7、図書室ではお静かに
軽くR15です。
しとしとと雨が降っている。
そういえば、この世界に来てから初めての雨だ。
雨は優しく木々を濡らし、土ぼこりのひどかったグラウンドを湿らせていた。
そんな天気のせいだったのか、初めて訪れた図書室はひどく静かで、
昼間なのにどこか薄暗かった。
カウンターがあって、自習用のテーブルが並んでいて。
そこかしこに、リラックスして本が読めるようになのか、ソファが点在している。
本棚はその奥。ずらっと並んだ背の高い本棚の奥は、さらに薄暗くて、
どこか別の世界に迷い込んでしまいそうだった。
…ここも、別世界ですけどね。
この第一図書室の隣には、禁忌書ばかりを扱う書庫もあるそうだけど、
そこにはとりあえず用事はない。
自習用テーブルの間を抜けて、その奥に広がる本棚の森に足を踏み入れた。
本が傷まないようになのか、窓にはカーテンがしっかり引かれていて、
電灯もところどころにしかない。
こんな環境じゃ、目が悪くなるよなぁ、なんて思いながら、私は更に奥へと足を進める。
静かだった。
自習用テーブルにも、数えるほどの人しかいなかったけど、
この本棚の森の中は、私以外誰もいない。
ここが広いから、そう感じるだけなのかもしれないけど。
でも多分、実際にあまり利用者がいないんだ。
特別教室ばかりが集まる特別棟の最上階、最奥。
こんな場所に図書室を作ったら、人が来ないのも分かる気がする。
勉強させたくないのかな。
危ない本があるから、興味を持たせたくないってこと?
よく分からないけれど、でも人の少ない図書室というのは、
私にとってはありがたいから、別にいいんだけどね。
基本的に私は、活字中毒者だ。
無人島に何を持っていきますか、って言われたら、きっとサバイバル道具だろうけど、
監禁されるのに何が欲しいですか、って言われたら、きっと本だ。
小説とか新書のたぐいが一番好きだけど、
別に新聞でも、エッセイでも、詩集でもいい。実用書の類は、文章がそのまま頭に入ってこないから、あんまり好きじゃないけど。
でも、読める文章なら、実用書でもいい。
それに、本当に読むものが無かったら、チラシでも取扱説明書でもいいから。
それくらいの、活字中毒者。
だから、昔から図書室が好きだった。
魔法学校に来て、なんで最初に確かめなかったのか自分を疑うけど、
きっと、あまりに突然に環境が変わって、思い出せなかったんだと思う。
学校も二週間目に入って、少し落ち着いたから、今日ようやく来れたのだ。
人も少ないし、なんか避難場所になりそうだな。
最近、周囲に人が多くいるのが常だったから、こうして一人になると、ひどく落ち着く。
ゆっくりと本の背表紙を眺めて、何か小説の類はないかと探してみるけど、
どうも魔法関連の本しかなかった。
棚が違うのかな。
まぁいいか、と一冊本を取り出して、パラパラとめくってみる。
魔術の発想法、と題されたその本は、まだ魔術というものを良く分かってない私には、
意味の分からないところも多かったけど、それでも面白かった。
そんなふうに、本に夢中になっていたから。
後ろから近付いている人影に、私はちっとも気づかなかった。
とん、と目の前の本棚に手をつかれた。
その音にハッとして、本から目をあげると、背後に人の気配がしていた。
この手は、その人のものらしい。
一体、何事か。なんで、こんなに近付かれるまで気づかなかったんだ、私!
なんかすごく嫌な予感がする。
そして、そういうどうでもいい予感ばっかり当たる。
ふぅ、と首筋に息をかけられた感覚がして。
それにゾクッとして、慌てて振り向いた。
なにするんだ、こいつ!
振り向けば、そこには結構の背の高い、男子生徒がひとり。
かろうじてシャツに引っかかっているネクタイの色からすれば、三年生だ。
そして。
その少年は、その整った顔を歪めて、意地悪そうに笑った。
「あんたの秘密、知ってる」
「ひ、みつ…?」
秘密、って何。
私が実は、魔術が使えないとか?魔法改正のために来ていて、実は高校生じゃないとか?
…ダメだ、思い当たるふしが多すぎる。
「秘密なんて、ないけど」
ここはしらばっくれるしかない!
動揺が表に出ないように、慎重に声を出す。何を隠そう、私は嘘が下手だ。
「へぇ?秘密じゃないんだ?」
彼は、ひょいと器用に片方だけ眉を上げて、私を嘲笑うかのように笑う。
…どうでもいいけど。
この人、普通に笑ったら、きっとかっこいいんだろうに。
性格のせいで、顔まで歪んじゃってる、可哀相に。
そんなことを思って。
緊張しないように、虚勢を張れるように、自分を奮い立たせてたのに。
「あんた、高校生じゃねぇだろ」
耳元で囁かれた言葉に、ビクっと身体の方が答えてしまっていた。
高校生じゃない。年を誤魔化している。それは、ひどく私をみじめにする。
「やっぱりな」と、彼は面白そうに笑った。
まるで、いじめっ子がちょうどいい“玩具”を見つけたみたいに。
そしたらこの場合、“玩具”は私、だ。
その瞬間、身体が羞恥で熱くなって、泣きそうになった。
何これ、何こいつ、あんた誰?
どうして私が。
こんなふうに扱われなきゃならないの。
「何の話だか、わかりません。どいてください」
私に覆いかぶさるようにあった身体を押しのけて、その場から立ち去ろうとした。
どうせ、ハッタリだ。
本当に分かってるわけない。
泣きそうな気持ちで、そう自分を慰めながら、
それでも、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
なのに。
…彼は、それを許してくれなかった。
「おい、逃がさねぇよ」
腕を捕まえられて、引っ張られた。
どこへ行くかを聞く間もなく、本棚の並ぶ図書室の奥へと引っ張られていく。
「はなして…!」
「図書室では、静かにしないといけないんじゃねーの」
「っ、」
それは正論だけど、それとこれとは話が違う!だいたい、アンタが言うな!
そう反論しようと思っても、長年ついた癖は抜けない。
声を出そうとするたびに、喉は私を裏切って、声を立ててくれなかった。
そうこうするうちに、図書室の最奥。
壁にそって並んだ本棚に、ぐいっと引っ張られた身体は押し付けられた。
背中に当たった棚が痛くて、思わず顔を睨みつけて、飛び出した文句。
「何す、るっ…!?」
恐ろしいことに。
次の瞬間、私は本棚に身体を縫い付けられて。
唇をふさがれていた。
一瞬、何が起こったか分からずに、
感覚は徐々に戻ってきた。
視覚。目の前に、あの憎たらしい顔があって。
触覚。唇になにか柔らかいものがあたっている。
聴覚。ちゅ、と小さくリップ音が聞こえた。
もうそこまで取り戻せれば、充分。
「何するの…!!」
押し返した身体は、意外にもあっさり離れた。
唇を拭っても、さっきの感覚は消えてはくれない。
泣きそうだった。どうして、こんな嫌な目に遭うんだろう。
ここは、図書室で。私の大好きな場所のはずなのに。
私に押しのけられた彼は、そこから私に近付こうともせず、
俯いたままで、どんな表情をしているかも、何を考えているかも分からなかった。
でも、そんなのはどうでもいい。
慌てふためく私を嘲笑っていようと、拒否されて驚いていようと。
とりあえず、こいつとこれ以上、係わり合いになりたくなかった。
それなのに。
「アンタ、新宮沙耶だろ」
「…!なんで知って…?」
彼は、私を知っていた。
「俺は、あんたを知ってる。今年23になるんじゃねーの?」
顔を上げた彼は、淋しそうな、辛そうな顔をしていて。
どうして、貴方が傷ついたみたいな顔をするの?
「あんたは、知らないんだろうな、俺のこと」
知らない。知るわけない。
私に、こんな年下の知り合いはいない。
それが、悪いことのはずないのに。
泣き出しそうに顔を歪めて俯く彼に、なんだか悪いことをしたような気がして。
高ぶっていた感情が、しゅるしゅると萎んでいく。
…いや、悪いことされたのは、こっちなんだけど。
「貴方は、誰?」
気がつけば、尋ねていた。なんだか、そうしなきゃいけない気がしたから。
その瞬間、彼はパッと顔をあげて、驚いた顔をして。
「綾坂 海斗。18歳」
呆然としたままの声で答える。
年までは聞いてないけど、まぁいいや。彼も私の年齢、知ってるしね。
「ちょっと事情があって、年を偽っていますが。黙っててほしいんだけど」
「…怒ってねぇの?」
どうやら元々の私を知っているみたいなので、仕方ないから認めれば、
彼は的外れな答えを返す。
怒ってるけど、今それぶつけてどうすんの。
「怒ってるし、許してないけど。黙っててくれるなら、許してもいい」
別に初めてじゃないし。
事故みたいなもの、で片付けられなくはないから。
すると彼は、ぱあぁっと顔色を輝かせて、笑顔になった。
「黙ってる、誰にも言わねぇ!」
「ちょ、声が大きい!」
しっ、と指を立てた私に、もう一度彼は笑顔になって。「変わってねぇのな」と言った。
「ねぇ、なんで知ってるの?」
「沙耶のこと?やっぱり覚えてないのかー」
「会ったことある?」
「秘密ー」
後から聞けば、最初の態度はインパクトのある出会いなら、印象を残せると思ったらしく。
第一印象が悪くなるだけでしょ、と言えば、「それでも良かった」という海斗に首をかしげた。
更新、遅くなりました、すいません。
ようやく海斗を出せました(笑)
主要キャラはもう一人、もう少しすると出てきます。