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10-2 翻訳ブレスレット

 もうハンカチは必要ないだろう。彼の顔を見ればそう感じた。


 先ほどまで流れていた血は、拭き取ったあとから流れてくることはないみたいだ。


 私としては真面目に願い出たことだが、肩透かしを食らう。

 見つめ合う彼から、なぜかまったく違う答えが返ってきた。


「バークリー伯爵令嬢の名前を聞いていなかったな」


 名前を告げていなかったなんて、失礼なことをしていた。

 とは思うものの、ハンカチを返してという申し出の間に挟む質問だろうか?


 その疑問は拭えないが、王族と偽りの伯爵令嬢という関係では、彼の質問を優先するしかない。


 姿勢を正し、緩んでいた表情筋に力を入れた。


「それは大変失礼いたしました。初めてお会いしたときに、名乗っていたとばかり勘違いしておりました」


「私から見えないように、ブローチを隠していたのは覚えているけどな」

 にこっと笑うギルバート殿下が、冗談混じりに言ったが、私としては一つも笑えない話だ。

 姑息なことがバレていたなんて。気まずい。


 笑顔の彼と真顔の私の間に妙な空気が流れる。


「名前で呼びたいのだが、教えてはくれないのか?」


 こんなシーンはあっただろうかと思うが、バグが起きているゲームだし、不思議はないかと口を開く。


「名乗り遅れましたが、アンドレアです」


「アンドレアか……。今日は護衛の従者はいないんだな」


「ええ、1人になりたいときもありますから」


「パレードの途中でナイフを握るくらいアンドレアの護衛に熱心だったのに、変な話だな。まあ、私も1人で過ごしたい時間はあるから、わからなくもないが」

 含みのある口調だ。

 パレードの一件について、完全にバレていると感じ、静かに顔を背ける。


 冷酷と呼ばれるほど冷静な彼は、ぜんぶ気づいていて、見逃してくれたということか……。


「危ないから、私が馬車で送っていくとするか」


「いいえ、大丈夫です。私は歩いて帰れますから」

「へぇ~、それではどうしてこんな裏路地にいたんだ? どう見ても道に迷っていたとようにしか見えないが」


「それは……ちょっとぼんやりしていたというか」


「それなら余計に一人では帰せないな」

 穏やかな笑顔で告げられた。


「よろしくお願いします」

 こうなれば素直に従おうと、方向感覚を失った私は、彼に促されるまま歩みを進める。


 変だな。彼の性格にもバグが起きているのかと思うくらい、優しい。


 ゲームの制作者としては、堅物の王子としてキャラ設定したのだ。


 ヘイゼルに好感度を上げただけの彼が、私にまで優しいことが不思議でならず、首を傾げる。


「アンドレアが初めて描いたハンカチは、私が汚してしまったから、お礼に何か返さないとな。何が欲しい?」


「いいえ。ギルバート殿下に助けていただいたのは私ですので、何もいりませんよ」


「遠慮はするな。前回贈ったものは気に入らなかったのだろう。欲しいものを自分で選んでくれ」


 はてな? 前回贈ったもの……?

 私はもらってないはずだが、どういう意味だろう。

 彼の真意を確認したくて、顔を覗きこみうと横を向く。


 すると、ピロンという音とともにゲームウィンドウが起動した。


 え……⁉

 目をぱちくりさせる私の前方に、先ほど立ち寄った雑貨屋があるのだが、そこに翻訳ブレスレットという文字が見える──。


 続いて、【臨時イベントクリア! 彼へのプレゼント作戦成功】と浮かんでくる。


 ええぇえ! ……どういうこと⁉


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