50話 明日香の第一歩
ファミレスでの楽しい時間はあっという間に終わり、璃乃は明日香と夜道を歩いていた。
午前中は雨が降り、アスファルトは濡れていた。
スニーカーだったら靴下まで貫通するような水たまりに何度も足を踏み入れていたが、足元はもちろんローファーだ。
制服のままパーティーをしていたのが幸いに働いた。
現在も雨こそ降っていないものの厚く重い雲が、月明かりを隠している。
「瑞穂君も一緒に来ればいいのにね」
明日香の顔が街灯に照らされ、はっきりと見えた。彼女の表情は硬く、一切の余裕を感じさせない。
瑞穂は璃乃たちにマップの情報を送り、「用事があるから先に行ってる」と一人で走って行ってしまった。
璃乃たちはというと、明日香への大量のプレゼントをどうするかまで考えておらず四苦八苦していた。
結果として、明日香は電話一本で全てのプレゼントを配送業者に手配するという荒業を使った。
当たり前のように数分で業者がトラックとともに現れ、プレゼントと一緒に一瞬で去っていった。
そうこうしているうちに時間は7時40分を過ぎていた。
街灯の明かりを過ぎ、再び明日香の顔が見えなくなる。
最後に残った彼女の左足の踵は水溜りを躱せずに、ピシャンと小さな水しぶきが上げる。
「瑞穂は多分、私たちが話しやすいように先に話をしてくれてるんじゃないかな?」
璃乃はこのような緊張する場面での瑞穂の頭のキレには着いていけない。
突発的な作戦は璃乃にも自信があるが、戦略となると瑞穂には到底敵わない。
璃乃はなんやかんや彼を尊敬している。
「うん」
明日香の口数は徐々に減ってきており、緊張が伝わる。
「私と瑞穂がいるから大丈夫だよ。澪さんも優しいし、透花さんと烈火さんも話せばきっと分かってくれるよ」
自分の言葉の信ぴょう性が低いことは分かっていた。
それでも親友のために尽くしたい気持ちに偽りはない。
角を曲がると烈火たちのアジトであるマンションが目の前にそびえ立っているように見えた。
「ここだね。このマンションにみんながいる」
エントランスへの階段を一段、また一段と上るが、隣に明日香の姿はなかった。
後ろを振り向くと、階段の前で足が震えて動けなくなってる親友が、水溜りに反射している自分自身を見ていた。
「明日香ちゃん……」
「ごめん。頑張るって決めたのに」
璃乃は階段を下りて、明日香の手を握る。
彼女の息が浅い。手も冷たく、足と同じように震えていた。
「今ここにいるだけで、明日香ちゃんは頑張れてる。強くなれてる。なろうとしてる」
「璃乃ちゃんは強いね。私なんか……」
明日香の自分を蔑む癖が出てしまう。
璃乃はそんな彼女の伏せがちな顔を一直線に見つめ、言った。
「さっきのみんなはそんなこと思ってないよ。瑞穂だって、もちろん私も」
明日香は何かに気が付いたかのように、ハッと顔を上げた。
「……うん。ありがとう」
彼女の震えは収まることはなかったが、滑る段差に足をすくわれるないように強く踏み込んでいた。
階段を上りエントランスに入ると、以前瑞穂が説明をしてくれた生体認証の機械が目に飛び込む。
璃乃は自分が登録されていなかったらどうしようかと、変な緊張感を抱えながら声を出した。
「九条璃乃」
エントランスの奥にある扉が璃乃の声に反応し、ゆっくりと開き始める。
「すごい。これって何かの魔法なの?」
以前の自分と同じことを言う初見の明日香。
待ってましたと言わんばかりに、璃乃は顎に手を当ててドヤ顔を決める。
「いい質問だね……これは四重の生体認証だよ——指紋に手、目、瞳。ここまでやるのは軍用レベルなんだよ!」
胸を張って、扉を超えながら、説明をするも何かおかしいと思うがどこがおかしいのか気が付けない。
「それじゃあ二重の生体認証じゃないの?」
親友にツッコまれてかっこつけることができなかった。
「あれ?瑞穂は何て言ってたっけ?」
先ほど言っていたことすら思い出せない。
「っふふ、璃乃ちゃんらしいね。緊張をほぐそうとしてくれてるんだよね?」
「う、うん!そう!そう!」
間の抜けた会話をしていると、部屋番号000と書いている表札の前にたどり着く。
璃乃が足を止めると、明日香は息を漏らしていた。
彼女の心のキャパは限界に近いようだ。
璃乃は明日香を見つめ、大きく頷き、インターホンを鳴らす。
——ピンポーン
璃乃の鼓動まで早くなる。
ドアが開いた。
「遅刻だぞ。さぁ行くか」
顔面をボコボコにされた瑞穂がお出迎え。
「瑞穂!?ど、どうしたのその顔!」
相棒の顔が一瞬誰か分からなかったくらいに変わっていた。
「色々あった。簡潔に言うと透花にボコボコにされた」
——バッタンー!
隣の明日香が目を回し倒れてしまった。
「何やってるの?」
音を聞きつけた澪の顔が少し引きつっていた。




