論害
それは、展開されていた不可視の防御壁の向こう、裏野高校上空の灰雲の中から現れた。
拡大投影したらしい映像が、流されようとしていた映像から切り替わって、その細部を明らかにする。
それは、長い、一本の帯。
白い骨と、蒸気を上げる機械の群れ。
それらは赤黒い腐肉で繋ぎ合わされ、黒く淀み果てた肉汁と機械油を滴らせて、異形の機関部と骨の体躯を蠢めかせる。蛇の頭骨のような鋭い印象の頭蓋骨、その口腔から蒸気を撒きながら降下してくる生物に、群衆が総じて息を呑む。
それは屍の、竜。
イメージが群衆を駆け巡った間隙を突き、鎌足の赤い舌が、邪悪な蛇のごとく滑り込む。
「人間はより深く憂慮するべきだったのだ!〔ジン核〕の研究・開発の過程で行われた、動物への〔ジン核〕移植実験!そこで起きた事故、移植手術を受けた動物の逃亡を、見過ごすべきではなかったのだ!」
「まさか・・・!?おい!カメラを動かせ!もっと下だ!」
一虎はすぐ傍で上がったその叫びにギョッとした。目をやった先には、先ほどまで冷静と余裕を浮かべていた黒の女はもういない。そこには焦燥と怒り、不安に駆られた女がいた。そして彼女の叫びに応じたのか、動いたカメラが屍の竜の進行方向にある上空を映す。
「あ・・・」
そこには、人がいた。
顔全体を覆うガスマスクのような酸素供給装置とバックパック。濃緑色の分厚い保温スーツを身にまとった誰かが、そこにいた。頭を下にして空気抵抗を減らし、一目散に地上を目指すその姿に、一虎は呆然と口を開けた。
「誰・・・?なんで、あんなとこ・・・?」
少年の疑問に応える者はいない。代わりに、遥か上空で状況が変わった。
屍の竜が咆哮しし、その身をくねらせる。次いで、打撃音。映像の中のガスマスクが、ビルのように巨大な白骨の屍竜、全体としては蛇のような形状をしたそれによって打たれ、弾き飛ばされたのだ。なんとか衝撃を殺したらしい人影が、錐もみしながら落ちていく。
しかし、
「ヴルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
人影は、蒸気を上げ、肉汁と腐った血と機械油をまき散らす白骨の屍竜に、憎悪と殺意の追撃を受けた。竜の眼前に、発光する無数の白い球体が生まれる。そこから現れたのは、校舎やグラウンドにも刺さっている、今は骨なのだとわかる一軒家サイズの白塊であり、新たに生まれたそれらがガスマスクに向かって群れ飛ぶ。狙われたガスマスクが何度もそれをかわす。即座に命を奪われかねない、危険極まる降下。次いで、ガスマスクの回避した白骨の群れが、その勢いのまま裏野高校の敷地や校舎に落下。先ほど鎌足が展開を命じ、再び彼の姿を映し出している不可視の防御障壁、〔論裏障壁〕に阻まれて骨の塊が爆散する。近くの空中で白塊が爆散し、しかし防ぎ切れなかった白い骨の一塊が、一虎の側に落ちて土煙を上げる。すっかり存在を忘れていた、一虎のそばにいた金髪オールバックが再び悲鳴を上げ、動けない人々をかき分けて逃げ出す。
しかし一虎の視線は、空中で必死に態勢を立て直そうとするガスマスクから離れない。
「あのままじゃ・・・」
「チッ!この距離では・・・!」
だが、一虎の冷静な現状認識も、反射的に腰に下がった柄の1本を握り、しかし悔しげに歯噛みした黒の女の唸りも、その男は叫びは遮った。
「ああ!なんたること!なんたる悲劇でしょう!?たった1匹!それはもしかしたら、とるにたらない羽虫だったかもしれない!実験段階の〔ジン核〕を移植され、野に解き放たれてしまった動物達は、爆発的に増殖し、さらには種の垣根を越えてしまった!〔ジン核〕の影響で知恵を持った異形の生物が生まれ、さらにあろうことか、実験動物の〔ジン核〕には〔裏論〕を導く〔変換式〕がインプットされていた!そして異形とはいえども、奴らは生物だった!あらゆる生物は、〔裏力〕を持つ!つまり異形共は、現象そのものたる〔裏論〕を手にしたのだ!」
男は、天を仰ぐ。
「彼らは人類を追い詰めた!当時の全人口の3分の1が!彼ら〔論害〕に引き裂かれた!〔裏力〕を変換して引き起こす現象、〔裏論〕の絶大な力の前に、人間は成す術がなかった!〔裏論〕でしか引き起こせない〔人類が実現できていなかった裏想の現象〕、超常現象と呼ばれる類のそれらをすら奴らは生み出し、操ったからだ!その上知恵ある異形共は、狡猾にも我らの未来を断つべく〔次世代〕たる若き人間を狙い、絶やした!人類は、なんたる無力か!」
男は両腕で頭を抱えて髪を振り乱して苦悩する。黒髪と頬にベッタリと赤黒い液体をこびりつけ、男は、
「だが!人類は神の想像よりも、はるかにまたはるかに業欲だったのです!」
新たなスクリーンを展開し、口が裂けんばかりの、血塗れた狂喜の笑みでそれを示した。