11話 我儘な魔法使い
「怖ーい!!」
エレベーターのかごの上から鉄骨を伝い、4階の扉の近くまで上った二人。
高さは15m以上あり、落ちたら良くて大ケガ、下手をしたら……
少年は鉄骨を上り切り、扉の前の狭いスペースに足を乗せる。
そして息を整え、顎を引いた。
「もう少しだ!さっきのお前だったらこんなの訳ないだろう?」
少し高い位置から意地悪を放つ少年。
「さっきはそんな余裕なんてなかったからだよ!」
鉄骨をまた一つ上り、一息つく璃乃。
「二人同時じゃないとエレベーターの外に出られないんだから早くしろ!もう1時になる」
彼女の背中を押そうとしているのか、彼は急かしの言葉を投げかけてくるが、背中を押されたら落ちてしまう。
璃乃は再び下を見てしまい、恐怖心が頭から足先へと指示を出す。
「もーう!でも、なんで二人同時じゃないとダメなの?」
鉄骨に手を掛けて、風が下から吹き上がってこないことを祈りつつ、震える足を蹴り上げた。
「監視カメラがあるだろう。またこのチョコレートに壁になってもらうんだよ。だから残りは一回しか無理だ」
最後の一段を上り切り、少年と目線が同じになった。
「じゃあ、扉を開けたら、またダッシュってことね」
「ご名答」
カシャっとアルミホイルの音を立てる少年。
彼は璃乃にチョコを預けてエレベーターの扉を開け始める。
ある程度、扉が開いた際にチョコレートを璃乃から受け取り、監視カメラの前面へ放る。
板チョコは抜群のコントロールで放物線を描き、漂うようにカメラの死角を作る。
二人はナースステーションまで駆け抜け、滑り込みながらカウンターに身を隠した。
病院潜入から約3時間。ついに4階までたどり着いた璃乃と少年。
目的である明日香の病室は目と鼻の先だ。
「明日香ちゃん……」
両手を握って力を籠め、立ち上がろうとする璃乃に「待て!」と少年が腕を引っ張った。
「どうして?だって明日香ちゃんの——」
無理矢理座り込まされ、口を塞がれてしまった。
少年の目線は璃乃ではなく明日香の病室の方へ向いていた。璃乃もその視線を追う。
すると、そこにはあの時、璃乃を襲った“怪物“がいた。
「——あっ」
彼の指の隙間から、声が漏れ出してしまう。
「今は喋るな。気づかれる」
彼は目を見開き、瞬きはおろか、呼吸すら忘れている。
璃乃の口を塞ぐ手は彼女が呼吸出来なくなるほど緊張し、汗が滲む。
怪物は二人に気づかずに動き始めた。幸い、明日香の病室とは逆方向だ。
少年の手が緊張の反動からか、地面へ落下するように力が抜ける。
「危なかった……見つかってたらヤバかった……」
彼は息を大きく吐き、安堵の表情を浮かべる。
しかし、璃乃には疑問があった。自分が怪物に襲われた時、彼は一撃で倒して助けてくれた。
「前の怪物より強いの?」
可能性としてはそれが1番だろうと思い、璃乃は聞いてみる。
「いや、正直分からない……」
歯切れの悪い返事は、璃乃の焦りを助長させた。
苦しんでいる明日香の姿が瞼の裏に浮かぶ。
「お前を助けた時は怪物が弱っていたから俺でも倒せた。でも今のは全く弱ってない。正直言って俺の実力じゃ返り討ちだろうな」
あまり言いたくないであろう自分の弱さ。少年は視線を落とし苦笑する。
二人に長い静寂が訪れる。
焦りと恐怖。動きたい気持ちと感づかれれば死ぬ現実。
璃乃は今すぐにでも明日香のもとへ向かいたい気持ちで、浮足立っていた。
対照的に彼は根を張っているように、腰を下ろしている。
二人はお互いの気持ちがズレていることを肌で感じていた。
1時間以上は経つだろうか。その間にも深緑の肌の怪物は二人の近くを何度も通り過ぎては戻ってくる。
神経がすり減る音をかき消すために璃乃は口を開く。
「このフロアにも看護師さんはいるんだよね?私たちの方にも来ないし、怪物もずっとグルグル周っているだけ。やっぱりみんなには見えてないの?」
気まずい雰囲気をなんとか緩和させたいが少年の表情は硬いままである。
「あぁ、多分見えていない。この時間、看護師は逆側のナースステーションにいるだろう。もし見えていたら今頃パニックになってるだろうな」
彼は硬い表情を崩さずに説明口調で質問に答える。
「なぜ怪物がここにいるかは疑問だが、今は錬金術師が優先だ」
「明日香ちゃんも、でしょ?」
璃乃が人差し指を少年に突き立てる。
「あぁ悪い、そうだったな」
再び苦笑した少年は自分の手や足を見ており、璃乃を見ようとしない。
同い年の少年。この一日で彼の様々な表情を見た。
その多くが悲しみを物語っており、今の苦笑した表情も見ているだけで璃乃も悲しくなる。
笑っているつもりだろうが、彼は今にも泣きだそうだった。
「君はどうして魔法使いになろうと思ったの?」
聞いてはいけないことであると璃乃も察していたが、助けてくれた時の言葉。“魔法使いはいる“それは璃乃に向けて言ってくれた言葉なのか、それとも少年自身に言い聞かせていたのか。
璃乃は少年の哀しげな瞳に問いたかった。
魔法使いは人を幸せにできるのではないのか。もしそうだとしたら、彼自身がこんなにも悲しそうな顔をしているのを見過ごすわけにはいかない。
少年はゆっくりと顔を上げ、口を開く。
「殺したいと思ったから。それだけだ」
悲しすぎる理由。璃乃が想い描く魔法使いとはかけ離れ過ぎている。
「それは錬金術師?」
璃乃は優しく、少年に聞く。
「あぁ、奴らは俺の母親を殺した。だから全ての錬金術師は俺がこの手で殺さないといけない」
彼の視線の先には真っ暗な闇が広がっている。
少年はその空虚から視線を切らない。
瞳は酷く濁っていた。
そして、また静寂が二人を支配する。
璃乃の開いた口が塞がらない。それは驚きなどではなく、言葉が見つからないからである。
少年の方が先に言葉を口にした。
「俺はもう人として死んでいるんだ。母を殺されたあの日に俺も死ぬべきだった。もし死んでいたらこんなに……」
少年は最後の言葉で詰まってしまう。
言葉の続きを彼はまだ見つけられていないのかもしれない。
璃乃は胸の奥から吹き上がる気持ちを抑えることを止める。
「私も魔法使いになりたい。そして君と同じ立場になって君を助けたい。答えを一緒に探したい」
あまりにも身勝手な想いだった。
璃乃の言葉は少年の今までを否定してしまう危険な言葉でもあった。
◇ ◆ ◇
少年の顔全体が熱を帯びる。
「お前は何度も、何度も、なんなんだ!?何様のつもりなんだ?俺の何を知ってる!?俺と同じ立場だと?だったらお前の親を殺してやろうか?」
少年にはできるはずもない虚勢だった。
自分の悪口に彼自身も辟易とする。
しかし少年の罵声は彼女を“こっちへ“連れてきてはいけない。その一心からだった。
閉口するタイミングを失った彼は、璃乃を突き放そうと喉を押し潰して無理にでも吐き出す。
「俺に関わるな。この事件が解決したらお前は一般人として暮らしていけ」
少年は璃乃を睨むために振り向くも彼女はもう“ずっと彼を見ていた“。
「私は魔法使いになってみんなを幸せにしたい。誰も悲しまない世界を作りたい」
瞬きをする隙はなかった。
「だって魔法使いは私の夢だから。私の夢の中はびっくりするくらい、みんなが幸せで平和に暮らしてる世界なんだよ」
「夢?ガキじゃねーんだよ。俺は……ただ復讐をするために生きてきた。それ以外は何もないんだ!空っぽなんだよ俺は!」
——負けられない。これまで自分を支えてきたモノをこんな簡単に崩されるわけにはいかない。
「だったら——」
——この女はイレギュラーだ。こいつは俺の生きがいを、決心を、未来までも変えようとしやがる。バカで常識外れで。
「——君が私の夢を叶えて」
我儘な魔法使いだ。




