7話 花束はあなたへ
——神無月町病院 ロビー——
「——様、——様、内科窓口の方へ——」
連休の谷間ということもあり、ロビーは人で溢れていた。
椅子もほとんど埋まり、通り抜けるだけでも一苦労だ。
そんな人波の中で、二人は背中合わせのように、互いに逆方向を向いていた。
案内板をじっと見つめる璃乃と、出入口の方を注視する少年。
その無言の立ち姿だけでも、二人の距離感が伝わってくる。
「お前は、その友人の面会が目的ってことでいいんだな?」
柱に背を預けたまま、少年が問いかける。
その目は正面を向いたままだ。
「うん……」
璃乃の表情は冴えない。
「私や他のみんなはもう元気になってるのに……どうして明日香ちゃんだけが、こんなに苦しんでるのか、それが知りたい。……それに、やっぱり心配で」
璃乃は握りしめた拳に力を込めた。
もう片方の手には、小さな花束。
病院へ向かう途中、花守生花店で買ったものだ。
『きっと明日香ちゃん、喜んでくれるよ』
そう言ってくれた優花の切なそうな顔が璃乃の胸に引っかかっている。
少年はその花束に一瞬だけ視線を向け、言葉にはしないまま、ふっと出入口の方へ顔を戻した。
「やはり来ないか……」
ため息交じりに零れた言葉は少年の焦燥感の表れのようだった。
「誰か来る予定だったの?」
疑問を投げかける璃乃。
「いや、来ないとは思ってたが、案の定って感じだな。じゃあ行くか」
少年は切り替えが上手いのか、表情を変えずに面会の受付を行っている窓口へスタスタと歩き出す。
「っえ?どこか分かるの?」
「何回来てると思ってるんだよ。そもそも案内板を見てなかったので分かるだろう」
明らかに璃乃を好意的見ていない言い方。単純に腹が立つ。
璃乃は小走りで少年に反撃をする。
「君さ、友達いないでしょ?」
「っな!?」
少年は立ち止まり、覗き込む璃乃をジッと睨む。
「図星なんでしょ?」
意地悪そうに、にやつく璃乃を横目に少年は黙り込み、窓口へ向かう。
「もう、冗談だってばー」
少年とのやり取りが少しだけ楽しくなってきた。
窓口に着いた璃乃と少年。
「琴宮明日香ちゃんの面会をお願いします」
「少々お待ちください」
受け付けの人がパソコンで面会記録らしきものを確認している。
「お名前のご記入をお願いします」
出された紙に名前を書く——九条璃乃と。
この子の名前を知らないと思った璃乃は、少年が名前を記入している時に覗き見ようとして身を乗り出す。
すると背後から「もしかして璃乃ちゃん?」と渋く、凛々しい声が璃乃を振り向かせる。
そこには燕尾服を見事に着こなしている、白髪の男性が立っていた。
「恭平さん!お久しぶりです!」
この男性は璃乃が明日香の家に遊びに行く時にいつもお菓子や紅茶を入れてくれたり、時には勉強を教えてくれたりと、璃乃の恩人である琴宮家の執事——恭平。
「お久しぶりです。お会いするのは3か月ぶりくらいになりますかね?」
璃乃が神無月高校に入学できたのは半分は恭平が実質的な家庭教師をやってくれていたからである。
「受験勉強の時は本当にありがとうございました!恭平さんがいなかったら、私、多分落ちてました。合格発表のあとに明日香ちゃんの家で合格お祝いをやってもらったのが最後でしたよね?」
恭平は優しく微笑み、まるで娘を見るかのような優しい眼差しをしている。彼はいつも明日香や璃乃に優しく、味方でいてくれている。
「あの時は楽しかったですね。璃乃ちゃんも明日香様も夜通し騒いでいて、麻衣子様が帰ってこられたらどうしようかと思ってましたよ」
「ドキドキでしたね!」
そんな談笑をしていると、名前の記入が終わった少年が、恭平にお辞儀をして挨拶をする。
「この方は明日香様のご友人ですか?」
「はい、そうです。明日香さんとは仲良くさせていただいてまして、今日は二人でお見舞いに伺わせていただくところでした」
少年は平然と嘘をついていた。そして彼は璃乃に視線を送る。
「なっ?」
璃乃もビックリな無茶ぶりをしてきた。
「そうそう!彼は私と明日香ちゃんの友達なんですよー!だから二人でお見舞いに——」
少しだけ声が裏返った。いきなり過ぎる無茶ぶりは心臓に悪いと璃乃は唾を飲み込んだ。
とにかく早く話を切り替えなくてはボロが出る。
「恭平さん、明日香ちゃんの容態は?」
一息ついて、本題を恭平に聞く。
しかし、恭平の顔は浮かない。それだけで璃乃は胸が締め付けられる思いだった。
「まだ意識が戻らないのです。感染症の類ではないようで面会は許されておりますが……」
恭平は説明をしながらも遠い目をしている。
「麻衣子さんは?」
璃乃の質問に彼は首を横へ振る。
「ご面会の方、どうぞ」
受付の人に呼ばれ、エレベーターへ向かう二人。
「私は先ほどお会いしてきたので、璃乃ちゃんまた」
あれほど悲しみを隠せない恭平を璃乃は初めて見た。
エレベーターから明日香の病室まで二人は無言だった。何も話す気になれなかった。
4階の看護師が明日香の部屋まで案内をしてくれ、扉を開ける。
「明日香ちゃん……」
ドラマやアニメで見たような器具が管を通して、明日香の腕に繋がれていた。
バイタルモニターが波形を表示しているが、波形が波打つたびに悲しみが強くなる。
「こんなことって……」
涙が溢れそうになる。
——悔しい。何もできないのがこんなにも辛いなんて。
今は泣けない。ここで泣いたら、戦っている明日香を諦めてしまうような気がするから。
璃乃は自分の手をじっと見下ろす。
「無理しなくってもいい。泣きたいときに泣かないと、やってられなくなる時もある」
少年は涙を溜めている璃乃を見て、肩を優しく叩く。
「ありがとう。でも明日香ちゃんの前で悔し泣きなんかしたくない。今は明日香ちゃんを応援したい」
「そうか」
璃乃は管に繋がれていない明日香の手を握る。
「明日香ちゃんなら絶対に勝てる。私が付いてるからね」
優しく手を握り、そっと置く。
少年は少し離れたところで部屋全体を見回している。
「俺も用事があるから30分くらいしたら戻ってくる」
「うん。ありがとう」
少年は病室を出る。
璃乃と明日香は二人っきりの時間を過ごした。
面会が終わり、帰りのエレベーター内で璃乃はインジケーターを見つめていた。
「お見舞いに来られてよかった。明日香ちゃんの元気を取り戻すために頑張る覚悟ができた」
「そうか。この後、病院の外の広場で、この事件に関して俺が知っていることを全て話す」
「うん」
「でも分かってるな?もしそれを知ったらお前はもう戻れない。いや戻ろうとするくらい中途半端な考えだったら——」
声が急に冷たくなる。
「俺が殺してやる」
校門前で話し合った時と同じ冷たい空気が背をなぞった。
彼の言葉に偽りはなく、本当に璃乃を殺す気なのだろう。
しかし、璃乃は怖気づかずに少年の方へ振り向く。
「当たり前でしょ。私はもう命を懸ける覚悟はできてるよ」
「お前……」
二人の視線がぶつかる。




