11、少しだけ昔の話を
「新宮 沙耶、さんですね?」
突然かけられた声に、驚いて振り向けば、そこには見知らぬ年配の男性がいた。
学校の帰り道。クノスが待ってるだろうな、と思って早足で歩いていたときだった。
休日ということで、いつもより早く切り上げてきたおかげで、まだ夜の帳は下りず。
暮れ行く空を背景にして、もうすぐ夏だというのに、目深に帽子を被ったその人は、いかにも怪しそうに見えた。
「…どちら様でしょうか」
多分、変質者を見るような目つきになっていたんだろうな。
その人は、慌てたように「あ、怪しい者じゃありません」と言って、帽子をあげた。
その顔は少し、どこかで見たような。そんな気がして。
「初めてお会いしますが、沙耶さんの父君の親戚なんです」
困惑した顔をしたままの顔で、その人はそう言って。
そして誰かに追われているみたいに、きょろきょろとあたりを見渡す。
なんなんだろう、この人。
お父さんの親戚?…そんな、まさか。
「…親戚?」
「そう、突然で申し訳ありませんが。魔法世界とは関わらないほうがいい。父親の二の舞になる。それだけ忠告したくて」
「っ、…え?」
「それでは」
「え、ちょっと!」
そのまま、その人は踵をかえして、雑踏にまぎれてしまい。
私は、ポカンとその場に立ち尽くして。
そこには、謎だけが残された。
たださっき感じた既視感は、父さんに似ているせいだと、ふっと気付いた。
***
私には、父も母もいない。
両親とも、私が高校三年のときに、交通事故で亡くなった。
ハンドル操作を誤って、崖から転落。即死だったと、警察から聞いた。
なんで両親は、あんな山中に行ったのだろう。
大学も決まっていて。新生活が始まろうってときに。
私の生活を、本当に一変させてくれた。
幸いなことに、保険金が多額に入ったことと、奨学金がとれたことと、母の妹にあたる叔母が親切に面倒を見てくれたおかげで、
無事に大学も卒業も出来たし、こうして大学院まで行ってるけど。
帰る家がないことが、たまにどうしようもなく淋しくなることはある。
「どーいうことよ、父さん…」
ゆっくり湯船に浸かりながら、溜息をつけば、それと一緒に愚痴じみた言葉もこぼれた。
ぴちゃん、とどこかで水滴の跳ねた音がする。
疲れた身体を休めるにはお風呂しかない!って言って、クノスを置いて、一人でお風呂中。
でも、それはただの言い訳で、本当は今日の帰り道に会った人のことを、一人で考えたかったから。
「父さん、親戚いないって、言ってたじゃん~…」
確かに、あの人は母さんじゃなく、父さんの親戚だと言った。
けれど。父さんは、自分で親戚はいないって言ってたんだ。
親も早くに亡くなって、兄弟もいないって。もしかしたら、父さんも知らないような遠縁の人?
確かに、父さんに似ていたし。親戚だって言われたら、納得しなくもない。
でも、それなら私の名前をどこで知ったか分からなくなる。
父さんを知ってるならまだしも、父さんが知らない遠縁に、誰が娘の私の名前を伝えるっていうの?
…調べられたの、かな。
そう考えて、一瞬背筋に寒いものが走った。
見知らぬ人に、あれこれ自分のことを探られるのは、あまり気持ちのいいものじゃない。
そして、なにより。
なぜ、あの人は『魔法世界』と私の関係を知っているのか。
父さんの二の舞って、どういうこと?
彼が、遠縁として私のことを知っていて、さらに魔法世界に属する人なら、私と魔法世界の関係を知っていても、それほど不思議はないけど。
でも、それなら向こうの世界で声をかけてきそうなものだ。
だいたい、向こうとこっちで時間軸がずれているんだから、『魔法世界』を知っている私が六月時点でいるって、なんで分かるの?
もともと私を遠縁と知っているのに、何故今になって声をかけてきたのかも分からない。
本当に、彼は一体何者なのか。
「父さん、化けて出てきて、教えてよ…」
何故か自分のことを知っている見知らぬ人より、幽霊でも父さんのほうが怖くない。
本当に、両親がなくなってから六年も経つのに。今更、親戚なんて言われても困る。
叔母さんもきっと知らないだろうし。
「あ。」
今更ながら。私は、自分の正体がばれていることと、正体がばれてはいけなかったことに気付く。
そうだよ、魔法の改正作業に呼ばれて。
極秘だから、身分を隠して魔法学校にいるのに。
…名前も変えなきゃいけなかったんだなぁ。
「クノスに伝えなきゃ」
そんでもって、クノスに相談してみよう。
ざぱぁと勢いよく、湯船から上がって。私は、一人で悩むお風呂タイムを終了した。
***
「は?ばれた?」
「そう、だと思う。少なくとも、私が魔法世界に行ってることは知ってる」
「…おかしいな」
「まぁ、こっちで私のことを知ってて、向こうで見つけたのかなって」
「…んー」
クノスは相変わらずふよふよ浮きながら、難しい顔をして考え込んでいる。
なんだろう、確かにおかしい点は色々あるけどさ。
海斗も、こっちでの私を知ってたみたいだし、まぁないことじゃないと思うけど。
「でも、すごい確率だよね」
「なにが?」
「だって、たまたま抽選にあたった私の遠縁に、魔法世界に関わる人がいたってことでしょ?」
どうも、魔術を持つ人って、あまり多くないみたいだし。
私に親戚が少ないことも合わせると、なかなかすごい確率じゃないかと思うんだけど。
「…遠縁?」
「あれ、言わなかったっけ?その人、父さんの親戚だって名乗ってて、本当に多分そうだと思う。父さんに顔似てたし」
「…嘘だろ」
そう私が言った瞬間、クノスはすぅと青ざめて。
何か、よくないことでも起こったみたいな。
「そんなはず、ない」
その声は微かにふるえていて。
ひどく困惑した表情に、こっちが困ってしまう。
確かに色々おかしな点はあるとは思うけど。そこは否定しなくてもいいんじゃない?
「沙耶の親戚?…父方の?」
「なんで?」
たまたま抽選にあたった私の親戚のことを、なぜクノスが否定できるのか。
…もしかして、まさか。
抽選とかじゃなかった…?
「なに、って何が」
「魔法の改正作業、法科大学院生の中で抽選だったんだよね?」
「…あ、うん」
「どうして、私の親戚に魔法世界に関わる人がいることが、そんなに驚きなの?」
私の背景を知っていて。それで、私を『選んだ』のだとしたら。
それは、何の目的のため?
…父さんの二の舞、って本当にどういうことなんだろう?
「……」
「クノス、答えて」
「抽選、だよ。その後で沙耶の背景、調べたから。だから、思いがけないこと言われて、驚いただけ」
「本当に?」
「嘘言っても、しょうがないでしょ」
そう言って、クノスはいつもどおりに、ニコッと笑って。
でも、今の私には、それがひどく嘘くさく見えた。
「…信じていいの?」
「信じてよ」
クノスしか、信用できないこの状況で。
クノスのことを信じきれない現状が、悲しい。
それでもきっと、私はまた魔法世界へと行かなきゃいけないんだろうな。
「…そうだよね」
「もう、そんな暗い顔しないでってば!」
にこにこと笑うクノスが、少し空元気のような気もしたけど。
クノスを信じないことの方が怖くて、私も無理矢理、笑顔を作った。
けど、どうしても、「父さんの二の舞」の言葉の意味を、クノスに尋ねることは出来なかった。
それは平穏に投げられた、ひとつの小石。
遅くなった上に、なかなか話が進まずに、申し訳ありません…。
次回からは、魔法学校に戻ります。
『日常話』を、そろそろ返上しなきゃかも…。
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