ、涙目で再び棒状の袋を突き出してくる。見上げられているのに睨まれているように感じる彼女の眼光の鋭さに、一虎は怯んだ。だが、差し出されているそれは、どうやら竹叢一虎用に調整された〔裏論武装〕なのである。勇気を出し、一虎はそれに手を伸ばし、受け取った。そして忘れないうちに一言を告げる。
「あ、天出雲さん」
先ほどの会話を思い出せば、この〔裏論武装〕には今目の前にいる深夜の母、大和の所持していた〔ジン核〕が使われている。そして、〔論害〕に襲われながらも、深夜はそれを手放さなかった。
だから、
「本当に、ありがとう。これを届けてくれて。あんな危ない目に合っても、これを守ってくれて。えっと、天出雲さんのお母さんも、僕に〔ジン核〕を貸してくれて、ありがとうございます。2人のおかげで、僕は、裏野に入学することが出来るみたいです」
一虎は親子にそう言わねばならないのだ。
すると、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いい」
深夜の返答はそっけなく、顔もそっぽを向いたものだった。だが一虎は、少し満足げな色を深夜の声に感じ取り、自然と口元が綻ぶのを感じた。
「ふむ。私も〔ジン核〕を貸したはいいが、私に合った形から、君に合った形へ〔再武装化〕された姿を見るのは今日が初めてなのだ。良ければ、早く見せてはくれないか?そして、約束通り、〔化身化〕の〔裏論〕を発動してくれると嬉しい。〔それ〕の兄妹達も、早く新しい〔それ〕の姿を見たがっているのでな」
腰に下がった奇妙な柄を触りながら言う大和の微笑。彼女の言葉の中に出てきた、〔化身化〕という〔裏論〕が何なのか一虎にはわからない。しかしひとまずその疑問を横へ置いて、少年は1つ頷いてから棒状の袋の口からそれを取り出した。白骨の屍竜から深夜の手で守られたそれの姿が、曇天を裂いた陽光の下に現れる。