裏力
多目的アリーナの屋上に立った男、展開された不可視の防壁の内側に投影された映像の中で全学年主任を名乗った鎌足縁は、胸に付けたマイクに己の叫びを、監視カメラに己の姿を拾わせて叫んだ。
「そもそも!我々が日常的に口にする〔裏力〕とは何なのか!?結論から言おう!〔裏力〕とは、あらゆる生命体の魂が生む生命力!〔現実を裏想に近づけようとする本能〕が作り出すエネルギーである!」
男が、バッと背後に右手を振る。それに呼応するように、男の背に3次元ディスプレイが展開。生まれたばかりの、血と羊水に濡れた赤子の鳴き声が響く。
「見よ!人間は、生まれた瞬間にも〔現実を裏想に近づけようとしている〕!赤子の産声とは、快適な母体、裏想的な状態から解き放たれた人の子が、初めて現実を変えようとする叫びである!肌の温もりを!腹を満たす乳を、赤子は求める!それは死する瞬間まで変わらない業!人の歴史は、〔裏想〕を実現しようとする〔本能〕があることを、いや、その〔本能〕によって発展してきたことをハッキリと示している」
赤子の映像が切り替わり、一転して静止画が複数枚展開される。寒さや捕食者に狙われる現実を変えようと、火や武器を手にした初期の人類の姿。生きることの意味を見いだせない不安な現実を変えようと、神々しい光に包まれた救世主と神を崇め、信仰する人類の姿。食料の安定的な確保のための農耕を行う人類。死という過酷な現実を遠ざけようと、医療によって病巣を切除しようとする人類。様々な形で現れた、〔現実を裏想に近づけようとする本能〕が映し出される。
「おわかりいただけただろうか!?人には生まれながらに〔現実を裏想に近づけようとする本能〕があることを!現実を、己の〔裏想〕の状態へ変えようとするのが生物の性であると!」
男が右手を振り、背後に展開されていたディスプレイが暗転。
「しかし、現実と裏想は同じではない!〔裏想を持つ生物〕であるがゆえに、人間はその事実に不満を感じる!だから人間の魂は、その〔本能〕を満たそうとする!〔裏想〕を実現し、不満を解消しようとする!ならば必然、人間は不満を感じる瞬間、裏想と現実が違う瞬間に、〔現実を裏想に近づけようとするエネルギーを感じている〕!そして人は!不満を感じる時にこう言う!〔裏力〕を感じると!〔裏力〕が溜まっていると!人は、それを〔発散〕しようとする!」
グッと右手の拳を握った男が、溜まった〔裏力〕の〔発散〕を示すようにパッとその手を中空に向けて開く。
「現実に真っ向から立ち向かい、裏想を実現しようとする者!裏想の実現を諦め、持て余したそのエネルギーを別の方法で〔発散〕する者!その手段は様々で、しかし共通するのは、そのエネルギーを消費しようとする行為だ!つまり!」
男の右手が、人間の核たる心の臓が収まる左胸を鷲掴み、叫ぶ。
「〔裏力〕とは、〔本能〕を満たすため、魂が生みだす生命力!裏想へ向かう、生物と呼ばれる全ての存在を衝き動かす、根本のエネルギーなのだ!」
男が、今度は左手を大きく背後に振る。一転して、暗い黒煙の中、砲火と血、鉄と破壊の荒野を歩く兵士達の映像が流れだす。
「しかし!人間は、そのエネルギーをもてあます!なぜなら、〔現実を裏想に近づけようとする本能〕があろうとも、それを成すためのエネルギーがあろうとも、全ての裏想が現実を変えることは出来ないからだ!そう、人はある程度の〔裏力〕を〔発散〕することは出来ても、全てを〔発散〕することは出来ない!全ての裏想は実現しないからだ!人は、常に〔裏力〕を持て余し、上手く〔発散〕されなかった〔裏力〕は、感情となる!」
男が振った左手を戻すと、戦火の映像が切り替わり、さらに複数枚のディスプレイが展開。
ある1枚は、空腹ゆえに救いを求める老人が、鞭で打たれる。腹を満たしたいという〔裏想〕と、鞭打たれたという〔現実〕の齟齬。叶えられなかった老人の〔裏想〕。溢れた〔裏力〕が恨みとなり、老人が鞭を打った男をナイフで刺す。
ある1枚は、死と言う宿命を超えられず、病院の寝所で臨終した母親の側で、溢れた〔裏力〕、悲しみの涙を流す女の息子達の姿。持て余された〔裏力〕の感情への変化を示した図だった。
そして、
「だからこそ、人は挑んだ!自らを大きく翻弄する〔裏力〕というエネルギーを、溢れたそれが作り出す感情をコントロールしようとした!始まりは、そんな傲慢な挑戦だった!なぜなら我々生物は、〔裏想〕が実現した時の快感を知っている!本能が満たされたことで呼び起される充足を、知っていたからだ!」
鎌足縁の叫びに応じ、展開していた複数のディスプレイが円を描く。次いで、その中央に一際大きなディスプレイが展開。生まれた赤子を腕に抱き、完全に〔裏想〕を実現した母親が歓びの涙を流す姿が映される。
男が笑い、叫ぶ。
「人間は、魂から生み出される〔裏力〕を物裏的に抽出しようとした!持て余され、過剰な感情となって我々を悩ませてきたエネルギーを抽出して〔発散〕しようとした!そうすることで、精神的安定と、感情のコントロールを行おうという目論見だったのだ!そんな科学研究が、全ての始まりであったのです!」
しゃべりながら、鎌足縁はスーツの胸ポケットよりビー玉サイズの球体を取り出す。
「そして開発されたのが、エネルギーたる〔裏力〕を抽出し、〔発散〕させる宝玉型装置!〔ジン核〕である!」
映像の中の男は摘まんだビー玉、〔ジン核〕を掲げると、そのまま足元へと叩きつけて砕いた。
「しかしなんたることか!人間を悩ませてきた余計な〔裏力〕を、過剰な感情を生むエネルギーを〔発散〕出来る、画期的とも言えるこの宝玉は!抽出出来る〔裏力〕の量にとてつもない個人差があった!そして、一定の結果を生めないならば、技術としては失敗作であったのです!」
男は芝居がかった仕草で左手で顔を覆い、灰色の空を仰ぐ。
「だが!現実は裏返った!」
男の右手が、いつの間にか鈍い鉄色に光るナイフを握っている。そのギラリと光る切っ先が男の高く掲げた左手へと迫る。
「人間の〔裏力〕には、我々の度肝を抜く力があった!」
何のためらいもなく、男は自ら左手首を掻っ切った。狂ったように溢れだした赤いそれを、男の顔は見つめ、再び高く持ち上げる。
「再度言おう!人体から作り出される〔裏力〕とは、電力や熱、風力などと同じ、エネルギーである!つまり、それを抽出出来るようになるとはどういうことか!?そう!人間は手に入れたのだ!人体から生まれる、クリーンで、ほんの僅かな量でも高い効率を示した新エネルギーを!そして試行錯誤の結果!〔裏力〕を変換することで展開する現象!〔裏論〕が生まれた!」
興奮した様子の男は、煩わしいのか、バサリと音を立ててスーツの上着を脱ぐ。白いシャツを己の黒血で汚しながら、指揮者のように両手を振る。動きに合わせて、3次元ディスプレイが1枚また1枚と展開していく。
「御覧なさい!」
暗闇を照らす街灯、トラックに付けられたライト、灯台などの静止画を指して男が言う。
「これらは〔裏力〕を変換し、〔光という現象〕にした姿!」
コンロの炎、冷凍庫、自家用車や航空機を動かすモーターの静止画を指して男が言う。
「これらは〔裏力〕を変換し、〔熱という現象〕にした姿!」
受話器を持って通話をする女、巨大なアンプ、補聴器の静止画を指して男が言う
「これらは〔裏力〕を変換し、〔音という現象〕にした姿!」
カメラに視線を合わせ、男が笑って言う。
「おわかりだろうか!?つまり〔裏論〕とは、〔裏力を変換した様々な現象〕なのだ!そう!我々は、〔あらゆる現象〕を手に入れたのだ!加えて、電力には成しえなかった現象、〔人類が実現できていなかった裏想の現象〕、超常現象すらも手にすることに成功した!保存に向かず、汎用性に劣る電力を使用する意味はなくなった!ただ必要に応じて、〔裏論〕を導く〔変換式〕を〔ジン核〕にインプット・アウトプットし、〔人間が生きている限り手に入るエネルギー〕、〔裏力〕を抽出させればよいのだ!」
モザイク画のように、雑多に集められた静止画を背景に、男は叫ぶ。
「この!流れ出る私の血潮にも!前時代の主力エネルギー、低効率エネルギーと化した電力に代わる、破格にして超常のエネルギーは宿っているのです!」
そして男は、血塗れた情報統合端末を足元へと投げ捨て、踏みつける。
「だが!やはり完全など存在しなかった!人がいる限り生成され、ほんの数%のそれを抽出するだけで莫大でクリーンな新エネルギーを得られるというのに!現象そのものをコントロールする術を得て、それをあらゆる場所で活かせるようになったというのに!その代償は、我らの命を脅かしたのだ!」
鎌足が言い切ると同時、血に塗れた男の姿を投影していた映像がブツリと音を立ててブラックアウト。新たな映像が映し出されようとする。
だが、
「あれは・・・」
男の演説に完全に呑まれていた一虎と群衆が我に返り、灰雲から滲み出るように現れたそれに目を見開く。
瞬間、鎌足の、笑みの混じった叫びが上がる多目的アリーナの屋上から上がった。
「なんということか!用意していた映像を切り替えろ!カメラを上空へ!見よ!新入生諸君!新エネルギーたる〔裏力〕を抽出する〔ジン核〕の開発!それがもたらした負の遺産を!我らが仇敵!〔論害〕の姿を!」