8話 魔法と錬金術
辺りは夕日に包まれており、病院の職員や診察に訪れた人たちが帰路につき始めていた。
神無月町病院の広場には様々な木々が植林されており、四季折々の葉色を楽しむことができる。
もう4月も終わり、新緑の季節に変わりつつある。
夕日に照らされた若葉たちは時折、黄金色に輝き、心地いい風と共に帰り行く人々の心を癒していた。
それは一日の終わりを告げる光景だった。
しかし、二人は広場の中心で足を止めていた。
そう、璃乃と少年はスタートラインに立ったばかりであった。
「まずは、お前はどこまで知っているのか教えてほしい。なんでもいいから気になることを言ってくれ」
広場の中心のベンチに腰を掛けた璃乃と少年。少年は探りを入れる意味もあり、この質問をしているのだろう。
「私が知っていることは人間ではないバケモノ?みたいなのが私の家を襲って、君が助けてくれた。でも記憶が変わって、“強盗に襲われた“って思ってた。そういえばお母さんとお父さん、いや、警察も強盗が家を襲ったってことを信じてた」
璃乃の記憶が変わっているなら、自分が熱にうなされ錯乱していた可能性もあったが、両親や警察まで強盗の話をしているとなると話は変わってくる。
「これって一体……でもこれは明日香ちゃんの病気にも関係しているの?」
経験のないことが続いており、整理が追い付かない。
「そもそも、なんでお前は琴宮明日香の病気が普通のものではないと感じたんだ?確かに神無月高校のみで起きている。感染症ではない。他の人は完治している。疑いたくなる材料は多いが、お前の普通ではないという発想は……」
口ごもる少年。
「だって魔法使いはいるんでしょ?」
「……俺が言ったんだっけ?」
少年の開いた口が塞がらない。
「君が言った!カッコつけながら言った!」
「俺としたことがーー!」
思ったより天然なのかもしれない。
頭を抱えて悶えている少年を横目に、璃乃はくすっと笑う。
「君らしくないね。でも面白いよ」
璃乃は口元に手を添えて明らかに笑っている姿を少年に意地悪心で見せる。
少年の頬が少し赤くなるのが分かった。
仕切り直しとばかりに大きく咳ばらいをして、人差し指と中指を立てる少年。
「今回の事件は二つだ、一つ目はお前を襲った奴、“俺たち“はそのまま“怪物“と呼んでいる。そして怪物は魔力をある程度扱える」
指を折り曲げ、少年は続ける。
「魔力を扱える者は基本的に魔力を扱えない者からは“認識されない“これを【記憶改変】と言う」
少年のキリっとした目つきから時折、暗い影が差す。
「ただし、例外がある。それは魔法使いとして覚醒しかけている者や、魔法などを理解している者だ。そいつらは最低限の認識はできる可能性がある。お前は多分前者だ。それだけでは“記憶改変“に抗うことができずに、記憶が現実に起きうる事象に変換されてしまう場合がある。次に——」
「待って!ストップ!」
聞いたことのない単語や説明が続き、頭がパンクしそうになる璃乃。
「魔力?覚醒?魔法を理解している者?どういうこと?」
少年は頭を抱えながら、ため息をつく。
「そうだったな……お前、何も知らないんだったな」
少年は腕を組み、少しの間唸りながら考え込む。
考えがまとまったのか、今度は指を3本立てた。
「まず“魔力“ってのは、魔法使いの力の源だ。……体力みたいなもんだな。まぁ一般人にもあるんだがな」
「なるほど、分かりやすい。シャーペンで言うところの“芯”みたいなモノだね!」
「……なんでそこで文房具なんだよ。いや、まあ——概ね間違ってはないが、もっとマシな例えがあったろ。“スマホのバッテリー”とか」
少年は呆れながらも説明を続ける。
「次に“覚醒“。これはそのまんま、“魔法使いに目覚めること”だ」
「ほうほう……!」
璃乃は頷きながら、話を追っていく。
「で、最後が“魔法を理解している者“。これはな、魔法ってものがどういうものか知ってる奴らのことだ」
「それってつまり……?」
分かりそうで分からない話題に璃乃は顎に手を乗せ、首を傾げる。
「つまり、“魔法によって記憶や認識が改変されること”も知ってるし、自分にそれが起きても気づけるってことだ。だから“改変する意味がない”」
「意味がないって……どういうこと?」
「魔法使いは、基本的に一般人を巻き込まないようになってる。“住む世界が違う”って扱いなんだよ。だから、干渉した痕跡を消す必要がある」
「記憶を変えたり、見たものを“なかったこと”にするのも、そのためってこと?」
「ああ。ただし……それを悪用して、記憶を好き勝手に弄るクソ野郎もいる。今回の件も、もしかしたら——」
言いかけた少年の言葉を、璃乃が遮る。
「ゲームの世界と現実の世界が交われない、みたいな?」
「お前……例えがズレてるのに、なぜか合ってるのが腹立つな……まあ、そういう認識でいい」
璃乃は小さく笑う。
「そっか。ちょっとずつ分かってきたかも」
「そこで今回の琴宮明日香や他の生徒にもあった病気についてだ」
明日香の名前を聞くと、胸が締め付けられる。
「今説明した怪物の話と、この病気の話が関係あるか、分からないっていうのが俺の見解だ。怪物の発生源が分からない以上詳しく調べらないしな」
「分からないって……もしかしてお手上げってこと?」
璃乃はベンチから立ち上がり、少年の前に立つ。
「誰もそんなこと言ってないだろう。今回の犯人はほぼ掴めてる」
少年の瞳に淀みが映る。強く握られた両手が手の甲で赤くなっている。
「犯人、誰なの?」
学校のみんなを苦しめた。明日香に至っては未だに苦しんでいる。
璃乃は強い怒りを抑えることが難しかった。
しかし、それ以上に少年はなにか特別な感情があるように思えた。
少年はゆっくりと口を開く。
「犯人は、錬金術師だ」
少年の周りから色彩が失われ、黒い何かに取り憑かれているようだった。
今日様々な話をしてきて、何度も対立をしたが今の彼は次元が違う。
恐る恐る質問をしてみる。
「錬金術師って?」
声が震えてしまう。璃乃がまるで見えていない。彼は違う何かを見ている。
「生きている価値のない奴らだ。俺はあいつらを——」
少年の声はあまりにも低く歪んでいた。
それは璃乃を怯えさせるには十分であり、思わず目を逸らしてしまった。
ハッとした様子で少年は璃乃を見た。
少年は我に返ったように語気を弱めて呟く。
「……すまん、少し頭を冷やしてくる」
少年はベンチから立ち上がり、広場の奥へと歩いていった。
取り残された璃乃はベンチの中心にある木の葉の揺らめきを見つめていた。
怖かった。でも、それ以上に悲しそうな目をしていた。
遠くにいる彼の姿は今まで出会った人の中で、一番自分と似ていない。
ただの我儘なのかもしれない、でも思ってしまった。
——彼を助けたいと。
「ねぇ!君!」
明るく、透き通る声が病院の壁に反射し木霊する。
少年が振り返ると。
「私の仲間にならない?」
突拍子のない無垢な想い。
本来なら立場は反対であるのに彼を一人にしておけなかった。
だから璃乃はおどけたのだ。
想像だにしない言葉に少年は驚目する。
「バカじゃねのー!お前!」
すぐに目を伏せた彼は微かに笑っているようだった。
璃乃は少年のもとへ駆け寄り、ふんっと頬を膨らませて言った。
「君みたいなぶっきらぼうな人より、よっぽどまともですよーだ」
そして、不器用なあっかんべーをしてみせる。
次第に二人はおかしくなってきて、笑いが込み上げてきた。
「普通俺がお前に言う言葉だろう?」
「君が言ってくれないから待ちきれなかったんだよ」
「初めて会ったよ。お前みたいな変な奴」
少年は降参とばかりに肩をすくめる。
「変な奴はお互い様でしょ?」
余韻に浸りたかったが、親友が管に繋がれている姿が瞼の裏に浮び、次第に口角が下がった。
「だから教えて。錬金術師と戦う方法を」
少年は一瞬だけ目を伏せたが、鼻で笑ってみせる。
「あぁ、お前の誘いに乗ってやるよ」
二人は、病院の広場を歩き出した。
「錬金術師は、魔法使いと対立する集団だ。魔法使いが“無から有を生む”のに対して、錬金術師は“有を別の形に変える”」
「……“有を変える”? それってつまり?」
「様々な手法で、あるものを別のものへ“錬成”する。それが錬金術の基本だ」
「積み木を組み替える、みたいな?」
璃乃は首を傾げながら、お得意の例えを放り込む。
「わざとやってるだろ……でもまあ、大体合ってる」
窓から反射した夕日が二人を照らし、影は止まった。
「今回の件は、錬金術師が神無月高校に結界を仕込んでいた」
少年は振り返り、眉間を寄せて地面を見つめる。
「魔力ってのは、生命力でもあるんだ。魔法が使えない一般人にも魔力=生命力はある」
そして、地面を踏み潰すように踵を押し込んだ。
「結界は生徒の生命力である魔力を吸い取っていた」
「なんでそんなことを……?」
「まだはっきりとは分からない。でも、恐らく高度な錬金術を使うためのエネルギー……魔力を集めてたんだろう」
「じゃあ、私たちが襲われたのって——」
「……あぁ、“俺たち“はその結界を壊した。でもまだ一つだけ、残ってた。小さな結界が、病院内に」
璃乃の心臓が一瞬、跳ねた。
「……もしかして」
少年は静かに頷いた。
「そう。残っていた最後の結界は——」
「琴宮明日香の病室にあった」




