蒼
投影された映像は、ガスマスクを追撃する白骨の屍竜のさらに上空。
雲を割って飛び出したのは、広げられた透明の四枚翅に雲を引いた、黄色と黒のストライプ。
少年は、それを見て言った。
「ト、トンボ?」
一虎の認めたそれは、まさしくトンボだった。
オニヤンマと呼ばれるそれによく似ており、しかし車サイズのその背には、
「あれは・・・反咲の・・・?」
一虎の隣に控えた黒の女が、目を細める。しかし、緑の複眼を煌めかせるトンボのあまりの高速降下によって残像を追うので精一杯のカメラには、その背に胡坐をかいた1人の男の姿を鮮明に捉える力はなかった。
だが、この場にいる誰もが、殺人的な加速で降下して白骨の屍竜に迫る、トンボの背に乗る人物の目的を裏解した。
「助け、に・・・?」
一虎が自らの裏解をなぞるように呟き、同時にどうやってあんな破格の化け物からガスマスクを助けることが出来るのかという疑問が脳裏を過ぎる。
そして、まるでそれを否定するように鎌足の叫びが上がる。
「そう!今の私達には、奴らに対抗する力がある!〔裏力〕を変換し、〔人類がまだ実現していなかった裏想の現象〕、超常現象たる〔裏論〕を生み出す、その新兵器の名は!」
同時、トンボの超加速で白骨の屍竜の背後に肉薄した人物、飛行メガネに着物姿の男は、帯代わりの図太いベルトから一振りの刀を左手で外す。トンボがフッと男を中空に置き去りにし、胡坐をかいたまま着物の裾をはためかせた男が、滑るように白骨に肉薄する。男が左手の刀を鞘ごと頭上へと掲げ、右手を柄へと伸ばす。男の口が動き、マイクが漏れ出た言霊を拾う。
曰く、
「〔悪路抜刀〕、〔一ノ抜〕」
鞘から迸った銀の刃が閃き、空間へと奔る。同時に、ただ屍の竜との間にある空を切っただけの男の背後、灰雲に変化が起きる。
それは巨人がその手を雲に差し込み、大きく左右に切り開いたかのようだった。
男の抜刀に一拍遅れて、彼の背後の雲が縦に割れたのだ。
その結果、起きる現象がある。
曇天を破り、降り注ぐ日輪の光。
光は、いまだ健在の白骨の屍竜に降り注ぐ。
そして一瞬、音が消えた。
次の瞬間、光景に目を奪われていた一虎は全身で体感した。
バオ!
目が眩むほどの強光。
耳を弄す轟音。
肌を打つ豪風。
日輪から屍竜めがけて放たれた、野太い光の柱が降る様を。
その中で、一虎は見た。白骨の屍竜が降り注いだ日輪の刃に打たれ、流星のごとき速度で一虎達の前方に広がるグラウンドの中心に墜落したのを。大地にそれを押し付け、潰す。光の柱の威力を。
そして、
「ギギギギギギギギギギギギギギギギギ!?」
軋んだ唸りを上げる白骨の上で、光が爆散した。
瞬間、世界が白に染まる。
一虎の背後に聳える、地上300mの高さを誇る、武骨な漆黒の中央管理塔が。
規則正しく並ぶベージュ色の学生寮と校舎、緑の丸屋根をした研究棟や四角い修練場が。
中央管理塔を中心に、同心円状に拡がった街路樹の緑と灰色の対戦防壁が。
全ての闇を祓うがごとき、清廉なる太陽の白光に呑まれた。
さらに一虎の目の前では、狂ったようにグラウンドの土が砂塵となって舞い上がり、爆心地たる白骨の姿を覆い尽くす。
その瞬間に、差し込まれる狂喜の声。
「かの新兵器の名は、〔裏論武装〕!攻撃に適した超常現象を起こす〔変換式〕をインプットし、〔武装化〕された〔ジン核〕なのだ!それが持つ力は、もはや言うまでもない!現象そのものを操り、巻き起こすということがどういうことか!ましてやそれが超常現象とも呼ばれる規格外のものならばどうなるか!なぜ〔論害〕が人類の大半を殺戮することが出来たのか!私達はまさに今、その裏由と威力を目の当たりにしたのだから!」
口も裂けんばかりに頬を吊り上げた男の貌に、誰も声を放てない。
そして、
「ヴルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
かの一撃に耐えきった白骨の屍竜の咆哮が上がった。〔論害〕は、日輪の斬撃を生み出した男、彼を乗せて飛び去るトンボ目がけ追撃の飛翔に移る。爆風。見る間に小さくなる、二つの影。
力の余韻たる最後の風が一虎の頬を撫で、やっと彼は放心状態から我に返る。
静寂。
そして、それを見逃さない叫びが一つ。
「見たか諸君!?これがっ!圧っ!倒っ!的な規模のっ!〔裏力〕の〔発散〕である!」
男は全ての視線を集め、血塗れた左手を大きく振る。
「欲しろ、諸君!かの敵を打ち据えた力を!〔裏論〕という、〔裏力〕が引き起こす超常を!」
男は多目的アリーナの上で叫ぶ。そしてある一点、上空より緩やかな弧を描いて飛来するそれを見つめながら言った。
「そして知れ!そう易々と事の運ばぬ現実を!さすれば見えてくるだろう!」
男の見つめるそれは、ゆっくりと太陽の光の中に降りてきて、右手に長い棒状の袋を持ったまま器用にパラシュートを外した。気づいた一虎も、そちらを見る。
「己の目指すべき分野が!己が打ち立てるべき裏想が!それを阻む、叩き潰すべき敵が!」
降り立ったそれは、無造作に一虎のほうに歩を進めながら、上下一体になった保温スーツを脱ぎ去った。露わになる、白い肌。裏野高校指定の制服と、スカートから伸びる黒のニーハイソックス。そして目を引く、真っ白に曇ったガラスのような革靴。
「我ら〔教師陣〕は、求める者を拒みはしない!そして、甘やかしもしない!私は、何度でも〔未完成〕の瞬間と局面を生み出し、君達を試す!西暦2357年4月10日、裏野という場所と瞬間を、君達は自ら選んでここに来たのだ!」
それは一虎の視線の先で、ガスマスクに手をやると、無造作にはぎ取った。
「君達は決めた!全国でも有数の〔論害〕襲撃率と撃退率を誇る裏野高校で!〔裏論〕を手にし、鍛え、研究し、行使すると!5年という歳月をここで過ごし、〔裏自由七科〕を学ぶと!」
ガスマスクの下から現れたのは、墨を溶かしたように清廉に靡く黒髪。一虎から見て右側、青いシュシュによって結われた長いサイドテールがくるりと宙を泳ぎ、陽光に光る砂の粒子を払う。そしてふと、少女の歩みが止まった。
「だから私はその覚悟に敬意を表し、今日から〔未完成〕ばかりの君達を、屍の竜を斬った男と同じ名で呼ぼう!〔裏論武装〕を繰り、〔裏力〕を超常現象へと昇華、〔発散〕する者!そう!〔裏論使い(ディベーター)〕と!」
それは、無表情に一虎を見つめていた。
皺ができる寸前まで険しく寄せられた眉根と、シャープなラインを描く眉毛。
そして、
「あ・・・」
一虎の口からそんな吐息が漏れるほど、驚くほど透き通った、切れ長で、しかしジトッとこちらを見る三白眼の蒼眼。
「ようこそ!〔裏論〕と〔完成〕の学び舎へ!」
背後を人影の乗ったトンボが舞い、一虎と蒼の少女は出会った。