16話 バーベキュー
——5月10日 九条家——
◇ ★ ◇(璃乃視点)
「それでは明日香ちゃんの退院をお祝いして、乾杯!」
「「かんぱーい!」」
璃乃の母・まどかの乾杯の音頭と共に缶や紙コップを各々掲げ、九条家のバーベキューパーティーが始まった。
雲一つない快晴で、気温もちょうどいい、まさにバーベキュー日和であった。
「璃乃ーお肉焼けたから、お皿取って」
缶ビール片手に、慣れた手つきで肉も海鮮も野菜も、コロコロとトング一つでひっくり返し、焼き続けるまどか。
「はいお皿。明日香ちゃんの分もお願いね」
九条璃乃はまどかに言われる前からお肉やエビや野菜などの香ばしい匂いに釣られていた。
「はい、明日香ちゃん!」
「璃乃ちゃんありがとう。まどかさんもありがとうございます!」
「今日は明日香ちゃんが主役だから、たんとお食べ!」
璃乃と明日香は近くの椅子に座り、串焼きになったお肉と野菜を口に入れる。
「「おいしーい!」」
二人は顔を向き合い、笑い合う。
璃乃は大好きな家族と大好きな親友、そして相棒とバーベキューパーティーができている事が何よりも嬉しく、晴れ渡る空を見上げる。
「ねぇ、瑞穂も食べてる?」
少し離れた椅子に座る瑞穂と父・仁彦。
璃乃から見た二人は妙に静かであった。
「二人とも楽しんでますかー?」
明日香が珍しく大きな声を出すが返事がない。まるで二人が別の世界にいるように璃乃は見えた。
◇ ✪ ◇(瑞穂視点)
「君はどこで璃乃と知り合ったんだい?」
仁彦は瑞穂の顔を覗き込み真剣な眼差しをしていた。
「璃乃さんとは——」
瑞穂は苦悩していた。
紙皿には食べ終わった串と貝殻。それを見て自分がバーベキューをしていたことを思い出す。
唾を飲み込む彼の頬に一筋の汗が流れた。
「璃乃さん?もう名前で呼んでいるのかな?」
「いや……九条さんとは入学式のあと偶然知り合いまして」
息が詰まる。父親が娘を守る時の迫力は瑞穂の想像を超えていた。
「偶然知り合って、1か月で家に来るのかね?君は」
仁彦の目は開ききっており、自分を逃す気はないのだろうと瑞穂は肌で感じる。
——何か打開策を見つけなければ、今後、璃乃と動きづらくなる。
「琴宮さんとも仲良くさせてもらってまして、今回の入院の時にお見舞いに行かせてもらって——」
「そうか、確かに今日は明日香ちゃんのためのバーベキューパーティーだからね。それだったら仕方ないか」
「「はぁ」」
瑞穂と仁彦は同時に息を吐くが、同じ物を吐き出したとは思えないほど仁彦のそれは重く見えた。
璃乃の母親・まどかが遠くで缶ビールを飲み、仁彦と瑞穂に向かい手を振っている。
それに気が付いた璃乃と明日香も笑いながらこちらに手を振っているが随分と遠く感じる。
仁彦は笑顔で手を振り返しており、ようやく終わりが見えたと思えた瑞穂はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「俺も何か貰おうかな?お父さんは——」
一瞬で空気が氷点下になった気がした。
「お父さん?」
——やってしまった。
「暁くん、少し座ろうか?」
「はい」
逆らうことなんて絶対にできない。
瑞穂の頬には大量の汗が流れる。
もう寒いのか暑いのか分からない。
「瑞穂ー!お父さん!こっちで食べようよ!」
笑顔で手を振り彼を呼ぶ璃乃がバーベキューの熱で揺れている。
それは砂漠のオアシスで微笑む天使に見えた。
瑞穂はちらっと仁彦の顔を見ると、にやけていた。
「親バカだ、この人」
誰にも聞こえないようにひっそりと呟く瑞穂だった。
璃乃の助け舟のおかげで仁彦の尋問から抜け出すことができた瑞穂は、ようやくおいしいバーベキューにありつくことができた。
「おいしいです!」
先ほども食べたはずなのに、味が全く違うという謎が頭を過るが、仁彦の顔を思い浮かべることになるので止めておいた。
「でしょ?九条家特製のスパイスとお得意様からもらったお肉は他じゃあ中々揃えられないんだからね」
まどかは片時も缶ビールを手放さず、ゴミ箱の代わりのバケツには空き缶が5本も溜まっていた。
「やっぱりこのために生きてるんだよね~!」と6本目の缶ビールを飲み切ってから、ビシッとトングを前に出し、かっこつけるまどかに瑞穂は返す言葉が見つからない。
「もーう、お母さんたら飲みすぎ!」
璃乃が小走りでまどかに詰め寄り、7本目のビールを取り上げる。
「こんなに飲める日なんてないんだから——おりゃー!」
まどかはビールを取り返すために璃乃の横腹を擽る。
「ちょっと、くすぐったいよ~、明日香ちゃんパス!」
急いで明日香に缶ビールを投げ渡す璃乃。
明日香は焦りながら、缶を抱えたり、服の中に隠したりしている。
瑞穂の前に微笑ましい光景が流れていた。
自分にはもう両親はいない。いけないと思っても目の前の家族の愛を見るとフラッシュバックする。
「母さん……」
視線は持っている紙皿よりも下を見る。
零れ落ちる本音。
彼の弱い一面が顔を覗かせる。
あの時に帰りたい。そう思うのは至極当然のことだった。
自分だけがこの場所から浮いているような嫌な浮遊感に胸だけが沈み込む。
地面を見ていたはずだが、色白で少し華奢な手が見えた。
瑞穂は、思わず手を取った。
「みーずほ!ほら!」
視線を上げるとそこには澄んだ瞳と——
「冷った!」
頬に当たるキンキンに冷えた缶ジュースだった。
「よそ見してるのが悪いんだよーだ!」
舌を出し、小悪魔的に笑みを浮かべる璃乃が瑞穂の手を引く。
「やったな?この!」
お返しとばかりに瑞穂は璃乃の首元に缶ジュースを当てる。
「きゃ!冷たいっ!」
筋が伸び、可愛らしい声を出す璃乃。
「明日香ちゃん助けて!瑞穂が意地悪する!」
明日香の後ろに隠れてジッとした目つきで瑞穂を睨む璃乃。
「暁くーん?今、璃乃ちゃんの首元触ったよねー?」
決して大きくない背中で璃乃を守ろうとする明日香は大きな口を開けた。
瑞穂には仁彦の体がびくんと跳ねるのが見えた。
「触ってません!この命にかけても触ってません!」
後ずさりし、テラスの近くへ逃げる瑞穂だったが、
——ガブッ
「痛ってーー!」
ヒナが瑞穂の右手に噛み付いた。
「ヒナが噛みつくなんて珍しいね」
璃乃は噛まれている瑞穂を気にせずに彼の手にくっついている猫を撫でる。
「ヒナちゃんも璃乃ちゃんを守りたかったんだよね?」
ようやく瑞穂から離れたヒナを抱く明日香だった。
あまりの痛さと驚きで瑞穂は尻餅をついてしまい、みんなの笑いを誘った。




