S11 喫茶店
登校すると征爾の席の前では目の下を赤く腫らした神奈が待っていた。
「時任君、どうして昨日は一緒に回ってくれなかったの~~っ!!」
「ご、ごめん……」
濁音が混じりまくった声の神奈は泣きべそをかきながら征爾を上目遣いで睨みつけた。露骨に頬を膨らませて起こる彼女も可愛らしいが、全力で泣いていたのは疑いようもない事で、征爾もまさか神奈がここまで泣いているとは思ってもいなかった。咄嗟に頭を下げて謝ったが、この様子は謝っただけでは済みそうに無い。周囲のクラスメートたちの視線も凄く痛い。
原因は他でもない征爾なのだから。
「悪かったとは思っている……。だが、部活ぐらいは自由に選ばせてくれ!!それ以外なら何でもするから!!」
「……何でも?」
「ああ!」
「今河の駅前のレストラン『原田屋』のイチゴのショートケーキ。それ奢ってくれたら、許してもいい……かも」
「わ、分かった!!そのショートケーキとやらを奢るからまずは落ち着いてくれ!!」
即座に妥協して、征爾は神奈の要求を飲んだ。ケーキとかの食べ物で納得してくれる当たり、少女っぽく思える。ちなみに原田屋と言うのは店長がまだ三十を超したばかりの若々しい女性が営む飲食店だ。手頃な軽食も扱っていて、その中でもお手軽価格のショートケーキが美味しいと非常に評判が高く、この学校の女子生徒たちはしばしば友達と一緒に寄り道して、そこのケーキを食べると言う習慣があるらしい。
≪あ、そうか。井上の奴、一緒に行ってくれるような友達、居なさそうだもんな……≫
クラスメートの女子でも未だ彼女を上手く宥められないので、一緒に行ける人物など居ないのだろう。征爾は渋々承諾して、事態を収拾した。
ガラッ。
騒ぎが静まるのを見計らっていたかの如く、一人の女子が教室に入ってきた。
「おはよう」
「「「おはよ~」」」
入ってきた女子の声に教室内全員の挨拶が返っていく。返さないとどうなるか分からないから、皆絶対に返すようにしているのだ。何故なら相沢朱雀だからだ。
教室に入って自分の机に荷物を置いた朱雀はずかずかと先程から注目が集まっていた征爾の席へと向かう。
「時任君、今日の放課後時間あるかしら?」
「あ、え、えーと……」
征爾は『ある』と答えたかったが、目の前の神奈が小動物のように目をうるうるとさせて見つめてきたので、頷ききれなかった。こんな私用より彼女との交流を大切にしたいのにと思いながらも、泣く泣く首を横に振った。
「ほう、あたしの誘いを断るなんてどんな用事?」
「……井上に原田屋でケーキを奢る約束を今さっきしたばかりなんだ」
征爾は昨日の事を思い出して、彼女に嘘は通用しないと思って本当の事を告げた。証人は今この教室に居るクラスメート全員だ。神奈はまた目をうるうるとさせている、その涙がどんな意味を持っているのかは分からないが。
「原田屋?ああ、菖蒲さんの所か。ならあたしも放課後、一緒に原田屋へ行こう。用件はその時に話せばいいかな、時任君?」
「……井上は良いのか?」
「は、はい!構わないです!」
「なら、大丈夫だ」
泣き虫の神奈の機嫌取りをした直後だったので、朱雀よりも神奈の事を優先した征爾だったが、朱雀が空気を読んでくれたのか、妥協してくれた。
≪相沢の奴、意外に空気を読んでくれたな≫
心の底で彼女に感謝しつつ、この日の学校の授業の支度をする事にした。
放課後、予定通り征爾と神奈と朱雀の三人で駅前の原田屋へと向かう事となった。
一応レストランとして通常のメニューもあるが、夕方の時間帯は学生たちのために軽食中心のメニューへとシフトしている。綺麗に装飾された店内に様々な置き物があり、それまた奇妙な物が多いためお客さんの目を引く事でも有名な店だ。
ガランガラン~!
「いらっしゃいませ~。……って、朱雀ちゃんじゃない!久しぶりね~、もうアタシよりも大きくなっちゃって~!」
店に入ると多種多様なフリルが付いたエプロンドレスを着ている小柄な店員さんに出迎えられた……と思ったら、朱雀の知り合いだったらしい。
「お久しぶりです、菖蒲さん。テーブル席、空いてないですか?」
「空いてるわよ~、こっちこっち!それでそこの男の子は?彼氏?」
「ただのクラスメートですよ。それより案内してください」
「ちぇ~、分かったわよ」
そう言われて言われるがままに案内をされた。朱雀はこの店に来た事があるようで、学校よりも慣れた様子で店内を歩いていく。征爾と神奈もその後について行った。案内されたのは店内の置き物を見渡せる絶好の席だった。
「それじゃ、注文が決まったら呼んでね、朱雀ちゃん!」
「はい」
「「………………」」
まるで身内かとも言うような彼女の振る舞いに二人は唖然とするしかなかった。
「えっと……、相沢。あの女性とはどういう関係なんだ?」
「彼女はここの店長の原田菖蒲さん。父の友人で幼い頃から良くしてもらったの」
「へぇ~、店長ねぇ……。って、店長!?」
「あの人、店長なんだ~」
ほぇ~と感心する神奈と驚くばかりの征爾。身長は征爾や朱雀よりも相当低く、まだ十代に見えてしまいそうな女性が店長だと言う事に征爾は驚いていた。
≪……それより、父の友人、か。確か相沢悠歳氏の友人の大半はクーデターで亡くなられていたよな。だからか、朱雀たちに愛情が行くのも分からなくはない、か≫
朱雀は父の友人と言ったが、相沢悠歳氏はクーデター事件で仲間を奥さん除いて『全員』失っている。その後はかなり消極的な人物になったと聞いていたから、その仲間ではない友人となると数える限りしか本当に居ないのだろう。
「それより、ショートケーキを頼むんでしょ、井上さん?」
「あ、そうでした!えっと、えっと……」
メニュー表と睨めっこをする神奈を見守る征爾と朱雀。そこに注文されたイチゴのショートケーキを持ってきた店長の原田菖蒲さんも一緒に神奈が一心不乱にケーキを食べる様子を眺める事となったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本名:原田菖蒲(はらだあやめ)
称号:評判の飲食店店長
三十一歳、独身。三十代とは思えない可愛さを持つ女性店長。
学校から歩いて二十分ほど行った今河橋駅前の通りにある少し変わったレストラン『原田屋』の店長。昼や夜の食事時間帯には定食を出す店だが、夕方は女子学生を対象にした軽食店となっている。
店内には彼女が蒐集した物が散在している。
朱雀の父親、相沢悠歳とは幼馴染で『唯一生き残っている』彼の友人でもある。一般人である彼女が駅前と言う最高の立地で店を開けたのは他でもない彼の出資によるものであり、朱雀は両親に連れられて来ていたため菖蒲に顔を覚えられている。
他の軍団員や他学校生徒などよりも先に出てきたのは後々相談役になれそうな大人の女性?を出したかったから。