21話 牙の記憶
——5月12日 神無月高校——
帰りのホームルームが終わり、部活動やバイト先などへ向かっていく生徒たちが去った、1年C組に璃乃と瑞穂は二人っきりで机をくっつけ対面をしていた。
「烈火が言っていた期限は5月末——つまり31日まで。今日を入れて残り20日だ」
瑞穂はノートを取り出しフローチャートを書き始める。
机の真ん中には事件の情報が書かれている用紙を置き、璃乃は腰を浮かせながらそれを見つめる。
彼のペン先がスッと弧を描き、キュッ——と紙を擦る音が璃乃の耳に残った。
「まずは被害者の情報だ」
瑞穂も全体を見渡すように椅子から立ち上がる。
《被害者-01/鈴木 勉(68)》
▼5/4 17:00 庭いじり中
▼傷跡:左大腿部/噛み幅 約20cm
▼目撃者・犬の吠え声=なし
《被害者-02/飯島 里美(24)》
▼5/7 20:00 帰宅の最中
▼傷跡:腹部前面/噛み幅 約15cm
▼目撃者・犬の吠え声=なし
《被害者-03/天城 宗真(22)》
▼5/9 23:00 仕事中
▼傷跡:右前腕/噛み幅 約20cm
▼目撃者・犬の吠え声=なし
「——璃乃、これを見てどう思う?」
瑞穂からの問いに璃乃は左大腿、腹部——と書かれている傷跡の部分を自ら触り感触を確かめる。
「全員傷跡の位置も違う。しかも15cm~20cmってもしかして——」
璃乃の拳を優に超すサイズの傷跡、想像するだけで鳥肌が止まらなくなる。
「死んでいるだろうな。なぜ3人とも生きているのか?特に二人目の飯島は腹部だ。しかもこの傷の大きさでも今はもう退院をしている」
瑞穂が2件目の「腹部」に「普通は死ぬ!」と書き足す。
「あえて殺さなかった——」
恐る恐る言った璃乃の言葉に瑞穂は頷く。
「十中八九そうだろう」
璃乃は約半月前に起きた神無月高校の生徒が倒れる事件を思い出す。
その悲惨さは今でも胸の奥が締め付けられてしまう。
「魔力の補給のため?強い錬金術をするため?」
瑞穂は肩をすくませ、再び椅子へ座る。璃乃は彼の答えを聞く前から怒りがこみ上げ、気が付かない間に床を睨みつけていた。
喉の奥から熱く、冷たいモノがせり上がっていた。
「あぁ、そうだ」
そう言った瑞穂が引いた椅子の音が鳴り止むと同時にそれは限界を超えた。
机の上に置いている彼女の手が大きく震えだす。
「ふざけないでよっ!」
教室内に響き渡る悲しみと怒りがぶつかり合った叫び声は、涙を流さないために吐き出したものだった。
「俺たちはそれを止めるために今ここにいる。お前の気持ちは痛いほど分かる。それでも進むんだろう?」
瑞穂の優しくも厳しい言葉が璃乃の胸に突き刺さる。
「ごめん」
今、顔を上がれるほど璃乃は大人ではなかった。その表情は瑞穂には見せられないほど歪んでいるのが自分でも分かる。
「お前の感情は正常だ。だが魔法使いや錬金術師はこの感情が欠落しているやつも多い」
璃乃は下を向いたまま動けない。
ただ、スカートを握りしめる事しかできなかった。
「璃乃、お前が進む道は茨の道って言う表現じゃ生温いくらいには厳しいぞ。多くの人の死を見ることになる」
「瑞穂は厳しいなぁ……」
璃乃は彼が自分のことを鼓舞するために言ってくれていることは分かっていた。
それでも言葉が出せなかった。
時計の分針が半周ほど回り、それに合わせるように夕日が沈みこんでいた。
瑞穂が用紙に何かを書き込む音が璃乃の耳に入る。
ようやく顔を上げられるようになった璃乃は盗み見るようにチラリと上を向く。
——共通点なし。
「はぁ」と露骨にため息をつく瑞穂。
「でも、進まなくっちゃね」
璃乃は瑞穂のノートに書いている円の中に“事情聴取する!“と、はみ出るくらい大きく書いた。
それを見た瑞穂はニヤリと笑みを浮かべる。
「そうこなくっちゃな」
共通点はなし。現状では何もかもが分からない状態だが前に歩き出す準備はできた。
「早速明日から事情聴取だね!」
「そうだな!」
席を立ち時計を見る。
時計は6時55分を指しており、教室から見る校庭はライトで照らさないと見えなくなるくらい暗くなっていた。
二人はカバンを肩にかけ教室の扉を閉めた。
夕暮れ時を過ぎた校庭には、部活動の生徒が数人残るだけだった。
野球部やサッカー部の締めの挨拶が、夜の帳を呼ぶ号令のように聞こえ、低い空を見た。
璃乃は自分の頭より少しだけ上にいる、小さく崩れそうなオレンジの円を自分の瞳と重ねる。
「瑞穂。少し聞いてもいい?」
校門前まで歩いていた璃乃はカバンを両手で持ち、彼を覗き見る。
「どうした?」
「どうしてみんな、殺し合うの?」
瑞穂の足が止まる。
「復讐の連鎖……なんだろうな。魔法使いと錬金術師の歴史は憎しみの積み重ね——いや、それだけじゃない。魔法使い同士での殺し合いも日常茶飯事だ。もう誰も止められないんだ」
彼の瞳は微かに曇っていた。
「でもな、俺は璃乃と出会って——」
その時——
背後で「ピーポー……」と細いサイレンが膨らみ、二人の前を赤い光が疾走した。
落ち切る直前の夕焼けの景色を一瞬で押し潰した。
「救急車か……」
遮られた言葉を飲み込むように話を止める瑞穂。
遠ざかるサイレンの音が璃乃の胸騒ぎを掻き立てた。
ただの思い過ごしかもしれない、しかし確かめなくてはいけない。
璃乃は救急車の方へ振り向いた。
「嫌な予感がする……!追いかけよう!」
瑞穂を待たずに走り出す璃乃。
「おい!待てよ!」
瑞穂も璃乃に引っ張られるように救急車を追いかける。
救急車に追いつけるわけもなく、すぐに見失ってしまうが、サイレンの音は一定の場所で止まったように聞こえていた。
二人は耳を澄ませながら、音の方へ急ぐ。
サイレンの音は止み、代わりにランプの光と音の記憶を頼りに足を進ませる。
角を2つほど曲がると人だかりが見えてくる。
「瑞穂!あそこ!」
璃乃が指した方に、先ほどの救急車が止まっていた。
そこはごく普通の住宅街の中の一軒家だった。
人だかりの中の一人に璃乃は質問をする。
「何があったんですか?」
「例の野犬だよ。襲われたのは10歳の男の子だって。可哀想に」
人だかりの隙間から運び出される男の子が璃乃の視界に入った。
男の子は血だらけでぐったりとし、意識がない様子だった。
その子の手が力なく垂れて見えて——
璃乃はあまりのショックにその場に座り込んでしまった。
「一体何が起こってるんだ!畜生!」
瑞穂の怒号が人だかりを退散させていたが、璃乃はしばらく動くことができなかった。




