15、今日はエイプリルフールではありません
お父さんがいて、お母さんがいた。
側にいる小さな女の子は、幼いころの私。
まだ小学校にあがる前くらいみたい。
お父さんは嬉しそうに笑ってて、お母さんはちょっと怒ったような、困ったような顔。
近くにいる幼い私は、なんだかはしゃいでいる。
…いつの記憶だろう。
何かを褒められて、嬉しかった。
認められた、みたいな気がした。
そう感じていたと、私の記憶が教えてくれる。
けど。何のときの記憶かについては、沈黙したままだ。
『だって、お父さんのむすめ、だもん!』
はしゃいでる私が、舌足らずに言う。
きっと、誰かに言われたんだろうな。
意味もわからずに、喜ぶ幼子。
何を褒められて、認められたんだろう?
お父さんの娘、ということは、父も同じ何かがあったということ?
ねぇ、父さん。
お願い、幽霊でいいから会いに来てよ。
聞きたいことが、いっぱいあるの。
***
意識が浮上して、目を開ければ、見知らぬ白い天井が見えた。
ぼんやりとしたまま、ゆっくりと身体を起こす。
薄ピンクのカーテンに仕切られた、白のパイプベッド。
あぁ、ここは。
「あら、目が覚めた?」
カーテンの間から、心配そうな顔を見せたのは、保健室の先生。
おっとりとした、40代半ばの女の先生だ。
やっぱり、ね。一瞬病院かと思ったけど、それにしては設備がなかった。
ここは、学校の保健室だ。
「気分はどう?着地したときには意識があったって聞いたから、頭とかは打ってないはずなんだけど」
そういえば、そんなことがあったんだ。
覚醒したばかりのせいか、頭の動きがひどく鈍い。
「黒須くんも、心配してさっきまでいたのよ」
クノス。
名前を聞いて、ようやくクノスが泣きそうな顔で、
私に駆け寄ってきていたのを思い出した。
…無事だって、言いにいかなきゃ。
「新宮さん?」
きっと、ぼーっとしていたんだろう。
先生がいつの間にか、私の顔を心配そうに覗きこんでいた。
「やっぱり、どこか調子悪い?」
「だ、大丈夫です!あの、えっと、お世話になりました!」
あわててペコリと頭を下げる。
そうすれば、先生はどこかまだ心配そうな顔をしながらも、クスクスと笑ってくれた。
「そう、大丈夫ならいいんだけど」
「はい、もう大丈夫です」
そのまま退室を告げて、ベッドから降りる。
校長も心配していた、と聞いたので、一言挨拶しようと、校長室に向かった。
私に何かあれば、校長だって困るだろうしね。
それが、どうして。
こんなことに。
校長室に着いて、ノックをしようとすれば、中で何かを言い争う声。
思わず躊躇って、扉の前でピタリと手を止めた。
…後でにしようかな。
そう思って、踵を返した瞬間に、耳に飛び込んできた声。
「一歩間違えば、沙耶は死ぬところだったんだ!!」
…この、声は。
クノスの声?
自分の名前と、死ぬなんて物騒な単語と。
さっきの事故が頭を掠めて。
クノスは何の話をしてるの?
立ち聞きはいけない。
そう頭の片隅で思いながら、足は一歩もそこから遠ざかろうとせずに。
むしろ、ふらふらと扉に近寄って行く。
ペタリと扉に耳をつければ、校長の声も、途切れがちではあれど、聞こえてきた。
「落ち着き…さい。彼女は無事だったのだし、…も戻ったようじゃないか」
「わからないだろ。ただ命の危機に、身体が勝手に動いた可能性のが高い」
「だとしたら、お前のやるべきことは、彼女に能力を取り戻さ…ること…」
「沙耶は忘れてるんだ、簡単には出来ない」
何の話だろう。
能力を取り戻すとか、忘れてるとか。
クノスの声は聞こえるけど、校長の声は少し聞き取りづらい。
そういえば私、さっきどうやって助かったんだっけ?
記憶が少し曖昧になっている。
あんな体験をしたせいだろうか。
「今回のような一族の介入から身を守るためには、早急に必要なことだ」
ぼんやりと考えていれば、突然また物騒な単語が聞こえる。
介入、って。
それは、さっきの事故の話を指しているの?
そうだとすれば、さっきのは。事故じゃなく、故意に起こされたものなの?
そう解った途端、背中に冷たいものが走る。
だって要は。
命を狙われてたってわけで。
「っ、沙耶をクロノス一族には巻き込まないと、言ってただろ!?」
「いつまでも甘ったれたことを!!そんなんでは一族をまとめあげ、魔法を守ることは出来ない!!」
荒がった校長の声。
「そんなこと、」
「そもそも魔法の改正には、必要なことだ」
「それは俺との婚姻で、話がついたはずだ」
…婚姻て、何?
もうさっきから、訳がわからない。
次々と、意味の分からないことが、扉の向こうで会話されている。
一体何が。
起こってるんだろう。
私の話をしていたんだと思っていたんだけど。
誰と誰が、結婚するわけ?
「…まだ何も告げてないんだろう?」
「急いては事を仕損じる。あんたの口癖だろ」
あまりの内容に、パニックになって。
だから、クノスが扉に近づいてきていた足音に気付けなかった。
カチャリ、とノブを回す音がして、我に返った。
ここにいたら、立ち聞きがバレてしまう。
…それに。今クノスと顔を合わせなければ、今の会話はなかったことになる気がして。
慌てて踵を返して走り出す。
「沙耶っ!?」
後ろでクノスの声がした。
当たり前だ、こんな距離じゃバレバレだ。
でも、怖くて。
私はそのまま走り続ける。
…クノスは追ってこなかった。
そのまま学園内を走り続けて。
止まったのは、腕を掴まれたから。
「おい、新宮っ」
右腕を掴まれ、急に止められたせいで、身体が傾いでよろめいた。
見上げれば、秀麗な御堂先生の姿。
あの無表情が、眉を寄せているせいで、ほんの少し崩れている。
どこをどう走ってきたか解らないから、なんで先生が目の前にいるかも分からない。
「どうした?死にそうな顔で走って」
「…御堂、先生」
この人もクノス側の人。
でも、ポジション的には、中立だったはず、だ。
その言葉を信じて良いかも、今の私には分からないのに。
頼ってもいいだろうか。
甘えても、いいんだろうか。
頭の片隅では、警報が鳴ってる。
けど、混乱したままの頭は、目の前にある糸に手を伸ばさせた。
「クロノス一族って、なんですか…。魔法の改正って、なんなんですか?」
もたらされた真相は、不思議な神話物語。