58話 雨、上がったな
◆サイド:瑞穂◆
——俺はお前を信じている。
通話を切り、玄関の扉を開ける。
「兄貴。行こう。オレたちで止めるんだ」
扉の先には拓斗が神妙な面持ちで待っていた。
——俺が決めたことだ。チームである璃乃と拓斗を分断させると、そう決めた。
全ての責任は俺にある。璃乃の想いを踏みにじって、拓斗の信じようとした気持ちすら折らせた。だから俺にできることは。
“この命に代えても絶対に誰も死なせないことだ“。
傲慢とも言える瑞穂の考えは、己の心を固めるための自己犠牲の呪い。
スニーカーの靴ひもをきつく結び直し、立ち上がる。
「あぁ、“俺“たちが止めるんだ」
アジトであるマンションのエントランスを抜けると、澪が雨上がったばかりの空に微かに浮かぶ落ち行く夕日を寂しそうに見つめていた。
「話せた?」
彼女は瑞穂に背を向けながら、穏やかに聞いた。
「……あぁ」
瑞穂の返事を聞いても彼女は夕日の方を見つめて顔を見せようとしない。
「私の弟子たちはどうして、こんなにも優しい子ばっかりなんだろうね」
微かに震えているように聞こえる声をひっそりと潜めて、澪は振り向いた。
引き結ばれた口元が開く寸前、僅かに音がない時間があった。
師匠は弟子たちに優しいと言うが、この状況で芯からそう思える彼女自身が誰よりも大人で優しく、自分を責める人であることを瑞穂は知っている。
しかし、瑞穂はこのことを口にはしない。なぜなら、彼は澪の僅かな迷いを増幅させる言葉しか持ち合わせていないから。
似ているというより、瑞穂が澪に似てしまったのだろうか。
そんな考えを巡らせていると、澪の口が大きく開いた。
「私はA地点の西地区へ向かう。瑞穂と拓斗はB地点の神無月町駅の方へ行って。このチャンスを逃すわけにはいかない!」
三人は雲に見え隠れする夕日に照らされながら、静かに頷いた。
一瞬、静寂が瑞穂たちを抱きしめる。
「じゃあそっちは任せたよ。瑞穂!拓斗!」
口火を切った澪は地面を蹴り上げて、姿を消すように走り去っていった。
「俺たちも行くぞ!」
「うん」
瑞穂と拓斗も目標地点である神無月町駅前のビルへ走り始めた。
——だが、ほんの1時間前には作戦の方針すら決まっていなかった。
璃乃がカフェを飛び出してから三人はアジトへ戻るための道中を少ない会話を贖罪とし、傘に落ちる雨粒の五月蠅さに思考を委ねていた。
アジトのマンションが見えてくる事に拓斗のスマホが鳴った。
「兄貴!DMだ!少し前に楽なバイトの募集ってハッシュタグを辿って送った奴、二人から返事が来た!」
すぐさまアジト内にある澪の部屋で作戦会議をすることなった。
玄関にはスニーカーやブーツなど10足以上の靴が所狭しと置かれている。
明らかにサイズが違うスニーカーも転がっており、拓斗は「澪姉ってまだ足大きくなってるの?」と質問をする。
澪と瑞穂は冷や汗を搔きながら、「それよりDMだ!」と誤魔化し、拓斗は疑問符を浮かべながらも二人に流される。
三人は拓斗のスマホを食い入るように見た。
16:45―蛟の幼体
「ご連絡ありがとうございます。まずは面接をさせて頂きたいと思っております。指定の場所に19時ジャストにいてください」
神無月町西地区——○○レンタルルーム305号室
16:45―カラスのヒナ
「ご連絡ありがとうございます。まずは面接をさせて頂きたいと思っております。指定の場所に19時ジャストにいてください」
神無月町南地区——神無月町駅三角ビルの7階の男子トイレ
開いたDMには奇妙な点が複数見られる。
「あからさまに……だね」
澪はスマホから目を離し、ソファーに座り込む。
彼女の言葉が差す意味とは罠であると言うことであろう。
「コードネームというのかハンドルネームというのか分からないが、異様な名前だ。そして時間や文章まで同じときた」
瑞穂も澪のソファーへ座り込み、考え込むように手に顎を乗せる。
拓斗はスマホをスワイプし、テーブルに投げ置くように放った。
「澪姉、これって前と同じだよな」
澪と拓斗は以前からこの事件を追っており、指示役の捕縛までたどり着いていた。
「前と同じ?」
さわりの部分しか瑞穂は知らないので少しでも事件の軌跡を二人から聞きたかった。
瑞穂の疑問に答えるように澪は言う。
「あぁ、以前に私と拓斗が被害者を辿って、実行犯……闇バイトに応募して強盗をしたやつだね。そいつらにたどり着いたんだ」
澪はソファーから立ち上がり、冷蔵庫から取り出したボトルの紅茶をコップへ注ぎ一口飲む。
「澪姉が一瞬で7人いた実行犯をボコボコにして、その内の一人から指示役の情報を手に入れたんだ。その時に実行犯が言っていたのが『俺たちはただ“カラスのヒナ“に支持されただけだ』だったんだ」
拓斗の話を半身で聞きながら、冷蔵庫の隣でもう一口紅茶を飲んだ澪は瑞穂と拓斗に「二人も飲む?」と聞き、返事は分かっているとばかりにコップを用意しようとしていた。
「サンキュー」「オレも飲む!」
二人が返事をした時にはもう片方のコップに紅茶が注ぎ込み終わっていた。
澪はテーブルに紅茶が注がれた2つのコップを置き、再びソファーに座り込む。
「なんとかその“カラスのヒナ“の居場所を吐かせて、すぐに向かった。そこはアパートの一室だったんだ。でも“カラスのヒナ“はいなかった。そこから5日ほど拓斗と張り込みをしていたら若い男が帰ってきて、取り押さえたら、自分が指示役である“カラスのヒナ“であると自白したんだ」
末端の実行犯から指示役へ繋いだ澪と拓斗の成果だった。複雑に絡まりあっている紐をほどいてたどり着いた結果。
「だけど、指示役である“カラスのヒナ“は幹部への連絡先などの情報を割らなかった……いや」
澪の表情が暗くなり、釣られるように拓斗の表情も暗くなっていた。
「自殺したんだ。部屋に軟禁していたが、自ら毒薬を飲んで死んでいた」
澪の握られた拳は白くなるほど強く握られていた。
「私がもっと調べておけば!こんな……ことには……」
「澪姉は悪くない!もし澪姉が自分を責めるならオレだって同罪だ!」
微かに聞こえる拓斗の歯ぎしり音。それは怒りと罪悪感を隠せない彼からのサイン。
「拓斗……ごめん。私がしっかりしないとね」
澪の小さな声は瑞穂の顔を歪めた。
「話は分かった。でも俺たちのやることは決まってる。罠だとしても行くしかないだろう」
瑞穂は澪と拓斗に顔を見せないようにソファーから立ち上がり、部屋の奥にある窓を見つめるふりをした。
窓ガラスに二人の姿が映らないように、窓枠に触れるほど近づく。
「瑞穂の言う通りだね。気持ちを切り替えよう」
澪の声が明るくなったように思えた時、空から微かに夕日が差し込み始めた。
窓に指先が触れる。
瑞穂はその光を掴みたかった。
それは身体が勝手に言っただけ。
遠い光の先には一体何が待っているのか、曇天の向こう側にある未来へ歩きだす覚悟が灯る。
「雨……上がったな」
瑞穂のスマホの着信が鳴る。画面には——
九条璃乃と書いてあった。




