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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

4472文字シリーズ

非常口

作者: 小春日和

『夏のホラー企画2012』に乗り損ねてしまったホラー短編。実は他作品とのコラボ企画になっています。


【コラボした小説】

作 者:西条基樹さん 

作品名:ミヨさん(http://ncode.syosetu.com/n3925bi/)


【コラボした要素】

1.『地下で幽霊に遭遇』というシチュエーションを使う

2.きちんとオチをつける

3.文字数を合わせる(コラボ元の『ミヨさん』と今作『非常口』の文字数を見比べてみてください)

「警備会社を入れるなんて、オーナーも金持ちになったもんだ」

案内役の羽柴さんは軽口を叩きながら階段を降りていった。


 中堅都市の駅近くにある五階建ての雑居ビル。ワンフロアに一軒ずつの飲食店が入居している。

 三日前、このビルのオーナーから、うちの警備会社に、夜間警備の依頼があった。店舗が閉店する午前三時から朝一〇時までの巡回の仕事。うちの社長がオーナーと個人的な知り合いだったらしく、格安、二つ返事で引き受けたとのことだった。

 そして、今日、社長の甥である俺が下見に来たんだ。五階と四階のフロアに、それぞれ中華と和食の店を持つ会社の重役の羽柴さんが付き合ってくれているんだが。


「ここなんだよ、問題は。オーナーからも聞いてるだろ?」

俺より一〇歳ほど年下だろう、三〇代前半に見える羽柴さんは、実業家らしいスマートな顔を歪めて階下を指さした。

 いま俺たちが立っているのは一階。つまり、階段の下は地下になる。

 雑居ビルのオーナーの話では、この地下の空間には店舗はないそうだ。倉庫……というか、ただの空き部屋となっている。ところが、その人気のなさを幸いに、よく飲食店から降りてきた酔っぱらいや外部の人間が、夜中に居座ってしまうらしい。

「一階にあるビルの入り口は、二四時間、開けっ放しだから、この地下には入りたい放題なんだよね。別に実害はないんだけど、ほら、放火でもされたらコトじゃない?」

羽柴さんの心配に俺も頷く。

 事前に聞いたところによると、実際に、ここは一度、火事で死者まで出ているとのことだった。ざっと見た感じ、鉄筋コンクリートの燃えにくそうな造りだが、煙に巻かれれば逃げるのは難しいかもしれない。

「地下の部屋には施錠はないんですか?」

上階に向かう整備された吹き抜け階段と違い、圧迫感のある奈落への段差には非常灯すら見受けられなかった。慎重に一段一段を下りながら、俺は先導する羽柴さんに確かめる。

「ああ、うん……」

幾分、歯切れの悪い返事を返した彼は、足を止め、ふりかえって、答えた。

「鍵をつけちゃうとさ……ほら、なんか……閉じ込めそうじゃない……」


 突き当たった扉には、羽柴さんの言うように、鍵はかかっていなかった。いや、そもそも鍵穴のないノブが使われていた。

 灰色のそっけない鉄扉は、建てつけが悪いのか、若干、隙間が開いている。羽柴さんは躊躇したように少し立ち止まったあと、ノブを握った。

 わずかに焦げた臭気が部屋から漏れる。

「ここ、以前、バーだったんだよね。六〇代のマスターが一人で切り盛りしてて、それなりに人気もあったんだ」

羽柴さんに続いて室内に踏み入ると、なるほど、正面に見えるカウンターの向こうには、いかにも酒類を並べるためのような飾り棚が壁一面に造りつけられている。

「でも……オーナーから聞いてないかな、火事で、マスター、死んじゃってね」

小さくくぐもった羽柴さんの声が、不自然な反響を伴う。

「地下には排煙システムがなくってさ。……まあ、もう三年も前のことなんだけど」

ふりかえった彼の顔には、複雑な苦笑が乗っていた。


 俺は、事故死者の出ている場所の警備を頼むという心苦しさを見せる羽柴さんに、あえて無警戒な言葉を返した。

「そんなところ珍しくないですよ。山の中に放置された廃墟の警備を頼まれることもあるぐらいですから。ここなんか、曰くがあろうが繁華街のど真ん中じゃないですか」

 実際、深夜警備を請け負う俺たちみたいな業種の人間は、この手の話を聞くことが非常に多い。弱気になったら仕事にならない。

 羽柴さんは安心したような笑顔を見せて、

「よろしく頼むね」

と右手を差し出した。日本人には珍しいこの手の挨拶に、俺は、少々、戸惑ったが、すぐに握手をし返した。

「アメリカで武者修行したっていうマスターね、お客さんが帰るときはいつもこうやって送り出してたんだ」

恐縮しているはずなのに、なぜか執拗に、羽柴さんはマスターの話を持ち出す。

「……羽柴さんは亡くなったマスターとは……?」

特別な縁故でもあったのか、と暗に聞くと、

「いや。別に。マスターのことがなんとなく忘れられないだけだよ」

と懐かしそうな視線で、元は賑やかだったのだろう、寂れて打ち捨てられた店内をゆっくりと見回した。


 こういうタイプはどこにでもいる。死人の存在を未練がましく追い、無関係の第三者に自分の慈悲深さを見せつける輩。この手の人間に限って、生きている周囲の仲間には関心を持たない。

 霊感商法なんかに陥る心理は、こういうバランスの悪さが直因しているんだろう。

 死んだ人間など、生きている人間を都合よく見せるための踏み台でしかないというのに。


 俺はマスターとの一方的な思い出に浸っている様子の羽柴さんから視線を逸らせた。

 電気が来ているのかも怪しいたフロアは、一階のロビーの明かりがかすかに漏れる程度の視界しかなかった。酔っぱらいや浮浪者が隠れるには確かに絶好の環境だろう。

 煤けた木製のカウンターを回り込み、裏に潜める場所がないかを確認する。壊れた椅子が散乱し、ビンのかけらも散らばっていた。ここに居座るのは難しそうだ。

 バーだったときに使用していたと思われるテーブルとソファーは、部屋の隅に無造作に積まれていた。潜り込めそうな隙間はない。

 この部屋の見回りはドアを開けて見渡すだけで済みそうだ、と、俺は入り口に視線を戻した。

 羽柴さんがなぜか、鉄扉を開けて、また閉めて、をくりかえしている。


「閉めきっちゃうと真っ暗になるだろ?」

闇の中に響く羽柴さんの声は息が乱れていた。

「そうですね」

やれやれと呆れながら、俺は記憶を辿ってドアのほうへと近づいた。

 細い光が流入する。扉を制御する羽柴さんの逆光のシルエットが、老人のように背を丸めていた。

「鍵なんかつけたら逃げられないだろ?」

再度の声は嗄しわがれていた。なりきるのも程々にして欲しいもんだ。

「そうですね」

俺は無感動のまま、同じセリフをくりかえした。


 羽柴さんを押しのけるように扉から出た俺は、続いて退出してきたこの妄想狂に、先に階段を上がるように促した。

 いい歳した大人だってのに……。叔父の会社に口利きで置いてもらっている自分に比べて、彼は、はるかに若くてはるかに出世している。なのに尊敬する面は、もうかけらもない。

 爺さんが一人死んだところで、どうだってんだ。

 自然に浮かんでしまう嘲笑を羽柴さんの背中に向けながら、重い鉄扉をカチャリと閉めた。


 ラッチが完全に合わさった手応えがあった。

 地下に溜まった空気が遮断されたのを感じた。

 なんだ、ちゃんと閉まるじゃないか。

 灰色のそっけない鉄扉には、建てつけの問題はなかったようだ。若干の隙間も見せず、ピッタリと閉じている。

 その奥、無人のはずの室内から、低く轟く唸り声が聞こえた。

 燻いぶされたようなクロームのノブが、少しずつ少しずつ、回る。

 異常な熱が、開いた隙間から漏れて出た。


 老人のものらしい、長く縮れた白髪が見え始めた。

 大量の水泡を浮かせた手の甲が、壁を這って、外に出ようとする。


 終業時間間際に警備会社に戻った俺に、社長の叔父は楽しそうに問いかけた。

「どうだった、幽霊ビルの感触は?」

げんなりした俺は、途中休憩の喫茶店で仕上げた報告書を無言で放る。

 一階から五階までの店舗名と巡回の要注意箇所のまとめ。それと地下の空き部屋に鍵をつける旨の進言が書いてある。

 社長はばさりと書類を投げると、

「だけ?」

と不満そうに追及した。

「だけですよ」

俺は答えた。


 マスターの亡霊を見て固まっていた俺の横に、奇声を発しながら羽柴さんが走り込んだ。

「だめだよ、マスター! 出ちゃだめだよ! 焼けるよ! 外は燃えちゃってるんだよ!」

強引にドアを押し閉じる。

 持続する唸り声は、だんだんと甲高い悲鳴となっていった。狂ったように室内を走り回る足音が聞こえた。ビンの割れる音。椅子の壊れる音。まさに阿鼻叫喚だった。

 羽柴さんは真っ青な顔をしながら、それでもドアから離れなかった。背を鉄扉にピタリと付け、怨念のかけらも外に出すまいとしていた。

 羽柴さんの狂気にも怖気づいた俺は、一人で階段を上がり、ビルの入り口に出た。繁華街の雑踏が眼前に広がる。騒がしくて生き生きとした空気に触れる。ほっ、と呼吸をし、ふ、と上を見上げた。

 一間もない狭い入り口の上部には、錆びついたシャッターが備わっていた。左手側にある昇降ボタンには『操作禁止』の張り紙があった。


 地下扉の前で放心状態になっていた羽柴さんが救急車で運ばれるのを見届けた俺は、集まっていた野次馬の中から、こんな会話を耳に拾った。

「あの地下室で人が死んでるらしいよ。なんか、このビルが火事になったときに逃げ遅れて蒸し焼きになったんだって」

「ああ、それ聞いたことある。でも死んだのは地下じゃないっしょ? 階段に煙と火が充満してるのに、その中を走って逃げようとして、この入り口で力尽きたんじゃなかった?」

「地下の店の店主だよね? 錯乱してて、逃げるときに体を濡らそうとアルコールかけまくっちゃったらしいよ」

「うわ、それ、余計燃えちゃわね?」

「だから死んだんだろ? あとちょっとで外に出られるってところでさ」


 カウンター内に散乱したビンの破片のことを、俺は思い出した。一人で取り残された地下のバーの中、迫ってくる煙と火の恐怖に耐えきれず、せめて酒の水分を身に浴びようと椅子を振り回す老人の姿が目に浮かぶ。手に残っていたひどい水泡は、アルコールが張りついた皮膚を炎が焼いた結果だろう。

 もう一度、長い間使われた形跡のないシャッターを見上げる。

 ドアに施錠なんかしたらマスターを閉じ込めそうじゃん、と羽柴さんは言った。『閉じ込めそう』と。

 火事が起きたとき、上階の客や従業員はいち早く気づいて逃げたんだろう。この入り口から。そして、被害を大きくしないために、ここを塞いだ。

 凶暴な火をかいくぐって辿り着いたマスターは、あと一歩踏み出せば助かる非常口を前にして、死んだ。

 『マスターを閉じ込めそうじゃん』という羽柴さんの言葉は、『マスターを』『もう一度』『閉じ込めそう』という意味を持っていたのではなかったか。火事の際にシャッターを降ろしたのは、このビルで一番の繁盛店を持つ会社の若き重役であった羽柴さん自身じゃなかったのか。


 叔父は帰り支度をしながら確認した。

「あのビルの警備、本当に引き受けていいんだな?」

俺は答えた。

「いいですよ」

 深夜警備を請け負う俺たちみたいな業種の人間は、この手の話を聞くことが非常に多い。弱気になったら仕事にならない。

 でも、もし俺があそこのシフトに入ったら、こっそり他のやつのシフトと交替しておこうとは思う。

 電気を消して、俺を室内から追い出した社長は、カチャカチャと安っぽい音をさせる鍵を鍵穴に差し込んだ。

「考えてみればドアってのは俺たちの生命を握ることもあるんだな」

ポツリと呟く叔父に、

「人間なんて、どんな形でも死ぬときは死ぬでしょう」

俺は言った。もし非常口のシャッターが開いていたらマスターは助かったのか、なんて、いまさら論じても仕方がないことだからな。


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― 新着の感想 ―
[一言] マスター……。 さぞや無念だったでしょう…………。 純粋に怖かったです! 警備会社にいた頃を思い出します。
2014/03/08 14:42 退会済み
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[一言] 独特の乾いた文体がホラーというよりも、一種のハードボイルド文学のようなイメージを醸し出す良作です。 場面転換の部分が、私にはごちゃごちゃしているように感じられましたが、むしろ作者さんは意識し…
[良い点] 現実と亡霊が見事にコラボしていて、怖さと同時に、不思議な感覚がある面白い作品でした。 羽柴さんと主人公の立場というか、状況の受け止め方の違いが不思議な対比を生み出してて良かったです。
2013/06/05 11:54 退会済み
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