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夢ノ継づき——魔法と錬金術と最後の物語  作者: むぎちゃ
1章 第2部 野犬事件編—『親友と見えない影』
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24話 進む背中と止まる影

 帰りのホームルームが終わり、明日香の席の方を振り向くともう空席になっていた。


 どうやら彼女はもう音楽室の方へ向かったようだ。

 璃乃は急いで帰りの支度をして音楽室へ急いだ。

 音楽室へ向かう最中に先ほど瑞穂に言われた『あいつ少し異常だぞ』という言葉を思い出し、璃乃の胸がざわめく。

 音楽室の扉の前で、なぜか手がすっと止まり、空気がまるで背中を押し戻すように冷たく感じる。


 扉を開けるとグランドピアノに対面して座っている明日香が夕日に照らされていた。

 

「誰もいない音楽室って少し贅沢な気分になるね」


 璃乃の言葉に振り返る明日香は持っている楽譜を譜面台に置いていた。


「うん」


 口元が微かに震えているように見えた。


「伝えたいことって?」


 扉を閉めて明日香の方へ歩き出す璃乃。

 

「私、部活に入ろうと思うの。オーケストラ部」


 明日香は目を閉じており、瞼で譜面を読んでいるようだった。


「そうなんだ!でも……麻衣子さんには?」


 璃乃の問いかけにゆっくりと首を横に振る明日香は目を薄く開いた。

 

「私ね、なんで生きているか分からなくなる時があるの。お母様に否定されてきた人生。何もかも失敗してきて今ここにいる。子供の頃から、死にたいと感じることも数えきれないくらいあった」


 明日香の瞳から涙が零れ始める。

 璃乃はただ彼女のそばで見守る。


「でもね、あの夏祭りの日に少しだけ私にも生きる意味があるって感じられたの」

 

 あの夏祭りの日——

 

 それは7年前の神無月神社の夏祭り。

 神社の境内で璃乃と明日香が初めて出会い、友達になった大切な日。

 初めて出会った彼女は今よりもっと凍えるようだった。

 母である麻衣子に手を引かれるだけの彼女を璃乃は無意識で助けたいと感じた。

 屋台の景品でもらったピアノのキーホルダーと羽のキーホルダー。

 ピアノのキーホルダーをもらった明日香は転んでしまい、それを川へ落としてしまった。

 

 ——だから、私は川へ飛び込んだ。悲しんでいるあなたの笑顔が見たかったから。

 

 ジャーン——


 ピアノから聞こえてくる和音が璃乃の意識をあの時の夏祭りから引き戻した。

 白鍵を押す明日香の隣には、所々塗装が剥がれているピアノのキーホルダーが付いているカバンが置いてある。


 璃乃の肩に背負われているカバンにも、同じように塗装が剥がれている羽のキーホルダーが夕日に照らされてオレンジ色に輝いていた。

 

「あの時のこと、そこまで大切に想ってくれてたんだね」


 肩に背負っているカバンを明日香のカバンの隣に置き、夕日を眺める。

 そして、璃乃は近くの椅子に座った。


「うん。あの日から璃乃ちゃんは私の生きる意味だから」


 嬉しいはずなのに笑顔が出てこない。

 胸の奥から不安が増大するのを感じる。

 

「ありがとう。嬉しい」


 声が低くなり、顔の筋肉が強張る。

 優しすぎる言葉に胸が潰されそうになる。

 

「私ね、璃乃ちゃんの曲を作ったんだ。聴いてくれない?」


 明日香は複数の和音を奏でながら璃乃を一瞬見つめ、楽譜の方へ視線を落とす。


「うん。聴かせて?」


 璃乃の答えを聞いた途端、明日香は白鍵に乗せる手を止め、一度膝に置く。

 そして再び白鍵に手を添える。

 

「曲名は——」


 明日香が曲名を言おうとした瞬間。

 

 締め切った音楽室にも届くほど、けたたましいサイレンが迫り、遠ざかる。

 璃乃はハッとし、急いで窓を開けて外を見渡す。

 部活動を行っている生徒もサイレンの音を気にしているようで、一人の男子生徒が大声を出しながら校舎の方へ走ってくる。

 

「また例の野犬事件だ!!」


 璃乃の脳裏に一昨日の、血まみれで運ばれていた幼い少年の姿が蘇った。

 

——また誰かが傷ついてる。急いで行かないと!

 

「明日香ちゃん、ごめん!また今度ね!」


 璃乃はカバンを肩にかけ、そのまま音楽室から走り去る。


「お願い!待って!行かないで!璃乃ちゃん!!——」


 明日香の叫び声が聞こえ、胸が裂ける気持ちを抱えながら璃乃は全力で駆け、校舎を出る。

 汗で滑りそうになりながらもスマホを取り出し、瑞穂へ電話をする。

 

「瑞穂!また——」

「俺も今、電話しようと思っていたところだ!……っ、はぁ……っ…事件の場所の情報を送るから急いで来てくれ!」


 息も絶え絶えになっている瑞穂の声が鼓膜を揺さぶる。


「分かった!」


 瑞穂から送られてきたマップを確認し、璃乃はあることに気が付く。

 

「この間の事件の近くだ……」

 

 スマホの時計は18時7分を指していた。


 

 璃乃が事件現場のマンション前に着いたことには救急車は去っており、人だかりもまばらになっていた。

 瑞穂は呆然としており、野次馬たちに背を向けるようにマンションを見上げていた。

 

「……はぁ、はぁ……瑞穂!」


 璃乃の肩を揺らすその息遣いは、言葉よりも多くを物語っていた。

 

「まただ、また俺は……!クッソ!」


 そう言った瑞穂はその場にうなだれるように座り込んでしまった。

 

「……はぁ、何か分かったことはない?私たちが次の被害者を出さないためにできることは!?」


 璃乃の肩の揺れは落ち着き始めるが、彼女の中にある喧騒は収まることを知らない。

 想いのまま発した言葉は、瑞穂を責めているようにも聞こえた。

 

「何も分からない……」


 彼らしくない弱気な発言と、彼らしい責任感に震える背中が少しだけ小さく見えた。


「ごめん」


 二人を包み込む無力感は沈黙を呼び込んだ。

 このあと二人は一言も発さずにただ力がないことに絶望し解散をした。


 その後も聴き込みを続けたが、二人の手には何も残らなかった。

 

 代わりに——

 

 野犬事件の被害者は9日間でさらに5人増え、合計10人にのぼっていた。


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