5-2 従属の秘薬……それ以上
パレードの会場を出ると、伯爵家の馬車にエルナを乗せた。
この世界で出会ってすぐのメイドから何か聞いていたのか知らないが、私がエルナを乗せると言っても、御者は何も文句は言ってこなかった。
少しして、動く馬車の中にもかかわらず、エルナが床に座り込み首を垂らす。
「私は、殿下を弑逆しようとするという大きな過ちを犯しました」
「あなたは、やらなかったでしょう」
「いいえ。それはお嬢様のおかげです。私一人では間違いなく、殿下を傷つけておりました」
「馬鹿ね。王族に反逆するなんて、命知らずなんだから」
「本来なら私の命は、今日終わっていたことでしょう。ですので自分の誤った行動を止めてくださったお嬢様に、生涯に渡る忠誠を誓います」
「大袈裟なんだから。……だけど、そう言ってくれるのはありがたいわ。私はアンドレアよ。よろしくね」
エルナは元々侯爵家の3女だ。
騎士爵の夫に嫁ぎ、未亡人になっただけのこと。
彼女は由緒正しいお嬢様であり、彼女から教わりたいことは山ほどある。
私は淑女教育とは無縁なのだから。
今にして思えば、従属の秘薬を逃したことは、むしろ好都合だったかもしれない。
元侯爵令嬢のエルナの方が、伯爵家で仕えている従者よりも遥かに有能だ。
満足げに微笑んでいると、エルナは改めて深々と頭を下げた。
「見ず知らずの私を救ってくださった慈悲深いアンドレア嬢様の行動を、私は一生忘れません」
さっきも聞いたようなセリフを、エルナは強く言いきっている。
完全に心酔しきっているわね。
少しばかり申し訳ない。
そう感じる私は、とにかく座るように促す。
従順なまでのエルナは、もちろん大人しく従った。
気になっていることは、ヘイゼルが誰に従属の秘薬を使ったかということ。
私を処刑エンドに導こうとするヘイゼルが、すでに誰かに使用しているのだから。
なんとなくだけど、その人物に心当たりはある。
できればその人物とは接触したくないわね。
そんなことを考えていれば、私とエルナを乗せた馬車は、大きなお屋敷の前にゆっくりと停止した。
◇◇◇
屋敷に戻った私は、バークリー伯爵と兄のコンラート、妹のヘイゼルが戻って来るのを、エントラスで待ち構えていた。
程なくすれば、3人同時に戻ってきたため、満面の笑みで彼らを迎えた。
「おかえりなさいませ、お父様、お兄様、ヘイゼル」
嘘くさい笑顔の出迎えを喜んだのは、ぼってりとした中年体型の伯爵だけだ。
伯爵の後ろにいたコンラートは、表情を変えることなく受け流した。
ヘイゼルは愛想笑いを一瞬浮かべたが、すぐにかき消している。
とはいえ伯爵が心底上機嫌に返答した。
「我々を出迎えてくれるなんて、やっと家族の一員としての自覚が出てきたようだな」
単純な伯爵は前向きに受け取ってくれた。
だが真逆の反応を見せたのがコンラートである。
「日ごろしないようなことをして、何を企んでいるんだ」
「お兄様ってば、人聞きが悪いですわ。でも確かに、一つお願いがあってこうして待っていました」
「やはりな」
コンラートは鼻で笑ってきたが、生憎、そんな態度で怯む性格ではない。
ふふふっと笑えば、図太く言ってのけた。
「私専属の侍女を雇っていただきたくて」
「増やしたいとは思っていたが、適切な人材が見つからないから、すぐには無理だ」
伯爵が申し訳なさげに言った。
私の願いが通らないと知ったヘイゼルは、気の毒げに口角を下げている。白々しい。
「ご安心くださいませ。人材はすでに私の方で選定してきました」
小首を傾げ、にこっと笑う。
すると、私の言動に逆上するコンラートが激昂した。
「ふざけたことをぬかすな! 我が家の侍女やメイドは貴族出身の人間ばかりなんだ。社交界に人脈のないアンドレアなんかで見つけてくるような平民は、我が家の従者にできるわけがない」
ならば問題はない。
ことさら楽しげに、弾んだ声を出す。
「良かった~、それなら採用の基準は合格ですわね」
「は? 何を言っている!」
苛立ちを隠せないコンラートが声を荒げる。
「ご紹介しますわ。エルナいらっしゃい」
そう声をかけると、エルナが足音も立てず、優雅に私たちの前に現れ淑女の礼をした。
「私、エルナ・ルースと申します。フィロント侯爵家が娘で、騎士爵の夫に嫁いだのですが、過日、夫は戦死いたしました」
「フィロント侯爵家……?」
それまで激怒していたコンラートが、腑抜けた声を出す。
「私のような人間に、お嬢様のお世話が勤まるのか心配でしょうが、ご安心くださいませ。嫁ぎ先での経験もあり、屋敷の仕事は何でもこなせると自負しております」
エルナの自己紹介を聞いた3人は目を大きく見開き、驚愕の顔を見せた。
「どうしてルース元夫人がお姉様の侍女になってくださるのよ?」
ドレスのスカートを握りしめるヘイゼルが、悔しげな声を出す。
「アンドレアお嬢様の素敵な人柄にひかれて、私から願い出たのですわ」
上品に笑ったエルナがお世話になりますと伝えれば、伯爵だけが豪快に笑い声を上げた。
お読みいただきありがとうございます。
波乱だらけのアンドレアが、やっとこの世界で仲間を手に入れました!
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