10話 エレベーターと監視カメラ
——神無月町病院内部——
裏口からの侵入を成功させた璃乃と少年は、息を着く間もなく、案内板が設置されている柱へ隠れた。
昼過ぎとは違い、フロア全体が暗く、先ほど入って来た裏口の真上にある“非常口“と書かれている誘導灯が煌々と見えるほどだ。
柱の陰から、自分の足元を確認するように璃乃はしゃがみ込み、靴ひもを結び直した。
「あのエレベーターの右上には監視カメラがある。それ以外にも——」
少年は璃乃に目線を合わせるようなことはなく、淡々と病院内部の説明をしている。
「色々と大変だったんだ。俺が器用だからバレずに済んだが、普通の奴ならバレてただろうな」
彼の話はいつの間、自慢話に変わっており、璃乃に同意を求めるように顔を向けてきた。
「はいはい。君は凄いね」
「なんか、キャラが逆になってないか?」
受け流すようにさらりと答えた璃乃に、少年は不服そうに「それだけじゃない」と輪を掛けてきそうだった。
彼の対応に少し困り、璃乃は立ち上がると、背中に差しているアイアンのヘッド部分が月明かりに反射した。
すると少年は安心をしたように胸を撫で下ろしていた。
璃乃には彼がどこで安心する材料があったのか理解できずに首を傾げた。
「要するに、あのウザったいカメラと厚ぼったい鉄の扉を攻略する必要があるってわけだ」
少年は唾を吐き捨てるように言い、ポケットに手を突っ込んだ。
「どうするの?」
璃乃が柱から顔を出すと、“3階“とインジケーターに表示されているエレベーターが闇の中にひっそりと佇んでいた。
彼女の目算で約30mの距離。
彼の言葉通りに右上に視線を上げると、赤い光を放っている丸い機械が見える。
「あれが……監視カメラだね」
まさしく監視者のように目を光らせているというわけだ。
監視カメラはこの1階フロア内に複数設置されているようだったが、少年曰く、彼の見事な誘導でバレずに済んだらしい。
そんな彼が、ニヤリと笑みを浮かべ「秘密道具がある」とポケットから手を出した。
どこかのロボットを想起される行動に璃乃は微かに胸を弾ませていたが、彼の手のひらにある物を確認して一秒とせずに気持ちは冷めた。
「石?」
ゴロゴロとしたどこにでもある大き目の石が5つ。
原始的過ぎる道具を手の中で回し、眼光を放つ少年は璃乃に耳打ちをした。
「——そのタイミングで——」
その内容は強引で失敗する可能性も十分に高かった。
しかし、璃乃は少年と過ごした半日間で不思議と彼を信用したいと思えていた。
彼女自身、理由を説明などできない、漠然とした思いだった。
「賭けに近いけど、君を信じるよ」
「じゃあ始めるぞ」
二人は暗闇に乗じてその時を待った。
柱の陰から少年は石を弧を描くように放つ。
その二投目はエレベーターの呼び出しボタンに吸い寄せられていくようだった。
カンッ——と高い音が響くと、璃乃は驚愕した。
「凄い……」
下行のボタンに僅か二投で命中させたのだ。
「エレベーターが動いてる?モニターには誰も映っていない。故障か?」
警備室から警備員が出てきて、璃乃たちに気が付かないまま小走りでエレベーターへ向かっていく。
「下行きのボタンが押されている?下は駐車場だったが。おい、すまんが起きてくれ、エレベーターが勝手に動き始めた。念のため地下の駐車場を見てくる。お前はモニターを見ていてくれ」
インカムで休憩に入ってたもう一人を起こす警備員。
「思ったよりしっかり仕事してるじゃねーかよ。計算外だ」
少年は璃乃を見ないまま、彼女の方へ腕を伸ばした。
「チョコレートを出せ。今すぐに」
少年は警備員とインジケーターから目を離せないようで、息が少し荒くなっていた。
「はい!」
璃乃はリュックから取り出した板チョコを渡し、彼と同じように警備員の動向に注視する。
「インジケーターが2階になったら動き出して、1階になったら走り出すぞ」
板チョコを半分に割り、片方をポケットに入れ込んだ。
そして数秒の時が過ぎ、インジケーターが2階を表示させた。
「2階だ」
二人は音を殺し、忍び足で距離を詰め始める。
一歩、一歩が璃乃の鼓動を速くさせる。
「あと3秒、2、1、今だ!」
扉が開き、警備員がかごの中へ歩み始める。
彼はまだ璃乃たちに背中を向けており、振り返るまでの数秒が勝負となる。
少年は足音を立てないようにしながら一気に加速をし、燦然と光る鉄のかごに向かう。
璃乃も少年に一切遅れることなく、ピッタリと彼の背中に着く。
扉が光を遮るように閉まり始めると同時に、警備員がボタン操作をするために璃乃たちの方へ振り返る。
その時、少年は握りしめていた板チョコを監視カメラに向かって投げつけた。
チョコは天井の監視カメラの前を横切り、一瞬の死角を作る。
チョコレートが宙を舞う中、警備員の右半身が見えた。
「左だ!」
少年の一瞬の判断で、彼と璃乃は左へ急旋回をし、真横にある左壁を蹴り上げる。
返事をする時間すらない、走り出して3秒にも満たない時間の中で最大限の集中力を発揮する璃乃は高く跳ぶ。
扉が閉まった。
いや、少しだけ隙間を覗けた。
それを待っていた。
「ゔぅ」
少年は跳んだ状態から、扉の隙間に手を入れ込み、こじ開ける。
そしてそのまま二人はエレベーターのかごの上に飛び乗る。
バッコン——
エレベーターが停止し、警備員が衝撃音に反応をする。
少年は1階と地下1階の間で止まったかごの上から、物音を立てないように、1階のドア周りの鉄骨に手を掛ける。
「早くしろ!バレるぞ!」
吐息交じりの少年の表情は、暗闇の中でも焦りが滲んで見えた。
璃乃も跳び上がって鉄骨に手を掛け、よじ登る。
「なんだこの音は!おい警備室、モニターに何か映ってるか!?」
インカムですぐに状況の把握に努める警備員。
「いや、何も映ってない」
エレベーターは再び動き出し、璃乃たちから離れていく。
かごの中にいる警備員の声が次第に聞こえなくなってくる。
「故障かも知れない。起こして悪かった。もう大丈夫だ。休憩の続きをとってくれ。早朝に点検の依頼をしておく」
地下1階で降りた警備員の仲間への詫びの一言が、璃乃の耳に入った最後の言葉だった。
「やったね!」
「あぁ、ナイスだ!」
エレベーターの鉄骨の上で音が響かないように璃乃と少年はハイタッチをした。




