1話 少女と小さな花束
※2025年10月29日 エピソードタイトル変更
11月3日 誤字修正。
内容に変更はございません。
少女はソファに座り、目を輝かせてテレビを食い入るように見つめる。
テレビの中では壮大なオーケストラが物語を彩る。弦と金管が重なり、フィナーレを告げるかのように、音は大きく、強くなっていく。
「今だ!」
相棒の少年が主人公の少女に叫ぶ。
それはまるで祈りのように空へ解き放たれた。
「今まで辛かったね。でも、もう大丈夫だよ」
少女は淡いピンク色のスカートをひらりと風になびかせ空を舞う。
そして、苦しむ魔物に杖を向けた。
「あるべき姿に戻れ——封印!」
魔法陣が、彼女を幻想的に照らした。
風が魔物の身体を優しく、強く抱きしめるかのように包み込み、カードへと姿を変え、ひらりと宙から少女の手に帰った。
「やっぱり……かっこいいなぁ」
テレビはエンディングを迎え、視聴者である少女——九条璃乃はバタンとソファに倒れ込む。
天井を見上げ、右手を上げる。開いて、閉じて。また開いて——
指の隙間からは照明の光が零れる。
「私もみんなを幸せにできる魔法使いになれたらな……」
ぽつりとつぶやき、右手を目の上に置いた。
視界がふと暗くなる。意識がゆっくりと溶けていった。
◇ ★ ◇
朝の柔らかい風が少女の頬を撫でる。
ピッピッピ——スマホのアラームが風をかき消すように鳴る。
「うぅーんー」と少女はまだ目が開かないまま上体を起こし、隣にある温もりに気が付く。
「おはよ、ヒナ」
優しい温もりの正体——家族の猫にそっと触れる。「ニャー」とヒナも挨拶。
目を開けアラームを消す。
「いい風……」
窓を少し開けており、朝日がカーテンの隙間から囁くように差し込む。
少女は「よいしょ」とベッドから降りる。
そして制服に着替える。初めて袖を通す制服には、まだ“自分の匂い“はしなかった。
中学生になった時に着た制服以来の何とも言えないこの匂い。
「少し大人になった気分……なんてね」
独り言を言い、ほんの少し遅れて、恥ずかしさが胸に広がった。
「璃乃ー!もうご飯できてるわよー!のんびりしすぎると初日から遅刻しちゃうわよー!」
母からのお達しが1階のリビングから少女の部屋のある2階まで響く。
「今行くー!!」
鏡を食い入るように見つめ髪型チェック。
そしてカバンを肩にかけて1階へ降りる。
「じゃあ行ってくるねヒナ」
——九条璃乃、本日から神無月高校1年生。
「おはよー!お母さん、お父さん!……ってもう二人で朝ごはん食べてるじゃん!」
璃乃はふくれっ面をして自分の席にバタリと座る。
カレンダーは4月8日。
言動がオーバーになっているのは、緊張と高揚が入り混じっていたからだ。
「璃乃が遅いからよ。お父さんもお母さんも、仕事なんだからね」
母・まどかは眉をひそめる。
「まあまあ。今日は璃乃の記念すべき初登校なんだし」
璃乃に目で合図を送る父・仁彦。
「そうそう!初日だから色々準備が必要だったんだよ!」
璃乃は人差し指を立て話に乗っかる。
突き出した人差し指がかすかに震えていた。
「はぁーもう親子ね……」
まどかは呆れるようにため息交じりに笑みを浮かべた。
「璃乃も時間ないんだから早く食べちゃいなさい」
璃乃は「はーい」と元気よく返事をして、パンを頬張る。
本日のメニューはパンと目玉焼き、ソーセージ、それとサラダ。
手軽だけど栄養も考えている。まどかの愛を感じる朝食だ。
「やっぱりお母さんのご飯が一番だね!」
璃乃は笑いながら、最後のひと口をかじった。
猛スピードで歯磨きを行い、身だしなみの最終チェックを済ませる。
ミディアムボブの内向きワンカール。
ダークブラウンの髪が鏡の中で艶めく。
最後に鏡にいる自分へ笑顔を見せ「オッケーだね!」とヘアブラシを置き、玄関へ向かった。
傷一つ無いローファーが、玄関の真ん中でちょこんと璃乃を待っているように置いてあった。
彼女は新しいローファーの硬さを噛みしめながら足を押し込み——
「行ってきます!!」
両親に手を振り、扉を開けて大きく一歩を歩き出した。
大きく歩き出した歩みは、子気味よく進んでいく。
高校への通学路を一本外し、桜並木の通りへ足を運ぶ。
「うぁー……綺麗……」
舞う花びらたちが、空を淡いピンク色に染めていく。
桜のカーテンが、道いっぱいに広がっていた。その光景に璃乃は立ち止まり、見惚れる。
「桜って、本当に綺麗だよね」
優しくも快活な声が、璃乃を現実に引き戻す。
振り返ると、桜のカーテンを潜り抜けて、一人の少女が笑顔を浮かべていた。
「優花ちゃん!」
璃乃の胸元くらいまでの背丈、まだ幼い顔立ち——花守優花。
家の近くの花屋の娘で、璃乃がよく立ち寄る“大好きな癒し”の存在だ。
「璃乃ちゃん、今日から高校生なんだよね? 私も今日から3年生!」
胸を張って言う優花の言動は、小学生のそれ。
まだ成長期の入口にいる彼女は、今日から小学3年生になる。
「そうだ!ママー!」
優花はくるりと回り、自宅兼花屋——“花守生花店”と書かれた看板の方へ体を向けた。
店先には色とりどりの花々が、朝の陽に濡れたアスファルトと共に煌めいていた。
きっと、優花の母がいつものように、朝の支度を終えたばかりなのだろう。
「もーう、優花ったら。もう学校へ行く——あれ?璃乃ちゃんじゃない?」
優しい声。優花と同じ、けれど少しだけ落ち着いた響きだった。
その音色に呼応するかのように花がふと、一段と輝いて見えた。
「おはようございます、早苗さん! 今日もお綺麗ですね!」
本心を隠すことなく伝える。璃乃もその笑顔と声に、思わず甘えてしまう。
「もう、璃乃ちゃんたら~。褒め上手なんだからぁ」
手を仰ぎながら、バラ色になった頬をそっと冷ます早苗。
「なんでママ、そんなに照れてるの?」
まだ褒められたら「そうでしょ!偉いでしょ!」と素直に受け取る優花には、早苗の反応がちょっと不思議に見えているようだった。
「そんなことより——はい!璃乃ちゃん高校入学おめでとう!」
優花は店の奥に行ったと思いきや、息を切らしながら小さな花束を持っていた。
淡いブルーのデルフィニウムと、ピンクのガーベラでできた小さな花束。
それに負けないくらい可愛く、健気な笑顔。璃乃の目が潤む。
「……ありがとう、優花ちゃん」
ひときわ温かな朝の光を浴びて、小さな花束は璃乃の手に渡る時に何倍にも輝いて見えた。
ふわりとした香りとともに、優花の無垢な笑顔が胸に沁み渡る。
それだけで、たまらなくなってしまった。
頬を伝う、ひとすじの熱いものに気づき、慌てて目を伏せる。
それはただ、純粋に嬉しさが、璃乃の心の器から漏れ出したからだった。
グッとこらえるも、また涙が溜まり流れそうになる。
花束を受け取り、デルフィニウムとガーベラに隠れてひっそりと涙を流す。
気が付かない優花は「これは璃乃ちゃんの優しくってお空さんみたいに可愛い——」と璃乃への想いを花束にしたことを屈託もなく話していると、「璃乃ちゃん、もう時間ないんじゃない?」と二人を優しく見守っていた早苗が璃乃に逃げ道を作ってくれた。
「もう行かないと!花束本当に嬉しいよ!ありがとう、優花ちゃん」
花束を抱えて璃乃は「行ってきまーす!」と手を振り再び、春色のカーテンを潜っていく。
見えなくなった少女を見送り続ける二人は春の風を頬に感じていた。
「ママのいじわる……まだ璃乃ちゃんとお話ししたかったのに」
眉間を寄せ俯き、優花はムスッとするが、少女の影を見つめ続ける眼差しの先には春が咲いていた。
「ママ!私も璃乃ちゃんみたいになれるかな?」
「学校に遅刻しちゃったらなれないかもよ~?」
早苗は意地悪そうな笑みを浮かべる。
「またママのいじわる……っふふ」
二人は目を見て笑い合った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
まだ拙い部分も多いですが、日々研鑽を重ねていきますので、
どうかお付き合いいただければ幸いです。




