28話 怪物の正体
「もしかして殺しちゃったの!?」
璃乃は鉄球の方へ駆け寄ろうとするも瑞穂が手を出し、制止をする。
「殺すつもりでやった」
「瑞穂!?」
土煙は次第に落ち着き始めるが、巨大な鉄球以外、璃乃の視界からは何も見えない。
「でも——」
瑞穂は一点を凝視する。
璃乃は土煙をかき分けるようにその視線を追った。
そこには、至る所から出血をし、満身創痍のアクイラス・エリスが鉄球に寄り掛かるように立っていた。
「……ハァ……ハァ。私がこんな、下等な血族に……」
アクイラスは動く素振りを見せない。
「お前の敗因は傲慢さ——俺たちを舐め過ぎてたってことだ。こいつが単独で乗り込むことすら想定外だったんだろう?根城に結界も張らない。いや、張るだけの力もないのか」
お得意の軽口を放つ瑞穂は、右手で刀を持ったままアクイラスのもとへ向かう。
「そして俺が現れた時点でお前は敵が二人と勝手に確信をした」
「……ハァ……ハァ。もう一人いたってことね」
瑞穂は答える必要もないとばかりに足を運ぶ。
切先からは、彼かアクイラス、はたまた野犬の血か分からないモノが滴り落ちる。
少年の歩む先には復讐の足跡が刻まれている。
あの時と同じ背中をしている。
「瑞穂!止めて!」
璃乃は彼の右腕を掴み、涙を溜めて首を振る。
「璃乃は殺さなくっていい。その代わり俺が錬金術師を——」
「それじゃ意味がない!!」
彼は腕を払い、璃乃の手を剥がそうとする。
「お前もこいつがこのまま逃げたらどうなるか分かってるだろう!?錬金術師、ましては七錬神と対話で解決することなんて絶対にできない!!」
そのまま一歩、彼女を引きずりながら歩みを進める。
「私は——瑞穂と約束した!絶対に止めるって!連れ戻すって!!」
彼の足がピタリと止まる。
璃乃は絶対に放さないように強く、強く握りしめる。
瑞穂の背中越しにアクイラスは不気味な笑みを浮かべていた。
「彼女は本当に弱いのね。何も知らないで綺麗ごとばかり。いいわ。いいことを教えてあげる。この野犬、貴方たちが怪物と言っているモノは——」
鉄球から離れ、足を引きずりながら璃乃の方へ底なしの闇が近づいてくる。
「止めろ!!」
瑞穂の叫び声は彼女を止めることはできなかった。
「——もとは人間なのよ」
血を被り、痛みを抱えながらそれでも嘲笑を浮かべる者から発せられた言葉は璃乃を彼方へ放った。
意味を理解するのに時間が欲しかった。
一本の糸は切れ、もう一本の糸はするりと抜け落ちた。
自然と全身の力が抜け、涙が零れ始める。
——それだったら、私は何人もの死を目の当たりしてきたってこと?
敵を前に崩れ落ちた璃乃を冷笑するかのような声が聞こえる。
「やっぱり貴方は何も覚悟ができていない“弱虫ちゃん“なのね」
女の声が聞こえるが。飲み込むことができない。
「黙れ!!」
感覚が遠くなり瑞穂の怒鳴り声も遠くに聞こえる。
彼を止めるために、連れ戻すために掴んでいた腕はどこかで千切れてしまったようだ。
自分が呼吸をしているのか感じられない。鼓動のみが耳元で嘆きを囁く。
自分の涙さえ赤く染まっているように思え、視界が歪む。
——私の夢はこんなにも儚いものだったのかな。
もう何も見たくない、聞きたくもない。
先ほどまでの九条璃乃は違う道に走り去ってしまったようだった。
瑞穂と出会った時に死んでいった怪物を思い出した。
病院でボロボロになった怪物、鋼の大蛇に命を捧げた錬金術師を思い出す。
たった今消えていった命は最後に何を思い浮かべたのだろうか。
——ああぁ……私って勘違いしてただけだったんだ。すごく弱い。
その時、肩を掴まれる感覚を僅かに感じた。
「——乃!璃乃!しっかり……しろ!」
ひび割れた地面が見えた。血で滲んでいた。
「ぐっ……!」
声が聞こえた途端、頬に温かいものが何滴かかった。
「えっ——」
見上げると失ったはずの腕を掴んでくれる少年がいた。
彼は血を流しながら、少女に謝った。
「隠していてごめん。ただ……俺は——」
抱きしめてくれる彼の首元からは大量の血が溢れてた。
璃乃は喉が締まり、何も言えない。それでも涙は次から次へとめどなく零れる。
「璃乃に……夢を叶えてもらいたいんだ……」
璃乃の肩に瑞穂が項垂れるように身体を預けてくる。
「でも……私は、どうすれば……いいの……?」
自分の居場所すら分からなくなってしまった璃乃は必死に瑞穂に縋る。
「あいつを……止めてくれ!」
瑞穂の震える指を辿ると、足を引きずりながら血の道を作り、逃亡しているアクイラスが薄っすらと見えた。
示された道は恐ろしく遠い。
視界を遮るように瑞穂の手が落ちていく。
璃乃は彼に、もたれかかっていないとまだ立つこともできない。
しかし、無情にも瑞穂は地面へ倒れ込んでしまった。
「瑞穂!?」
瑞穂を抱きかかえる璃乃の手にはべったりと血が付く。鼻をつく強い匂いは涙をいっそう誘った。
「頼む。行ってくれ……これ以上誰も傷つけさせないために」
無理やり璃乃の背中を押す彼は同じように涙を流していた。
悔しみなのか、悲しみなのか真意は写し鏡のように描かれていた。
「でも……私は……」
「璃乃の夢は——俺の夢でもあるんだ!だ……から——」
その続きを聞くことはできなかった。
「瑞穂!!」
彼は瞼を閉じ、静かに眠っているようだった。
呼吸こそしているが、間違いなく危険な状態。
璃乃は彼の血で染まった手を胸に当て、シャツを握った。
「誰かいるんでしょ!?私は、アクイラスを追う。だから!瑞穂を助けて!!」
遠くから聞こえるエンジン音が止まった。
誰かの足音が聞こえる。
璃乃はその人物に瑞穂を託し、血の道へと歩み始めた。




