No.ビルメンテ
今回はとある研究者の実験の話。この実験は危なくないので、白衣や保護メガネは不要。教室でやることにします。先週から掲示板で連絡はしてたので、好きな音楽は用意しましたよね?
音楽を聞いたとき、人は何を思い描くだろうか。色彩、形状、質量、舞踊、舞台、物語。果てしなく解釈は続く。だからこそ賛否が分かれる。だからこそ芸術という名を冠する。それぞれの解釈の差違こそが音楽の醍醐味であろう。さらに、その道を楽しむ者は楽譜という画の先にある音色の差違にも注目できる。楽器の使われてきた年数や、ミュージシャンとの調和、その辺が見えるようになると差違の沼はより魅力的で深いものとなる。
おや、つい国語の教科書のような話をしてしまったね。すまない。音楽のこととなると熱っぽくなってしまうのだよ。ところで、君たちは普段、どんな音楽を聞いているのかな。恐らく、お気に入りの曲には何かしら共通点があるだろうね。テンポやアーティスト、ジャンルが偏ることはよくある。私も同じだ。しかし、一つ考えてみて欲しい。君たちは音楽の『雰囲気』をしっかり見ているかい。世の中にはlieblichやanimato、他にもpateticoなど様々な雰囲気を指す用語が存在する。今の時代ではほとんど耳にすることがないだろうけどね。音楽の様式は長い歴史の中で色々と変化してきたのだから、この話をいつまでもしていると懐古主義のように思われるかもしれない。しかし、指定された雰囲気を再現することはワクワクするものさ。私は現代の人にも己の力で雰囲気を再現する楽しさを知って欲しいんだ。そこで私はとあるプロジェクトを立ち上げた。
プロジェクト名は『高貴な祝日』。仕組みは簡単。とある小さなビル街を買って、音楽を垂れ流しにしておくだけ。費用はビル街一つと被験者たちの生活維持費ぐらいで、手頃なものさ。
前提として被験者はきっちり30名。怠惰な被験者は必要としないため、有志を募って集めた。つまり、ほとんどが音楽愛好家さ。中には有名なミュージシャンもいた。だが、重要なのはそこじゃない。このプロジェクトにおいて重要なのは、音楽の技術よりも表現力。どれほどの柔軟性を持ち合わせているかだ。
このプロジェクトでは音楽に人の感情を同期させる。つまり、喜怒哀楽等の権利を全て音楽に贈与するんだ。楽しい音楽ならば苦しいときでも楽しい。悲しい音楽なら嬉しいときでも悲しい。人の内面的な感情を音楽由来の行動で上書きしてもらうのさ。そこに私情は要らない。求めるものはただ一つ。音楽という概念の理解だ。振付師もバンドのメンバーもいないこの街で、どのように『雰囲気』を再現するかを私は見たい。
ここからは実験結果を述べていこう。
プロジェクト初日。
我々は被験者30名と接触し、挨拶を交わした。現時点では反応も多種多様で、緊張や期待、自信や不安などが見受けられた。この実験では外界からの影響を防ぐためにあらゆる通信手段を使えなくする。存外、そのことへの不満を抱く人物はおらず、速やかに実験は始まった。開始から一週間は生活の準備や慣れということで、実験には着手しない。精神的疲労を減らし、均一な状態にすることが目的だ。被験者は初日から互いにコミュニケーションを行い、孤立を防いでいる様子がみられた。所属欲求なるものだろう。マズローの欲求階層説で考えると、我々が生活の安全を用意しているため予測可能な行動と言える。ヒエラルキーのようなものが成立しないことを願おう。
実験初日。
プロジェクト開始から一週間が経過し、初日と比べ被験者もかなり落ち着いた様子だ。ビジネスホテルのように単調だった空間は、個性が光る居場所へと変貌していた。それらの発注は私の助手がしているのだが、経済的な格差が一目瞭然だと語っていた。被験者には実験の開始を宣告し、今後一切の感情を音楽に委ねるよう改めて伝える。反対意見はなかったため、正常に実験は開始された。我々は手始めに優雅な古典派のクラシックを流すこととした。優雅な音楽が流れているだけでも街の雰囲気は変わる。被験者は非常に穏やかな様子で交流していた。優雅とは意図して創るものではない。自然と安らいだ心であることこそ優雅なのだ。つまり、被験者にとって優雅な音楽というのは負担が少ない音楽。実験の試運転にはクラシックがおすすめと言えるだろう。
実験開始から一週間経過。
一週間が経過し、曲のレパートリーもある程度は試した。しかし、特に変わった様子は未だみられない。単調の曲であれば暗く、長調の曲であれば明るく。観察している限りでは、被験者の意識はその程度に感じられた。単調のときには外出を避けて部屋に籠る被験者もいた。恐らく、被験者はまだ自我に振り回されている。暗い雰囲気が生む不安に恐れを抱いているのだ。『恐れ』を抱く行為は単調な曲全てに通じるものではない。グレーラインを踏んでいると言えるだろう。無意識の『恐れ』を与えないように被験者には伝えなかったが、音楽に従わない被験者は摘蕾していくつもりだ。秩序を乱す存在がいると周りの存在に悪影響を及ぼしてしまうのだから。とはいえ、まだ警戒するほどではない。
実験開始から一か月経過。
曲の切り替えで曲が一時的に停止する際に、突如脱力する被験者や悪寒を訴える被験者が少数ながらみられるようになった。明らかに音楽と同期している一名と、断定には至らないがそれらしき三名。音楽が感情に同化してきている証拠だろう。この段階に突入した被験者は雰囲気への理解も深まるのか、これまで何度か見られた解釈違いな行動をすることが減った。音楽に本来答えはないのだが、この段階に突入した被験者同士は様子がかなり一致している。被験者には自我が残っているため断言できないが、ドーパミンの供給が止まった可能性がある。仮に音楽の好みというものが消え、音楽の情景を汲み取る際に主観が含まれなくなったのならば様子の一致は自然であり、その一連性が確かなら快楽成分はほとんど出ていないはずだ。もしそうだとすれば、数人の被験者の中では音楽は暗号化されているとも言える。最初にこの段階に突入した被験者にはAと名付けよう。三名はまだ確信がないため保留とする。
実験開始から三ヶ月経過。
我々は歌詞を含む音楽の再生も開始した。使用した言語は英語、イタリア語、ドイツ語、日本語、韓国語である。被験者の中にはそれらの言語を母国語とする人もいたため、歌詞が理解できるか否かで反応が異なるのではないかと予想された。Aは英語とイタリア語を理解できるとプロジェクト開始以前に語っていたため、仮説通りならばそこに限ってAは他者と異なる反応をするということになる。しかしその結果は我々の予想に反した。Aはイタリア語を理解できない被験者と同様の反応を示し、その後の行動までもが一致していた。両者は歌詞の内容も理解した上で行動しているようでもあった。そうでなければ長調の曲で気分が沈むのはおかしい。とはいえ、周囲の被験者がAの真似をしている可能性も否定できないため、奇妙な法則性を持つ現象として受け入れるにはデータ不足。我々も時間というツールを有効活用してサンプルを集めていくとしよう。
実験開始から半年経過。
30名のうち18名がAと同じ状態となった。ひとまずA~Rまでの識別コードを与え、26番以降は極端に適応が遅かったということで番号は与えない方針で進めることを決定した。これらの決定事項は一つも被験者には共有されないこととなっている。簡素なコードで呼ばれて気分の良い人間なんていないのだから。とはいえ、この人数を助手と二人で管理していると顔合わせのときについコードで呼びそうになる。実験チームに三人ぐらい私のラボの人間を入れておくべきだった。優秀な他所の人材ばかりを利用する際にはこうならないよう注意すべきだろう。半年という期間は一つ大きな区切りだが、実験は一年以上を想定しているために書くことは驚くほど何もない。一つ書くことがあるとすれば、一昨日からAが会話に応じなくなったことぐらいだ。機嫌を損ねているというより、言葉というプログラムがごっそり抜け落ちているようだった。道徳に従えば今すぐでも実験を止めるべきだろうが、停止を促す意見はなかったため続行とする。
実験開始から八ヶ月と十三日が経過。
AとEに奇妙な様子が見られたため、公開予定のなかった日誌から急遽この日について引用することとした。事の発端は一枚の無地のディスクにある。そのディスクの中身は世間に出る前に消されてしまった、いわゆるボツだ。つまり、流すまではどのような楽曲なのか分からない。つい私の知的好奇心が先走り、今月は御蔵入りディスクを流す月間としていたのだ。曲の当たり外れ以前に、被験者の変則的な反応を観察するにはボツこそ良質なサンプルと言える。そしてこの日、狙い通りの異変を確認できたというわけだ。そのディスクに刻まれた音色は、穏やかな人格を持つA及びEの攻撃性を格段に引き上げた。これまでの実験では音楽が行動そのものを支配することはなかったが、今回は行動までもを音楽が支配していたと考えられる。その根拠は暴走後のEにある。Eの全身から激しい負荷を与えたような骨折が見つかったのだ。本来ならばどれほど錯乱していようと、生命を維持するシステムがある限りは力に制限がかかる。それなのにEは主要な骨が折れるほどの力を引き出した。つまり、脳が制御という司令塔の役割を放棄したのだろう。重機のハンドルを赤子に握らせれば当然ながら事故は起こる。このディスクにはそんな赤子と同等の何かが入っていたのだ。人の体にとっては質素な何かだが、ディスクにとってはこの上なく贅沢な何か。隔離などの適切な処置をしながら研究を続けていこう。最悪が起こらぬように祈るばかりだ。
実験開始から□□□□経過。
私が出張をしている隙に、Aが姿を消した。助手の証言によると死亡ではなく逃亡。しかし、この街は4mの鉄柵で包囲している。鉄柵には指紋も損傷もない。間違いなく人間はここを越えていないだろう。仮にAが人間という一線を越えてしまったのであれば、それを逃がした我々は安全保障の問題で契約違反となる。国家国民の安全と被験者の安全を担保した上での実験だというのに。残念ながら実験は中止だ。Aと似た状態にある被験者は全員収容または始末する。近い将来、助手にもそのような措置を行う予定だ。何に惹かれてこの街を去ったのかは分からないが、この街を一歩出てしまえば私も容赦はしない。明日からはAの捜索に着手する。やはり実験には犠牲が伴うものだ。犠牲となるのは根幹にある我々科学者で充分なのだが……
仕事も暮らしのメンテナンスも要らない『高貴な祝日』。感情のコントロールも悩みも不要だ。音楽に全てを委ねて高層ビルから世界を眺めるだけでいい。素晴らしいことではないか。しかし、そんな理想郷も永くは続かなかった。人間はやはり身の丈にあったことをしていないと駄目なのだろうか。今思えば、この街に足りていなかったのは絶望と希望だ。全てが揃っていて、被験者は何も強いられない。それ故に絶望に踠くことも希望に縋ることもなかった。『雰囲気』という垣根の先にはいつも人間の希望や絶望があったのだ。きっとAは希望そして絶望を探しに行ったに違いない。それが欠けていては音楽を表現できないと気付いてしまったのだろう。完全に盲点であった。人間はやはり愛おしい。気付かなければ幸せだったというのに、気付いてしまったのだ。気付いてしまったからには止まれない。音楽もまた人の子。遺伝するのだろう。
さてと、長々と考察を語っている場合ではないね。私の被験体が人様に迷惑をかけてしまう前に鎮圧しなくては……
君たちにはこれからも私の研究の断片を時折見せていこうと思うよ。見るか見ないかは君たちに委ねるが、実験結果はいつも必ずここにある。それでは、いつかの再会に期待して。さようなら。
音楽にはやっぱり雰囲気大事だと思います。ライブハウスでベース弾くと本当にいい音しますからね。音響だけじゃなくて気分も関わってくるものなのです。彼曰く、研究は今後も続けるそうなので、僕が月1ぐらいで連絡しますね。




