19話 我儘な私
時計は12時を指しており、秒針が小さく時を刻む。
日が差している時間帯だが、カーテンは閉まりきっており、照明の明かりが部屋一面の光源をとっていた。
ラズベリー色の大小2つのソファーと、背の低いテーブル。
少し離れて、明るい木目のダイニングテーブルと不揃いな椅子。
そして、壁には大き目のテレビが掛けられていた。
璃乃は目についたラズベリー色のソファーの醸し出す、古くも廃れていない煌びやかさを感じていた。
その2つのソファーには4人の男女が座っている。
中央に座り、足を大きく広げ、膝に腕を置く男性が再度口を開く。
「君が瑞穂が紹介したいと言っていた九条璃乃さんで間違いないか?」
その男性は璃乃を値踏みするように見る。
瞳には輝きはなく、無精ひげにぼさぼさの髪形。
璃乃は彼の風貌から自分より一回りくらい上の人物だと感じた。
彼のよれたシャツの隙間からは、鋭く光る宝石のようなものが鎖骨付近に、埋め込まれているのが見える。
「は、はい!」
緊張のあまり璃乃の声が裏返る。
「烈火さん。それでは彼女が緊張してしまいますよ?もう少し崩さないと」
無精ひげの男性・烈火。
その隣に座る青年が微笑む。
「昴!?なんでここにいるんだよ!?桜都に行ってるんじゃなかったのか?」
クリーム色の髪を逆立て、大きい丸眼鏡をかける青年男性・昴。
驚くように目を大きくする瑞穂は昴のもとへ駆け寄る。
「久しぶりだね。瑞穂」
昴は瑞穂の頭をぐちゃぐちゃと、乱暴に撫でており、その表情は少し遠くから見ている璃乃からでも穏やかな笑顔に見えた。
「やめろよ!もう、ガキじゃないんだからな!」
昴の手を叩き、不機嫌そうに腕を組む姿は子供のそれだった。
「こーら二人とも。璃乃ちゃんがせっかく来てくれたんだから、感動の再会はそこまで。それにしても昴と瑞穂は——」
パンッと手を合わせ、厳しい母のように窘める短めの黒髪のポニーテール姿の女性。
「昴のせいでまた澪の小言を聞くことになっちまったじゃねーかよ!」
「澪も相変わらずだね」
二人はこそこそと隠れるように身を屈める。
「聞こえてるよ!」
「「はい!すみません!」」
黒髪のポニーテール姿の女性・澪の喝が昴と瑞穂の背筋を伸ばした。
「すみません。透花さん」
澪がソファーに座る最後の女性に頭を何度も下げながら、片手で瑞穂の頭も無理やり下げさせる。
「頭が痛い」
どこか物静かで、透き通るような肌をしている女性・透花は大きなため息とともに頭を抱えていた。
瑞穂がここまで幼く、色々な表情を見せるのが璃乃にはとても新鮮に映った。
透花は仕切り直しとばかりに、大きな咳払いをして、口を開いた。
「九条璃乃。お前のことは瑞穂から聞いている。まずは先日の神無月町病院での事件で瑞穂を助けてくれたことに感謝を伝えたい」
一拍置き。
「ありがとう」
物静かなで少し表情が硬いように見えていた透花の頬が緩む。
透き通る肌。澄み切っている瞳。
その彼女の瞳に映る自分が見えていた。
あまりの透明感に見とれてしまい、璃乃は返事を忘れていた。
「おい」
瑞穂に突かれようやく我に返る。
「こちらこそです。瑞穂が怪物から助けてくれなかったら、私、多分死んでいました。瑞穂が私の出会った最初の魔法使いで良かったです!」
感謝を伝えたいのは璃乃の方だった。あの日、瑞穂が怪物から助けてくれて、『——魔法使いはいる!!』と言ってくれたことで全てが始まった。
「本当に瑞穂は最高の魔法使いです!」
璃乃は気持ちが前に出てしまって、声が大きくなった。
少し恥ずかしいけど、瑞穂の家族代わりの人たちに彼の素敵なところを伝えたかった。
「「はっ?」」
なぜか璃乃と瑞穂以外の全員が呆れているような表情を浮かべていた。
何かおかしなことを言ってしまったのかと思い返す璃乃だが、見当がつかない。
「えっ?」
声が上ずる。
瑞穂を見つめるも、なぜか璃乃の方を向こうとしない。
慌てて視線を透花の方へ戻すと、またも頭を抱えた透花がため息をついていた。
「瑞穂は……魔法使いじゃない」
衝撃の告白だった。
「えぇーーー!!」
璃乃は絶叫し、瑞穂の服を引っ張る。
「ど、ど、どういうこと!?だってあの時、魔法使いはいるって言ってたじゃない!」
彼の袖が伸びるほど全力で問い詰める。
「俺が魔法使いだとは言ってないだろう!?お前が勝手に勘違いしただけだ!」
思い返すと確かに彼は自分が魔法使いとは言っていない。
しかし、言動全てが紛らわしすぎる。
「もう!瑞穂のおバカ!」
「おバカ!?お前だってゴルフクラブとか変なものばっかり持ってきやがって——」
一触即発の大喧嘩。
「澪、頼む」
透花の指示で澪は瑞穂に近づく。
ボコッ!!
「痛ってーー!」
瑞穂に思いっきりゲンコツをした。
「なんで俺なんだよ!璃乃だって!」
「あんたがややこしい言い方するからでしょ!?変な見栄張っちゃって」
一瞬で瑞穂の顔が真っ赤になりすぐに萎れるように静かになっていた。
「お前が悪いんだぞ璃乃」
最後の愚痴を零す瑞穂。
「ふんっだ」
璃乃はそっぽを向く。
頭を抱える透花を見かねた烈火が呆れながらに話を続けた。
「お前らガキじゃないだから。話を進めるぞ」
彼は手元に置いてあった湯飲みでお茶を一口飲み、コトンッとテーブルに戻す。
「今日は九条璃乃——君の気持ちを確かめるために来てもらった」
璃乃の肌がピリつく空気に小さな痛みを感じる。
「気持ちですか?」
「そうだ。病院での事件の時は、君は巻き込まれた一般人だった。しかし、今後魔法使いになるために行動をするということは、自分から事件に介入をするということだ。命を奪うかもしれない。奪われるかもしれない。君にはその覚悟があるのか?」
烈火の眼光が一気に鋭くなる。
以前、瑞穂が病院内で璃乃に向けた殺気に類似している。
だが、璃乃の答えは変わらない。
「覚悟はできてます。でも、私は殺されないし、殺さないです」
その言葉を聞いた瑞穂は鼻で笑い、再び璃乃の隣へ並んだ。
「ふざけてるのか?」
烈火の瞳が濁りを増し、声も一段と低くなる。
「ふざけてなんかいません。私は魔法使いになってみんなを幸せにしたいんです」
空気が軋み、その場にいる誰しもが黙り込む。
そして一瞬の静寂の後に、璃乃は押し潰されそうな感覚に陥る。
「うっ!?」
立っていられずに手と膝をつく璃乃。
「透花さん!彼女が死んでしまいます!」
澪の声が途切れ途切れでなんとか璃乃の耳へ届く。
精一杯の力を振り絞り、首を少しだけ上げるとそこには——
透花の背中に、数えきれないほどの死体の山か、もしくは怨霊のような者が禍々しく呪いのように映り込んでいた。
「——っ!」
全身が痙攣をし始め、彼女を見ることすらできなくなる。
璃乃はあまりの恐怖に身体が乗っ取らそうになった。
「舐めるなよ」
圧が増す。息が出来ない。体が崩れてしまいそうだ。
その時、隣に並ぶ彼の足が見えた。
「お前は負けないだろう?見せつけてやれよ、お前の魔法ってやつを」
確かに聞こえる瑞穂の声。
——そうだった。私はこんなところで負ける訳にはいかない。
自然と全身に力が漲る感覚に包まれる。
痙攣を無理やり身体の奥へしまい込み、恐怖心を背中から払い除ける。
そして、璃乃は力強く立ち上がり始めた。
「なに?」
「ありえない……魔法使いでもないのに透花さんの魔力に耐えてる!?」
透花の放つ力は殺気を凝縮した戦慄を呼ぶものだ。
押し潰されそうな感覚は一層強くなるが、膝を折るわけにはいかない。
「透花。らしくないな。あんたがここまでマジになるのなんて久しぶりに見たよ。でもこのバカはそんなもんじゃあ負けねぇよ」
「瑞穂、お前は……」
瑞穂の減らず口が透花を挑発させ、彼女の殺気の中に一瞬の迷いが生じた。
彼の横顔が見えた。その顔は璃乃が今浮かべている感情と同じだった。
「なぁ、相棒!」
恐怖を渾身の力を込めた右手で払いのけ、両足をこれでもかと強く踏みしめる。
右手を払う軌道で見えない力は、“パーンッ!“と壁の向こうへ消える。
「当たり前でしょ!」
璃乃は再び立ち上がり、胸にその手を添えた。
「私はどんなことがあってもこの夢を諦めない!」
立ち上がる透花。
「お前は一体!?」
「私は九条璃乃。誰よりも我儘な——」
「——魔法使いだ!」




