2
「うっ……はっ……はぁはぁはぁはぁ」
目覚めると大量の冷や汗。
「ぇ? 私……生きてるの? 階段から落ちたんじゃ……」
部屋を見渡すも、私の……モンテジール家の私の部屋に見える。
もしかして、私はシオニスに婚約者不適切となりモンテジールに戻されたのだろうか?
「二度の婚約解消となれば今度こそ、貰い手無いわよね……エミリアの幸せの犠牲になるくらいなら修道院の方が幸せかもしれないわ」
「お嬢様っ」
「おはよう」
「おはようございます……ではなく、エミリア様がお目覚めになりました」
「エミリアが? 」
エミリアが目覚めたことを何故私に報告するのかと疑問に思うと一つの考えが生れた。
私を突き落とした事実に、あっちも寝込んでいたのかもしれない。
だけど、目覚めてすぐ私に会いたくないだろうし私も会いたくない。
「皆さんエミリア様のお部屋におります」
「そう……」
「お嬢様?」
「少し……落ち着いたら行くわ」
「……分かりました」
突き落とされた私より、突き落としたエミリアの方が大事にされるのね。
分かっていたことなのに……
「私を心配してくれる人は、一人もいないのね……」
エミリアの部屋に向かうべきか悩んでいた。
行かなかったら、あの子は泣きわめき両親に『自分は悪くない』と訴え『お姉様が足を滑らせたんです』と言い両親を私に派遣し『シオニス侯爵の誤解を解いてきなさい』と指示するはず。
行ったら行ったで『お姉様。私、お姉様に触れてないですよね? 』『お姉様が自分から転落したんですよね? 』と自身が突き落として無いことを周囲に印象付けようと必死になるだろう。
私を心配する者はいない。
「もうすぐ食事だから、その時でいいよね」
怪我を負ったのは私。
こんな時までエミリアを優先するのはやめた。
「お嬢様、お食事の準備が整っております」
「……分かったわ……今日は……部屋でいただくわ」
「畏まりました」
あの人達と顔を合わせるのは苦痛でしかない。
今は少しでも一人で過ごしたかった。
食事が運ばれ一人でする食事がこんなにも穏やかとは知らない。
食事が終わると、いつ両親から呼び出されるのか、いつエミリアが突撃してくるのか不安だった。
「お母様達は今どちらに? 」
平穏なのが却って落ち着けず、私から様子を窺う。
「えっと……奥様は……エミリア様と買い物に向かわれました」
「買い物に? 」
私を突き飛ばしておきながら能天気に買い物だなんて……
この家での私は存在していないのだと思い知らされる。
「エミリア様がお目覚めになり、お医者様からも問題ないとの判断で買い物に」
「そう……」
屋敷にいないのであれば、突然押しかけられることもなく穏やかな時間を過ごせると安堵。
静けさを堪能していると廊下が騒がしくなる。
「お姉様っ。これ見てください、私の為にお母様が買ってくださったんですよ。他にもドレスや靴に宝石など沢山」
私を突き落としておきながら買い物できる事や、反省など一切見せないエミリアの姿に幻滅? いや、その事を指摘しない両親に呆れてしまう。
「はぁ……」
「お姉様っ、見てください」
こんな時までエミリアに付き合わされるのかと思うも、うるさいので視線を向ける。
「ん? エミリア? 」
「どうですか? 可愛いでしょ? お姉様? 」
新しい服を褒めてほしいエミリアが私にアピールするも、私はそれ以外の事に気を取られていた。
エミリアの着用している服は見覚えがあり、エミリア自身にも違和感を感じた。
「その服……今、買ってきたの? 」
「そうですよ」
「だって、その服は……」
「お姉様なんですか? もしかしてこの服、流行遅れですか? 」
「いえ……私の勘違いかもしれないわ」
「教えてください。もし誰かが着用した後なら私が恥をかいてしまうではありませんか」
その服は確かに見覚えがある。
それは、過去エミリアが好んで着用していた記憶がある。
「思い出せないわ。少し休ませて」
状況を呑み込めず、頭を抱える。
「そんな事言ってないで、思い出してください」
「エミリア、お願いだから一人にさせて」
「眩暈くらいなんですかっ。どうせ仮病ですよね? 」
頻繁に体調不良を訴えるエミリアが、私をそんな風に言う事に苛立つも反応しなかった。
「……全く。思い出したら教えてくださいよっ」
エミリアは不満げに去って行く。
それからその服を着用する事は無かった。
今はそれどころではなく、私はサルヴィーノと婚約する前に戻っていた。
時間が巻き戻ったのか、あれは夢で予知夢だったのかと悩むも答えは出ない。
分かることは、あの虚しい未来にならないよう動く事だけ。
「私、お姉様のが欲しい」
「はい、どうぞ」
「えっ」
物を奪われることは今ではどうでもいい。
執着心も捨てた。
私があっさりと手放すとエミリアの方も変わった。
「やっぱり、いいです。新しい物をお母様に買って頂きます」
「そう」
エミリアに対して感情を見せずにいると、私が思い通りの反応を見せない事に不満な様子を見せる。
あの子は、物が欲しかったのではない。
私が大事にしているモノを奪うのが好きなのだと、ようやく理解した。
「物はいいけど……サルヴィーノとの婚約についてはもっと良く考えなくちゃよね……」
どうにかサルヴィーノとの婚約を避ける方法を思案中。
「お嬢様、お手紙が届いております」
「ありがとう」
手紙はお茶会の招待状だった。
この頃は、私も頻繁にお茶会に誘われていた。
だがエミリアがワガママを言うようになり、私は振り回されるよう招待されたお茶会を欠席するようになった。
欠席が続く事で、招待されることは少なくなっていった。
エミリアに付き合う事なく、私はお茶会に参加する事を選び出席の返事を認める。
「あとは当日よね……」
私が参加するとなれば、エミリアは何が何でも足止めをするだろう。
それを回避するには……
「あっ、この方なら……ねぇ。こちらの手紙を先に出して。それとこれを準備しておいて」
「畏まりました」
お茶会の招待の返事を届けさせる。
そして当日。
「お姉様、お出かけなさるのですか? 」
「えぇ。お茶会に呼ばれたの」
「そんなっ、私を一人にしないでください」
「一人ではないでしょ? お母様も使用人もいるじゃない」
「私はお姉様にいてほしいのです」
「だけど既にお茶会に出席の返事をしてしまったから、欠席するわけにはいかないわ」
「では、体調が悪くなったと言えばいいではありませんか」
「嘘は吐けないわ。では、エミリアも一緒に行く? 本人がいた方が良いだろうし」
「本人が行った方が? 」
何のことか分からず、首を傾げるエミリア。
「えぇ。以前エミリアはお茶会を欠席した事があったでしょ? その謝罪に行くのよ。今日の為に、お詫びの品も準備したんだもの」
私は手に持っている物を見せつける。
「謝罪……」
「エミリア。今から準備すれば間に合うから、早く準備しなさい。遅れてしまえば、更に相手の機嫌を損ねてしまうから急ぐのよ。私は馬車で待っているわ」
「お姉様……私は……朝から気分が良くなかったので、遠慮しておきます」
「そう……気分が悪いのなら仕方ないわね。私だけで行くわ」
「お姉様、お願いしますね」
予想通りのエミリア。
エミリアは昔からお茶会で好待遇を受けるのは好きだが、立場が悪くなると私に押し付け逃げていた。
今回もお茶会に参加する目的が『謝罪』だと分かると、お茶会に参加する私を引き止めることも同席することからも逃げ出した。
やっと一人になり、馬車に乗り込む。
「案外、簡単な子だったのね……」
私は招待された屋敷へ向かう。
相手は子爵家。
子爵家だが、事業も拡大し王族への貢献度も考えると伯爵家の我が家と比較しても引けを取らない。
「爵位しか見ていないあの子は簡単に当日欠席を選んだのよね……」
本日の主催者はエミリアと同年代だったので、私を招待するのは今回が初めて。
前回の私も誘われた事があったが、エミリア同様当日欠席してしまった。
理由は先程のように、エミリアに引き止められ根負けしてしまったから。
姉妹揃って当日欠席したとなれば悪評が立つ。
だけど、責められたのは私だけだった。
『エミリアは体が弱く、当日急に体調を崩すことがあるのです』
母が相手に対し弁明しエミリアの当日欠席は許されたが、私は違った。
『アクリナに関しては健康で、私達自身も本人に任せておりました。皆様にご迷惑をおかけしていたとは知らず、大変申し訳ございませんでした』
両親は、私の失態は私にあると認めた。
その事で私はワガママで世間知らず『迷惑な貴族令嬢』として名が知れ渡ることに。
「今回はそのような不名誉を背負うことがないようにしないと……」
馬車の中で気合を入れ、エミリアが粗相した相手先へ挨拶に向かう。
「ミルーチェ子爵令嬢、本日は招待して頂きありがとうございます。エミリアが以前招待された際、当日欠席したと先程聞きました。その節は大変申し訳ありませんでした。こちらほんの気持ちです、受け取って頂けますでしょうか? 」
「まぁ、アクリナ様はお優しいのですね。それで、今日エミリア様は? 」
「今朝も私がミルーチェ子爵令嬢のお茶会に招待されたことを話すと急に気分が悪くなったようで、本人も謝罪の意思はあったのですが屋敷で休んでおります」
「……そうですか」
私達の会話を聞いていた令嬢達は訝しげな表情を見せる。
「いずれ本人も直接謝罪すると思いますので、その時はよろしくお願いいたします」
「えぇ。お待ちしております」
その後のお茶会はミルーチェによって、有意義な時間だった。
私が伯爵家ということも関係しているのか、ミルーチェからの嫌味も嫌がらせも無いどころか気遣われたように思える。
ミルーチェの主催者としての采配が優れているのだろう。
「アクリナ様はお茶会など、あまり参加されませんよね? 本日はどうして? 」
「私としては参加したいのですが、エミリアが急に体調を崩すもので断念するしかなく……」
「まぁ、エミリア様が体調を崩されるとアクリナ様も欠席なさるのですか? 」
「はい。体調不良の時に一人になるのが心細いのか、『傍にいてほしい』と懇願されるもので」
「……エミリア様は、幼い方でしたのね……では、今日はどうして? 」
「実は今日も『一緒にいてほしい』と懇願されたのですが、私がどうしてもミルーチェ令嬢に謝罪したいと思い参りました」
「そうだったのですね、謝罪は手紙でも構いませんでしたのに」
「いえ、直接の謝罪でないと伝わらないと思いました」
「アクリナ様の失態ではないのに……」
「いえ、モンテジール家の失態ですので私が謝罪するのが礼儀だと思いました」
「ご立派ですわね。アクリナ様に今後も招待状を送って構いませんか? 」
「はい、嬉しいです」
「エミリア様の体調が優れず訪問が難しい時は連絡を頂ければ、こちらとしては対処いたしますので」
「お気遣い感謝いたします」
私一人でのお茶会は問題もなく終わり、屋敷に戻る。
今回はそれだけで終わるつもりはない。
「お父様、報告があります」
「なんだ、忙しいんだ。今じゃなきゃダメなのか? 」
「エミリアの事なのですが……」
「エミリアがどうした? 」
私の事では書類から視線を外さないのに、エミリアの事だとすぐさま私と視線が合った。
「……以前、ミルーチェ子爵令嬢のお茶会に招待された時、体調が悪く当日欠席したそうなのです」
「何っ、エミリアが体調が悪いのか? 」
「今日ではなく、以前です。それでお茶会を当日になんの連絡もなく欠席した事が令嬢達の間で広まっているようです」
「なんだと? ちゃんと訂正したんだろうな? 」
「はい。今日、お茶会でミルーチェ子爵令嬢には謝罪とお詫びの品を贈りました」
「そうか」
「ですが、ミルーチェ子爵令嬢はエミリア本人からの謝罪がない事に思うところがあるようです」
「なんだと? 体の弱いエミリア本人の謝罪だと? 」
「エミリアが体調不良により当日に連絡なく欠席をした家門は他にもあるようで、皆様エミリアから事情をお聞きしたいとのことでした」
「……エミリアはお茶会を何度も欠席していたのか? 」
「私も知らなかったのですが、一つ二つではないようです。令嬢達の噂でエミリアの対応は高位貴族としては相応しくないのではと……」
「そんなことに……」
「エミリア本人が謝罪しない限り、今後お茶会での立場は良くないかと」
「……そうだな」
「それと……」
「まだ、あるのか? 」
「エミリアの謝罪が済むまで、他のお茶会は全てお断りした方が良いかと」
「……全て断る必要はないだろう。体調が良い時は、参加するべきだ」
「謝罪も済んでいないのに他の方のお茶会に参加したと噂になれば、『軽んじられた』と噂が流れがかねません。そうなれば、今以上にエミリアの立場は悪くなります。お父様はエミリアが心配ではないのですか? 」
「心配に決まっているだろう。そうだな、お茶会は全て断ることにしよう」
「招待状を見たら参加したくなると思うので、エミリア宛の招待状はお父様が管理してください」
「分かった」
「その間私がエミリアの謝罪が上手くいくよう、皆さんのお茶会に参加し事前に伝えておきます」
「任せた」
……全て、私の計画通りに。
エミリアを社交界から遠ざけ、病弱であるのを印象付けさせる。
そして、私の誕生日が近付く。
「アクリナ、今度の貴方の誕生日パーティーなのだけど延期してもいいかしら? 」
「それはどうしてですか? 」
「エミリアが体調を崩したのよ、エミリアのいないパーティーなんて出来ないでしょ。エミリアが回復したら家族みんなでアクリナの誕生日パーティーをしたらいいのよ。そこでエミリアも回復した事を発表すれば二人をお祝い出来るわね」
「……そうですね」
夢の通り、私の誕生日パーティーは延期となった。
「分かってくれて、嬉しいわ。流石エミリアの姉ね」
こうなると分かっていたので、傷ついたりはしない。
私は誕生日パーティーが延期となった事を招待客全員に詳細を伝える手紙を送る。
夢では誕生日延期が悲しく、誰にも会わないよう部屋に閉じこもっていた。
『あれは……エミリア様じゃありませんか?』
『そうですわね。体調不良と聞いていたのですが……お元気そうですよね?』
『確か今日、アクリナ様の誕生日でしたわよね?』
エミリアが母と観劇している元気な姿を令嬢達に目撃されていた。
私の誕生日の延期理由を知っている人間からすると、おかしな光景に疑惑が生まれ始める。
ミルーチェのお茶会に参加した令嬢達から心配する手紙が届く。
『アクリナ様の誕生日のパーティーの延期の理由が、エミリア様の体調不良とお聞きしました。その後、エミリア様のお加減は如何ですか?』
エミリアが私の誕生日に遊び歩いていたという噂は私の耳にも届いていたので、すぐに返事を書いた。
「皆様には大変ご迷惑をおかけしております。エミリアの心配までありがとうございます。私の誕生日当日もエミリアは体調を崩しておりました。ですが、今は順調に回復しています。一度延期とはなりましたが、エミリアの体調が安定次第、私の誕生日パーティーを開催するつもりであります。その時は招待状を再度送らせていただきます」
そして、夢と同じく私の誕生日パーティーが開催されることは無かった。
父の執務室にて。
「アクリナは伯爵家を継ぐという自覚を持ち、常に精進しなければならない」
「はい」
「今度、グディレス伯爵令息と会う」
「……それは、私の婚約者としてという意味でしょうか? 」
「あぁ」
「それでは私はお断りいたします」
「どうしてだっ」
「私が婚約しては、エミリアはどうなるのですか? 」
「エミリアにも婚約者を検討中だ」
「エミリアは体が弱く婚約は難しいです。私が先に婚約したとなれば、精神的に不安定になるのではありませんか? 今でも私一人でお茶会に参加するだけで、心細くなり体調を崩してしまうのですよ。私は後で構いませんので、エミリアの婚約を先に決定した方が良いと思います」
「……それもそうだな。アクリナはエミリア思いの良い姉だな」
「そのままグディレス令息をエミリアの婚約者にしては如何ですか? 」
「グディレス令息が相手となると、エミリアに家督を継がせる事になる。それは無理だろう」
「本当に無理なのでしょうか? 」
「あの子は体が弱い。グディレス君と結婚したからと言っても、彼は伯爵代理。モンテジールを継げるのは血筋を受け継いだ者。あの子には難しい」
なら、夢では何故あの子が伯爵家を受け継ぐ事に賛成したの?
まさか、エミリアのお腹には……
そんなわけない。
二人が思いを寄せていたとはいえ、体の関係があったなんて考えたくない。
「……そうですね。では、体の弱いエミリアを守ってくれる嫁ぎ先を検討してください」
「あぁ」
私とグディレスの婚約の話は保留。
保留とはなっても、グディレス伯爵が訪れる約束はそのまま。
当日、エミリアとの会話。
「今日は大事なお客様がいらっしゃるんですよね? 」
「そうみたいね」
「お姉様は準備されないのですか?」
「お父様のお客様で私は関係ないわ」
「お姉様の大事なお客様だと、お母様は仰っていましたよ」
「お母様の勘違いじゃないかしら? 私は挨拶するつもりはないもの」
「そうなのですか? 」
「これから街を散歩しようと考えていたくらいだもの」
「……そうなのですね」
「エミリアも一緒にどう? 」
「私は、今日は遠慮しておきます」
「そう」
一人街へ向かった。
エミリアからだけじゃなく、サルヴィーノにも会いたくない。
街の雰囲気を堪能。
本屋で新たな小説を手に入れ、カフェで休憩。
十分楽しんだので屋敷に帰ってもいいのだが、まだグレディス親子がいるのではないかと思うと帰りたくなかった。
のんびりと過ごし、時間を掛け屋敷に戻る。
「……嘘でしょ……」
屋敷に戻ると、まだグレディス家の紋章の入った馬車があるのに気が付く。
夢ではそんなに長居はしていなかったのに……
静かに屋敷に戻り彼らが去るのを待つ。
「お嬢様、お食事の準備が整いました」
「今行くわ」
食堂に向かえば、すでに話が盛り上がっているのが感じられた。
扉が開き見渡せば、予想外な人物たちの姿がある。
「アクリナ、どこへ行っていたのだ? 」
険しい表情の父。
「少し街まで」
「お客様について話しておいたはずだが? 」
「お父様のお客様だと聞いておりましたので」
「まぁいい。こちらグレディス伯爵と令息だ」
「アクリナ・モンテジールと申します」
「グレディスです。こちらが息子の……」
「サルヴィーノ・グレディスと申します。アクリナ様にお会いできるのを楽しみにしておりました」
優しい笑みを浮かべ私に挨拶する姿は夢と同じ……いや、夢より質が悪い。
全員が揃い食事が運ばれる。
普段であれば、食堂に家族が集まるのを待つのは私だった。
そんな私が最後で、しかも会話の中心が私であることに違和感でしかない。
その間、隣に座るエミリアはフォークとナイフを力強く握りしめ鋭い目つきで私を見つめる。
「それで、アクリナ様には婚約者がいらっしゃらないと聞いたのですが」
サルヴィーノからの質問。
私が長女だから質問したのだろう。
彼が私に関心を示すことなど私の知る限り一度もない。
「……はい。エミリアが先に婚約者を決定してからと思っております」
「エミリア様は妹なのですよね? 姉が先に婚約した方がエミリア様も安心するのではありませんか? 」
「私達家族はエミリアを大事にしております」
「そうですか。エミリア様には婚約者はいらっしゃるのですか? 」
「私にはまだ……」
サルヴィーノに婚約者について尋ねられ、ようやく自分に興味を持ってもらえたことに喜ぶエミリア。
「では、私が信頼している家門の令息を紹介しましょう」
グレディス伯爵がエミリアに婚約者を紹介すると言い出す。
「えっ」
エミリアの反応からサルヴィーノを婚約者にと勧められると思ったに違いない。
私もそう思ったくらいだ。
「それは嬉しいですね。エミリア、その令息と一度お会いしたらどうだ? 」
グレディスの提案に父が興味を示す。
「そうね、一度お会いしてみましょう」
母も同意。
「私は……まだ、婚約は……」
「エミリア様の年齢であれば、婚約が早い事はありませんよ。私から話しておきます。彼は好青年でとても優しく、エミリア様もお会いすれば彼の良さが分かるはずです」
「いえっそんな……」
「遠慮することはありませんよ」
「では、お姉様が先に婚約を決定するべきではありませんか?」
サルヴィーノに一目惚れでもしたのか、エミリアは頑なに他の人と会うことを拒否している。
「彼は跡継ぎですから、アクリナ様とは難しいでしょう。エミリア様、一度彼とお会いしてみてください」
「……はぃ……」
これほどまで伯爵に勧められれば、頷くしかないエミリア。
その後の食事会も面倒でしかなった。
普段、家族の時間に存在しない私。
家族だけでなくグレディス伯爵とサルヴィーノを交え談笑しなければならない食事。
彼らから解放され、部屋に戻る。
「……疲れる食事だったぁ」
つい本音が漏れる。
コンコンコン
「はい」
「僕です、サルヴィーノ」
彼が何故私の部屋に?
エミリアだったら部屋を間違えている。
「何でしょうか? エミリアの部屋でしたら、戻って頂き角の部屋です」
「いえ、アクリナ様と話したくて来ました」
「私と? 何故でしょう? 」
「話の行き違いがあったようですが、本日、僕はアクリナ様との婚約の挨拶だと聞いていたもので」
「そうなのですか? 私は父から『お客様がいらっしゃる』としか聞いておりませんでした」
「そうでしたか。アクリナ様が外出中と聞き、お会いできないのかと残念に思っていました。ですがこうしてお会いする事ができて良かったです。僕達の婚約の話はエミリア様の婚約が決定してからと聞いております。少し二人で話せませんか? 」
「父から婚約の話は一切聞いておりません」
「僕との婚約を考えて頂けませんか?」
「エミリアの事もありますので、私は考えてはおりません」
「アクリナ様は本当にエミリア様思いなのですね。では、婚約を考える段階として、少しお話しできませんか?」
「……分かりました。では、談話室でお伺いいたします」
「……はい」
部屋の前まで来ているので、私が部屋に招き入れると思っていたのか一瞬彼の張り付いた笑みが引き攣った。
談話室まで移動。
使用人に紅茶の準備をさせ、退出させることなく部屋の隅で待機させる。
「お話とは何でしょうか? 」
「アクリナ様は婚約についてどう考えているのですか? 」
「先程申したように、エミリアの婚約が決定してからと考えています」
「ではエミリア様の婚約が決定しましたら、是非僕と婚約して頂けないでしょうか? 」
彼から婚約を申し込まれるとは……
彼から婚約を申し込まれても、嬉しさを感じない。
いずれ私からエミリアに乗り換えると分かっているから。
「婚約を申し込む相手をお間違いではありませんか? 」
「エミリア様とはお話しさせていただきましたが、僕はアクリナ様との婚約を望みます」
「……そうですか。私の判断でお答えできません。先程も言いましたが、第一優先はエミリアですから」
「失礼ですが、皆様はどうしてエミリア様をそこまで優先するのですか? 」
「エミリアが病弱だからです」
「病弱でも、行き過ぎではありませんか? 」
「これは家族の問題ですから」
「……踏み込み過ぎました。申し訳ありません。アクリナ様と婚約したいあまりつい……感情的になってしまいました」
彼の意図が読めない。
私と婚約したい理由……
次男で婿先を探しているとしても、夢でもここまであからさまではなかった。
サルヴィーノは終始、婚約したい事を仄めかす会話。
「そろそろ……」
「そうですね。アクリナ様といると時間を忘れてしまいます。本日はありがとうございます。部屋までお送りいたしますね」
「いえ、我が家ですのでここで結構です」
彼の言葉は何もかも信じられない。
私といると時間を忘れる?
聞いて呆れる。
時間も時間で、終わらせることが出来たが彼らはいつまで我が家にいるつもりなんだろう?
夕食も終えたのだから帰ったらいいのに。
まさか泊まるつもりなのか?
「グレディス伯爵令息様、話し合いが終わったので応接室にとのことです」
「分かりました。アクリナ様、今日はお話しできて良かったです。では、近いうちにまた」
『近いうちに、また』と言われたが、こちらからは何も言わず黙って頷く。
それからグレディスの言葉通り、婚約者候補の釣書が届く。
「エミリア、グレディス伯爵から婚約者の釣書が来た」
「お父様、相手はどんな方です? 伯爵以上の令息で有能な方でないと私はお断りですからね」
「相手は……ラザローニ子爵令息だ。子爵と言っても彼は優秀で領地の方も……」
「嫌です。子爵だなんてありえない。私の相手は伯爵以上が条件です」
「グレディス伯爵が既に相手側にも話を通している。断るのも一度お会いしてからでもいいじゃないか」
「……分かりました。ですが、相手が私の好みでなければ断りますから」
「あぁ。それで構わない」
婚約者候補としての対面であって、婚約が決定した訳ではないということでエミリアも納得。
二人の予定が組まれ会う事に。
「初めまして。アルヴィシオ・ラザローニと申します。本日はこのような機会を頂き光栄です。エミリア嬢の事は以前、コルテス伯爵家のお茶会でお会いしてから忘れられずにいました。今日は夢のようです」
「そうですか、ありがとうございます」
「これを受け取って頂けないでしょうか? 」
「……まぁ、なんでしょう? 」
「最近街で話題みたいです。幸運のブレスレット」
「幸運の……ブレスレット?」
「エミリア様に幸運を」
「……ありがとうございます」
アルヴィシオを見送っているエミリアを偶然発見してしまった。
「エミリア?」
今日エミリアが婚約者候補と対面する日。
巻き込まれたくないので、私は朝から出掛けていた。
それなのに、帰宅後すぐに彼らを目撃するとは思わなかった。
気が付かなければ声を掛けなかったが、私だけでなく彼と目があってしまった気がしたので声を掛けた。
「……お姉様、戻ったのですね」
「えぇ。それで……こちらの方は? 」
「ご挨拶させていただきます。アルヴィシオ・ラザローニと申します」
「エミリアの姉、アクリナ・モンテジールと申します」
アルヴィシオは身長が高く逞しい印象。
顔つきは男らしく、サルヴィーノは整った顔立ちなので彼らは対照的といえる。
サルヴィーノに夢中なエミリアの好みとは思えない。
「帰る前にご挨拶出来て良かったです」
「私もです」
「それではエミリア様、本日は貴重な時間をありがとうございました」
「……こちらこそ」
エミリアの婚約者候補との対面は終了。
「お父様っ」
「どうした、エミリア」
「私、あんな人と婚約したくありません」
「失礼な事でも言われたのか? 」
「はい。この私に平民と同じ物を贈るなんて信じられません。こんな侮辱は初めてです」
「平民に贈るものをエミリアに渡したのか? 礼儀知らずな奴だ。すまなかった、エミリア。伯爵からの申し出とはいえ、そんな相手を婚約者候補にと紹介するなんて。相手には私の方で断りの連絡をしておく」
「当然です。あんな人、二度と会いたくないわ」
父に不満をぶちまけるだけでは収まらないエミリア。
「お姉様っ、私、サルヴィーノ様と婚約します」
エミリアは許可なく部屋に入って来て、突然の宣言。
「……そう。二人はお似合いだと思うわ」
「……お姉様はサルヴィーノ様の事をどう思っているのですか」
「人を踏み台にすることに躊躇いの無い人」
「なんですか、それ?」
つい、本音が零れてしまった。
「私はあの男を信用しないという事よ」
否定することなく正直に話した。
「サルヴィーノ様に何かあるんですか? 」
「……直感よ」
貴方に殺された時の記憶とは言えない。
「直感……なぁんだ。あの方の事を知りもしないで、お姉様の当たりもしない直感だなんて」
「私と彼は相性が悪いってことよ」
「その直感は正しいですね。私はサルヴィーノ様と相性がいいですもの」
「それは良かったわね」
「それで相談なのですが」
「何かしら? 」
「私がサルヴィーノ様と結婚するので、お姉様は私の補佐をしてください」
「補佐? 」
「私が伯爵家を継ぐので、お姉様は使用人のように私に尽くしてください」
私がサルヴィーノに興味がないと分かると、隠すことなく私を踏み台にするエミリア。
「……断るわ」
「どうしてですか?」
「エミリアが伯爵家を継ぐとなれば、お父様は私を他家へ嫁がせるわ」
「私がお父様にお願いします。私が言えばお父様は何でも叶えてくれるもの」
エミリアがこのように発言するのも、父はエミリアの願いを全て叶えてきた。
エミリアは自身が望まない事は意地でもしない性格になった。
そんな子が、病弱だなんて……
前回の私もだが、どうして疑わなかったのか……
「それよりも、もっといい方法があるわ」
「いい方法? なんですか? 」
「エミリアが私の受けている教育を受けたらいいのよ」
「……お姉様の? できません」
「やる前から諦めるの? 」
「お姉様は幼い頃から伯爵家を継ぐべきとして、教育を受けていたではありませんか? 今から私が同じ教育を受けるなんて遅すぎます。私だって健康であればお姉様より、もっと優秀だったはずです」
「遅すぎる事は無いわ。エミリアが本気なら私も協力する……サルヴィーノ様と婚約したいのなら努力しなさい」
「お姉様が私に命令だなんて……もういいですっ」
エミリアは勢いよく部屋を出て行く。
「あれだけ頑なに当主の教育を拒否しているのなら、このまま行けばサルヴィーノ様と強引な手段を取って私を追い出すか、使用人にさせられそうね。今のうちに逃げ場作っておいた方がいいかもしれないわね」
翌日からお茶会で情報を仕入れながら、逃げ先を検討中。
「今日は……ポーリック公爵令嬢のお茶会ね」
準備をして馬車へと向かう。
「お姉様っどちらへ行かれるのですか? 私には家庭教師を受けろと言って、お姉様は最近出かけてばかりですよね? 家庭教師の方はどうされるのですか? 」
「今日はポーリック公爵令嬢のお茶会なの。家庭教師は今日ではないから安心してちょうだい」
「では、私も一緒に参加致します」
「我が家よりも高位貴族の相手のお茶会に招待もされていない者が参加するのは認められないわ」
「お姉様が招待されているんですもの、私が参加しても問題ないはずです」
「突然人数が増えれば相手に迷惑よ。それにエミリアがお茶会に参加するには、お父様の許可が必要なはずよ」
「どうして私が出席する事に、お父様の許可が必要なのですか? 」
「エミリアが以前当日欠席した令嬢達への謝罪がまだだからよ。それが済むまで新たなお茶会の参加は許可できないそうよ」
「謝罪ならお姉様がしてくれたではありませんか。まさか、してないのですか?」
「私から謝罪とお詫びをしたわ。だけど、皆さん私だけでなくエミリア本人から事情をお聞きしたいそうよ。お父様から聞いてないの? 」
「……聞いて……いません」
「そうなの? 『失礼を働いた令嬢達に謝罪の手紙を送り直接本人に詫びをしないうちは、招待状を渡すつもりは無い』というのが、お父様の決断よ」
「お父様が? だから最近、私にお茶会の招待状が届かなかったのですか? 」
「そうよ」
「私はお茶会に参加できない……」
「皆さんに事情を説明すればいいだけの事よ」
「簡単に言わないでくださいっ」
「私の方から皆さんにはエミリアが病弱であるのを伝えてあるから平気よ。皆さん怒っていないもの」
「怒っていないのであれば、謝罪する必要はないではありませんか」
「そういうわけにはいかないのよ。エミリア、謝罪しなければ今後お茶会には一切出席できなくなるわよ」
「そんな事ありません。下位貴族のお茶会など欠席したっていいではありませんか。私は伯爵令嬢なのですから」
「下位貴族だからと言って蔑ろにしていい理由にはならないわ。お父様の仕事にも関わってくるのだから」
「煩いっ。お姉様だからって私に説教しないで。私はお姉様と違ってお父様とお母様に愛されているんだもの。何をしても許されるんですっ」
エミリアは大声で反論し、自室へと走って行く。
「そんな事……言われなくても分かっているわよ……」
エミリアの言葉は私も気付いていた。
だけど、他者から言われると予想以上に辛い。
私が落ち込んでいる一方で、エミリアの走り去る姿を目撃した者は誰も彼女を病弱だとは思えなくなっていた。