44話 明日への夢
——5月27日 神無月町病院——
◇ ★ ◇(璃乃視点)
「こんにちは」
ノックをした後に、「はい」といつもの通りの冷静を装う声が聞こえる。
引き戸の扉を開けると、黒を基調として絨毯が敷かれた広い個室が静かに広がった。
部屋の中央のベッド上には、全身包帯を巻かれている瑞穂が横たわっている
彼はミイラのような姿で、不貞腐れたように天井を見上げている。
高校生がこのような個室に入院するのは本来なら難しい。
しかし、今回は琴宮家が全ての費用を負担してくれるらしい。
「瑞穂、大丈夫?」
「全治2週間だってよ」
体を動かすことができない瑞穂は、天井を見つめ、嘆くように鼻を鳴らす。
野犬に噛みつかれた傷が8か所。それにガレインに撃たれた銃創。普通は死んでいる。
彼が生きているだけで璃乃は嬉しさのあまり涙が滲んだ。
「凄いね、この怪我で2週間ってとんでもなく早いんじゃないの?」
璃乃は、明日香と花守生花店で買った花をそっと枕元に置いた。
「魔法使いとして覚醒した者は回復力が極端に上がるんだよ。お前と違う“魔法使い“だからな」
あえて二度も、しかも強調して言うあたり瑞穂らしい。
「医者や看護師もビビったぜ、だって——」彼はつい数分前まで不貞腐れていたのが嘘のように自慢げに話を続ける。
しかし、璃乃は自分自身へのわだかまりを残しており、瑞穂とは対照的に目を伏せてしまった。
あの時、璃乃は動くことができなかった。
それは全身を強く打ち付けたからでもあるが、ヒナが死んでしまったと思い、体が言うことを聞かなかった。
自分の身体が、誰かに乗っ取られてしまったような感覚だった。
アクイラスとの初めての戦いの時と同じ過ちを繰り返してしまった——そんな自分が、悔しくってたまらなかった。
「ごめんね。私、また瑞穂の足引っ張っちゃって」
ぽつりと呟く言葉は瑞穂の予想と違ったようで、彼は「それは違う!」と声を少し荒げた。
璃乃の隣にいる明日香も彼女の顔を見つめ、首を横に振る。
「俺は——いや、今回は明日香。お前が言うべきなんじゃないか?」
伝えたい言葉を、託すように。瑞穂は明日香に言った。
「ありがとう。瑞穂君」
明日香は病室の窓を開ける。風がふわりと病室へ入り、瑞々しく、新鮮な空気を3人に届ける。
璃乃は窓から外を眺めている親友の靡いた髪に想いを巡らせる。
「私ね。やっぱり璃乃ちゃんが大好き。何もなかった私に、初めて生きる意味をくれた大切な人なのに嫌いになんてなれない」
彼女の表情は分からない。
窓から薄い雲が空を泳いでいるのが見える。
「ありがとう」
少し前にも同じことを言ってくれた。嬉しいさと切なさを感じる言葉に璃乃は目を細める。
薄っすらと見える彼女の背中は“あの頃“より大きくなっていた。
「璃乃ちゃんは私の憧れなの。明るくて、優しくて、強くって——」
「そんなことないよ。私は……」
喉から上がってくる冷たいものを反射的に出してしまう。
「でもね……ずっと、怖かったの。璃乃ちゃんがどんどん先に行っちゃう気がして。私だけが、取り残されていくような気がして……っ」
明日香の声が詰まり、窓枠を掴む手が震える。
「璃乃ちゃんが見えなくなっちゃってあの日——思わず叩いちゃった」
明日香は空を眺めるのを止め、静かに璃乃の方へ振り向いた。
「ごめんね」
その頬には涙が流れる。
俯く彼女の長くて綺麗な髪が、風に揺れ、頬を覆い隠した。
垂れた髪の隙から、か細い手が口元を必死に隠そうとしている。
怒って、泣いて。それは成長というには幼いのかもしれない。
でも、前に進もうとしてる。
髪を直した彼女の唇は固く結ばれたと思ったら、今度は喉の奥が見えるほど大きく開いた。
「私は!!璃乃ちゃんと一緒に強い大人になりたい!!今の私はまだ何もできないけど——それでも!」
温かく優しい風に明日香の後ろ髪と璃乃の前髪が揺れた。
「それが私の夢だから。私も魔法使いになりたい」
その灯は、吹かれれば一瞬で消えてしまうほど小さかった。
それでも歩み出す彼女が少しだけ大人に見えた。
「明日香ちゃんが強くなりたいのと魔法使いの話は関係のないことだよ。そもそも私は明日香ちゃんには魔法使いになってほしくないよ」
璃乃の想いは変わらない。大切な人が傷づくことは絶対に許せない。
胸が締め付けられる想いを堪え、彼女を冷たく突き放す。
明日香の灯は璃乃の言葉に吹かれ、消えそうになる。
しかし、目を細めてギュッと堪える。
「関係なくなんかない!!」
璃乃の瞳が揺れる。
「どうして……そう思うの?」
明日香は手を握り締め、胸の前に置いた。
一瞬、目を伏せた彼女の瞳が見開いた。
その瞳の奥から覚悟を輝かせ、零した光は璃乃を映した。
「私は——璃乃ちゃんを守りたいの」
その姿は以前の——ほんの少し前の璃乃と酷似していた。
春はとうに過ぎ、眩い太陽が雲の隙から顔を覗かせる季節になった。
しかし、今日だけは葉桜が芽吹く頃に思いを馳せる。
——だから瑞穂はあれだけ、私を遠ざけようとしていたんだね。でも受け入れてくれた。
私も瑞穂と同じだね。
ふと、明日香の背中越しの窓の先を見つめてみる。
窓枠に収まらない景色はお天気雨。
空は嘘泣きをしている。
何故ならば陽光を遮らないで、璃乃の目を刺激させるからだ。
「私は明日香ちゃんが傷つくのは嫌——」
璃乃の言葉を聞いた明日香は目を丸くし、唇を柔らかく結び直し、頬を染めて笑みを浮かべた。
彼女は言葉の続きをもう分かっているのだろう。
「でも、明日香ちゃんが決めたことだったら私は世界中の誰よりも味方でいたい!」
璃乃は空の真似事のように、どこまでも明るい笑顔と綺麗な雫を降らせていた。
「……っ、うぅ……ありがとうっ……璃乃ちゃん……っ!」
太陽の光が病室へ入り、二人を照らしていた。
「ったく、お前たちはどこまでも——っふ。璃乃、明日香、外を見てみろよ」
二人は瑞穂の言葉に応じ、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。
そこには——
薄い雲の合間から差し込む光が、雨上がりの空に七色の花を咲かせていた。
それは小さな小さな魔法だった。
3人は瞳を輝かせ、明日への夢を胸に刻み込んだ。
夢とは幼く、儚い。手のひらから、すぐに零れてしまう形のないものだ。
それでも、彼女たちの心の奥には無限の可能性が広がっていた。
九条璃乃の夢とは——
みんなを幸せにする魔法使い。
——1章第2部END——
◆——エピローグ——◆
廊下からバタバタと足音が聞こえる。
「待ちなって」
澪であろう声が誰かを止めようとしているようだった。
ガラガラ——
「兄貴!!」
扉を開けた瞬間、璃乃と明日香には見向きもせずに瑞穂のベッドへ小柄な少年は駆け寄った。
「拓斗!?どうしてお前が!?」
瑞穂が少年に向かい驚きの表情を見せているが、少年はくるりとこちらを向き、鋭く睨んでくる。
「お前が九条璃乃だな?」
「そ、そうだけど?」
あまりの迫力に思わずたじろいでしまう。
「オレの名前は工藤拓斗。瑞穂兄貴の弟分だ!」
拓斗は璃乃を指さす。
「兄貴を誑かす女め!オレが絶対に許さない!!」
「やっと一段落したのにー!!」
一難去ってまた一難。璃乃の叫び声が大きく響き渡った。




