挿入話3・垣間見の舞台裏
きしきしと音を立てながら、長い廊下を歩く。
クロノス・ジャポネ本家の屋敷に来るのは久しぶりだけど、相変わらず広い。
日本建築の平屋建てで、いくつか離れもついている。日本庭園となっている広い庭は紫陽花が盛りで、今日も庭師が手入れに入っていた。
本家当主の養子となり、クノスとなって数年経つけれど、この広い屋敷はやはり俺には馴染まない。
けれど、当主となったら、ここで暮らしていかなくてはいけない。そう考えると、深い溜息が漏れた。
本家当主から呼び出されて、数日。
沙耶から怪しまれないように、どう口実をつけて来ようかと思っていたけど、むしろこの用事があってよかったと今は思う。
昨夜のことを思い出しても、やはり深い溜息しか出てこない。
もちろん、やらかした自覚はある。
だけど。沙耶が、拓斗や御堂、綾坂のことまで、男性と意識している様子を見せるくせに。
俺に対してだけは、いつまでたっても弟の感覚でいて、異性だと感じていないのだと見せつけられたら、そのままになんてしておけなかった。
あれで、少しは意識してくれるようになればいいけど。
一応俺が、沙耶の婚約者――結婚相手の筆頭なんだしさ。拓斗や御堂になんかに奪われてたまるか。
そんなことを考えながら歩いていれば、いつしか当主の部屋まで来ていた。
障子の前で足をとめて、ひとつ深呼吸。
あの人と話すのは、やはり緊張する。彼の思惑と俺の思惑が一致していないから余計に。
お腹にぐっと力をいれて、障子越しに声をかける。
すぐに、部屋に入るよう声がして、俺は静かに障子を開いた。
「失礼します。悠斗、参りました」
「あぁ、そんなに堅苦しくしなくていい。そこに座りなさい、悠斗」
そう言って、席を勧められる。まっすぐにそこに向かって腰を下ろせば、どうタイミングを計っていたのか、彼の秘書がお茶を持ってきた。
お茶の支度が整うのを見とどけた後、彼はすぐに秘書に人払いを命じた。
す、と閉じた障子の音を最後に、二人きりの空間に沈黙が落ちる。
ピンと張り詰めた空気は壊すのが恐ろしいようだけど、彼はまったく意に介さないように、腕を組み直して、口火を切った。
「さて」
ゆっくりと持ち上げられる、熱い緑茶の入った湯呑。
彼の一挙一動に目を奪われるのは、彼のカリスマ性故か、この緊張状態のせいか。
「彼女はどうだ。取り込めそうか」
無表情で紡ぎ出される言葉からは、彼が沙耶を道具として見ていることしか伝わってこない。
一応、あんたの姪のはずなんだけどね。
「拓斗が来たことによって、事情を話す時期が早まり、少々混乱しています。挽回出来ない程ではありませんが」
「それは悪かったな。まぁ、多少の混乱は元々予定していたものだろう」
拓斗を参入させたことに対する俺からの非難は、軽くいなされて。
「それに、お前をクノスとしたのは、彼女との相性を考えたうえでのことだ。拓斗が彼女の気を引けるならば、クノスが入れ替わることも当然あり得る。わかっているだろう」
伯父上からは、とんだ反撃を喰らう。いや、わかっていたことだけど。
「どう詐言を弄してこちらに招き寄せたかは知らぬがな。だが、何故彼女を向こうに戻す?
こちらに永住させる必要があることは、お前も理解しているはずだが」
「自由にさせておいた方が、きちんと戻ってきますから。彼女は、律儀で義理堅い。こちらが彼女の要望を飲めば、彼女にもこちらの要求を通しやすくなります」
「彼女をクロノス本家に取り込めるのであれば、方法はお前に任せる。だが、あの頻繁な転移はやめておけ。時空間魔術の魔力が枯渇するぞ」
「その点については、すでに解決をみております。今回、こちらから戻ってきた後は、後一度だけ往復して終わりということで、話がついています」
本当は、沙耶から言い出したことだけど。だけど、どこかで転移を止める必要があったから、沙耶からの提案は渡りに船だった。
あぁ、本当に俺はずるいな。
いかにも自分の手柄のように話をして。このままクノスであろうと、画策している。
「ならよい。ただ彼女に本来の目的を悟られぬよう、今後も注意しろ」
「はい」
そこで、話は終わりになった。
ごとり、と少し強めに置かれた湯呑の立てた音が合図だったのか、人払いされていたはずの秘書が、数秒もたたずに部屋に現れる。
俺は、それを合図に席を立ち、一礼をして部屋を出た。
伯父上の目的は、クロノス・ジャポネの目的とほぼ一致する。
魔法の改正作業に足りない魔力を、沙耶から補充すること。
本家筋であり、濃いクロノスの血をひく沙耶をクロノス・ジャポネに引き入れること。
だけど、叔父上の一番の目的はそこじゃない。
伯父上の、当主の本当の目的は、沙耶を傀儡にして、現在大きく二分されているクロノス・ジャポネをひとつにまとめることだ。
***
クロノス・ジャポネは今、魔法の扱いについて、大きく二つに割れている。
一方は、これまでどおり呪文による魔術行使の統制を行い、引いてはクロノス一族の権力を高めようとする者ら。
もう一方は、呪文による魔術行使の統制を解き、出来るだけ自由な魔術行使を可能にすることを求める者ら。
そして、前者の筆頭が現当主であり、後者の筆頭が元クノスである沙耶の父親だった。
沙耶の父親である治斗さんは、とても魅力的な人で、クロノス一族本家長男だということを差し引いても、慕う人がとても多かったらしい。
俺の父親――養父ではなく、実父の方だが――もまた、治斗さんを慕う人間の一人であり、俺に対して、よく彼の話をしてくれた。
だからこそ、治斗さんが提言した、魔術行使の統制を解き、もっと魔術を自由にしようという案は、クロノス一族の中でも広く受け入れられた。
そんな中で、治斗さんは、二十六年程前にこの世界から失踪してしまった。
失踪した当初は、現魔法を維持しようと考えている一派に暗殺されたとか物騒な話が出ていたらしいが、それは俺の父親や現当主によって否定されていて。
その理由は未だに不明なまま。
一説には、クノスという立場も責任も顧みず、沙耶の母親となる女性に惚れ込んで駆け落ちしたのだ、とも言われているが、それでもやはり、現魔法を維持しようとする一派の人間から危害が加えられそうになり、この世界から姿を隠したのだ、という説が一番有力である。
それが信憑性をもつのは、現魔法維持派のなかには確かに過激派ともいえる、暴力的な人間がいるからだ。
ただ、治斗さんがいなくなったことによって、魔術をもっと自由にしようと考える一派――魔術自由派は、その筆頭が抜けてしまったために、勢力が弱く、小さくなってしまい、クロノス・ジャポネの中でその主張を通すことが難しくなってしまったことは確かだ。
俺の生まれ育った環境は、すでに治斗さんがいなくなって数年経ち、魔術自由派は一応はいるけれども、その発言力は弱く、魔法維持派が主流というものだった。
そんな中で、一度だけ、魔術自由派が盛り返したのは、およそ七年前のこと。
治斗さんが、この世界に戻ってきたとき。
治斗さんは、もうこの世界に戻ってくるつもりも、クロノス・ジャポネに干渉するつもりもなかったと言っていた。
だけど、あちらの世界での魔術行使によって、あちらで生まれ育ち、ウライア魔法学校を卒業した若い魔術師が、禁忌三カ条を破った咎で亡くなった事件があって。
治斗さんは、その事件を知って、魔法をこのままにしておいては、あちらの世界で生まれ育ちながら、魔術素養をもって魔法世界に来た多くの人間が不幸になると言って、こちらに戻ってきたのだ。
魔法のうち、禁忌三カ条を廃止し、魔術をもっと自由に使えるよう改正するために。
しかし、その結果。――治斗さんは、亡くなった。
実際に何が起こったか、その真相は闇の中だ。
けれど、治斗さんがあちらの世界で、原因不明の事故で亡くなったことは事実だった。
その後、クロノス・ジャポネ一族の中で問題となったのは、治斗さんが残した一人娘の沙耶の存在だった。
その本家筋の血統もそうだが、なにより彼女が魔術素養を持ち、あちらの世界で魔法に縛られずに魔術を行使できる可能性があったことが問題視されていた。
しかし、沙耶をこの魔法世界に連れてくることによって、魔法維持派から危害が加えられることが予想されたことから、魔術自由派の人間をはじめとする治斗さんを慕っていた者は、必死になって彼女の姿を隠していた。
彼女は、両親からこちらの魔法世界については何も聞いていなかったようだし、魔術についても知らないようで、あちらの世界での魔術行使の可能性も低かったから、彼女の動向だけ押さえておけばいいと強く主張していたのは、俺の父親だ。
本家の人間がそういうならと、数年はそのまま硬直状態が続いていた。
それが大きく動いたのが、およそ二、三年前。
魔法の改正作業をそろそろしなければいけない、という話の中で、改正作業が出来るだけの魔力の持主がどれだけ残っているかが問題となった。
魔法の改正作業には、クロノス一族が自身で有している魔力を用いる必要がある。だけど、この固有魔力の量と、クロノスとしての血の濃さは比例している。そのため、本家の人間を中心に、固有魔力の多い者が数人で魔法の改正作業を行う。
だけど、治斗さんが抜けた穴は大きく、現段階では魔法の改正作業は、魔力量が足りずに難しいのではないかという懸念が強くあった。そこで浮上してきたのが、治斗さんの娘である沙耶を改正作業に加える案だった。
そこで、沙耶をこちらの世界に連れてきて、魔法の改正作業に加えること、そのうえで出来るなら、その血統を残すためと沙耶をこちらの世界に縛るために、クロノス一族本家の誰かと婚姻させることが決められた。
だけど、このまま沙耶をこちらの世界に連れて来れば、ほぼ間違いなく、魔法維持派から命を狙われる。魔術自由派の旗印としては、沙耶はあまりにも使い勝手がよかったから。
そのことを危惧した俺の父親は、俺を『クノス』に強く推薦し、沙耶を魔法世界で、俺や自分の庇護下において守ろうとした。
だけど、俺自身はそれに同意できなかった。それは、治斗さんとの約束があったから。
治斗さんと話が出来た時間は短かったけど、彼は俺をとても気にかけてくれて、キミに近い年の娘がいる、とよく沙耶の話をしてくれた。
沙耶の記憶を封じたから、沙耶は、自身が魔術行使が出来ることや魔法世界のことを、何も知らないことも。
沙耶が、魔法世界ではなく、あちらの世界で幸せになってくれることを望んでいることも。
もし、彼女がこちらの世界に来ることがあったら、守ってやって欲しいと彼と約束したのだ。
だから、沙耶の本当の幸せを望むなら、クロノス・ジャポネの都合なんて何も知らずに、魔法世界に縛られることなく、あちらの世界で生きられるようにしたかった。
改正作業に巻き込むことは、避けられないとしても、その後は自由に向こうに戻れるよう、最大限のことをしたかった。
そのために、沙耶に多くの嘘をつくことになってしまったことは、問題だったと思う。
だけど、一番の誤算は、魔法維持派のうち過激派の動きがあまりに早かったことと、俺自身の気持ちの変化。
沙耶は、笑顔が可愛くて、律儀で真面目で、嘘ばかりな俺を未だに信じてくれていて。
彼女の傍にいたいと、誰にも渡したくないと思ってしまった。
そんな中で起きた、飛行事故。
あれは、間違いなく、魔法維持派の過激派が起こしたものだ。
あの事故を受けて、沙耶を守るために、早く沙耶をこちらに呼び寄せた目的とその立場を告げたうえで徹底的に守ろうとする、俺の父親と。
沙耶から積極的な協力を受けるために、目的はなるべく隠しつつ、沙耶に俺ないし拓斗に好意を抱かせたうえで、魔法維持の方向で魔法の改正作業及びクロノス一族の分裂解消を企てる、当主と。
沙耶に憂いを残さないようにするために、目的を告げずに、魔術自由派の方向で魔法の改正作業に加わってもらったうえで向こうに帰したいと思いつつ、一方で傍にいてほしいと願っている、俺と。
思惑は、三者三様。
おまけに俺は、当主にも父親にも、自身の思惑は隠しつつ、立ち回らないといけないときてる。
特に、当主に俺が魔術自由派であることがばれないようにしなければ、このクノスの立場すら危うくなる。
拓斗にも、御堂にも、邪魔されている場合じゃない。一族の者じゃない綾坂なんて、論外だ。
だけど、一番立場を気にせずに、自由に沙耶にアプローチできるという意味で、綾坂が一番羨ましかった。
きっと沙耶は、こんな嘘つきなんて好きにならない。
沙耶を守るためだと、そういいながら、自身の思惑のために動いている俺なんて、絶対好きになんかならない。
俺がどんなに彼女が好きでも、好きになっても、この想いは成就しない。
名ばかりの婚約者にしかなれず、俺の思惑どおりなら、彼女は俺の傍にすらいない。
ごめんね、という一言すらいえない自分の立場に、今日も深い溜息をつく。
Fin




